憂「おね、ちゃ……?」
憂の顔が青ざめる。
しまった、強く言いすぎただろうか。
唯「あのね、憂……」
一転、やさしい言葉で諭そうとする。
しかし私の声がはっきりした言葉をなす前に、憂は私の手を掴んでいた。
憂「失礼いたしましたっ!!」
そして、店員さんたちに頭を下げると、
私の手を引っ張って、大慌てでメガネ屋さんを退店した。
唯「ちょ、ちょっと憂!?」
予想以上の強い力に、私は抵抗もできずにトイレまで引っ張られてきてしまった。
個室に二人で入り、鍵をかけ、いつの間にやら服を着た憂が私の頬をつまんだ。
唯「ふいー……?」
憂「お姉ちゃん、さすがに衆人環視の中あれは駄目だよ」
その衆人環視の中で全裸だったのはいったい誰ですか。
唯「でっ、でも憂があんな格好してるからだよ!」
まるで一方的に私が悪いような扱い。
確かに大声で言う必要はなかったけれど、どちらにせよ元から注目はされていた。
高ぶる気持ちを抑えられず、私は反論する。
憂「あんな格好って……?」
憂はすっとぼけた。
ごまかしたところで何にもならないのに。
唯「さっきまで素っ裸だったじゃん。こんな無駄な問答したくないんだけど?」
怒りをあらわにして、憂に詰め寄る。
憂「私、裸だったの……? あんな、ところで……?」
すると、ようやく憂は反省の色を見せ始めた。
ひと呼吸おいて、憂の顔がぜんぶ真っ赤になっていく。
憂「そそ、そんな……い一体、いつ?」
唯「だから、メガネ屋さんにいる時だって」
憂「で、でも今はちゃんと服着てるよね? 大丈夫だよね?」
あ。
涙目+顔まっか。そして憂。
かわいい。
唯「う、うん。今はだいじょうぶ……」
ふと憂の裸を思い出してしまう。
なんで私まで恥ずかしくなってくるんだろう。
憂「うん……」
私が気恥ずかしさにほっぺたを掻いていると、憂が神妙な表情になった。
唯「うい、平気?」
憂「あっと……なんとか。ねぇお姉ちゃん、思ったんだけど」
憂「私、いつ服を着たんだろう……」
唯「えっ……」
言われてみれば。
メガネ屋さんからトイレに来るまでの間に、憂はいつの間にか服を着ていた。
私は全裸の妹に手を引かれていると思うと、まるで周りが見えなくなってしまったけれど、
確かに憂はずっと私の手を掴んだままだった。
人の手を掴んだままでは、どうやっても全裸から今の憂の服装にはなれない。
そして、更に言うならば。
いったい憂の服はどこに消え、どこから現れたのだろうか。
唯「なにこれ……怖いよ」
私は言い知れぬ恐怖を感じて、憂にすがりつく。
憂「だ、大丈夫だよお姉ちゃん!」
たぶん、憂も似たような恐怖を感じてしまったと思う。
それなのに、気を遣わせてしまう私はお姉ちゃんとしてだめだめだ。
憂「ほらっ、見てお姉ちゃん!」
憂は私の手から澪ちゃんな眼鏡をひったくっると、自信満々な顔で掛けた。
憂「似合うかしらん?」
唯「あははっ、変だようい~」
その可笑しさに、思わず私は吹きだした。
でも次の瞬間にはもう、笑っているのは私だけになっていた。
憂「おねえちゃん……なんで裸なの?」
両方の鼻の穴から、憂はその顔色に負けないほど赤い血を流していた。
――――
唯「つまり……」
私はレンズ越しに憂を見つめる。
素っ裸で便座に腰かけて、憂は私を見つめ返している。
唯「うん、うん」
眼鏡を外す。
温そうな格好で、憂は気恥ずかしそうに視線をそらした。
唯「この眼鏡をかけると……私や憂は裸に見えちゃうんだ」
憂「今のところわかるのは、そんな感じだね」
店員さんとか、他のお客さんたちは眼鏡越しでもきちんと服を着て見えていた。
裸になるのは、私と憂だけなのかもしれない。
それなら私は、相当恥ずかしい思いをしちゃったんだなぁ。
唯「……とすると、これは私が持っておかないとまずいね」
憂「そうだね……もし他の人に拾われたりしたら……」
お店にあったものを勝手に持ち去るのは悪いかもしれないけど、
あんなことがあった後では、ばつが悪すぎる。
ろくに管理されてなかったみたいだし、きっと大丈夫だろう。
うん、大丈夫だ。
唯「今日はこれかけたまま買い物しよっかな?」
魔法の眼鏡をちらつかせて、私は憂にウインクした。
憂「お姉ちゃんってば……」
目線を困惑させながら、憂はそっとトイレのかんぬきを外した。
幸い、他の人は見当たらない。
奇妙に思われないよう、私たちはそそくさとトイレを後にした。
唯「はぁー、でも和ちゃんのプレゼントはどうしよっかなぁ」
メガネ屋さんは実質出入り禁止なので、眼鏡をプレゼントするのはちょっと難しい。
他のお店に行けばいいけれど、
なんだかもう眼鏡自体が「気分じゃない」。
憂「そうだね……はぁ」
唯「和ちゃんってアクセもしないし小物も持たないし」
唯「何あげたらいいか分かんないよ、ほんとに」
腕組みをして、和ちゃんの欲しいものをあれこれ考える。
きっと何をあげても和ちゃんは喜んでくれるけど、
私が望むのは、和ちゃんが喜ぶ顔を見ることじゃない。
和ちゃんが、心の底から喜ぶことなんだ。
憂「お姉ちゃん……」
唯(……だとしたら)
私は右手に持った眼鏡を軽く握りしめる。
唯(この眼鏡をプレゼントするなんてのは……)
唯(けど)
唯「憂……この眼鏡をプレゼントしてみるってのは、どうかな」
私の発案に、憂は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
憂「で、でもそれじゃあ……」
唯「これは魔法のメガネなんだよ。和ちゃんも喜んでくれるはずだよ」
思ってもいないことでも、心の具合次第では力説することもできるみたいだ。
すらすらと滑り出る欺瞞に、私は頬をゆるめた。
憂「そうかなぁ……」
憂は首をかしげる。
唯「……」
そう言われると、私は黙るしかなくなる。
憂「むしろ和ちゃんにはあんまり喜ばしくないと思うよ」
憂「……私もちょっと怖いし」
唯「うーん……和ちゃんも意外と怖がりだからねぇ」
頭のいい人ほど、原理のわからないものに恐怖するらしい。
私と澪ちゃんを比べてみると、納得だ。
憂「やめといたほうがいいよ、その眼鏡は」
唯「うん、わかった……」
憂にそこまではっきり反対されると、さすがに押し通すわけにはいかない。
私はバッグの中に眼鏡をしまった。
その後、さらに色々な店を彷徨した末に、
和ちゃんの髪形を変えてみようということで、私たちはヘアピンを買って包装してもらった。
七色をした花びらの、綺麗な花がかたどられたヘアピンだ。
そのあと、予定からやや遅れて、私たちは食料品売り場にやってきた。
憂「やっぱりローストチキンは外せないよね」
憂「魚介のマリネとかも用意して……」
憂「そうだ、ビーフシチューとかどうかな?」
憂「んー、こっちのお肉は脂身が多すぎるかなぁ」
食材の選別をする憂の横顔はキラキラ輝いている。
私はあとどれだけ、この輝きの射すところにいれるだろうか。
憂「お姉ちゃんはどっちがいいと思う?」
憂は牛肉のパックを二つ持って、私に尋ねた。
唯「うーむ……こっちかな」
いいお肉の見分け方なんて私にはわからないので、
とりあえず賞味期限が1日長い方を私は指差した。
憂「うんっ、じゃあこっちにしよう」
憂は私が選んだ方をカゴにいれると、再びカートを押し始めた。
カートにはすでに食材が山盛りになっていて、車輪の挙動はガタガタだ。
唯「カート、私が押そうか?」
憂「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
やんわりと断られる。
確かにこんなガタガタのカート、私だったら転ばせてしまうかもしれない。
おとなしく後ろから見ていよう。
唯「おーもーいーよー」
調子に乗って、たくさん買いすぎてしまった。
でも、高校生として最後のクリスマス会。
お財布は厳しくなっても、派手に打ち上げたい。
憂「もうちょっとだから、がんばろ?」
どうにかこうにか家まで運びこみ、来るべく日まで冷蔵庫にしまいこんでおく。
買い物袋をぶらさげていた私の指には、赤く痛々しい痕が残された。
私は部屋に戻り、赤くなったところをさすりながら、クリスマス会のことを考える。
今年のクリスマス会は、25日に開くことになっている。
24日のお昼から集まってパーティをして、そのまま私の家に泊まるという予定だったのだけれど、
あずにゃんがゴニョゴニョ言うから、それが丸一日ずれる形になった。
律『25日の夜なんてクリスマスじゃねぇ!』
とか言いつつ、りっちゃんは嬉しそうにしていたけれど。
コレか。コレなんか。
……もっとも、予定がずれたことで喜んでいるのはりっちゃんだけじゃない。
12月25日にお泊りをするということは、次の日は12月26日。
ずばり、和ちゃんの誕生日だ。
大好きな幼馴染の誕生日を、いちばん早く、いちばん近くでお祝いできる。
私にとって、これほど嬉しいことは無い。
そして、あわよくば。
遠くへ行ってしまう和ちゃんの前で、この気持ちをこぼしてしまいたい。
唯「……」
和ちゃんが目指している大学を訪れるには、新幹線に乗らなきゃいけない。
私たちが志望通りの大学に進学できたとしたら、
そのくらいの物理的距離ができることになる。
こんなことで、私たちが築いてきた関係が水泡に帰してしまうとは思わない。
心はいつでもそばにいる。そう信じたい。
唯「……ううん、信じてる」
唯「変わらないよね、和ちゃん」
私はかばんから、くだんのメガネを取りだした。
冒険心あふれるフレームデザイン。
子供のように純真な見た目で、
しかしそのレンズには特定の人物の服を透かしちゃう力があったりする。
唯「……」
眼鏡を通して天井を見つめる。
「特定の人物」って、いったい誰だろう。
唯「確かめなきゃ」
私は携帯を引っ張りだすと、すこし逡巡してりっちゃんにメールを送った。
唯『わたし りちやん あいたいです』
律『だいじょうぶです すぐにきなさい』
唯『おまえのいえですか』
律『はい』
唯『するめ もていきます』
許可がもらえたところで、眼鏡をポケットにしまいこんで階下に降りる。
唯「ういー、ちょっとりっちゃんのとこ行ってくるね」
憂「あっ、うん。わかった。お夕飯までには帰って来てね」
居間にいる憂に声をかけ、靴を履いて玄関を出る。
そして、つきあげてくる高揚を抑えながら、眼鏡を取りだして掛けた。
道路に出ると、お隣のとみおばあちゃんが落ち葉掃除をしていた。
全裸で。
とみ「あーら唯ちゃん、綺麗なかっこして。逢瀬かい?」
唯「はい、そんなところです」
深く皺のたたまれた体は、いずれ私の行きつくところでもある。
同じ女性として直視しがたく、私は会話もそこそこに走りだした。
その後は全裸の人間にエンカウントすることなく、無事にりっちゃんの家に到着した。
チャイムを鳴らすと、どたばたと音がした。
りっちゃんが出迎えに来てくれたんだろう。
数秒後、詰まりながら、りっちゃんが引き戸を開けた。
律「おっす、ゆ……」
律「んぶっくくく」
よぉ、りっちゃん。
その反応は予想通り。
その格好も予想通り。
だけど、その小ささはさすがに予想外だぜ。
胸板じゃん、それ。
あの僅かな膨らみはパッドだったの?
律「うひゃひゃひゃっ!! なんだよ唯、そのメガネ!」
律「お前のTゾーンは澪のケツか!!」
律「鼻の穴はさしずめ……」
唯「りっちゃん、あがっていい?」
律「あひゃぁ、うんふふふ」
とりあえず上がらせてもらうことにした。
聡「姉ちゃんうるさいよ……」
奥から、りっちゃんの弟の聡くんが出てきた。
これはちゃんと服を着ている。
唯「聡くん、おいっす」
聡「あ、平沢さん……すいません、うちの姉ちゃんあんなですけど、仲良くしてやってください」
唯「えへへ、おもしろいからいいよ」
律「聡、はやいとこ退場しとけよ」
聡「わかってるって」
りっちゃんに言われると、聡くんはまた奥に引っ込んでいった。
なかなか苦労してるみたいだ。
私はりっちゃんの部屋に入ると、眼鏡をとって座った。
最終更新:2010年10月12日 22:41