【唯】

 私は携帯を小さく開いては閉じ、逐一時刻を確認していた。

 12/25という文字の並びにどことなく美しさを感じるけれど、それももうすぐ終わる。

 あと1分。私は白い息を吐き出して、心を落ち着けた。


 心臓の鼓動が、廊下じゅうに響いているんじゃないかと思うほどに高鳴っている。

 私は胸を押さえつけ、なんとか鼓動を落ちつけようとした。

 こんなんじゃ、和ちゃんに抱きついたときにドキドキしているのがバレてしまう。

和『違うわよっ……なんで憂が私に伝えるのよっ』

 そんな折に、和ちゃんの怒声が聞こえた。

唯「!?」

 夜だから気を遣ってるんだろうけど、ボリュームを絞り切れていない。

 扉の外にいる私にも、はっきり聞きとれてしまった。

 憂と和ちゃんは、いったい何の話をしているんだろう。

 いけないとは分かっていても、私は扉に耳をつけてしまっていた。

憂『お願い、和ちゃん。お姉ちゃんと付き合ってあげて』

唯「……!」

 そして、耳を疑う言葉が憂の口から飛び出した。

 憂は確かに私の気持ちを知っていた。

 けれど、それは和ちゃん本人には伝えないと思っていた。

唯「……」

 頭では分かっている。

 私はここにいてはいけない。

 いますぐ部屋に飛び込んで自ら和ちゃんに想いを伝えるか、

 すぐさま自分の部屋に戻って眠るかしなければいけない。

 なのに、体が硬直して動かない。

 狡い私は、和ちゃんの答えを待っている。

和『私にそっちの気はないの。憂の頼みはきけないわ』

唯「……」

 いや、硬直なんて気のせいだった。

 体はなめらかに動いた。すっと立ちあがって歩き出す。

和『このことは、唯には内緒よ』

和『自分の気持ちを勝手に告げられたあげく、知らないうちに振られたなんて……可哀想過ぎるわよ』

 私の背中に、和ちゃんの声が届いた。

 耳を塞ぎながら、すたすたと部屋に戻る。

唯「振られちゃったのかぁ」

 誰もいないベッドに潜りこみ、私は目をかたく閉じた。

 眠れるわけなんかなかったけれど。


 突然、ドアが開く音がした。

 入ってきた鈍重な足音は、不規則。

和「あら唯、眼鏡なんて持ってたの?」

 引き出しの奥にしまっていたはずの眼鏡を、和ちゃんはどうやって見つけたんだろう。

 私は、そんな関係のない事を頭の中でぐるぐる回した。

和「まぁいいわ。なんにも見えないから、ちょっと借りるわよ」

 和ちゃんの歩調がいつも通りに戻る。

 すたすたと私のベッドまで歩いてくる。

和「失礼するわね」

 そして、ためらいなくベッドに入る。

 和ちゃんが何を考えてるのかわからない。

 もしかして、聞き耳を立てていたのがばれたんだろうか。

 だとしたら和ちゃんは、私を慰めに来てくれたのかな。

唯「……」

 私は身をよじって、和ちゃんから離れた位置に移動した。

 同じぶんだけ、和ちゃんが近づいてくる。

和「ゆ……」

 和ちゃんが何か言おうとして、ひきつった声を上げた。

唯「どうしたの、和ちゃん?」

 平静を装い、私は和ちゃんのほうに寝がえりを打つ。

 その時、初めて気がついた。

和「ゆ、唯……そんな格好じゃ風邪引くわよ?」

 和ちゃんはいま、澪パン眼鏡をかけているんだ。

 私の頭脳がスパークし、高速回転を始める。

 今しかない。

 和ちゃんの惑う視線を感じながら、私はまるで無邪気に笑った。

唯「そうかな、けっこう暖かいよ?」

 実際、布団をかぶると暑いくらいの分厚いパジャマを着ている。

 和ちゃんには見えてないだろうけど。

和「なに言ってるのよ……早く服着なさい」

唯「いいよぉ。和ちゃんであったまるもん」

 私は無遠慮に和ちゃんに抱き着く。

 体がかあっと熱くなって、汗が噴き出した。

和「ちょっ……唯」

 そのままぐいっと体をひねって、無理矢理に和ちゃんを組み伏せた。

和「もう、やめてよ……唯はよくてもこっちは暑いんだから」

 和ちゃんは、無垢の演技。

 そうしていれば、何事もなく終わると思ってるんだろうか。


唯「いーじゃん、真冬の夜なんだから」

 重たい布団をかなぐり捨てる。

 和ちゃんがきゅっと目を瞑った。私の裸身を、はっきりと見てしまったのだろう。

唯「暖め合おうよー、和ちゃん」

 私は腕の力を抜いて、和ちゃんに覆いかぶさった。

 私の体と和ちゃんの体が、2枚の布を挟んでぴったりとくっついている。

和「いいから服着なさい。風邪引くわよ」

唯「大丈夫だよ和ちゃん、これは夢だから」

和「……夢?」

 和ちゃんはきょとんとする。

 唐突に言われても信じがたいだろうけれど、私は納得させられる材料を持っている。

唯「うん、だから風邪引かないよ。証拠もみせてあげる」

 私は和ちゃんのかけている眼鏡を外した。

和「えっ!?」

 目はよく見えないだろうけど、色の違いでわかったみたいだ。

唯「不思議でしょ? でも夢の世界じゃよくあることなんだよ」

和「……夢なの、これ?」

唯「そうだよ。和ちゃんが見てる夢」

和「……そうなんだ」

 夢と繰り返して、疑り深い和ちゃんをどうにか納得させることに成功した。

唯「だから、なんにも気にしないで」

 私は暖かいパジャマの袖を掴んで引っ張る。

 反対側も同様に。すこしもぞもぞしてから、私はパジャマを脱ぎ去った。

和「唯……」

唯「せっかく夢の中なんだからさ、色々しちゃおうよ」

唯「幼馴染じゃできないことを、ね? 和ちゃん」

 和ちゃんは、逡巡している様子だった。

 夢の中だって言ってるのに、真面目だなぁ。

唯「ごめん、よく見えないよね。はい、眼鏡」

 和ちゃんにもう一度眼鏡をかける。

 眼鏡に度は入っていなかったと思うけれど、これで和ちゃんの視界はクリアになったらしい。

和「唯、これは……夢ってことでいいのね?」

唯「だから、何度もそう言ってるじゃん」

和「そう……」

 和ちゃんは、押し倒されて少し乱れた髪を掻いた。

和「こんな夢を見るなんて……」

和「私、唯を意識しちゃってるのかしらね?」

唯「えー? どうなのかな?」

 そんなこと訊かれても、和ちゃんの気持ちなんてわかりっこない。

和「……あら、分からないの。私の夢の登場人物なのに」

唯「へ?」

和「訊いてみたかっただけよ。ごめんね」

 和ちゃんが私の背中に腕をまわした。

 世界がぐるりと一回転した。

和「擬似ふわふわ時間ってわけ……」

 いつの間にか、和ちゃんが私の上で笑っている。

 体は和ちゃんに抑えつけられていた。

唯「えっと……」

和「好きよ、唯」

 気がつけば。私は和ちゃんに唇を奪われていた。

 1秒。2秒。

唯「ん、うっ……」

 2.483秒の柔らかな感触の後、小さな水音を立てて私たちの唇が離れる。

唯「あ……」

和「……」

 真剣な和ちゃんの目。

 私たちはキスを交わしたんだと、見つめられながら自覚する。

唯「いまの……ほんと?」

和「だから夢だってば」

唯「……そっか、夢かぁ」

 私は、和ちゃんの後ろ頭に手を置いた。

 力をいれるまでもなく、和ちゃんの顔が再び降りてくる。

唯「ん……ちゅ」

和「ゆい……」

 和ちゃんが、唇のすきまを割り込んで舌を伸ばしてきた。

唯「のどか、ちゃ……」

 私は舌をくるくると回す。

 ざらついた表側、すべすべの裏側。

 喉の奥にたまっていく、温かでぬるついた液。

唯「んくっ」

 私と和ちゃんが混ぜ合わせた液を嚥下する。

 泡のぷちぷちした感触が喉を楽しませた。

和「……」

 和ちゃんは舌を引っ込めると、2回、軽いキスをした。

唯「や、もっと……」

和「……しょうがない子」

 私がわがままを言うと、和ちゃんはまた唇を合わせて舌を絡めてくれた。

 どうしようもなく気持ちがたかぶってきて、和ちゃんを押し倒したくなる。

 私は、和ちゃんの口の中まで舌を伸ばした。

和「んっ」

 和ちゃんがひるんだ隙をついて、さっきと同じ方法で組み伏した。

唯「えへへ……」

和「危ないじゃない。ちょっと舌噛んだわよ」

唯「平気だよ。夢の中だもん」

 私は乱暴なキスをしながら、和ちゃんの服の裾に手をかけた。


――――

 夢は目覚めとともに終わる。

 目覚めは夜明けとともに訪れる。

唯「……」

 私は眠っている和ちゃんから、そっと眼鏡を奪う。

 起こさないように慎重にベッドを下り、澪パン眼鏡を机に置いた。

和『擬似ふわふわ時間ってわけ……』

 この眼鏡をかけて、和ちゃんはそう呟いていた。

 和ちゃんも、けっこう私たちの歌を聞いてくれているみたいだ。

 あるいは澪ちゃんに詩を見せられたのかもしれない。

唯「……ほんと、だめなふわふわ時間だったね」

 澪ちゃんが書いた本当の『ふわふわ時間』なら、私はこれから頑張れるのに。

 すごく自堕落なふわふわ時間だった。

唯「……もう、戻らなきゃ」

 ある一夜の明晰夢として、昨夜のことは忘れないといけない。

 私は澪パン眼鏡を再び引き出しの奥に封印すると、棚の陰から紙袋を引き出した。

 その中から、小さなきらきらした箱を取り出す。

唯「ふぅー」

 深呼吸をして、きちんと服を着ていることを確認して。

唯「……のーどかちゃーん!!」

 今一度、心を落ちつけてから。

 私は小箱を手にしたまま、ベッドにダイブした。

和「のえええええええっっ!!?」

唯「もー、折角の誕生日なのにいつまで寝てるの?」

和「唯……びっくりしたわよ」

唯「ほら、寝ぼけてないで! 誕生日プレゼントとかあるんだよ!」

 私は箱の角で、和ちゃんのほっぺたをつつく。

和「わかったから。起きるからつっつかないでよ」

唯「つんつーん」

和「全く……」

 私も和ちゃんも、いつも通り。

 夢の中は夢の中として、現実とは切り離さなきゃいけないんだ。

和「ええと、眼鏡はどこだったかしら」

 和ちゃんが目を細める。

 眼鏡はたぶん、憂の部屋だ。

唯「あ、私が持ってくるよ」




【和】

和「……ありがとう」

唯「どいたしまして~」

 唯はぱたぱたと走って、部屋を出る。

 いつも通りに振舞っているつもりだろうけど、無理をしていることは明白だった。

 今さらだけれど、やっぱりあんなことはしない方がよかったんだろうか。

和「いやいや……何考えてるの、私」

 私はかぶりを振った。

 そもそも何もなかったじゃないか。

和「……」

 でも、これで唯の気持ちは満足するんだろうか?

 唯のしたいことはセックスだったんだろうか?

 あの時は、唯が裸に見えたからそういう風に思ってしまったけれど、

 唯はそんな不純な思いで誰かを愛する人間だろうか?

和「……っ」

 頭が痛い。

 私はもしかして、唯をひどく傷つけてしまったんじゃないだろうか。

和「あ……これ」

 視線を落とすと、私の腿に緑色の箱が置かれているのに気付いた。

 唯が言っていた誕生日プレゼントだ。

 私は手探りでリボンを外すと、蓋を取った。

和「……髪留めかしら?」

 目を細めて、小さなそれに焦点を合わせる。

 きらきらと輝く花が見えた。

唯「和ちゃん、持ってきたよーって……ああっ!」

和「あ、おかえり唯。どうしたの?」

 私のメガネケースを持って戻ってきた唯が、私の手にある髪留めを見て叫んだ。

唯「もー! なんで先にプレゼント開けちゃうの!」

和「おかしかったかしら?」

唯「おかしいよっ! あーリアクション見たかったのにぃ!」

 唯の心情はよくわからないけれど、とにかく憤慨しているのはわかった。

 私は昨日そうしてあげたように、そっと唯を抱き寄せてたしなめる。

和「ごめんなさい……機嫌を直してよ」

唯「え……う、うん」

和「……良い子ね」

 唯の背中を撫でながら、私は唯の小さな唇に近づいた。

唯「は、は……」

 速い呼吸になって、唯は震えている。

 ぼやけた視界の中、じっと私を見つめている唯の瞳だけが、やけにクリアに見えた。

 この時点で私は、私の行為の異常さに気付いていた。

 終わらせた夢を現実に引きずっている。

唯「和ちゃん、だめだよ……」

和「……ん」

 私は唯の悲しみの言葉を無視して、唇を重ねた。

 そうすれば、唯の苦しみを解きほぐしてあげられるような気がした。

 唇が触れあったのはあくまでほんの一瞬だけだ。

 だったら何だ、という話だけれども。

唯「……バカ」

和「唯には負けるわ」

唯「和ちゃん、そろそろ離して……本気にしちゃう」

和「そう……それは楽しみだわ」

 私は唯が逃げてしまわないよう、いっそうきつく抱きしめる。

唯「やめてよっ……」

和「……」


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最終更新:2010年10月12日 22:46