唯「私が、ニートだから。いけないんだよ……ごろごろしてる私が、全部わるいんだよぉ…」

 フローリングの床がすっかり暖まるほど長い間、涙を流す私たちは抱きしめあっていました。
 曇り空が晴れて差し込んでいたはずの光はまた厚い雲に遮られ、部屋の照明が作り物の光を私たちに浴びせています。
 お姉ちゃんの腕の向こうには今も割れたティーカップが散らばっていました。
 一瞬――たーくんの金魚鉢がそんな風に割れる光景が頭をよぎって、思わずお姉ちゃんの胸に顔を押し付けてしまいます。

唯「……だいじょうぶだよ、憂、だいじょうぶだからね、お姉ちゃんがダメなだけだから」

 半年前から引きこもりになってしまったお姉ちゃんは、昔と変わらず私の頭をなでていてくれたのです。
 そんな感触に身も心もゆだねながら……けれども、純ちゃんのさっきの言葉がずっと離れませんでした。
 ガラスが割れる音のように、ずっと頭に鳴り続けていたのです。


――――――

(Christinaさんがオンラインになりました)

あいす: こんばんはっ

Christina: おう、元気だったか?

あいす: 家でずっとごろごろしてました・・・・。

Christina: あいすちゃんらしいなw

あいす: えへへ・・・・めんぼくないです(>_<)

Christina: まあ私も今日はgdgdだったけどさ・・・・。

あいす: バンドの練習、でしたよね?

Christina: あー・・・・それさあ、キャサリンのやつが男ともめたらしくて(笑)

あいす: キャサリン・・・・って、どんな人でしたっけ??

Christina: ほら、うちのバンドのボーカル

あいす: あっなんか変身しそうな格好した人ですよね!

Christina: 変身て・・・・笑

Christina: まっ私もバンドだけやってるわけにはいかないしね

あいす: お勉強ですか?

Christina: うん。臨床心理士やるには大学院行かなきゃなんないし

あいす: 大変ですね・・・・

Christina: バンドやってきたいけどさ、就職とかも考えないとだし

あいす: しゅうしょく・・・・なんかぜんぜん遠い先の話っぽくて、よく分かんないです

Christina: あいすちゃんはまだ中学生でしょ?

あいす: はい、学校いってないけど

Christina: 学校はいけよー

あいす: 行きたいんですけど、やっぱり外出るのこわくて

あいす: ドア開けて外出るだけだってわかってるけど

Christina: うん

あいす: なんていうか・・・・広い海にでるぐらい怖いんです

Christina: 井の中の蛙、大海を知らず

あいす: なんですかそれ

Christina: 水槽の中の熱帯魚は幸せだけど不幸だってこと

あいす: むずかしいですね・・・・

Christina: とにかくさ、現状どんな感じなの

あいす: たぶん、心の病気なんだと思います

Christina: パニック障害っぽいよね、聞く限りじゃ

あいす: 病院いってないからわかんないですけど

Christina: 病院はいけよー

あいす: はい・・・・。

Christina: 私だってシロウトなんだし、学校行けないなら病院にはせめて行くべきだよ

Christina: 妹さんのためにもさ

あいす: でも、病院いくには外出なきゃなんないです

Christina: 甘えすぎだろ

あいす: ごめんなさい・・・・

Christina: つか、あいすちゃんの話が本当なら児童相談所とか動いてもおかしくないレベルなんですけど

あいす: はい

Christina: 確かにキャサリンから聞いて法律上の話とかしたの私だけどさ

Christina: さすがにもう9月だよ

あいす: はい

Christina: 姉妹そろって留年とかヤバいって

あいす: そう思います

Christina: 親はまだ海外?

あいす: はい、年内に戻れるかどうかって

Christina: なんという機能不全家族

Christina: てか受験生抱えた家族がそれとか・・・・

あいす: 受験の前からずっとそんな感じです

Christina: マジないわ・・・・

Christina: で、あいすちゃん的にはどうしてこうと思ってるの

Christina: やっぱり、まだ出たくない?


あいす: 外にでたいです


Christina: えっと、なんかあったの?

あいす: どうしてですか?

Christina: いきなり変わったから

Christina: 言いすぎたかなって

あいす: 違うんです

あいす: 今日、妹の友達が家に来てて

Christina: うん

あいす: それで、ちょっとケンカみたくなっちゃって

あいす: 私たちはラブじゃないって言われました

Christina: どうみても共依存だもんね・・・・

あいす: でも、私はういのことが好きなんです

あいす: それだけは本当です

あいす: 妹としてっていうより、一人の人間として愛してます

Christina: うーん・・・・

Christina: 正直、今のあなたの気持ちは信用できないかも

あいす: なんでですか?引きこもりだからですか?

Christina: ってかまずあいすちゃんが引きこもってるのってあれじゃん

あいす: それは分かってますけど・・・・

Christina: 自立してないやつが言う愛は大体ただの依存だよ

あいす: 別れろっていうんですか

あいす: 女同士だからですか

あいす: 姉妹だからですか

Christina: そうじゃないって

Christina: 落ち着いて聞いて

あいす: はい

Christina: あいすちゃんが妹のことすごい思いやってるのはわかる

あいす: はい

Christina: だけどそれって妹さんのこと閉じ込めてるわけでしょ

あいす: 分かってます

Christina: いいの?

あいす: 私はういに元気になってほしいです

Christina: だったら、妹さんと向き合わなきゃ

あいす: はい

Christina: しかるべき医療機関にかからなきゃダメ

あいす: 前行った時は睡眠薬くれただけでした

Christina: じゃあ他探しなよ

Christina: なるべく話聞いてくれるとこ

あいす: はい

Christina: ところでベタ飼ってるんだっけ

あいす: はい、そうですけど

Christina: ベタって闘魚っていうの知ってる?

あいす: しらないです

Christina: 狭い水槽の中に二匹入れとくと共食いしちゃうんだって

Christina: だから二匹以上が育つためには広い飼育場所が必要みたい

あいす: なにがいいたいんですか?

Christina: あいすちゃんも自分たちの水槽壊さなきゃだめだよ

Christina: 共食いはしないにしても、共倒れにはなっちゃうから

あいす: でも、お魚って外出たら息できなくなりますよ

Christina: それは水槽の中の水に慣れすぎたからでしょ

Christina: ちょっとずつでも、外の世界に慣れてかなきゃダメ

Christina: そのまま水入れ替えないと酸素足りなくなって二人とも死んじゃうよ

あいす: はい

あいす: 分かりました

Christina: それに、助けてくれる人だっているでしょ

Christina: あいすちゃんの言ってた隣人さんとか、幼馴染の子とか

あいす: あとさっきのういの友達も、たぶんすごく心配してくれてます

Christina: だったら、あとは勇気出すかどうかじゃん


あいす: がんばってみます

Christina: がんばれ

Christina: 二人のこと応援してるから

あいす: はい!


――――――

 あふれる涙がようやくおさまったのは、陽がすっかり沈んだころになってでした。
 私の部屋の窓からは電灯や隣の家の灯りがもれ、夕暮れ時を過ぎたせいか自動車の走る音も多くなったようです。
 どうもずっとお姉ちゃんの腕の中にいたので、しばらく夢を見ていたみたいに感じました。

 リビングを出たお姉ちゃんは晩ごはんを作ろうとする私をおさえて、一眠りした方がいいと言います。
 心配ないよ、大丈夫だよと言ったのですが、どうやらお姉ちゃんにもやることがあるみたいです。
 根負けした私は久しぶりに自分の部屋のベッドに入り、泣き濡れたときから残る夢うつつのまま、ぼんやりと窓の外を眺めていました。

 部屋の窓に反射する豆電球の灯りをぼんやり眺めながら、純ちゃんの言葉を思い返していました。
 妙にさみしくなってその場の布団を抱きしめてみるのですが、いつもと違ってお姉ちゃんの匂いはしません。

憂「お姉ちゃん……好きだよ」

 綿の入った布袋を抱きしめてわざと声に出してみる私は、傍から見たらこっけいなのかもしれません。

 お姉ちゃんのいない布団を抱きしめていたら、いつの間にか眠ってしまったみたいです。
 その時見た夢はどこか遠い昔のような、けれどもすぐ先の未来のような、そんな不思議なものです。

 私たちはお姉ちゃんの部屋の隅に高さ二十センチぐらいの小さなドアがあるのを見つけました。
 お姉ちゃんは私の手を引っ張って、そのドアへといざないます。
 すると私たちはそのドアへと吸い込まれて、一瞬息ができなくなります。

 吸い込まれていった先は海底のようです。
 いきなり水の中に来てしまって息が出来なくなりそうでしたが……しばらくするとだいぶ楽になりました。
 変な話ですけど、これも慣れなのかもしれないですね。

 私ははしゃぐお姉ちゃんに手を引かれながら、階段の形をしたさんご礁やブランコのように揺れる海草を見て回ります。
 その世界は初めて見るようで、けれども大昔に見たことがあるような不思議なものでした。

 小さな魚が三匹、私の後ろから泳ぎ抜けていきます。
 そのあどけない姿がどこか懐かしく思えると、手を繋いだお姉ちゃんも私と同じように微笑んでいました。

唯「うい、覚えてる? ここ……ずっと前に一緒に遊んだとこだよ」

憂「そうだね……お姉ちゃん」

 私たちは目の前のさんご礁を眺めながら、その場に隠れて遊ぶ小魚たちを見守っていました。
 水の中だというのにお姉ちゃんの手はずっとあったかいままで、それがずいぶん私を安心させてくれました。

 しばらく海底を散歩する夢を見て、私は目を覚ましました。
 窓の外から静かに鳴る虫の音は寄せては返す波の音のようにも聞こえて、布団の中に帰ってきたのにまだ海底にいるような錯覚もあります。

 うなされない夢を見られたのはずいぶん久しぶりのことでした。
 たぶん、夢の中で手をつないでいてくれたお姉ちゃんのおかげです。
 豆電球のやわらかい灯りの下で、私は夢でつないでいた方の手を出して眺めてみます。
 夢のことを思い出すとお姉ちゃんがいとおしくなって、眠い目をこすってベッドから起き上がろうとしました。
 会いたい。
 夢みたいに、手をつないで……外に、出てみたい。

 自然とそう思えた矢先、ノックの音がしました。

唯「ういー、起きてる? ご飯つくったよ」

憂「あ……お姉ちゃん!」

 部屋のドアが開いた瞬間、思わず私は飛び出してお姉ちゃんに抱きついてしまいました。

唯「ひゃ……う、ういどうしたのさっ」

 あっけに取られてるのも気にしないで、まるでお姉ちゃんみたいにいきおいよく抱きしめます。
 あんな夢を見たせいなのか、本当のお姉ちゃんに触れたくてしょうがなかったんです。

唯「もう、ういはあまえんぼさんだなぁ…」

 お姉ちゃんはくすっとほほえんで、飛びついた私をそっと受け止めてくれました。
 あったかい腕が肩甲骨から腰の方へ回されると、身体の奥まで安らぎがしみわたっていくようです。
 部屋を一歩出た薄暗い廊下で、私はしばらくお姉ちゃんのやわらかい身体に包まれていました。

 離れたくない。ずっと一緒にいたい。
 そしてそれは、いつまでも叶うような気もしていました。
 たぶん全部、あんな夢を見てしまったからなんです。


 冷たい廊下で身体が冷えそうになった頃、私たちはリビングに向かいました。
 その前に、私は気の済むまで私に抱きしめられてくれたお姉ちゃんにもう一つおねだりをしてしまいます。

唯「え、手つなぎたいの? うん、いいよ。はい!」

 お姉ちゃんは私の前に手を広げて差し出します。
 その時お姉ちゃんが出した手は……偶然でしょうか、夢と同じ右手でした。
 私は指を絡ませて恋人同士の握り方で手と手をつなぎ合わせて、階段を下ります。
 電気のついてない廊下は薄暗く、ちょっとだけ本当に海底を散歩しているような気分になりました。

唯「うい、なんかうれしそうだね……いいことあった?」

憂「うん。お姉ちゃんのおかげだよ」

唯「私はなんにもできてないよぉ」

 そんな風に私に向けてくれる笑顔と、こうして握っている手の感触だけでも十分なんだけどな。
 ……なんて、恥ずかしくて言えないので代わりにつないだ手を握り締めます。
 するとすぐに握り返してくれた手の感触が、また私の心をおどらせるのです。

 手をつなぐ幸せをもう一度教えてくれたのは、やっぱりお姉ちゃんでした。

 それから私はお姉ちゃんの作った晩ごはんを一緒にいただきました。

唯「ハチミツあったけどリンゴなかったから代わりにジュース入れてみたんだけど……やっぱ失敗だよね、あはは」

憂「もう、ハチミツとリンゴなんてどこで聞いたの?」

唯「え、CMでやってるじゃん! リンゴとハチミツって」

 お姉ちゃんが作ってくれたカレーライスは、おせじにも上手いとは言えないものでしょう。
 けれども「お姉ちゃんが私のために作ってくれた」ことだけで、どんな調味料よりもおいしく感じました。


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最終更新:2010年10月23日 00:35