トンネルを抜けると、そこには……一面の海が広がっていた。

澪「うわあ……」

思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
雄大な自然。
普段は見ないものだからだろうか、私はそれを目の当たりにする度に大きな感動を覚えるのだ。

澪「はむっ」

事前に用意しておいたポッキーを一本、口の中へ。
カリカリと食べ進めるリズムが小気味よく、チョコレートの甘味がたまらない。

澪「……んっ」

渇いたのどを潤すため、これまた事前に用意しておいた紅茶を一口。
さすがにムギが用意してくれるものとは雲泥の差があるけれど、こういう場面ならこれで十分だ。
……うん、良い気分だ。
今日は良い詩が書けるかもしれない。

澪「……」

ガタンゴトン、と電車が揺れる。
心地よい揺れだ。
この電車には、ほとんど人が乗っていない。
私がわざと人が少ない時間を選んだからだけど、一人の世界に――自分だけの世界に入り込める。

澪「……」

窓の外を眺める。
青天の秋空の下には広い、広い海だ。
一度頭の中を空っぽにして……しようとして……

和「ふわあ……あら、海ね。もうすぐ着くのかしら?」

目の前に座る闖入者によって、見事に現実に引き戻されるのだった。


……

澪「はあ……」

和「大きなため息ね。幸せが逃げていくわよ?」

澪「いいよ別に……」

おかしい。
そもそも今日は、歌詞が浮かばないというスランプを打破するために一人で海に行こうと決めていたはずだ。
軽音部のみんな――律にだってこのことは話していない。
明日の練習の時にばっちり完成したものを見せ、みんなを驚かせようと思っていたんだけど……

和「極細ポッキーって、数が多そうに見えることくらいしか利点はないわよね?」カリカリ

どうして和にはばれてしまったのだろうか。
ていうか勝手にポッキー食うなよ。

澪「……」ジトー

和「あら……」

私がジト目で見つめていた効果があったのだろうか。
和はしまった、と何かに気づいたような顔をして……

和「はい、安物だけど遠慮なく食べていいわよ」

澪「それ私のだから!」

和「気にしなくていいのに……」

澪「私が気にするよ!」

和「もう、いくら人が少ないからってあんまり大声出しちゃダメよ?」

澪「和のせいなのに説教された!?」ガーン

和「わあ、海が綺麗ね」

……本当に何なんだろうか、和は。
今朝、誰にも見つからないように(以前律に見つかってしまい、泣く泣く予定変更をした苦い思い出が……)駅に着いた私の前に、和は当然のごとく現れた。
第一声は……そう、

和『遅い!団長を待たせるなんて団員にあるまじき行為だわ。罰金よ罰金!』

…………。
誰だよお前。
一体どこの団長が来たのかとフリーズしてしまったけど、電車の発車時刻が迫っていたので慌てて中へ。
一息吐いて、さっきのは幻覚だったのだと思い込もうとしたところで……

和『それで、どこに行くの?』

目の前に、和が座っていたのでした。まる。

澪「はあ……」

和「またため息?何か悩みがあるなら聞くわよ?」

澪「いや、主に和のせいなんだけど……」

和「……?」

キョトンとした表情で、くいっと首を傾げられてしまった。
どうやら本当に私のため息の原因が分かっていないらしい。
……しかし、和のこういう表情はけっこうレアなのではないだろうか?
無意識なんだろうけど、あどけない表情で子供っぽいというか何というか……

和「萌えた?」

澪「わざとかよ!」

もうどうすればいいんだよ、この和。
和とは一年以上の付き合いになるけれど、キャラがイマイチ掴めていない。

和「ふふ……ミステリアスキャラを目指しているからね」

澪「考えを読むなよ!」

和「え?さっきから文字になってるじゃない、ほら」

澪「そこは地の文といって、少なくとも和は見ちゃいけない部分だよ!」

まったく、油断も隙もない……
細かいことは気にすんな☆
頼むから地の文にまで入ってくるな!

澪「はあ、はあ……」

突っ込みが多すぎて疲れる。
唯や律で慣れているつもりだったけど、和の言動には突っ込みどころが多すぎる……

和「それにしても……いいわね、こういうの」

澪「えっ?」

和「こうやって景色を楽しみながら、小旅行。何だか楽しくて……落ち着くわ」

澪「……」

そういって微笑む和はすごく大人びて見えて……そう、綺麗だ。
……何というか、ズルイよ和は。

和「ところで澪は何をしに海に行くの?」

澪「えっ?ああ、気分転換を兼ねて詩を書きに行くんだ。最近スランプでさ……」

和「そう、大変ね」

澪「そうでもないよ、私もこういうの結構好きだし。もちろんみんなといるのも凄く楽しいけどさ」

和「ふうん」

澪「ま、たまには一人でゆっくり考えたい時もあるんだよ」

和「……あれ?」

澪「ん?」

和「ひょっとして、私ってお邪魔だったの?」

澪「今さらっ!?」ガーン

和「て、てっきり澪は私を求めているのだとばかり」

澪「どこでそうなったのさ!」

何を言い出すんだろうかこいつは。
さっきまで『笑顔が綺麗』だとか『大人びている』とか考えていた私が馬鹿みたいじゃないか……

和「だってだって、澪がこの前寝言で『和ちゃ~ん、のどかちゅわ~ん、むちゅ~』って……」

澪「絶対言ってないよ!だいたい何で和が私の寝言を聞いているんだよ!?」

和「澪ったら……すっごく甘々な声で可愛かったわ……///」ウットリ

澪「だから言ってないって!……言って、ないよね?ねえ?」

和「……」ニコッ

澪「うわあああっ、その慈愛に満ちた笑顔でこっちを見ないでくれえっ!」

……あ、でも今のでいい歌詞が浮かんだ気がする。
夢の中でも大好きな人と、かあ。
普段は言えないような素直な言葉を、寝言であの人に聞かれちゃう……うん、いいかも。


……

澪「……」

和「……」

二人でボーっと海を眺める。
目的地までは……もう少し時間がかかるかな。
和といる空間は何だか優しげで……居心地がいい。
いつも一緒にいる律は、周りを明るく楽しくしてくれるタイプだから……ちょっと新鮮。

澪「……なあ、和」

和「和様、でしょ?一体誰に断ってそんな失礼な口を聞いているの?」

澪「……」

ああ、これさえなければなあ……

和「突っ込みがないのも寂しいわね……。それで何?」

澪「いや、和は何で私について来たんだ?」

ふと浮かんだ、素朴な疑問。
和も海に用があった……なんてことはないだろう。

和「……何だかその言い方だと、私が澪をストーキングしているみたいね」

澪「あ、ごめん。言い方が悪かった」

和「ふう、別にいいわよ。私はただ、早朝の街中をコソコソしていた挙動不審な澪を見かけたから、何をしているんだろうと思ってね」

澪「そ、そっか……」

そんなに怪しかったのか私……

澪「でも何で和はそんなに朝早くから外にいたんだ?」

和「え?澪の家の電柱の側に隠れて、澪の私生活を覗いていたからだけど」

澪「えええっ!?」

和「ちなみに昨夜からいたわ」

澪「お前は紛れもなくストーカーだよ!それも悪質な!」

和「……///」

澪「褒めてないからな?」

和「照れないでダーリン」

澪「棒読み棒読み」

和「照れないでよぅ……だぁりんっ♪」

澪「感情こめてくれっていうリクエストじゃないよ!?というか和、今のはゾクッとしたぞっ!?」

和「まあ、実際は散歩していただけよ。最近勉強ばかりで疲れていたから。澪について来たのも、いい気分転換になりそうだったから」

澪「ああ、そうか」

最近の和は確かに少し顔色が悪かった。
国立大学を狙う受験生である上、生徒会長という役職を持つ和はとくに忙しい。
さらに真面目で妥協しない性格のため、休む間もなく頑張っていたんだろう。

和「……」

窓を開け、車内に入ってくる風に当たって心地よさそうに目を細める和。
ん、何かまたいい歌詞が浮かびそうだ……


……

澪「……」

和「……」

再び静かな時間が流れる。
窓の外は、一面の海。
二人で同じ景色を共有する……うん、これも歌詞に使えるかも。
……もうすぐ着くかな?

和「……そういえば」

澪「ん?」

和「どうして澪はわざわざ海に行こうと思ったの?一人になりたいだけなら、もっと近場でも色々あるじゃない」

澪「ああ……」

確かに。
一人でゆっくりと考えたい、というだけなら場所はいくらでもあるだろう。
でも私は昔から考え事がある時はこうして遠出をして来た。
そうしたほうがいい考えが浮かぶような気がするし、それに……

澪「海が好きだから、かな」

和「へえ……」

大きくて、大きくて、とてもとても大きい海。
律や唯はすぐに入って遊びたがるけど、私は海を眺めるだけでも十分心が満たされる。
何だか優しい気持ちになれるんだ。

澪「和も……海、好き?」

和「ええ、もちろん」

澪「そっかそっか!」

どんな些細なことでも、やっぱり仲間がいるのは嬉しい。
私と和は笑い合って……

和「キスをした」

澪「しないよ!」

和「ちっ」

やっぱり和は和だった。


……

澪「ん~~~、着いたっ」

和「いい天気ね……」

電車から降りて、歩くこと数分。
目的地に到着!
潮風が心地いいなあ……

和「よし、泳ぎましょう!」

澪「うん、何となく和なら言うと思ったけど。さすがにそれはない」

和「……あら?澪もレベルを上げたわね」

和のおかげでな。
正直に言ってあまり嬉しくはないけど。
……いや、律をあしらうのに意外と役に立つかも……?

澪「それにしても、和は泳ぐのが好きなのか?」

和「ええ。さっき言ったと思うけど、海が好きだからね」

澪「ああ……でも、海がはしゃぐ和というのもイメージしにくいな」クスクス

和「失礼ね、私は昔からよく海に来ていたわ。唯や憂と一緒に」

澪「なるほど」

和「みんなが海で遊んでいる間……私はシャツとジーンズ、麦藁帽子で防御を固めてパラソルの下から一歩たりとも外に出なかったわ」

澪「それ絶対に海好きじゃないだろっ!?」

和「本を持ち込んで、潮風で傷んでしまったから浜辺からも離れたり……楽しかったわ」ウットリ

澪「そんな『海での楽しい思い出』みたいに語る内容じゃないよな!?」

和「そんな私は山が苦手」

澪「そ、そうか……」

和「山に行くと、思わず鼻歌を歌ってしまうわ」

澪「思いっきり浮かれてるじゃん!」

和「はい、到着」

澪「え?」

和のボケにつき合っているうちに、結構遠くまで歩いて来たみたいだ。
後ろを振り返ると、二人分の足跡が長々と続いている。
……何かいいな、こういうの。
また歌詞のネタになりそうだ。

和「何してるの?ほら澪、見て」

澪「何かあるのか……わあっ!」

地平線の彼方まで、というやつだろうか。
どこまでもどこまでも青い海が続いている、すごい光景だ。

澪「……」

言葉も出ない。
今まで何度も来たことがあるけど、これほど綺麗に、はっきりと見たことはなかったように思う。

和「今日はいい天気だし、波も穏やか。いい景色ね」

澪「うん、すごいよ……」

和「どう?いい歌詞は浮かびそう?」

澪「え……あ」

そうだった、歌詞を考えないと。
いそいそとノートを取り出し、今の気持ちを率直に綴って行く。
今までの間に思いついた分と合わせて……うん、良い感じだ。

和「……」

隣をチラリと見ると、和は岩に腰を下ろして読書を始めていた。
私も歌詞作りに没頭しよう……

澪「……」カリカリ

和「……」ペラッ

しばらくの間、波の音に重なるようにペンを走らせる音とページを捲る音だけが響いていた。


……

澪「ん~、いい歌詞が出来た!」

和「ふふ、良かったわね」

帰りの電車の中。
行きとは反対側に座り、また窓から見える海を眺めながら和と話す。

澪「今まで歌詞は一人っきりの世界で考えてたけど……誰かと一緒に、というのも新鮮でいいな」

和「そうなの?」

澪「うん、いつもより色々と浮かんできたよ。和だからかもしれないけど」

和「お役に立てたようなら嬉しいわ」

ふわりと笑う和。
不覚にもドキッとしてしまう。

和「それなら今度は唯たちも誘ってみたら?新しい発見があるかもしれないわよ?」

澪「えっ?う、う~ん……律や唯が来ると、異様に騒がしくなるんだよな……」

和「いいじゃない、底抜けに明るくて、楽しい歌詞になるんじゃない?」クスクス

澪「むう……」

少し考える。
確かに誰かと一緒に海に来て考える、というやり方はなかなかに有効だと実証された。
でもお守りになるだけの可能性があるんだよなあ……

和「それにほら、見て」

澪「ん、何……わあ……っ!」

和に促され、窓の外を眺める。
そこには昼間見た青い世界ではなく……

澪「綺麗……」

夕日で真っ赤に染まった世界が、広がっていた。

和「どう?この景色、二人占めにするにはもったいないと思わない?」

澪「……」

少し悪戯っぽく微笑む和。
……うん、そうだな。
歌詞なんて関係なく、この素晴らしい景色はぜひ律に、唯に、ムギに、梓に――みんなに、見せたい。

澪「……和」

和「どうしたの?」

澪「今度はみんなで見に来ような!」

和「……ええ♪」

でも今は……和と二人でこの景色を楽しもう。
同じ窓から見ている景色でも……一緒にいる人が違えば、違う色に変わるはずだから。


終わり!



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最終更新:2010年10月06日 03:28