なんだかんだでリビングに戻ると、ほどなくしてハンチング帽にコートを着込んだ姿のムギ先輩が現れました。
す、筋金入りのシャーロキアンだ……。
紬「残念ながら、これは内部の人間による犯行でした
つまり――犯人はこの中にいる!」
唯「わあ、名探偵コナンみたい!」
澪「唯、そこは元ネタの方で言ってあげような…」
そこからのムギ先輩の名推理と真犯人だったらしい律先輩の自供シーンについては省略します。
ムギ先輩は「窓の外の写真を撮ったりっちゃんこそ、窓から逃亡した犯人なのよ!」と目の前で自作した証拠を元に推理したり、
同じくノってきた律先輩に反して、澪先輩は思いっきり棒読みで「だれなんだっ、こんなことしたのはー」とか言わされてたり、
片手に食べかけの大福を持ったまま真剣そうにムギ先輩の推理を聞く唯先輩がいましたが、
全部まとめてなんとなく二度手間にしかならない気がしたので省きます。
唯「りっちゃん――りっちゃんのこと、私信じてたんだよ?!」
律「すまねえ唯…私も所詮、欲望に踊らされた哀れな傀儡の一つだったってことさ……私のことは、忘れてくれぃ」
紬「そう、確かに人は簡単に道を踏み外してしまう弱い生き物だわ。でも人は、いつか立ち直れるはずよ!」
唯「――りっちゃんが罪を償って戻ってくる日、わたし待ってるからぁ!」
律「ゆいぃいいいいっ!!」
唯「りっちゃぁああああんっ!」
いつか再会する日を夢見て抱きしめあう二人。
あー感動的ですねー。
梓「食器片付けてくるんで終わったら呼んでくれますか」
澪「ああうん分かった。なんていうかごめん」
私たちのいない間にさんざん飲み食いしてたであろう食器を一通り台所に片付けて戻ると、さすがに茶番劇は終わったみたいです。
梓「ていうかいい加減練習とか撮影とか始めましょうよ。もう半日近く経っちゃったじゃないですか」
紬「まぁまぁ。あせらなくてもいいじゃない、ゆっくりお茶でも飲みましょう?」
梓「だって明日には帰るんですよ! 撮影のために来たのに、意味ないじゃないですかっ」
唯「あ。それなんだけどね」
ふいに唯先輩が立ち上がって、私の言葉をさえぎりました。
どうしていいか分からない私の両肩に手を置いて、にっこり言います。
唯「今日一番撮りたかったのは、もう撮っちゃったんだ」
梓「え、いつの間にですか?」
律「まーいいじゃん? とりあえず大広間行こうぜっ」
梓「え、ええっ? なんですか、私抜きで撮影しちゃったんですか?」
澪「んーまあしょうがなかったんだ。梓には秘密にしたかったし」
梓「そんな……でもいつの間に?」
紬「ほら、さっきまで私たちが一人ずつ梓ちゃんと一緒にいたじゃない?」
そう聞いてはじめてムギ先輩が推理ごっこをしていた理由が分かりました。
そっか、あの間に何か隠れて撮ってたんだ……。
紬「まぁ、私もホームズやるの夢だったからよかったけれどね」
気づくと先輩方みなさんが私の方をにやにや見ていました。
なんだろう。私一人に隠して、どうするつもりだったんだろう。
唯「ぎゅうー」
そしたら突然抱きしめられました。
唯先輩の腕の感触がなぜか新鮮に感じます。
ここ一週間ほど会っていなくて、今日も朝に抱きしめられただけだったからでしょうか。
いや……それだけじゃなくて、最近なんか急速に唯先輩が変わってしまったからなのかも。
なにが? どこが? 成長なんてしてなくない?
なんて自分に言い聞かせるんだけど。
唯「あずにゃん、こわいかおしないでよぉ」
梓「そんな変な顔してませんっ」
唯「ごめんね。あずにゃんには内緒で見せたいものがあったんだ」
梓「なんで内緒にするんですか」
そうだよ。
五人でずっとずっとずうーっと一緒だと思ってたのに……。
唯「だって、プレゼントがあるんだもん」
私の耳元、髪の毛ごしに息がかかるほど近くで唯先輩はそうつぶやくと一気に腕をゆるめて離れました。
急に離れてしまってどうしていいか分からず、私は鼻の奥がちょっとだけつんとするような感じのまま動けません。
そんな私の手を――さっきとは違って、唯先輩の方から強く――引っ張ってどこかへ連れて行こうとします。
気づくと私は大広間に連れてこられていました。
大きなスクリーンとプロジェクターまで用意されたその部屋に、いつの間にか晴れていた空から夕陽が差し込んでいました。
唯「じゃあまずはこれ見てよ」
律「手ぶれとかあるかもだけど、気にするなよー?」
律先輩はおどけてそう言うと、ムギ先輩と澪先輩にアイコンタクトを送ります。
するとムギ先輩はカーテンを閉め、澪先輩は電気を消しました。
ほどなくプロジェクターが再生され、最初に映ったのは律先輩でした。
律『おーす、梓元気かぁ? 田舎のばあちゃんも梓ちゃんのためにエンヤコラ、元気でやっとるけぇのう』
澪『(おい律、真面目にやれ!)』
律『わーかってるって。ところで梓、今年で晴れて部長だな。おめでとう!』
梓「こ、これは……?」
唯「ビデオレターだよ。あずにゃんに贈る言葉だよ!」
一人ずつ、新しく部長になる私へのメッセージを残してくれていたのです。
そっか。私がいない間にこれ作ってくれてたんだ……。
律先輩、澪先輩、ムギ先輩のビデオはどれも普段の先輩らしくて、でも一人ずつ応援をくれました。
律『ま、私ぐらい力抜いてやっていいんだぞ。うん、まあがんばりすぎんなよー』
澪『一生懸命やれば、たぶん後輩にも伝わるよ。梓なら大丈夫』
紬『梓ちゃん、ファイト! 梓ちゃんみたいに優しい子ならきっといい先輩になれると思うわ!』
プロジェクターの光の中から届いたエールは胸の奥に沁み込んで、どうしようもなく私のまぶたを熱く濡らしていきます。
唯「えへ…あずにゃん、泣いちゃった?」
梓「これは――汗、ですよっ」
ビデオレターの最後に現れたのは唯先輩でした。
いつもどおりのほんわかした笑みを浮かべているけれど、私に向ける眼差しは今までとはどこか違いました。
唯『あずにゃん、進級おめでとう! 留年しなくてよかったねっ』
梓「しませんよ?!」
唯「あはは、ごめんね」
思わず突っ込んでしまいました。
うわあ、やっぱ普段通りの唯先輩だ。
唯『それでね、あずにゃん。私……何伝えたらいいのかわかんないけど――
とにかく、今までほんっとうにありがとう!
わたし、あずにゃんと出会えて本当に楽しかった!
かわいくて、ぎゅーってしたくなって、
おこるときもあるけど、私にやさしくギター教えてくれて……
ほんとうに大好きだよ。ずーっとずうーっといっしょにいたいぐらいなんだよ!
私だって、卒業してあずにゃんと離れ離れになるの……つらかったもん
だけどさ。それじゃあいけないと思ったんだよね
憂やあずにゃん、いろんな人に頼ってばかりじゃダメなんだよ。きっとね
だから……一人暮らしすることに決めたんだ
ごめんね。ちょっと離れ離れになっちゃうけどさ
だけど、だけどね――
唯『――バンドは続けるし、これからもあずにゃんと一緒だからね!』
ほこりも輝くような光の向こう側から、唯先輩の笑顔が届きました。
こんな暗い部屋の中で、それでも輝いている唯先輩。
それはまるで、はじめて出会った新勧のあの日みたいで。
梓「こんなの……反則だよ」
涙を抑えられなくなって、もうどうしようもなくってしゃがみこんでしまいそうになった時。
唯先輩が、私を抱きしめてくれました。
いつものように。
いつもとは違うけれど。
唯「よしよし、いい子いい子」
そうして子供みたいに泣きじゃくる私を、大人のようになだめてくれるんです。
やだよ、そういうの。そしたらまるで、
梓「私をおいて、大人になっちゃうの…やだよ……」
言わないで、おこうと思ったのに。
唯「……あはは。そんな早く、大人になれっこないよ」
頭をなでながら、いつもの飴玉のような声で聞かせてくれたのは。
唯「だからね、追いついてきてよ。あずにゃん、待ってるから」
そんな、一年先の約束でした。
律「それまではがんばれよ、新部長さぁ」
澪「応援してるからな」
紬「ときどき遊びに行くわね」
点けたままのプロジェクターからもれる白い光は、先輩方の大きな影を作ります。
部屋の高さほど広がった影を涙目で見やると、その大きさになぜか安心できました。
唯先輩の腕の温もりごしに、私は決意を固めます。
梓「……はい。がんばります!」
◆ ◆ ◆
それからおよそ半月して、四月の後半。
私は高校体育館、新入生歓迎会の舞台に立っていました。
憂「梓ちゃん、大丈夫かな。私」
純「憂は大丈夫でしょ。壇上上がるの初めてっつっても、すっごい練習したんだしさ」
問題は梓だよ――純にそう言われてしまう私。
梓「あ……あは、うん。ちょー平気。ばっちし、ギターのコードとかすっごいすっごい覚えてるし」
純「それ、大丈夫な人の台詞じゃないって…」
あきれられてしまいました。
あの日はそれから夕食を食べてから練習をして眠りました。
最後に唯先輩と一緒に寝たい、ってわがまま言ったのは純にだけは絶対秘密です。
憂にも釘さしときました。
次の日はよく晴れたので、ふわふわ、ホチキス、ふでぺん、U&I、ごはんの五曲を野外で演奏して撮影しました。
空がバックになるようにとか、窓から見えた海と組み合わせてとか、いろいろ試行錯誤できて面白かったです。
憂は引っ越す唯先輩を一緒に見送った日に入部を決めてくれました。
どうやら唯先輩の一人暮らしが決まった時から、考えていたらしいです。
私が「これで唯先輩とデュエットできるね。いつかゆいういやってみなよ」と言ったらすごくうれしそうにしていました。
純は新学期が始まった日に軽音部に入ってくれました。
ジャズ研との兼ね合いもあるので純については一度断ったけれど、それでも「梓の軽音部に入りたい」と言ってくれました。
純『だって軽音部入ればお茶飲み放題だし合宿めっちゃリッチなんでしょ!』
どこまで本気で言ってるのか、今ひとつ分からないですけど。
純「――ほら、中野部長。しっかりしてくださいよ」
純の声で我に返りました。
ここ一ヶ月のことをぼんやり思い返していたみたいです。
梓「あっごめん純。そろそろ出番だよね」
ダメだな、まだまだだ。
がんばらなきゃ。
私はカバンの中から、一枚のDVDを取り出します。
印字面に四人分の寄せ書きが書かれた、大切な宝物です。
純「あれ、PVまだ届けてなかったの?!」
憂「違うよ純ちゃん、こっちは梓ちゃんの……」
純「ああ。あれね!」
にやにや笑う純から逃げるようにカバンの元に向かって、深呼吸。
うん。大丈夫。
梓「それじゃあ行こっか」
憂「うん、がんばろうね!」
純「まかせときなって」
私は壇上に出て、ギターの元に向かいます。
がんばろうね、むったん。
『それでは続きまして、軽音部の紹介です』
幕が上がると新一年生たちが見えました。
私はあの日、唯先輩たちの演奏を見て入部を決めました。
今度は私が一年生たちを憧れさせる番です。
深呼吸。
マイクのスイッチ、オン。
自信を持って私は話し始めました。
おわり。
最終更新:2010年10月06日 20:46