「……」
律は神妙な面持ちで、読後感に浸っていた。
「どうだった?」
「どうって、その」
何度か唇を舌で濡らした後、律はグラスのパイナップルジュースを飲みほした。
「あのな、前言撤回。これを出版するのは絶対だめだ」
「そうだろ?」
「わかってて相談したのかよ!」
「ああ、だってあんなの嘘だし」
私は膝をつき、律に近寄る。
「はぁ、嘘ぉ?」
「嘘も嘘。真っ赤な嘘だ」
律はまだ、怪訝そうな顔をしているだけだった。
「出版の話が嘘だってんなら、これは一体何なんだよ?」
バサバサと紙束を振る。ああ残念、分かっていない。
「最初のページに書いてあるだろ」
「……明晰夢?」
「と、私が言っているだろ?」
律の頭上で、組体操の「おうぎ」のように3つの疑問符が広がる。
「難しいなら、『明晰夢・快』っていうすごく分かりやすいのもあるけど」
「いや、それはいいわ……」
私はもう一歩、律に近づいてみた。
「……澪、どうした?」
「どうもしないけど?」
またも嘘。
「……これってさ、何なんだ?」
律が最初のページを撫でて言う。
「単なる私の趣味だ。そういうのを書くことが、な」
「……私たちの話を?」
「そうだよ」
「……」
押し黙る律。
ペットボトルに結露した水滴が、盆に水たまりを作っている。
「……」
なんだろう、この雰囲気。
律とこんな風にはなりたくない。
何度か呼吸をした後、律は口を開いた。
「幼馴染としてひとつ言っておく」
「もう、こんなことはいい」
私は、それ以上律に近づけなかった。
「おかしいんだ、こんなことは……」
「なんで……律、私は……」
「止せ。忘れてやるから」
出かかった素直な言葉は、律に遮られてしまった。
「今までどおりの私でいるからさ。澪も……」
もう、嫌だ。
律の声でも、そんな言葉は聞いていたくない。
「……帰る」
おもむろに立ちあがって、カバンを持った。
「言っておくけど……私はやめないからな」
「……」
宣戦布告のような言葉。
律は俯いて、何も答えなかった。
「じゃあ、また明日な」
背中を向けて、私は律の部屋を出る。
ずいぶん前に飲みほした桃ジュースの味が、いまだ喉に絡みついていた。
――――
律の家に行った翌日の放課後。私はいつもの店に唯を呼び出した。
昨日までとは明らかに違ってしまっている律の態度が胸を責めていたが、
だからこそ私は行動せざるを得なかった。
約束の時間に10分遅れて、唯はやってきた。
「ごめんね澪ちゃん、遅くなって」
唯は両手を合わせて、私の向かいに座る。
「ちょっと和ちゃんと話しこんじゃってて」
へらへらと幸せそうな笑顔をたれながら、やってきたウェイトレスに温かいココアを注文する。
「唯はいつもココアだよな」
「文学をたしなむ時は糖分が必要なんですよ」
そんな大層なものを書いているつもりはないが、唯にしてみれば
文学も私の小説かぶれもケータイ小説も、さしたる違いはないのだろう。
それでも唯は、私の書く物語を楽しみにしてくれる唯一の人間だ。
唯だけに。
「ねぇ、今回はどんなの書いたの?」
身を乗り出し、唯は目を輝かす。
文章を読むのは苦手なくせに、こればかりは別腹らしい。
「今回は……いちおう、唯和だな」
私が言った途端、唯の表情が固まる。
「……それは」
ただの一言で、唯は目尻に涙をためていた。
「だめだよ澪ちゃん……それは読めない」
「唯」
私はなるたけ優しく、唯の名前を呼んだ。
「最後まで、このままでいいのか……?」
「和は国立大学に行っちゃうんだぞ。私たちとは違う大学に」
「……いくないよ。でも」
テーブルに一滴、涙が落ちる。
「無理だよ、私じゃ……」
「和の大学に行くのがか?」
「それもだけど……」
唯は窓の外に視線をやり、せわしなく道路を走る自動車を目で追っていた。
その間に、私はカバンから紙束を取りだした。
「関係って、思ってる以上に自然に消滅してしまうものなんだ」
ココアが運ばれてくる。
唯は温かいココアを頼んだはずだが、やってきたのはアイスココアだった。
まあ、どうせ読んでいるうちにぬるくなるから、どっちでもいいのかも知れないけど。
「中学の頃仲良かった友達と、ちゃんと遊んでるか?」
「……」
「唯。確かに唯と和は幼馴染だけど……やっぱり、ただの友達なんだぞ」
ガラス窓の外を、私たちとおなじ制服を着た少女たちが歩いていく。
笑い合いながら、悩みなさそうに。
「あの子たちも、いずれは別離する。ただの友達だから」
「心友だとかニコイチだとか、いろいろ飾ってみても、友達は友達」
「離れる時には、離れなくちゃならない」
「……うん」
唯は無表情で外の景色を見つめている。
あるいは何も見ていないのかもしれなかった。
「でもさ、恋人だったらもうちょっとだけ一緒にいられると思わないか?」
「いちばん大事な人なんだから」
いくら私でも、くさすぎるかなと思う台詞だ。
「澪ちゃんってほんと、ロマンチストだね」
唯が相好を崩す。ひとまずは笑顔を取り戻したらしい。
「……どうする、唯?」
「とりあえず、澪ちゃんのロマンを聞いてみる」
そう言って、唯は紙束を立てた。
「ひとつの、私と和ちゃんが進んでいく未来のコンパスとして、ね」
「うん、そうだな……」
ココアに差されたストローを軽く吸い、唯はページをめくり始めた。
唯「透明メガネ!」
【憂】
冬休みに入ったばかりの日。
お姉ちゃんは私を連れだって、デパートに来ました。
クリスマス会の買い出しのためでもありますが、
今日は和ちゃんの誕生日プレゼントを買う予定なんです。
まだ何を買うかは決まっていませんが。
唯「憂、クリスマス会のご飯なに作ろっか?」
憂「お買いものしながら考えようかなって」
憂「食料品買うから、和ちゃんのプレゼントは先に選ばないといけないし」
唯「じゃ、色々見てまわろっか」
憂「うんっ」
私たちはエスカレーターを何度も上ったり下りたりしながら、
雑貨店、時計店、アクセサリー屋などを回りました。
お姉ちゃんは相変わらず金属製のアクセサリーにはしゃいでいたけれど、いまいち和ちゃんに渡したい品物は見当たりません。
唯「ふぅ~む」
お姉ちゃんも閉口してしまいます。
唯「15年も友達やってて、欲しいものひとつ分からないなんて……」
憂「うーん……和ちゃんって物欲なさそうだからね」
憂「いっそさ、私たちのあげたいものを探してみようよ」
唯「私たちのあげたいものかぁ……」
お姉ちゃんは案内板を見ながら唸ります。
クリスマス商戦のせいかデパートはとても混み合っていて、
ちゃんと手を繋いでいないと迷子になってしまいそうです。
唯「あっ、これだよっ!!」
なんて、思った端から。
繋いでいた手を放して、お姉ちゃんはエスカレーターを駆けあがっていってしまいました。
憂「もう……お姉ちゃんてば」
腰に手を置くと、ほっぺたがふくらみました。
今は携帯を持たされているから大丈夫だけど、
昔も似たような状況でおおごとになったのをお姉ちゃんは覚えていないんでしょうか。
発信履歴から、お姉ちゃんの携帯に電話をかけます。
憂「……話し中?」
けれど、流れてきたのは合成音声によるアナウンス。
ヒーリング効果を持つ、お姉ちゃんのかわいらしい声ではありませんでした。
お姉ちゃんのいない人混みは、不安になるので苦手です。
私は息が荒くなるのを抑えつつ、また発信履歴から一番上を選んでコールします。
またです。不快な女性様の声でした。
【唯】
――――
何度かけ直しても同じ。
憂はきっと、誰かと楽しく電話で談笑しているんだ。
唯「もう、憂のやつめ」
勝手に先走っちゃった私も悪いけれど、
こんな人の多いところではぐれちゃったんだから、もっと心配してほしい。
……身勝手か。
唯「先に行ってよっと」
唯「4階の、メガネスーパー……と」
一応、行き先のメールだけはしておく。
本当に迷子になってしまっては、私の機嫌の問題だけではなくなる。
唯「さてと……」
携帯をバッグにしまい、私は目的の店に向かう。
和ちゃんがいつもかけている赤い眼鏡。
あれを買ったというメガネ屋さんだ。
和ちゃんはあの眼鏡にそうとう愛着を持ってるみたいで
中学のころから、毎日同じ眼鏡をかけている。
それどころか、あれ以外の眼鏡はひとつだって持っていない。
和ちゃんは深刻な眼鏡不足に悩まされているはずなのだ。
そんなわけで私は、誕生日プレゼントに和ちゃんに似合う眼鏡を探すことにした。
唯「おっ、あったあったメガネ屋さん」
真っ白なお店に整然と並ぶ眼鏡、眼鏡、眼鏡。
なんだか頭がポヤポヤしてしまう。
和ちゃんにはどんな眼鏡が似合うんだろう。
丸眼鏡、フレームレス、瓶底眼鏡、鼻眼鏡。
なんでも似合っちゃうような気がする。
「2002」をかたどったサングラスとかでも、平然とかけてしまいそう。
私は、鏡に映る自分の顔に和ちゃんの顔をだぶらせながら、
無難そうな眼鏡を選んでかけていく。
唯「ベタすぎるなぁ」
唯「ちょっと地味……ジミー・ペイジ」
唯「ぷっひひひ……」
和ちゃんには、こういう眼鏡ではアクセントが足りないのかも。
冒険しすぎなくらいがかえって良いんじゃなかろうか。
方向性を見定めた私は、数少ない派手な眼鏡を探していく。
隅々まで目を凝らして探していくと、商品棚の陰になった場所に
それはもう、心湧き踊るアドベンチャーな眼鏡を発見した。
唯「これは……」
白と水色のボーダー柄のフレームは、
いつかの学園祭ライブのビデオで目にした、澪ちゃんのアレを思い起こさせる。
それでいて分厚いフレーム、角眼鏡。
唯「デザイナーはもうきっと……うん」
ひとつの不幸な家庭を想像しながら、
私は前かがみになり、鏡の前でその眼鏡をかけてみた。
唯「あれ?」
そこで、ふとおかしなことに気付く。
唯「値札がついてない……」
お店で売ってる眼鏡には、だいたい「強化レンズ」だとかいうシールと
売り物だから当然、値札がつけられている。
けれど、この眼鏡にはそのどちらもない。
唯「なんなんだろ……」
私は落ち着かない気持ちで、鏡から目を離す。
単なる店側の不備だと考えるのが普通だけれど、
なんだかそれだけではない気がするのだ。
ふと、店の外に目をやる。
人混みを掻きわけて、憂が私のほうへ駆けてきていた。
唯「ひっ」
なぜか全裸で。
眼鏡「いらっしゃいませー」
店員さんたちが至って平静に唱和する。
全裸の痴女などそこにはおらぬというような対応だ。
どうでもいいけど、メガネ屋さんの店員だからって眼鏡を強制されるいわれはないと思う。
憂「もう、お姉ちゃん。急にいなくなっちゃだめだよ!」
そして憂の方もまた、まるでこの場に似合わない第一声。
なぁにこれぇ。
ノリツッコミとか求められてるのかなあ。
唯「あっ、えっと、うん。ごめんねうい」
まずは謝っておく。それに関しては私が一方的に悪いのだから。
でもだからって全裸になることないじゃん、憂。
お姉ちゃんが悪かったから、反省してるから。いますぐ服を着てください。
憂「ううん、いいよお姉ちゃん。和ちゃんに眼鏡をプレゼントするの?」
いつも通りの調子で、憂は笑いかけてくる。
怒ってない様子で安心はしたけれど、やっぱり憂は全裸だった。
私より大きな双丘をおしげもなく晒し出し、
ここまで来るうちに疲れたのだろうか、脚をすこし開いているために
毛が生えそろってきている秘部も丸出しだ。
憂「あはっ、なにお姉ちゃんその眼鏡。おかしいよ」
唯「ははは……」
確かに私がかけてる眼鏡もタイガイ恥ずかしいかもしれない。
でも全裸には負けてるよね。ぜったい勝てないよね。
というかそうやってあんまり自然に振舞われると、かえってツッコミ入れにくいんだけど。
憂ってば全然わかってない。
そのくせ芸人根性ばかりは超一流っていう。
いや、でも言わなければ。
そもそもボケの域を超えている。
体を張るのはいいけど、それで警察のご厄介になるのはいけない。
キタときのさわちゃん先生のように、私は睨みをきかせて眼鏡をとった。
唯「……んで全裸なんだよっ!!」
私とて愛する妹を犯罪者にしたくはないが、
やっぱり姉として注意するべきところはしなければ。
最終更新:2010年10月12日 22:39