抱きしめた体を離さないのは、唯にかける言葉が見つからない代わりだ。

 私の言語能力はこんなに拙かっただろうか。

唯「やめて、和ちゃん……嘘つかないで」

唯「離して。なぐさめなんて嫌だよ」

 唯が腕の中でもがき始める。

和「慰めじゃないわ。私のしたいようにしてるだけよ」

唯「嘘つかないでって言ってるのに」

 別に、嘘はついていない。

 なんて口に出したら、「ずるい」と言われてしまうのだろう。

唯「和ちゃん、もう、ほんとだめだから……」

和「いいじゃない。そんなこと気にする間柄じゃないでしょ?」

 唯の体がぶるぶると小刻みに震える。

 仔犬を抱いているようだった。

唯「いやだよぉ……」

 私の腰回りに手を伸ばしては引っ込めるというのを、唯は定まらない右手で繰り返している。

 息遣いは鎖に繋がれた獣のようで、恥も外聞もないといった感じだ。

 これでは、唯が必死に守っているものはとうに晒け出されてしまっているようなものだ。

和「唯、無理しなくていいから」

唯「やだ、やだやだぁっ」

唯「和ちゃんが嘘ついてるんだもん、嫌だよっ!」

和「最初に手を出したのは唯じゃない」

唯「そう、だけど」

和「責任とってもらうわよ……なんてね」

 軽く口をついて出た言葉が思った以上に重く、私はつい誤魔化した。

唯「……う、ぁ」

 唯の睫毛が濡れていることに気付いたのは、苦しげな声が上がってからだった。

唯「ううっ……はあぁ、はぁ」

和「どうしたのよ……」

 鼻水などもろもろを垂れ流しながら、唯はそれでも私を抱きしめ返しはしない。

唯「のどかぢゃん……」

唯「もゔ、もうやめ゙て……」

和「……唯?」

唯「和ちゃんの気持ちくらい、分かってるんだから……」

 唯の言葉が、胸をえぐる。

唯「男の子が好きなんでしょ? 私はただの幼馴染なんでしょ?」

唯「私の知らないとこで……私のこと振ったんでしょ?」

 あぁ、やっぱり聞かれていたんだ。

 私の頭は悠長なことを考える。

唯「和ちゃんを襲っちゃったこと、謝るから……」

唯「もう私に優しくしないで……苦しめないで」

和「……」

 私の知らない唯が、そこにいた。

 出会って13年、ここまで弱りきった唯は初めて見る。


 大雨の夜に捨てられた仔犬。

 襷を繋ぎ切った駅伝走者。

 砂漠で遭難した旅人。

 色々あげてみても、唯の力なさは喩えきれない。

唯「お願い……和ちゃんが嘘をつくと私も辛いんだ」

唯「和ちゃんの無理してる姿が苦しいし、襲っちゃわないように我慢しなきゃいけないから……」

和「唯……」

唯「だから、離して……」

和「……無理よ」

 こんなに震えている体を、どうして放っておけるだろう。

 お節介どころかありがた迷惑だろうけど、今だけは唯を抱きしめていたかった。


和「唯が辛い時なのに、私が無理してるなんて言わないでよ」

和「いくらでも無理させてちょうだい。大切な……幼馴染なんだから」


 それからずっと、唯は無言だった。

 唯はいつの間にか眠ってしまい、結局私の言葉に返事はくれなかった。

 昨夜は遅かったから、唯も疲れていたんだと思う。

和「バカよね……」

唯「の、かちゃ……」

和「うんうん」

 私も少し眠くなってきた。

 体をゆっくり倒して、唯ごとベッドに横たわる。

和「……うん」

 やっぱり、奇妙な安心感がある。

 同じ体勢で唯に襲われたばかりなのに。

 私たちは、幼いころから何も変わっていない。

 高校に入ってから唯は変わったと思っていた。実際、変わった面はあるのかもしれない。

 でもそれは、あくまで唯の話。

 「私と唯」だったら、何ひとつ変わってなんていない。

和「おやすみ、唯……」

 私はメガネケースを無造作に転がして、目を閉じた。





【憂】

――――

 12月26日 晴れ 計測不能(ちくしょう)

 お姉ちゃんが和さんと付き合うことになったみたいです。

 私は何も言われていませんが、お姉ちゃんのベッドに残る匂いと形跡、

 それから重なり合って眠るお姉ちゃんと和さんの姿から類推した結果です。

 一度、和さんかお姉ちゃんにきちんと尋ねる必要がありそうです。

 でもお姉ちゃんが笑ってるって事は、きっとそうなんでしょう。

 確かめるのも野暮でしょうか。

 寝ている間に、和さんにヘアピンをつけてみました。

 すごく新鮮な感じです。

 新しい和さんとして、しっかり頑張っていただきましょう。

 ……それと、ここに書くべきことでもない気がしますが、私も梓ちゃんと体の関係を持ちました。


 もちろん私はお姉ちゃんが大好きなんですけど、

 夜中、私の部屋を訪ねた梓ちゃんに「ずっと好きだった」と告白されて、無下にできませんでした。

 私は意志薄弱なんだと思います。

 それから、梓ちゃんも。

 あくまでもセックスフレンドという関係は、最初に梓ちゃんから提示されたものです。

 私たちは女同士だから……と。

 どうして、女の子が好きな私たちまで、女同士の関係に後ろめたさを感じなくてはならないのでしょうか。

 私は日本人ですが、朝食にはパンです。米を食べなければ、というプレッシャーを感じることもありません。

 自分の趣向がかたよっていたとして、それを恥じる必要はありません。

 なのにどうして、セックスフレンドでなければいけないのでしょうか。

 愛し合うのではなく、慰め合うことしかできないのでしょうか。

 これは前からでしたが、梓ちゃんがちょっと分かりません。

 『憂の日記#58』より




【律】

 今日もまた、雪が降っているらしい。

 それを知ったのは、私の家を訪ねた和の頭に白い塊が乗っているのを見た時だった。

律「こっちの応答の前にあがりこんでくる奴もなかなかいないぜ」

和「雪が降ってたから……」

律「もはや何も言うまい」

 和の感覚のズレは、今に始まったことではない。

 今のは感覚というよりも、常識の話だとは思うが。

律「で、何だっけ? 唯のことで相談があるって言ってたよな」

 部屋に案内するなり、私はすぐ話を振った。

和「そうなのよ……律、驚かずに聞いてね」

律「お、おう」

 たぶん、心の準備をしても無駄だろうと思った。

和「実は私……唯とセックスしたの」

律「……へぇ?」

 気の抜けた声が出る。

和「想像してた感じのリアクションじゃないわね」

律「ふ、不満かよ」

和「いえ、別に。続けるわね」

 私は和に、そこまで至った経緯を聞いた。

 憂ちゃんから、唯の気持ちを聞かされたこと。

 勢いに押され、一度限りと諫めてセックスをしてしまったこと。

 そして今もまだ、慰めのために唯と付き合っていること。

律「ただれてんな」

 あらかたの話を聞かされた私の口から、正直な感想が飛びだした。

和「まぁ否めないわね」

律「……どうしてヤっちまったんだよ」

和「どうしてって……」

 和はちょっと答えにくそうにしたけれど、すぐに言葉を繋げた。

和「信じられなかったら信じなくてもいいけど、ちょっと変な眼鏡をかけちゃって」

律「変な眼鏡?」

 それなら、つい最近唯に見せてもらった。

 服が透けるわ、澪のパンツだわ、色々と変な眼鏡なのは間違いない。

 あの眼鏡のことなんだろうか。

和「それを通して見たら、唯が裸に見えて……」

律「ほう」

 やはりアレか。

和「なのに、唯ったらいつもの調子で抱き着いてきて」

律「我慢できなくなったのか?」

和「否定できないわね。もし眼鏡がなかったら、私は唯を拒絶してたかも」

 話を聞いている限り、最初から唯が裸で誘ったとしても、結果は変わってないと思うけれど。

 それが和の思うところだというなら、躍起に否定する必要もないか。

律「ま、つまり唯の体に少なからず興奮してしまったと」

和「そうね。唯の気持ちに応えようって思いが先行していたのは事実だけど」

和「実際、先にキスとか仕掛けたのは私のほうだし」

 聞いていて恥ずかしくなってくる。

 背中を掻きたい。

和「……ごめんなさい、不快な話だったわね」

律「あ、いや……大丈夫だから」

 不快とか言うんじゃない。

律「で……結局相談事ってなんなんだ?」

和「言ったように、私は今も唯と付き合ってるんだけど……」

和「今の関係が正しいのか、正直言って分からないのよね」

律「正しいか、ねえ」

 何だか面倒な悩みのようだ。

和「たとえばよ、律」

律「あん?」

和「同じように澪が律のことを好きだったとして……こういうことになりかけたら、律はどうする?」

 私は苦笑した。

 例え話になってないぞ、和。

律「私は受け入れるよ。代わりに澪を失うとしたら、だけどな」

 思えば、私たちの始まりもそうだった。

和「でも、愛してないのに、女同士でこんな関係を続けるなんて……」

律「んー……」

 女同士で、ってのは挟む必要あるのか?

律「あくまで私の見解だけど……そういうのはいずれ気にならなくなると思う」

和「気にならなくなるって……?」

律「慰めの関係でも続けてるうちに、唯のことを好きになるだろうってことさ」

 私自身がそうだったから。

律「正直、唯とするのはどうなんだ?」

和「なんていうか……重たいわね」

律「下なのか?」

和「そういう意味じゃないわよ。唯の気持ちが重たいの」

和「重たいって言うか、そうね……」

和「ものすごく愛されてるって感じて、自分が中途半端な気持ちでいることが申し訳なくなるわ」

律「はぁーへぇー」

 とことん私と同じ道を歩んでるな、和。

律「気持ちよくはないのか?」

和「それは……まぁ、いいわよ。唯はすごく頑張ってくれるし」

律「じゃ、いいんじゃね? とりあえずこのまま続けていけば」

律「いずれ愛着がわき、着がとれて止め処ない愛に変わってるさ」

和「……律」

 和の声色が変わる。

 まずい、語りすぎたか?

律「な、なにかしら」

和「……どうして、女同士って事には何も言わないの?」

律「……」

律「むしろ、何でとやかく言われると思ったんだよ」

和「そりゃあ、普通は恋愛って男女でするものじゃない」

 和らしい答えだ。

 きっと、同性愛なんて考えてみたこともないんだろう。

律「それは固定観念だよ。恋愛ってのは、人間同士でするもんだろ」

律「男だとか女だとか以前に、その人間が好きなのかって話だ……和もそうだっただろ?」

和「……ほんとだわ。よく考えてるのね、律」

和「普段から考えてるの? そういうこと」

律「ましゃか」

 ここで私は思ったのである。

 私、けっこう前から和の敷いたレールをトロッコで激走してるんじゃないかなって。

和「それにしては、まとまった意見だったけど」

律「そうか……? まぁりっちゃんは頭脳明晰ですから」

和「……少なくとも、私には正直に話しても大丈夫だと思うわよ?」

律「ナン=ノコト=ヤラ(2005~ インカ帝国)」

和「……マンコ=クァパァック」

律「そんな無理のある発音するな。私が悪かったから」

 私は和に、澪との事を洗いざらい話した。

 和の顔に驚きはない。

 もしかしたら2年の時にでも、澪は口を滑らせていたのかもしれない。

 誰にも言えない関係。

 そんなものを7年も抱えていたら、そりゃあ饒舌にもなるものだ。

律「……というわけで、人から人へ伝わっていくのでした。終わり」

和「言わないわよ」

律「まぁ、そういうわけだ……」

和「なんだか私たちと似てるわね」

律「うん……最初は悪ふざけのつもりだったんだけどさ。1年も経つ頃には、むしろ私の方が強く好きになってた」

和「まさかのノロケ」

律「和が訊いたんだろっ」

和「そうだったわね。まぁそれはどうでもいいのよ」

 どうでもいいって和さん。

 こちとら結構がんばって子供のころの澪の声真似やってたんですけど。

 あぁ、尚更どうでもいいな。

和「あの眼鏡について、律の知っていることを教えてもらえるかしら」

律「うわ……それもバレてるのか」

 確かに、服が透けるなんておかしな眼鏡の話に私が食いつかないのはおかしかったかもしれない。

律「あっ、そういえば……」

和「どうしたの?」

律「あの眼鏡について、分かったことがあれば唯に連絡するよう言われてたんだけど」

律「すっかり忘れてた……」

 せっかく澪の家でインターネットを借りて調べたのに、セックスしたらすっかり頭から飛んでしまったらしい。

和「……まぁいいわ。とりあえず教えてよ」

律「うん。アレはまんま、透明メガネって呼ばれてる代物でさ」

律「いっぺん裸を見たことのある相手は全員、レンズを通して見ると裸になる」

律「単にそれだけのものだな。まぁ、アングラな掲示板で聞いただけの都市伝説だけどさ」

和「ならそれ自体ウソだったり、他に機能があったりするわけね」

律「そうだな。一つの目安にしかならないよ」

和「そういえば、その情報は律しか知らないのよね?」

和「唯はこの眼鏡についてどれだけ知ってるの?」

 私は数日前の唯との会話を思い出す。

律「えっと確か……親しい人間が裸になると思ってるみたいだな」

律「でも唯も、何かしら情報を仕入れてるかもしれないぜ」

和「そうね。律の知らないことも……」

 私はふと疑問に思った。

 和はなぜ、あの眼鏡にこだわっているのだろうか。

律「和……透明メガネがどうかしたのか?」

和「別になんでもないのよ。……ただ」

 和は口ごもる。

和「試したくなったの。色々と、ね」


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最終更新:2010年10月12日 22:48