「もう一つだけ、教えたいことがあるけど」
「……それは、律がN女に受かったら教えることにするよ」
上から目線の澪は、それはもう幸福そうだった。
「馬の目の前にニンジンをぶら下げるアレか」
「そういうやつだな」
「……澪、私からも一つ言っておきたいことがある」
「けどそれは、澪がN女に受からなかったら、私の心の中に封印する」
「澪に何を言われても、澪が落ちたら絶対言ってやらないからな」
これでおあいこだろう。
「……望むところだな」
「じゃ、明日な」
不敵に笑った澪を見届け、私は自分の家へと走りだした。
心臓の高鳴りを感じながら、私は澪への気持ちを噛みしめていた。
一体いつから私は、この気持ちを抱えていたんだろう。
きっと、ずっとずっと前から持っていた。
ずっと持っていたせいで、持っていることを忘れていた。
幼いころにかぶせた銀歯のようなものだ。
その例えはおかしいか。
まあいい。
かくして私は、ぐらぐらしていた歯が抜け落ちたと思ったらそれが銀歯で、非常に混乱している訳だ。
こんなんあったっけ!? という感じで。
「はぁ……」
家に着き、自分の部屋に駆け込み、私はためこんだ吐息を吐いた。
「まじか、私……澪のこと好きだったんだ……」
思い返せば、小学生のころは常に澪にちょっかいを出していた。
反応がかわいいから、という気持ちもあった。
でも、その気持ちが今まで私自身をごまかしていた。
私が澪に悪戯を仕掛けるのは、反動形成だ。
好きだからこそちょっかいを出したくなるアレだ。
「ん? なんか前、こんな事を誰かにも話したような……」
「……思い出せないな」
多分、誰にも話してないだろう。
そもそも、そんな四字熟語を会話で使うのも好きじゃない。
「それにしても」
反動形成でたどって考えると、私はかなり昔から澪のことが好きだったことになる。
小学校低学年のころから、変わっていく、成長していく澪を、ずっとずっと愛していた。
なんだそりゃ。
ヤバいな。
私はクロゼットからアルバムを引っぱり出す。
どのページにも、最低1枚は澪の写った写真がある。
「……」
気付けば、私の指は股間に伸びていた。
まだタオルを出してない。
着替えてもない。
数十分もすれば、家族が夕飯だぜと呼びに来るだろう。
おとといも自慰したばかりだ。
それでも、溢れだすものは止まらない。
涙と愛液はよく似ている。
ってことはつまり、時と愛液も似てるって事だ。
この思考に何か意味はあるのか? ないだろ。
さあ無心になって耽ろうじゃん。
――――
「……」
見られた。
「母さん、ハンバーグうまいな」
「律、あんたが食べてるのは冷奴よ」
「お豆腐にデミグラスソースかけたのか……? 意外と合うんだね」
「もう休みなさい、律」
おやすみ。
次の日から、私は真剣に勉強に取り組んだ。
唯と梓の関係には、目に見えた変化はない。
ただもしかしたら、私と澪が交わしたような約束をしているのかもしれない。
その日から、唯が噴火する時間が7時まで伸びた。
私もその時間まで、集中して勉強をしている。
成果がでているのか、年末のセンター模試ではようやく65%に到達した。
でも、ここで油断してはいけない。
それは成長したムギが教えてくれたことだ。
成長か、変化か。
どちらにせよ、少し前の私だったら受け入れがたい言葉だった。
だけど、変わるのは悪い事ではない。
澪と写った写真を見ていって、そう感じた。
私たちは時間の経過とともに成長していく。
そして時間の経過とともに変わっていく。
でも、そのたびに新しいその人と会える。
新しい魅力を見つけることができる。
大学生の澪。うん、悪くない。
「……なんだよ、じろじろ見て」
「べっつにぃ?」
抜けてるところはあるけれど、ぐっと成長した唯。
こいつもまた、唯だ。
「どしたの、りっちゃん?」
「唯も大人になったなーって」
「えっ、ちょっ、わたっ」
おい唯。どうしてそんなに顔を赤らめる。
「りっちゃん、あんまり唯ちゃんをいじめちゃだめよ?」
「いじめてねーし」
そして、この3年間で多くのことを学んだであろうムギ。
私が最初に出会ったムギとは、もうずいぶん印象が違っている。
「やっぱムギは大人になったよ」
「えぇっ! ムギちゃんまで!?」
ちょっと黙れ、唯。
「初めて会った時はさ、ひどい世間知らずの箱入りお嬢様だと思ったけどさ」
「今じゃ、すっかり立派な一般人だよな」
「本当? だとしたら、りっちゃんが色々教えてくれたおかげよ」
「私なんて……ただムギを連れまわしただけだよ」
「ムギが頑張って私たちのことを知ろうとしてたから、ムギは変われたんだ」
「ふふ……なんだか照れちゃう」
「……」
そして、梓。
「律先輩……」
「私も、3年生になったら……先輩方のようになれるでしょうか」
梓はうるんだ瞳で見上げてきた。
きっと、これに唯はヤラれたんだろうなぁ。
「梓が立ち止まったりしないなら、大丈夫。なれるさ」
「私よりずっとしっかりしてるからな、梓は」
「頼むぜ、次期部長」
「はいっ!」
梓の瞳が輝いた。
潤んだ表面に、光が反射したのではない。
梓自身の輝きだった。
「私、頑張りますっ!」
――――
時は流れ、翌年。
早くやってきた冬は、去るのも早く。
合格発表の日には、すでにサクラが固いつぼみをつけていた。
「もしもし、あずにゃん」
「良い知らせと良い知らせがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
『え? えぇっと……なら、前者で』
「そっちできましたかぁ……」
『あの……』
「すーはーすーはー」
「あずにゃん……好きだよ。あずにゃんが良ければ、付き合いたいな」
『はい、喜んでぇっ!!』
「早っ!」
――――
「そんなに緊張するなよ、澪」
「そそそ、そんなこと言われたってなぁっ」
生タコのようにしがみつく澪に悪戦苦闘していると、
先に掲示板を見に行ったムギが駆け足で戻ってきた。
「りっちゃんに澪ちゃん! やったわね!」
「私たちみんな合格よぉー!」
「……あ、うん」
「? どうかしたの、りっちゃん?」
「いや何でも! や、やったな!」
やっぱりムギ、あんまり変わってないかも。
それはそれで、ぜんぜん良いんだけどさ。
さて。
かくなる上は、未だに私に絡みついているこいつに言うべきことがある。
「澪、澪。1回しか言わないから、ちゃぁんと聞くんだぞ」
「待ってよ律、私が先に言いたい……」
順番なんて問題じゃないだろう。
そう思ったけれど、澪を見てるとなんだか私の方が先に言いたくなってきた。
「えぇー? ……じゃ、同時に言おうぜ」
「そうだな。そうするか」
「じゃあ、せーので……澪」
「……律」
「せーのっ」
「「大好きだっ!!」」
「ほうほう……」
ムギの鼻から、一足早い桜吹雪が噴出し、私たちを祝福していた。
「……澪、愛してる」
澪を両手に抱きしめながら、私は愛しい耳に囁いた。
「これでずっと一緒だ、律……」
「永遠、だよな」
おわり。
最終更新:2010年10月12日 22:37