【和】

――――

 夜、私は勉強の手を止めて、窓の外を見た。

 雪はまだ止まない。

 ただ、明日からは年末年始で予備校も閉まっている。

 電車の心配は必要ない。好きなだけ降ってくれてかまわない。

 世の中には、年末年始にこそ強化合宿を行う予備校もあるらしいが、

 私の通う所はそんなゴリ押しと言うべきやり方はしない。

 受験は長期戦だ。そして、勝負はまだまだこれからだ。

和「ん?」

 机に置いた携帯が震え、やかましい音を立てる。

 ディスプレイの上部に『唯』の字が見えた。

唯『明日、和ちゃんちに行っていい?』

 唯からのメールにしては、やけに簡素だった。

 付き合いだしてからは、もっぱらこんな感じだけれど。

和『いいわよ。いつでも来て』

和「……それから」

和『あと、来るならあの眼鏡を持ってきて』

 10分ほどして、返事が来る。

 少し遅い。

唯『わかったー』

 そういえば、唯から遊びの誘いを受けるのも久しぶりかもしれない。

 キスもセックスも、持ちかけるのは私のほうだ。

 唯のほうも、いざその時となれば情熱的なのだけれど。

和「もしかして私……唯に避けられてないかしら」

和「……まさかね」

和「私のことを好きだって言ったのは唯なのよ」

和「……あれ?」

 私、一度でも唯に好きだと言われただろうか。

 眼鏡がずり落ちて、ノートの上にぽとりと着地する。

和「……唯を襲ってたのは、私の方だったり?」

和「そんなことないわよね、そんなこと……」

 まだ早い時間だったけれど、私は思考をやめるためにベッドに向かった。

 電気を消し、暗がりの中。

 ひっくり返された亀のごとく、天に腕を伸ばす眼鏡を眺めて、私は決意する。

和「うん……」

 準備はすでに整っている。

 私は、明日唯に会えるのを楽しみにして、目を閉じた。




【唯】

 結局、眠れないまま朝が来てしまった。

 和ちゃんは「いつでもいい」って言ってたけど、

 夕方や夜はしんみりするから、日の出てるうちがいい。

憂「お姉ちゃん、朝だよ」

 いつものように、憂が布団を剥がして私に抱き着く。

憂「ん……6度8分だね」

唯「ねぇ、憂……」

憂「? なあに、お姉ちゃん?」

唯「……和ちゃんと、別れることに決めたよ」

 いまの憂は35度7分ってところかな。

憂「え……どうして?」

唯「和ちゃんは……無理して私と付き合ってるから」

唯「……キスしてもえっちしても、あんまり嬉しくないんだ」

唯「好きでもないのに私に付き合わされる和ちゃんが……かわいそうだよ」

 憂は私の背中をやさしく撫でた。

憂「お姉ちゃん、朝ごはんできてるよ」

唯「……うん。食べるよ」

憂「好きなジャム塗っていいからね」

 憂が、私をじっと見つめていた。

憂「ううん。おいしい朝ご飯にするために、お姉ちゃんは自分でジャムを塗らなきゃだめ」

憂「私には、いつも通りイチゴジャムがいいのか、たまにはブルーベリージャムで食べたいのか分からないから」

唯「うい……」

憂「きっと恋も同じだよ、お姉ちゃん。おいしくしたいなら、手間を惜しんじゃだめ」

唯「そうだね……」

 憂の言いたいことはわかった。

唯「いつもありがとう、憂」

憂「ううん。お姉ちゃんには幸せになってもらわなきゃ」

 本当に、憂には感謝してもしきれない。

 感謝以上に、申し訳なさが立ってくる。

唯「……憂」

唯「ほんの……心ばかりのお礼だよ」

 私は憂の唇に、覚えたてのキスをした。

憂「あは……」

 真っ赤になった憂の顔。

 少しは私の感謝の気持ちが伝わったかな。

憂「ほ、ほら! パン固くなっちゃうよ!」

唯「うん、そうだね」

 憂は私の体を離して、ばたばたと1階に降りていく。

唯「……ふふっ」

 私ももそもそとベッドから降りて、部屋を出た。

 トーストの香ばしい匂いが、私の鼻腔に届いた。

 リビングに着くと、憂がパンにマーガリンを塗っていた。

 私はやっぱりイチゴジャムかな。

 スプーンで瓶からたっぷりジャムをとり、トーストに塗りたくる。

唯「おー、ええ匂いやぁ」

 外はかりっと、中はもっちりのパンにかぶりつく。

 甘酸っぱいイチゴジャムの、ツブツブした舌触り。

唯「おいしい……」


――――

唯「じゃあ私、和ちゃんのところ行ってくるね」

憂「うん。頑張ってきてね!」

 私は澪パン眼鏡と替えの下着をかばんの深くにしまって、和ちゃんの家に向かう。

唯「そう、頑張らなきゃ」

 和ちゃんが私を好きじゃないっていうなら。

唯「よしっ……」

 まず好きにさせてみせる。

 そのための努力もせずに、拗ねて「別れる」なんて。

 それこそ、和ちゃんがかわいそうだ。

 なんにもしないで、ただの私を好きになってもらえるはずがない。

 最初から両想いの恋愛ドラマなんて、見る価値がない。

唯「行ってきます!」

 私は勢いよく玄関から飛び出した。

 和ちゃんの家までは、歩きでもまったく時間がかからない。

 幼いころにもよく通った道だ。

 そういえば、出会ったころはまだ友達としての好きだった。

 それが小学校に入ってすぐに歪曲して、恋にかわっていって。

 ほっぺたにキスをしても冗談にとられてしまうくらいに子供のころから、

 私は和ちゃんを愛していた。

唯「へへ……」

 真鍋と表札のかかった家の前にたどりつく。

 インターフォンを鳴らさなくていいのは幼馴染の特権だ。

 「あら唯ちゃん、いらっしゃい」

唯「こんにちは、おばさん。和ちゃんは部屋ですか?」

 「ええ。あとでお茶もってくわね」

 勝手に上がり込んでも、こんな具合だ。

唯「あ、お気遣いなく。持ってきてますから」

和「そうそう、この間そんな感じで律の家に上がり込んだら呆れられたわ」

唯「それは当たり前だと思うな」

 和ちゃんのズレ具合を確認してから、眼鏡を手渡す。

和「ありがと。……あら、素敵なデザイン」

 あの時は暗くて見えなかったんだろう。

 和ちゃんは初めて見た澪パン眼鏡にうっとりしていた。

 人とはズレてる所を自覚してほしいとも、可愛いとも思う。

唯「欲しかったの?」

和「いや、そうじゃないのよ……唯にこの眼鏡かけてもらおうと思って」

唯「えぇっ?」

 予想もしなかった提案だった。

 どういうつもりで和ちゃんは言っているんだろう?

唯「ど、どうして? 私はかけなくても……」

和「……えっと」

 和ちゃんは紅くなった頬を指先で掻いた。

 照れたときの癖だ。

和「その、なんていうか……私も唯に襲われたいのよ」

唯「……なんとまぁ」

 驚いたことに、和ちゃんの目は嘘をつく時の目ではなかった。

和「それで、変な話……裸を見てたら、唯も我慢できなくなるかなって思って」

唯「だから私に眼鏡を?」

和「そ、そういうわけよ」

 和ちゃん、その真っ赤な顔に赤いフレームの眼鏡は似合わないよ。

 私は和ちゃんから赤い眼鏡を奪う。

和「あっ、何するのよ」

唯「そういうことなら、この眼鏡をかけるのは和ちゃんのほうだよ」

和「へぇっ?」

 すっとんきょうな声をあげる和ちゃん。

 今の私は、けっこう意地悪な顔をしていると思う。

唯「襲って欲しいなら、そうと言ってくれたらいいのに」

唯「和ちゃんがいいんだったら、思いっきり犯しちゃうよ」

和「ひゃ……」

唯「その声もかわいいよぉ、和ちゃん!」


 腕ずくで和ちゃんをベッドまで引きずると、体重で押し倒した。

唯「気持ちに変わりはない?」

和「ええ……」

和「やって、唯」

唯「夢中にさせてあげるね」

 囁いて、和ちゃんの耳をはむ。

和「ン……」

唯「これからは……私からもいっぱいするよ」

 和ちゃんは恥ずかしそうに笑いながら、私の頬にキスを返す。

唯「だから、好きになって……」

和「……それはいずれ、ね」

唯「……うん」

 和ちゃんの答えに胸がしめつけられて、私は初めから舌を出してキスをする。

和「ん……はっ」

 口の中を隅々まで犯されて、和ちゃんは息苦しそうにも悶えた。

 可哀想だから、一度唇を離してあげる。

 和ちゃんは荒く息を吐きながら、私を見つめてつぶやく。

和「イチゴジャム?」

唯「えへっ。正解」

 私はイチゴ味をすっかり吸われつくした舌を、ぺろりと出した。

和「……唯。その日は遠くないわね」

 和ちゃんは舌舐めずりをして、恍惚とした表情で予言した。




【憂】

 1月23日 くもり(心は晴れですけどね) 37.1℃

 お姉ちゃんが和さんに愛の告白をされたそうです。

 お姉ちゃんはすごく嬉しそうにこれまでのことを語ってくれて、

 私も一緒に泣いてしまいました。

「ぜったい幸せになるからね」

 と私に約束したあと、

「まあ既に幸せなんだけどね」

 と笑っていました。

 違うよ、お姉ちゃん。

 これから不幸になってしまうかもしれないんだよ。

 私はまだ、お姉ちゃんを見守っていく必要がありそうです。


 2月14日 晴れ

 梓ちゃんが古い歌謡を歌いながら、キスしてきました。

 問題は、それが軽音楽部の部室で行われたということです。

 チョコケーキ作りは私も手伝ったので、皆さんの感想も聞いてみたかったので

 梓ちゃんに誘われて部室を訪ねたら、それはもうアサシンのような超スピードで「チュ」でした。

 そんな現場を皆さんに見られてどうなるかと思いましたが、

 そこで私は、軽音楽部が全員レズビアンだということを初めて聞かされたのでした。

 女子高といえど、お姉ちゃんにとってここまでの楽園はなかったでしょう。

 そして、これからも無いと思います。

 世の中には、同性愛者を毛嫌いしている人もいるはずです。

 そういう人に出会った時、お姉ちゃんはどう対応するんでしょう。


 男が好きだと嘘をつくんでしょうか。

 和さんはただの幼馴染と言ってしまうんでしょうか。

 そうしてお姉ちゃんが傷ついた時、私はどうやってお姉ちゃんを慰めてあげられるんでしょうか。

 いずれにせよ、同性愛を否定する人が誰もいない軽音楽部という環境は、

 お姉ちゃんのこれからを考えたら、あまりにもぬるま湯に浸りすぎています。

 こんなこと、私も言いたくありません。

 せっかく幸せの絶頂にいるお姉ちゃんを、傷つけてしまうでしょう。

 ……この話をするのは、もう少し後でもいいかもしれません。

 卒業したら……そう、お姉ちゃんが卒業してから、このことについて話し合うことにしましょう。

 それまでは、敵のいない幸せな環境を満喫するべきです。


 2月17日 晴れ

 お姉ちゃんと軽音楽部のみなさんが、そろって第一志望に合格しました。

 和さんは同じ大学ではありませんが、こっちの地方の国立大学を受けて、現在結果を待っているところです。

 お姉ちゃんとルームシェアするのが夢だとか。

 その日が来たら、私とお姉ちゃんも離れ離れで暮らすことになります。

 寂しいですけど、これはいつか訪れるべき別れですから、駄々をこねても仕方ありません。

 お姉ちゃんを困らせてしまいます。

 ……しっかりしなきゃ。

 最後の日まで、笑顔でいなきゃ。

 でも、一人の時くらい、泣いちゃってもいいですよね?

 手が震えてしまうので、ここまでにします。


 3月1日 くもりのち雨

 今日は桜ケ丘高校の卒業式でした。

 お姉ちゃんたちが留年するなんてことはもちろんなくて、

 皆さん揃って卒業です。

 お姉ちゃんが、私と離れるのが嫌だと泣いてくれました。

 卒業してしまうことのすべてが、お姉ちゃんだけでなく、私も梓ちゃんも、

 澪さんも律さんも紬さんも、嫌で嫌で仕方なかったと思います。

 とてもじゃないですけど、卒業おめでとうございます、とは言えませんでした。

 ハレの日に、お祝いできなくてごめんなさい。

 予報によれば、雨は明日も降り続けるらしいです。

 私たちの街を涙雨に濡らして、皆さんは去っていってしまうんでしょう。

 澪さん、律さん、紬さん、さようなら。

 とても楽しかったです。


 3月27日 晴れ 36.8℃(元気でね)

 日差しがぽかぽか暖かい日でした。

 もうすっかり春が来ている感じです。

 でも、夜になるとさすがに冷えてくるでしょうか。

 どんなにあったかくしても、手が震えてしまいます。

 すごくさむいよ、お姉ちゃん。

 おふとん取ってもいいから、今日も一緒にねようよ。

 うるさいなんて言わないから、ギー太をひいてよ。

 ごめんなさい、聞き分けがなくて。

 でも電話で声を聞いたら、ちょっと楽になりました。

 ありがとう。大好きだよ、お姉ちゃん。

 さよなら、お姉ちゃん


 4月5日 晴れ

 お姉ちゃんがいないなら、もうこの日記を書くことはないと思います。

 それにしても壮観ですね。

 子供のころからの私の気持ちが、クローゼットの奥に57冊並んでいます。

 読み返してみたら、ほんとうにいろんなことが書いてありました。

 一緒にビニールプールで遊んだこととか、お風呂に入ったこととか、映画を見たこととか。

 初めて作った料理をおいしいって言ってもらったり、ぴかぴかに掃除した床でごろごろしてもらったり。

 あとは、お姉ちゃんにオナニーを教わったこととか、眠ってる間にキスしちゃったこととか。

 すべてのページに、私の幸せが詰め合わせになっていました。

 でも、この幸せはもう、和さんにバトンタッチです。

 和さん、バトン落としたら怒りますよ。

 ……それじゃあ、これも仕舞っておきましょう。

『憂の日記 58巻 ~今日からずっと~』より部分抜粋


14
最終更新:2010年10月12日 22:53