それから別荘の中に潜んでるかもしれない真犯人を探すことになり、グループごとに別荘を調べることになりました。
 最初は律先輩と私、唯先輩とムギ先輩と澪先輩の二組です。
 とりあえず私たち二人は今いる別荘本館の一階を一周したところでどうでもよくなって、リビングに戻りました。

梓「ところで律先輩、髪ぬれてませんか?」

律「ん? ああ、さっきちょっと外出てみたんだよ」

梓「まさか、あんな雨の中をですか?」

律「いやー、雨にわざと打たれてみたくなるときとかってあるじゃん? 気持ちよさそうだし」

梓「まったく理解できません」

律「ええー? 梓、お前そういう子供の心も大事なんだぞ!」

 いや、律先輩は子供っぽすぎます。
 そう言おうとした一秒手前で、私はなぜか言葉を飲み込んでしまいました。

梓「子供っぽすぎるんですよ」

 勝手に律先輩に言い負かされたみたいに思えて、ちょっと悔しいので無理やり口にしてみます。
 ……やっぱり違和感。
 だって、律先輩は子供っぽいっていうよりむしろ――

律「え、梓がか? 自覚あったんだな!」

梓「なんですかその言い方! 私はじゅーぶん大人です!」

律「ほほーう。カラダはずいぶんとお子ちゃまですわよ~?」

梓「り、りつせんぱいに言われたくないです! ていうかいまそういう話してないです!」

 何の話だったか分からなくなってきました。
 っていうか、ムギ先輩と話した辺りから自分を見失いつつあります……。

律「でも私も子供だよ」

 ふいに律先輩がひとり言のようにつぶやきました。
 律先輩からめずらしく素直にそう言われてしまうと、こっちもどう返していいか分からなくなります。

律「ああ、そんな気にしなくていいよ。深い意味とかないし」

梓「ほんとですかー?」

律「ばか、そういう時は『リツセンパイが深いこと考えるはずないですもんねー』とか返せよ」

 そう言って律先輩はちょっと笑うのでした。
 なんだろう。心配とも不安ともいえないけど、いつもの律先輩とは違う気がしました。

律「にしても梓もあと一週間足らずで部長かー」

 変に重くなり出した空気をわざと壊すように、律先輩は話題を変えます。
 傍目からはのんきに窓を眺めているようですが、言葉を必死で探して選んでいるようにも見えました。

律「元・部長から言わせてもらうことがあるとすれば、あれかな」

梓「元、とか強調しないでくださいよ」

律「梓もやっぱさ、もうちょい素直になった方がいいって」

梓「律先輩には、いわれたくないです」

 なんとなくそう言い返してしまって、いけないことを言ってしまった気がして口をつぐみます。
 ばつが悪くて合わせづらい目をなるべく合わせるようにして律先輩を見ると、いたずらがばれてしまった子供みたいにうつむきがちに笑っていました。

律「うーん、私は梓ほどツンデレじゃねーぞ?」

梓「ツンデレってどういう意味ですか。私ほど素直な子はいません」

律「なーんかさ、後輩が梓でよかったと思ってるよ」

 思い出したように律先輩は言います。

梓「私なんかで、よかったんですか? 扱いづらいし、めんどくさいのに」

律「あはは、自覚はあったんだな」

梓「分かってますよ……融通利かないし、ダメダメです」

律「私もさー、ほら。逃げぐせあるじゃん?」

 広間がやけに静かに感じました。
 でも、どうしてか心地よい気もします。

梓「なんか私たち、自白したみたいな気分ですね」

律「バナナタルトの犯人だけにか? うまいな、梓」

 ――あー、もっと早くこうしときゃよかったなあ。

 律先輩は日向で温まる犬のように伸びをします。
 その姿は、何か重い荷物をおろしたように見えました。

 なんだか私たち、案外似てますね。
 私がためしにそう言ってみると律先輩も小さく笑って、かもなー、と一言もらしたのです。

律「梓、お前なら大丈夫だよ」

 どうしてですか?

律「梓って、私よりは素直じゃん? すっげえ分かりやすいし」

梓「それ、絶対ほめてないですよね……」

律「褒めてるっつーの。なんつーか、扱いやすいし」

 だから褒めてないじゃないですか。
 扱いやすいって、後輩になめられるって意味ですよね?

律「違う違う。なんていうかさ、反応が分かりやすいから……その、安心できんだよ。私とか特に」

梓「……そういうものですか」

律「だからまあ、後輩も付いてきてくれるんじゃん?」

梓「律先輩のほうが後輩ウケよさそうですけど」

律「……え、なにそれ。遠まわしな告白?」

梓「そんなわけありますか。ていうか律先輩は澪先輩辺りとよろしくやっててください」

 一瞬にして顔を赤らめ黙りこくる律先輩。
 やった、勝った。
 ってこんなこと考えてるから私も子供なんだろうな。

律「あ、梓だって唯センパイにベタ惚れじゃねーかよ!」

梓「なっ…そんなことないもん!」

唯「あずにゃんはろー」

澪「おい律、戻ったぞー。って」

 そこには先輩につねられたほっぺをさする私と、私にはたかれたほっぺをなでる律先輩。
 うぅ…地味に響く痛みだ……。

澪「お前ら、何歳児だ…」

律「梓が先に手ぇ出したんだからな!」
梓「律先輩が言いがかりつけてきたんじゃないですか!」

 そんな感じで結局律先輩のペースに乗せられてしまいました。
 でも、まあこれでもいい気もしたのです。
 今日だけは、なんとなく。

梓「えっと、ムギ先輩は?」

澪「ああ。プロジェクターのセッティングとかいろいろ忙しいらしくて、先行っててって」

 プロジェクター? 何に使うんだろう。
 もしかして私たちのPVの試写会用に……って、まだ撮ってもいないじゃん。
 首をかしげている私を唯先輩がいつからかにやにやと見つめていました。

梓「なんですかその目は」

唯「えへー、あずにゃんには秘密だよーん」

梓「っていうかもう雨上がったし、練習とか撮影とか始めましょうよ」

唯「だっダメだよ!? まだ、その…ダメなんだもん!」

澪「そ、そうだぞ梓! 天気だって、病み上がりだし!」

 言ってる意味が分かりません。
 なんかもう、私たちって何部でしたっけ……。

 それからも唯先輩たちはなぜかかたくなに練習や撮影を拒んだので、しょうがないからまた散策に出かけました。
 聞くところによるとムギ先輩は未だに犯人探しをがんばっているそうです。
 ノリを合わせるのが義務化してきてる気がぶっちゃけつらいです。


澪「まあそう言うなって。ムギもムギなりに楽しんで欲しいんだよ」

 私はカメラを持って降り止んだ曇り空の下を澪先輩と歩いています。
 裏手の小道は空気もふんわりした湿り気に満たされていて、なんだか眠りから覚めたばかりのように心地よく感じます。

梓「あの人は真っ先に自分が楽しみたいから動いてる感じがします…」

澪「それだってさ。ムギが楽しい時ってみんな楽しいだろ?」

梓「あ、はい。なんとなく分かります」

澪「律はいつも楽しませようとしてくれてるけどさ、ムギは自分から楽しんでるんだよ」

 時々、ああいう行動力は見習いたくなるよ。
 澪先輩はちょうど私が考えてたようなことを言っていました。
 唯先輩、律先輩、ムギ先輩。
 今考えると三人とも違った形で私を引っ張ってくれてたみたいです。

梓「でも澪先輩は落ち着きますよ」

澪「そうかなあ…私は自分から動くってタイプじゃないし、結構ブレーキかけてる気がするけど」

梓「ブレーキがなかったら私たち、大変なことになってますよ」

 濡れた縁石の上で、二人だけの含み笑い。
 澪先輩と共犯関係みたいで、ちょっと愉快な気分です。

 それから私たちはしばらくの間、別荘の周りの道路や草むらを歩いては写真を撮って回りました。
 澪先輩はずいぶん前から写真が趣味だったらしく、小さな花や足元から見上げた曇り空を子供のように撮って回っていました。

澪「あー梓、ちょっとそこに立って」

梓「え、こうですか?」

澪「そうそう。そこの電灯から伸びた影がいい感じだったから」

 私の影なんか撮ってどうするんだろう。
 でも澪先輩が撮る写真はどれも綺麗だったから、たぶん今回のもいい画に仕上がるはずです。
 やっぱり詞を書く人のフィルターで見るとありふれた世界もちょっと違って見えてくるのでしょうか。
 そう思うとなんとなく楽しくなってきて、気づけば私も辺りの草木にシャッターを切っては回っていたのでした。

梓「ところで澪先輩、大学入ったらサークルとかどうするんですか?」

 私は錆び付いた交通標識をしゃがみこんで下から写す澪先輩を邪魔しないようにそっと話しかけます。
 それとなく切り出した話題ですが、本当はちょっと前から気になっていたことでした。

 たぶん大学入っても、軽音サークルに入るんだよね。
 あっでも前にネットで調べたらN女だけで5つぐらい軽音サークルあったし、どれに入るんだろう……。

澪「私? 文芸サークルに入ってみようと思ってるよ」

 雲行きが変わり、射しかけていた日差しがまた遮られました。
 冷えた空気の中で木々の葉が静かに擦れあう音だけがやけに強く響いています。

 澪先輩が軽音部をやめる。
 澪先輩が、歌とベースで私たちを支えてくれた澪先輩が、音楽を――
 突然のことで頭が一杯になって、うまく整理できなくなってしまいます。

澪「あ、あずさ?」

梓「……すいません、大丈夫です」

 うそ。全然大丈夫じゃないじゃん。
 自分の声が震えるのを自覚して、けれどどうしようもないまま私は立ちすくんでいました。

澪「ごめん、なんか誤解させちゃったかな。別にバンドやめるつもりはないよ?」

梓「へ?」

 変な声を出してしまいました。
 気が動転していたせいで、ちょっと調子が取り戻せずにいます。

梓「じゃあ、なんで軽音部やめちゃうんですか!」

澪「うーん……私、放課後ティータイムが大好きなんだ。だからかな」

 ガードレールの水滴をハンカチで少し拭ってから澪先輩はそこに腰掛けました。
 それから私の目をいたわるように見て、優しい笑みと共に話し始めます。

澪「私もともと高校で文芸部入るつもりだったんだよ。詩とかその頃から書いてたし」

梓「今みたいな詞を、ですか?」

澪「え、梓はあれ気に入ってなかったのか? レトリックがか? それとも構成が?」

梓「いっいえ! メロディーに乗るとすっごい素敵な歌詞だと思います!」

 字面だけを読むと冷たい手で首筋なでられたようなむずがゆさがありますけど……。

澪「とっとにかくだな、だから大学ではリベンジしたいって考えてたんだ」

梓「リベンジですか。律先輩に邪魔されたんでしたっけ?」

澪「そうだよあのとき律が勝手に! まあ、今じゃよかったと思ってるけどさ」

 そう言って、携帯電話をなんとなく取り出して眺めた澪先輩。
 あ、キーホルダー同じのつけてるんだ。
 仲良いなあ。

梓「でもそれだけじゃ、放課後ティータイムと結びつかないじゃないですか」

澪「ああ、それはだな……より良い歌詞が書けるようになりたいっていうのもあるけどさ」

 いつの間にかまた雲の隙間から光が差してきました。
 澪先輩は長い髪を風にたなびかせ、対向車線のガードレールの向こう、海岸線の方を見やって言います。

澪「私、バンドは放課後ティータイムだけにしたいんだ」

梓「それって、外バン組まないってことですか?」

澪「そう。サークルだとやっぱり、いろんな人と合わせたりするだろうから」

梓「でもいい経験になると思いますよ」

澪「それは思う。だからたまに律と一緒にラブクライシスのメンバーとセッションしてたんだ、実は」

 うわ、澪先輩ずるい!

 って。
 私はいま何に対してずるいって思ったんだろう?
 他のバンドメンバーとこっそりセッションしてたこと?
 それとも……

澪「大丈夫だよ。私たちは離れ離れになったりしないよ」

 私の心を知ってか知らずか、澪先輩はこんな言葉を掛けてくれます。


 それから澪先輩はここ二週間会わない間に唯先輩たちと話し合ったことを教えてくれました。
 サークル活動ではHTTではなく個々にサークル内バンドのサポートを行う可能性が高いという情報。
 それよりはメンバーそれぞれバンド以外の経験を積んで、HTTそのものを残した方がいいという結論。
 バンド活動はスタジオ入りとライブイベントへの参加を軸に動いていくこと。
 軽音部は終わっても、放課後ティータイムは終わらないということ。

梓「そうだったんですか……」

 先輩方がそこまでバンド活動のことを考えているとは思わなかったです。
 ちょっとびっくりして、胸の奥に温かいものがこみ上げてきました。

 梓の席はちゃんと残しておくから、よかったら来てほしいんだ。
 つり目気味の、それでいて優しい瞳をこちらに向けて澪先輩が言いました。

梓「……置いてかないで、くださいよ?」

 思わず、泣きそうな声で言ってしまいます。

 海岸線、白いガードレール、雲間の光、揺れる黒髪――それらはなんだか一枚の絵葉書のようでした。
 ふいに見えた澪先輩の姿は私が入学した新勧の時に壇上で歌っていたあの画とシンクロします。
 唯先輩も澪先輩も輝いていてどうしようもなく惹かれたんだっけ。

 だから今この瞬間、絵になるほど現実味が失われて、どこか遠くへ行ってしまいそうで不安だったのです。
 私は思わず、先輩の方へと手を伸ばそうとしました。

澪「ああ。来てくれるなら、みんな待ってるよ」

 ガードレールをぴょんと飛び降りた澪先輩はそんな私の手をそっと握り、帰路へと手を引いてくれました。


 しばらく歩いて別荘に戻ると、律先輩が迎えに来てくれました。

律「おーおかえり。……今からムギが事件の真相を暴いてくれるらしいぞ、期待しとけ」

梓「まだそのネタ続いてたんですか…」


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最終更新:2010年10月06日 20:46