【和】
憂がこんな遅くに机に向かい出した。
和「……憂、もう寝た方が」
私は壁に手をつきながら、机のそばまで歩いていく。
眼鏡を外すと、視界がぼやけて何も見えない。
憂「和さん、危ないですよ?」
和「かしこまらなくていいわよ。何書いてるの?」
憂「……日記だよ。毎日じゃないけど、嬉しかったり、反省しなきゃいけないことがあった日は書いてるの」
和「あら、憂がそういうの書いてるなんて意外だわ。見てもいいかしら?」
憂「もう、和ちゃん。乙女の秘密の日記なんだよ?」
ますます意外だ。
憂が私に隠しごとをするなんて初めてだった。
いずれ話してくれるとは思うけれど。
憂「さ、寝ちゃおうよ和ちゃん」
憂は日記帳を閉じると引き出しの奥にしまい、ベッドに潜りこんだ。
一瞬だったけど、でかでかと『憂の日記#58』と書かれているのが見えた。
和「長く続けてるの? 日記」
私も危なっかしいであろう足取りで、なんとかベッドに戻ってきた。
憂「うん。もう13年かなぁ……」
和「へぇ、そんなに……よく続くわね」
憂「だって、お姉ちゃんのことを書いてるからね」
憂は幸せそうに笑う。顔は見えないけれど、息遣いでわかる。
憂「和ちゃんだって、好きな人のこと考えてたら胸がときめくでしょ?」
そのぐらい、憂のことは知っているはずだったんだけれど。
憂「私はそんな気持ちを、13年間記し続けてきたんだ。拙い文章だけど……」
憂「私は、お姉ちゃんを好きだから。愛してるから。ずっとずっと書いてきた」
今は、憂がどんな顔をしているのかわからない。
和「……そんな」
憂「ショックだった?」
ショック、なんだろうか。
自分の気持ちさえも分からない。
和「とにかく、びっくりしたって感じ」
憂「そっか、びっくりしただけか。えへへ」
和「……」
理由は分からないけれど、私は恐怖を感じていた。
警鐘がガンガンと打ち鳴らされる。私は息を落ち着けるために寝がえりを打った。
わざとらしく向けた背中に、憂がすり寄ってくる。
和「……離れてよ」
憂「いいじゃん。なかなか和ちゃんに甘えられないし」
憂の腕が、きゅうっと私の体をだきしめた。
和「唯に甘えたらいいじゃない」
憂「お姉ちゃんに甘えるのと、和ちゃんに甘えるのは違うよ」
憂「たとえば和ちゃんがお父さんに頭を撫でられたとして、それでセックスしたくなっちゃう?」
和「憂にとって私は親なのね……」
確かに、そうと意識しても、憂が背中から柔らかな胸を押し当てていても、
性欲など起こりそうもない。それは同性だからどうという次元を超越しているように思えた。
憂「ツッコミそっち?」
和「私のキャパシティを超えてるのよ」
憂「まだお話の半分も済んでないのに」
これ以上、どんな話があるというんだろう。
自惚れだけど、なんとなく予想がついてしまう。
憂「和ちゃん、これは確約はできないけど」
和「確約できないなら言わない方がいいわよ」
憂「お姉ちゃんは和ちゃんのこと好きなんだよ」
和「……」
私は分厚い布団の端を握りしめた。
綿から空気が抜けていく。
憂「和ちゃん?」
和「……どうして?」
憂「そんなこと、お姉ちゃんじゃなきゃ知らないよ」
和「違うわよっ……なんで憂が私に伝えるのよっ」
必死に声量を絞りながら、憂を怒鳴りつける。
隣の部屋では、当の唯が寝ているのだから。
憂「これ以上、大好きなお姉ちゃんの辛い顔を見てらんないもん」
ようやく憂が私から離れた。
汗ばんだ背中がやたらと寒い。
憂「お願い、和ちゃん。お姉ちゃんと付き合ってあげて」
和「……ふざけたお願いね」
憂「百も承知だよ。でも……」
続く言葉は紡がれない。
和「私にそっちの気はないの。憂の頼みはきけないわ」
憂「少しだけでいいから……」
自分で言っておいてなんだけど、その砕けた口調をやめてほしい。
心が揺らぐから。
和「このことは、唯には内緒よ」
和「自分の気持ちを勝手に告げられたあげく、知らないうちに振られたなんて……可哀想過ぎるわよ」
憂「……そうですね」
私の気持ちが通じたのか、憂は敬語に戻った。
憂「和さん、日付変わりましたよ」
和「……そうね」
憂「誕生日、おめでとうございます」
そういえば、今日は私の誕生日だった。
ついさっきまで覚えていたのに、今は憂に言われるまで忘れていた。
和「……さあね」
私の耳はずいぶん必死に、秒針が時を刻む音だけを欲した。
そのせいか、聴力には少し自信があったのだけど、物音に気付いたのは憂のほうが早かった。
憂「いま、何か音しませんでしたか?」
和「えっ?」
言われて、私は耳をそばだてた。
足が床を擦る音だ。離れていく。
和「誰かがトイレにでも起きてたんじゃないかしら」
憂「そうですかね……」
嫌な予感がした。
和「私も行きたくなってきたわ。寝てていいわよ、憂」
そう言い残し、ベッドを抜け出す。
暗闇とぼやけた視界のせいで、眼鏡をどこに置いたやら分からない。
でも、何度も来た唯の家なら、このままでも勝手は分かる。
私は裸眼のまま、壁に手をついて歩き出した。
窓にちらつく白は雪だろう。まだ降っていたんだ。
【紬】
理想郷というのは、案外自分の近くに転がっているものです。
私はそのことに気付いた数少ない人間と言えるでしょう。
高校生としては高すぎるくらいのお小遣い。
普通であって、しかし至高の学校生活。
そして、私の欲求を飽くことなく満たしてくれる部活仲間たち。
今は、私が欲しいものはなんでも持っている。
いえ持っていると思っていました。
澪「バカっ、律……」
律「いいだろ、澪……我慢できないんだ」
今まで見てきたものは、単なる日常に過ぎなかったのです。
私のためだけの理想郷が、ここに。
小さな炬燵を中心に広がっています。
澪「昨日もあんなにしただろ……?」
律「バカ言うなよ、3回こっきりで気絶しちゃったくせに……」
律「これからって時にお預けくらって、こちとら1日中ムラッ気ムンムンだっつの」
澪「言い回しがオヤジ臭いんだよ……」
律「うるせーぞ、澪」
澪「むぐっ……」
はいっ。
ご覧になってますか、カメラさん。
女の子同士でキスしちゃってますよ。
律「んっ……みおぉ」
澪「……り、ひゅぅ」
さあ、ここからです。
あの二人舌絡ませながらお互いの名前呼び合ってますよ。
可愛すぎますね。さすがにこれにはやられちゃいました。
律「はぁっ……澪っ、脱がすぞ……」
澪「律ぅ、ほんとにするの……?」
澪「ムギだって……いるんだぞ?」
いいえ、いません。続けなさい。
律「……けど」
澪「頼むよ、律……こんなことバレたら私たち」
律「……」
あらあら。
この展開はまずい気がします。
律「……そうだな、ごめん澪」
澪「ううん……私こそごめん」
律「なんで私たち、女同士で生まれてきちまったんだろうな」
澪「やめとけ、律。言ってもしょうがない……」
律「……ほんと、ごめん」
私は黙って、全カメラのスイッチを切りました。
二人の抱き合っている姿を最後に、録画は終わり。
私も同様に目を閉じました。
理想郷なんて、ないのでしょうか。
たとえ小さな炬燵の中だけでも存在しないのでしょうか。
二人が、暖かくいられる場所は。
澪「律……」
【梓】
はい、どうも。
レポーターの変態です。
間違えました、中野です。
私はただいま女の園に来ております。しかもこんな時間にですよ。
まぁ現在私のそばにいるのは睡眠中の唯先輩のみなんですけど、それもまたそれで興奮しますよね。
何よりロケーションが唯先輩の部屋だっていうことがポイント高いです。
唯先輩の私物しかないという究極の場所。息を吸うだけで、匂いだけでヤバイです。
さらに私今回、公認でベッドで添い寝することを許可されています。
流石の私も、性欲を抑えきれるか自信がありません。
まぁ駄目だったらメリークリスマスってことで。
すいません、意味分かりませんね。
とりあえず、添い寝の前にやるべきことがあります。
唯先輩の私物を持って帰らなければ、わがままを言ってまでここに来た理由がありません。
は? パンツ?
そんなものに興味があるのは初心を忘れた愚かな変態だけです。
あんなもので何を想像するというんですか。アソコですか?
考えてもみてください。
初めてその人を好きになる時、マンコを見て好きになったんですか?
違いますよね。
にも関わらず、パンツから股間を想像してオナるというわけですか?
ありえませんよね。
私は私の好きになった姿でオナります。
私の好きな唯先輩は、あられもない唯先輩じゃありません。いつもらしい唯先輩です。
私がまず手をつけたのは勉強机。
ここで唯先輩が宿題に取り組んでいるかと思うと、鼻血が出そうです。
難儀な問題で詰まり、涙声で妹に助けを求める唯先輩。
その想像だけで十分イケます。
おっ、引き出しの中から使い古しのノートを発見しました。
くだらない落書きだらけです。
これもまた至高のネタになります。
が、無くなると少々目立つものですから、ここはキープしておきましょう。
それに、机と言えばやっぱりアレが欠かせません。
私はうんと引き出しを引っ張って、目を凝らして隅を見つめました。
猫っぽいと言われるだけあって、暗視は利くんです。
ありました、ありました。
木の引き出しの奥の、板の端っこでささくれ立った木屑。
最近これがマイブームなんです。
深奥に隠された小さなもの。なんか興奮してきませんか。
たくさん取れるわ取れる。これだけ集められれば大満足です。
いざベッドに行こうと引き出しを閉めようとした時、私の目に驚愕の光景が飛びこみました。
メガネです。
どうみてもおかしいデザインセンス。間違いなく唯先輩のものです。
まさか唯先輩が眼鏡をしていたなんて。
どうして誰も教えてくれなかったんですか。
迷うことなく、私はメガネを手に取っていました。
唯先輩の、メガネ。
溢れた唾液に、口舌が濡らされていきます。
舌先が狙うは、やわらかいもみあげを通って、小さな耳にかかっていたこの部分。
吐き出す息は熱く、真っ白でした。
あと少しで、私の舌が届いてしまう――。
唯「あずにゃん、何してるの?」
ところで、思わぬ制止がかかりました。
梓「ひえっ!?」
唯「そんなとこにいたら寒いよ。私トイレ行ってくるけど、ちゃんと寝なきゃだめだよ?」
唯先輩は、それだけ言って部屋の外に出てしまいました。
その後姿は、どことなく嬉しそうに見えました。
どうやらバレなかったようです。
しかし、私はすぐさまメガネを机上に置いて、立ちあがりました。
唯先輩がトイレに行ったということは、つまりそこで唯先輩が放尿しているということです。
一刻も早くトイレの前で待ち伏せて、しぼりたてのアンモニアの臭いと、
かすかに便器に残る唯先輩の味を確かめなければいけません。
私は気配を完全に殺す『ゴキブリモード』を発動すると、床を這ってトイレへ向かいました。
当然のことですが、唯先輩には遭遇しませんでした。
私はドアが開く側の壁にぴったりと張り付きながら、今か今かとその時を待っていました。
ただひたすら、じっと、寒い中をこらえて。
唯先輩は、こんな夜中に真っ暗なトイレで小便をするほど肝の据わった人間じゃないということを思い出すまで、ずっと待っていました。
気付いたその時、すでに夜の1時でした。
バカじゃありません。
変態です。
最終更新:2010年10月12日 22:44