【二日目・憂】

ああ、私としたことが、学校にノートを忘れてくるなんて……。

きっとこれが三連休の魔力なのです。
三連休に舞い上がっていたせいで、すっかりカバンに入れ忘れてしまったのです。

あのノートがなければ宿題を終わらせられません。私は朝から学校へと向かっていました。

三連休のど真ん中、それも早朝とあれば、街はひっそり静かです。

まるで私以外に誰もいないみたい!
ファンタジックな妄想に、自然と足取りは軽くなります。

そうこうしているうちに、私は桜高に到着しました。

憂「え……」

先ほどまでの軽やかな足取りが嘘のように重くなり、あまりの驚きで呆然としてしまいました。

なんと桜高の窓ガラスが粉々に破られていたのです。メタメタです。

憂「ど、どうしよう……」

こんな時はどうすればいいんだっけ?
警察? 先生?
緊急時には正常な判断が出来ません。

桜高の先生に連絡しようにも、連絡先が分からなかったので、私は110番通報することにしました。
初めての通報に緊張して押し間違えないようにと、慎重に1、1、0、と番号をプッシュします。

ところがこの時困ったことが起きました。
警察に電話が繋がらないのです。
いくら三連休だとしても、警察がお休みだなんて考えられません。

それから何度かかけ直してみても、警察が電話を取ることはありませんでした。

私は、どうしようかと途方に暮れてしまいました。

学校には忘れていったノートが残っているため、このまま家には帰れません。
そうかと言って、何者かにガラスを破られ、見るも無残な姿になってしまった母校の中に入って行くのは少々気がひける思いがします。

平沢憂、決断の時!

散々悩んだ挙句、私は校舎に向かってゆっくりと歩き始めました。

憂「大丈夫、大丈夫」

人がいるような気配は感じられないので、学校に入っても安全だろうと思ったのです。

思ったとおり、学校の中にはガラスを破った凶悪犯どころか、守衛のおじさんさえいなかったので、面倒な手続きをすることもなく校舎に入れました。

自分の教室でノートを回収してから、私は部室へと向かっていました。
なんとなく、行かなくてはならないような気がしたのです。

ドキドキしながら部室の戸を開けると、真っ先にピカピカの窓ガラスが目に映りました。

憂「良かったぁ……」

ホッとして椅子に座ったところで、私は、部室からあるものがなくなっていることに気がつきました。

憂「トンちゃん……?」

トンちゃんが、それも水槽ごと姿を消していたのです。

私は、最初こそ焦ったものの、それが梓ちゃんの仕業だと思い当たると、すぐに落ち着きを取り戻しました。

きっと梓ちゃんが学校に来て、トンちゃんを連れて帰ったんだ。

もしかしたら、梓ちゃんもあの破られた窓ガラスを見たのかもしれません。

念のために確認しておこう、と私は梓ちゃんに電話してみることにしました。

そういえば、昨日は結局純ちゃんと連絡が取れなかったなぁ。
ヒマだったら折り返して連絡くれればいいのに。

携帯を確認してみても、誰かから着信が入っている様子はありません。

きっと純ちゃんの用事は大した用事ではなかったのだ、と結論づけ、私は梓ちゃんに電話をかけました。

しかし、梓ちゃんは電話に出ませんでした。

昨日の純ちゃんと同じく、コール音が続くばかりで一向に出てくれません。

もしかしてまだ寝てるのかもなぁ。

そんなふうに考えながら、私はノートを小脇に抱えながら、メタメタの桜高を去りました。

家に向かう途中でやっと私は、街の奇妙さと、自分の置かれた状況に気付くことになりました。



【二日目・梓】

三連休の二日目。
眠い目を無理矢理こじあけ、目覚時計を見ると、もう10時になるところでした。

昨日は早寝したのに、随分寝てしまいまったようです。

梓「……あっ!」

私は窓辺に駆け寄ります。
街は、世界はどうなったのでしょう。

梓「……ああ」

どうやら事態は昨日と変わっていないようです。

昨日からいったい何が起こっているのでしょう。さっぱり分かりません。

私はベッドの上にモフッと俯せに倒れ込みました。
うにゃー、と自分でも訳の分からない叫び声をあげました。

ひとしきり叫び、少しだけ気が済むと、トンちゃんに「おはよう」を言ってないことに気付きます。
私はトンちゃんのもとへと向かいました。

梓「ト~ンちゃ……」

あれ?

梓「トンちゃん?」

昨晩トンちゃんの水槽を置いた机の上に、なにも乗っていません。

私は目を疑いました。
トンちゃんが、その愛くるしい姿を水槽ごと消してしまったのです。

こうなってしまっては冷静でなんかいられません。

私は、あの中野あずにゃんからはとても考えられないような般若の形相で、家中を探し回りました。

トンちゃんは、自分で水槽から出られるような身体ではないし、手だってまるでカマボコみたいです。
カマボコでは水槽を抱えて歩くことも出来ません。

私は、誰かがトンちゃんを連れて行ったのではないか、と考えました。

──────────────

数十分後、私はフラフラと街を彷徨っていました。

どうせ誰もいないことは分かっているので、服装はパジャマのままだし、髪は結っていません。

全てはトンちゃんのためです。

昨日から謎の現象に巻き込まれている私の唯一の心のよりどころはトンちゃんだったのです。

彼を失ってしまっては、私はそのうち発狂し、ギターで鍛えた自慢の指で喉をかきむしって、その短い生涯に終わりを迎え……とまではいきませんが、ひどく寂しいのに変わりはありません。

気付くと私は桜高に辿り着きました。

すると、そこで私はとんでもないものを目にしました。

梓「え、直って……」

なんと昨日はメタメタに破られていた桜高の窓ガラスが、今では全てピカピカに光っていました。
私は一気に混乱します。

まさか一日でガラスを全部交換できるとは思えません。もしそうならば、いったい誰が交換したというのでしょう。

もしかして、昨日私が桜高に来たのは夢だったんじゃ……。

それは一見筋が通っているように思えます。

トンちゃんを家に連れて帰ったことも夢だったならば、きっと彼は今でも部室で鼻をヒクヒクさせていることでしょう。

私は募る気持ちを押さえ、部室へと駆けて行きました。

思った通りです。
部室にトンちゃんはいました。
昨日と同じく、私の気配に気付くと水槽の奥からスイスイと姿を現しました。

梓「トンちゃん!」

私は昨日と同じく、トンちゃんを家に連れて帰ることにしました。

梓「もう大丈夫だよ、トンちゃん」

そう言うとトンちゃんは鼻をヒクヒクとさせました。

トンちゃん『梓ちゃんの方は大丈夫じゃないみたいだけどね』

梓「う、うるさいっ」

私とトンちゃんは親友同然です。

家に帰っても、私は何かをする気にはなれませんでした。
今の状況に、本格的に危機感を抱き始めました。

もしかして、一生このまま……?

お父さんやお母さんとも、憂や純とも、先輩たちとももう会えないの?

梓「嫌だよぉ……」

視界の端で水槽の中のトンちゃんがご飯を食べているのが見えました。



【三日目・梓】

梓「んにゃ……」

どうやら私はいつの間にか眠っていたようです。

三連休の最終日だというのに、相変わらず街にはひとっこひとりいません。

明日は学校あるのかなぁ。
みんな来るのかなぁ。

私はボンヤリとそんなことを考えていました。

梓「あっ……」

私はまたしても気付きました。
なんと、またまたトンちゃんが姿を消しているのです。

しかし、私はうろたえません。
トンちゃんが部室に戻ったであろうことは、殆ど確定的に感づいていたからです。

私は桜高へ行く準備を始めました。
準備と言っても、誰に見られるわけでもないので、相変わらずパジャマのままです。

玄関まで出て来た時、郵便受けに新聞が入っているのが見えました。

この新聞を配達してくれた人は何処かにいるのでしょうか。

考えてみても分からないので、とりあえず私は新聞を読んでみることにしました。

──────────────

梓「えっ!」

私は、とあるロックバンドが解散するというニュースに驚きました。
明日、解散ライブを行うそうです。

何処にも人がいないのに、ライブなんて……、と思いましたが、もしかしたら明日になれば何事もなかったように普通の生活が始まるのかもしれません。

そんな僅かな希望を胸に、ふんすと意気込んで私は桜高にいるトンちゃんを迎えに、桜高へと出発しました。

トンちゃんを家に連れて帰るのは、今日で三回目になります。
もうお手の物です。

無音の街を通り抜け、少しすると桜高に着きました。

学校の窓ガラスは一枚も破られてはおらず、私は、やっぱり初日に見た惨状は幻覚だったんだ、と考えました。

部室からトンちゃんを連れて帰る途中、どこかから甘い匂いがしてきました。

花や香水の匂いとは違う……ええと、これはなんの匂いだっけ?

私は、トンちゃんと一緒に匂いの元へと向かいました。

そこは、私たちの教室でした。

中を覗くと、教室の真ん中に見覚えのあるものが置いてあります。
それは、かのゴールデンチョコパンでした。


そのゴールデンチョコパンは、まるでずっと前からそこにあったように澄していて、また「僕を食べて」と訴えかけているようでもあります。

その時、私のお腹が小さく鳴りました。

トンちゃんがこちらを見上げます。

梓「なにトンちゃんっ、仕方ないでしょ!」

私がプンプン怒ると、トンちゃんはいつものように鼻をヒクヒクさせたあと、水槽の奥へ入ってしまいました。

私はゴールデンチョコパンを食べました。
もちろん、お腹が空いていたからです。

一口、また一口と食べるうちに、三連休が始まる前日に純と憂と一緒にこのパンを食べたことを思い出しました。

すると、そこでおかしなことが起こりました。

フッと身体の力が抜けたかと思うと、私は上手く立っていることさえ出来なくなり、その場にへたりこんでしまったのです。

徐々に意識も遠くなっていくのを感じ、焦ります。

梓「あ……、トン、ちゃん……」

失いかけの意識の中で、私が最後に目にしたのは、水槽の底から鼻だけを出してヒクヒクとさせるトンちゃんの姿でした。



【三日目・憂】

私以外の人たちがみんないなくなってしまったという奇怪な現象は、少なからず私を動揺させました。

梓ちゃんや純ちゃんと連絡がとれなかったことも相俟って、私はいてもたってもいられなくなったのです。

私は純ちゃんの家の前に来ていました。

私の携帯に電話が来たということは、きっと彼女たちも何処かにいるはずなのです。

自宅を除いた場合の、二人のいそうな場所を考えるにあたって、一番最初に思い付いたのは学校でした。
が、昨日のような桜高の惨劇の中に、二人がわざわざ足を踏み入れるとは思えず、ならばいっそのこと直接会ってやろう、と思って来たのです。

軽く深呼吸をしてからチャイムを鳴らしました。

憂「……純ちゃん」

無音。

もう一度チャイムを鳴らしてみますが、音沙汰がありません。

ドアノブに手を掛けてみると、どうやら鍵はかかっていません。

私は意を決して家の中へ入って行きました。

家の中で、純ちゃんはかわいらしい寝息を立てていた……なんてことはなく、ただただ沈黙が家中を支配していました。

捜索を続けていると、私は純ちゃんの部屋を見つけました。
隅のベッドには几帳面にシワを伸ばされたシーツが敷いてあります。

純ちゃんにしては意外だなぁ、と感心していると、枕元に無造作に転がっている携帯電話が目に入りました。

私は反射的に携帯を手に取ると、真っ先に着信履歴を確認しました。
やはり昨日、私からの着信が一件入っています。

つまり、純ちゃんは少なくとも昨日から、携帯も持たずに消えてしまったんだ。

そう予想すると、私は純ちゃんの携帯をポケットに滑り込ませ、家を出て行きました。

本当に不思議なことばかりで、次に自分がどうすべきかも分かりません。

いつも通りならなにも怖がることはない。
そう信じて、私は校舎へと入って行きました。

まず向かったのは部室です。
二人がいそうな場所を選んで歩きます。

結果、二人は部室にもいませんでした。
トンちゃんさえいない部室は、家にいる時よりもずっと寂しげに感じられます。

憂「ふぇぇ……」

そろそろ泣きたくなってきました。
私はトボトボと部室を出ます。

階段を降りて行くと、ふと甘い匂いが鼻をつきました。

憂「あっ!」

ハッと気付きます。
これはあのゴールデンチョコパンの匂いに違いありません。

憂「純ちゃんっ?」

私は匂いのする方へ向かいました。
ゴールデンチョコパンのあるところに純ちゃんはいるはずです。

しかし、辿り着いた教室に純ちゃんはおらず、ゴールデンチョコパンも食べかけでした。

この食べかけが何よりも私を安心させました。

誰か、このパンを食べた人がいるんだ!
純ちゃんかな? 梓ちゃんかもしれません。

不安定だった心を落ち着かせられた私は、ゴールデンチョコパンをちぎり、ムシャムシャと食べ始めました。


憂「あまっ」

久し振りに心が暖かくなるような気がしました。
まるで身体がフワフワと浮いているようです。

フワフワとした気分を堪能していると、だんだん意識が遠くなっていきました。

憂「あ、れぇ……?」

それからあっという間に、私はその場で眠るように気を失ってしまいました。


3
最終更新:2010年10月17日 01:10