アットウィキロゴ
憂「ふふ、リンゴはすりおろしじゃなきゃダメなんだよ?」

唯「そんなの知らないよぉ…」

 私は一生懸命作ったらしい水っぽいカレーをおいしくいただきました。

 食べている間、お姉ちゃんは不思議なことをしていました。

唯「ねぇうーい、このカレーまずいよね? おいしくないよねぇ?」

憂「えっ……そんなことないよ。おいしいよ、お姉ちゃんが作ったんだもん」

 うそではありません。
 せっかくお姉ちゃんが作ってくれたカレーなので、私にとってはどんな味でもおいしいのです。
 でも、お姉ちゃんは納得してくれず、何度も私に「まずい」と言わせようとします。

唯「だってカレーにジュース混ぜちゃったんだよ?! 和ちゃんだってまずいって言うはずだよぉ」

 お姉ちゃんの考えてることが分からなくて、ちょっと悩んだけれどお姉ちゃんの言うとおりにしてみました。

憂「……うん、ジュースはまずかったと思うな」

唯「そっちのまずいじゃなくて! ほら、このカレーまずいよねぇ…?」

 なんでお姉ちゃん、泣きついてまで「まずい」といわせたがるんだろう……。

 お姉ちゃんがどうしても引き下がらないので、仕方なく私は言いました。

憂「……このカレー、まずい」

唯「心がこもってないよっ、もっとまずそうに言って!」

憂「えっ……ええっ?」

 それから三回、カレーをまずいと言い直してようやくOKが出ました。
 大好きなお姉ちゃんのカレーをけなしてしまって、私の方がちょっと泣きそうになりました……。
 でも、お姉ちゃんはなぜかまずいと言われてうれしそうです。

唯「えへへ、憂にまずいって言ってもらえた!」

憂「……どうして?」

唯「だってさあ。ほんとの恋人って、相手のダメなとこはちゃんとダメって言うものなんだよ?」

 ほんとの恋人。
 突然お姉ちゃんの口からそんな言葉が出て、心臓がとくんと動いてしまいます。

唯「憂は私のダメなとこを見てくれないからねー、ちゃんと向き合わなきゃダメなんだよっ」

 お姉ちゃんの言葉の意味が伝わると、揺れ動いた胸の奥にじんわりと温かいものがあふれるのを感じました。
 たった一言二言で、さっきまでほんの少し浮かびかけていた涙の意味がすっかり変わりました。

憂「……お姉ちゃん、このカレーまずい!」

唯「そっ、そんなうれしそうに言われても……どうしていいか分かんなくなるよ」

 なんだかあまりにもミスマッチだったので、二人して吹き出してしまいました。
 私もお姉ちゃんみたいだな。
 そう自然に思えたことが、すごくすごくうれしかったです。

 食べ終わった食器を片付けていると、お皿を洗っていたお姉ちゃんが私をお風呂に誘いました。

唯「ねぇはいろうよー、今日は一緒に入りたい気分なんだよう」

憂「昨日は入りたくないって言ってたのに、急にどうしたの?」

唯「えっとね、ういのからだを洗ってあげたいの!」

 あ、変なことはしないよ? ただ洗うだけだから安心してね。
 私が何か思う間もなく、お姉ちゃんがすぐそう言ってしまいます。
 ちょっとだけよこしまなことを考えちゃったのがはずかしくなりました……。

唯「……えへー、ういちょっとなんか期待したー?」

 にやにやとほっぺをつついてくるお姉ちゃんから顔を隠すように、私は自分の部屋へ逃げ込みました。
 着替え、やっぱりちゃんとした下着の方がいいのかな?
 って、なに言ってるんだろう私……。

唯「ういー、はいるよぉ」

 私がシャワーを浴びてお風呂につかっていると、下着一つつけていないお姉ちゃんが入ってきました。
 本当はいつも見ている姿なのですが……こうした明るい場所だと、正面からみるのはちょっとはずかしいです。

唯「あれ、うい照れてるの?」

 そんな私の気持ちを見透かしたように、お姉ちゃんはわざと私の顔を正面から見ようと肩をつかまえてくるのです。
 目をそらそうとするほど面白がって追いかけてきて、いつの間にか水遊びのようになってしまいました。

 ふと気づくと、私の両頬はお姉ちゃんの手のひらにつかまっていて。
 目の前にお姉ちゃんの大きな瞳と、やわらかい唇がそこにはあって。
 思わず私は目を閉じてしまいそうになったのですが――

唯「……ぷっ、ふふっ」

憂「……えっ…ぷくっ、ふふっ…お、おねえちゃん、何がおかしいの……ふふっ」

唯「ぷふっ…ういだって、わらってるじゃん……」

 互いにつられて吹きだしてしまいました。
 二人分の笑い声が狭いお風呂場に響きます。
 いつしかお姉ちゃんの手のひらの温かみにのぼせそうになっていました。

唯「うぅ……からだひえちゃったよ」

憂「もう、そんな格好で外にいるからだよ。シャワー浴びたら?」

唯「だってういのほっぺ、ぷにぷにしててかわいいんだもん……」

 お姉ちゃんは浴槽の中の私とじゃれあっていて背中を冷やしてしまったみたいです。
 自分の腕を抱いて身体を振るわせるお姉ちゃんに向けて、私はシャワーの蛇口を一気にひねってみました。

唯「ひゃ……?! もうなにするのさ、うい!」

憂「えへへ、さっきのしかえしだよ。おねえちゃん」

唯「私の憂はそんなキャラじゃなかったはずなのに……もーおこった! えいっ」

 今度はお姉ちゃんから顔にシャワーを掛けられてしまいました。
 私もお風呂の水をかけて応戦します。お姉ちゃんだって負けてません。
 なんだか四年ぐらい前、小学生だった頃に急に戻ったようで我を忘れてはしゃいでしまいました。

 そんな子供みたいな遊びがふいに止まった時、静かになった二人きりのお風呂場でお姉ちゃんは言います。

唯「憂、身体あらったげる。こっちおいでよ」

憂「え……? そっか。ごめんね、さっき洗っちゃった…」

唯「だーめ。今日は私がてってーてきに洗うって決めたんだもんっ」

 そう言うとお姉ちゃんは私の腕を引っ張ってむりやり湯船の外に連れ出します。
 そして風呂椅子に私を座らせると、じゃあまずあっためてあげるね、と言ってシャワーを身体の隅々に当ててくれました。

唯「ちょっとぬるめだから……このぐらいでいいかな?」

憂「うん……大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 一昨日までずっと一緒に入っていたので、私の身体を冷やさないように洗うのも慣れています。

唯「じゃあまずは髪の毛から洗うね」

憂「うん、お願いします」

 お姉ちゃんは私の身体を洗う時、冷えてないか心配してくれます。
 それはお姉ちゃん自身が寒いのやクーラーなんかが苦手で、私にそうなってほしくないからだそうです。
 でも、お風呂場の温かい空気とそんなお姉ちゃんのやさしさで、私の身体はいつもぽかぽかでした。

 だけどお姉ちゃんがこうして髪の毛を洗ってくれる時は、わざとうそをついてしまいます。

憂「お姉ちゃん……せなか、あっためてくれる?」

唯「いいよ。ぎゅー」

 するとお姉ちゃんは待ってましたとばかりに私の背中にもたれて、体温を伝わらせてくれます。
 髪の毛を洗う時だって、ときどき右手で洗いながら左腕をおなかに回して抱きしめてくれたりもします。
 そうなると私がお姉ちゃんのものになったみたいで、心の奥からあったかい気持ちになるのです。
 ……最近少しずつおっきくなってきたお姉ちゃんの胸があたってちょっと恥ずかしいですけど。

唯「かゆいところはありませんかー」

憂「だいじょうぶだよ、おねえちゃん」

唯「えー、なんか言ってよう。こことかさっ」

憂「ひぁ…?!」

 お姉ちゃんが急に私のおっぱいをつかんできて、変な声をあげてしまいました。
 お風呂場だと自分の声がやけに響くので、思わず顔が熱くなります。

憂「……おねえちゃん、せくはらだよっ」

唯「ういがかわいいのがいけないんだよぉ」

 まるで悪いとも思ってないお姉ちゃんの言葉が、ちょっとだけくやしいです。

 髪の毛を洗い終わると次にお姉ちゃんはボディソープを手に取りました。
 そして手の中でかるくあわ立て、肩から背中にかけてお姉ちゃんの指先で泡を広げていきます。

唯「ういの肌、すべすべしてて気持ちいいなあ…」

憂「もう、あんまりそんなとこばっかり洗ってるとくすぐったいよ」

唯「えへへ、ごめんごめん」

 泡の付いた指先は背中に泡を広げて両肩と首をやさしく洗い、鎖骨を通って胸元へとたどり着きます。
 身体の前を洗う段になると私は一度立ち上がり、代わりにお姉ちゃんが椅子に座ってかるく足を広げます。
 私はその足の間に腰を下ろして、お姉ちゃんに抱きしめられながら身体を洗い流してもらうのです。

唯「きもちいい?」

憂「うん。おねえちゃんだもん」

 私はしあわせな気持ちでお姉ちゃんに自分の身体を預けました。
 お姉ちゃんはやがて立ち上がり、私の爪先を指の一本一本まで丁寧に洗ってくれました。
 それからふくらはぎ、ひざこぞう、ふとももと身体中に指先を強くなぞっていきます。

憂「……ねえ」

唯「なあに?」

憂「今日のお姉ちゃん、なんだかすごくやさしいね」

 身体をやさしく洗ってもらいながら、なんとなく聞いてみました。
 けれども自分が発した質問はお姉ちゃんの優しすぎる感触の中で不安に変わり、五秒後には発したことを後悔してしまいます。

憂「……ううん、なんでもない」

唯「今日はね、ういにとびっきりやさしくしたかったんだ」

 自分で引き下げた問いかけに、お姉ちゃんは待ち構えていたように話してくれます。
 ですが、お姉ちゃんはそれからだまって身体を洗うことに専念しはじめました。
 腰骨のあたりからわき腹、二の腕から両手の指の間まで一本一本ゆっくりと洗っていきます。

 それは、私が何かを問いかけるのを待っているみたいで。
 期待する気持ちもどこかにありました。
 けれども怖い気持ちの方がその時は強かったです。

憂「……どうして、今日はたくさんやさしくしてくれるの?」

唯「決まってるじゃん。憂の恋人になりたいからだよ」

 私たちは半年間、こんな風にお風呂場で過ごした身体を重ね合わせたりしてきました。
 けれども二人の関係を定義しなおす、そんな話になったのは初めてです。
 当然でした。
 私たちは悪いことをしていて、関係を問い直したらそれが明るみになってしまうのですから。

 でも、その時のお姉ちゃんの声はいつもと違って、かたい芯のようなものがありました。
 椅子に座る私にひざまずいて、私の瞳をまっすぐに見つめるお姉ちゃんが少し怖く思えました。
 もしかしたら私たち二人で見ないふりをしてきたいろいろなことにメスをいれようとしているのかもしれない。
 そう思うと途端に不安になって、腕が硬直して息苦しくなって――

唯「だいじょうぶ」

 体調を崩してしまう二秒手前でお姉ちゃんは立ち上がって、そっと抱きしめなおしてくれました。
 椅子の後ろに倒れこまないように、ぎゅっと私の身体を抱きしめて。

 私が体調を崩した時、お姉ちゃんは安心するまでずっと抱きしめてくれます。
 たとえばこんな時は、肌と肌が繋がりあってひとつになるような気がするまで。

憂「……だいじょうぶ」

唯「よかったぁ」

 息が耳たぶを暖めるほどの近くで、背中をお姉ちゃんに支えられながらささやきあいます。
 けれども――お姉ちゃんの声は、かたいものを残したままでした。

唯「あのね、憂」

憂「なぁに、お姉ちゃん」

 二人きりのお風呂場で、抱きしめあいながら静かにささやきあいます。
 少しのぼせて、眠ってしまいそうなほどの安らぎの中で、けれどもお姉ちゃんは何かを変えようとしているみたいでした。
 今までは怖くてたまらなかった「変わる」ということが、お姉ちゃんの腕のおかげで少し平気になったようです。

唯「人を愛する条件って、わかる?」

憂「……相手を互いに思いやること、かな」

唯「それだけじゃないよ」

 私もどんなことを言おうとしているのかがわかった気がして、抱きしめる腕を強めます。
 お姉ちゃんは私をおどろかせないように数回息を整えて、耳元でささやきました。

 ――依存してちゃダメなんだよ。私たち。

 お姉ちゃんから重いものをおろしたように力が抜け、少し倒れそうになるのを私が支えました。
 身体にまとわり付いたままのボディソープが抱きしめあう私たちをくっつけ合わせているみたいで少しうれしいです。
 もしかしたら、そのためにお姉ちゃんは私の身体を洗ってくれたのでしょうか?
 でもそんないとしいお姉ちゃんが……なんだか今にも離れてしまいそうで、逃がさないようにと強く抱きしめてしまいました。

唯「わっ――」

 そのせいでバランスを崩して、私はお姉ちゃんを抱きしめたままお風呂の床に倒れこんでしまいました。
 ちょうどお姉ちゃんは私の身体に上乗りになって、そのまま抱きしめあっているような状態です。

 お姉ちゃんの濡れた髪から水滴が私の鎖骨にしたたり落ちます。
 目の前で少しゆがんで細められた瞳には、うっすらと涙の粒がにじんでいました。
 転んでしまったから、じゃないことぐらいは分かります。

唯「……これだけだからね。うい、これだけだからね」

 お姉ちゃんは私に、そして自分自身に言い聞かせるように口にしました。
 なにがこれだけなのか、私にはよく分かりません。
 けれどもそれが何を指していても私たちの何かが変わろうとしていることは、変わらないと気づいていたんです。

 お姉ちゃんは目をつむり、ゆっくりと私に顔を近づけ、くちづけをしました。


 どれほど長く唇の触れ合う感触に惚けていたのでしょうか。
 どれほど深く舌と舌を絡め合わせていたのでしょうか。
 それは定かじゃないですが、そのとき私はお姉ちゃんを受け入れ、お姉ちゃんを求めました。

 身体をまさぐったり、身をよじっては声を上げたりといったことはしていません。
 ただお姉ちゃんを抱きしめながら、いつのまにか繋がれた片方の手を握り締めて、口付けを交わした……それだけでした。
 ひたすら、確かめ合いたかっただけなのです。
 性的な繋がりではなく、依存でもないところにも私たちの「つながり」があることを。

 だから、逃避のような快感に身を任せることなく私たちの唇はそっと離れました。

 あの唇を濡らした液体が私の唇に垂れ落ちきったころ、お姉ちゃんはゆっくりと身体を起こしました。
 抱きしめあった腕が離れる瞬間、ほんの少しだけ身体の表面が冷えた気がしました。
 その時、浴室の床でオレンジ色の照明と換気扇を眺めながら気づきました。
 ――いまこの身体を抜けて換気扇の向こうへと消えた少しの熱こそが、これまで私たちを溶かし合わせていたことに。

 喪失感と解放感に満たされて行き場を失った私の身体をお姉ちゃんはそっと抱き起こしました。
 それからシャワーをひねり、お姉ちゃんは私たちを癒着していたボディソープを丁寧に流していったのです。

 私たちはもう一度湯船につかり、抱きしめあいました。
 私はお姉ちゃんの肩に頭をのせて、少しぬるくなった湯船の中で冷えた身体を芯まであたためていきました。

 身体を拭いてパジャマに着替えると私はお姉ちゃんの手を握りました。
 ここからお姉ちゃんの部屋まで連れて行ってもらうのです。
 一緒にお風呂に入った日はいつもこうして手を繋いだり抱きしめてみたり、ちょっと甘えんぼになってしまいます。

 ですが今日のお姉ちゃんは私を先にキッチンへと連れて行き、そこでコップ一杯の水を汲みました。
 それからそのまま水を持って自分の部屋に行くと、引き出しの奥底から白い紙袋を取り出しました。
 中は……半年前に病院でもらった、睡眠薬でした。

唯「あのさ。えっとね、憂がずっとごほごほしてたから、今日はちゃんと眠れるか心配なんだよね……」

憂「うん、だいじょうぶだよ。お姉ちゃん」

唯「これ、私がもらった薬だから身体に合うかわかんないけど……」

 お姉ちゃんはオオカミ少年のように変にうまい口ぶりで私を説得しようとしました。
 だけど私の心は最初から決まっています。

憂「お姉ちゃんが飲んだ方がいいっていうなら飲むよ。ずっと一緒にいたいもん」

唯「そっか……ありがとうね、うい」

 だけど一つだけ、お願いごとがあるかな。
 私は人差し指を立ててお姉ちゃんにおねだりしました。

憂「……きょうの夜、ちゃんと眠れるまでそばにいてくれる?」

 一瞬、お姉ちゃんはどきっとした表情を浮かべたような気がしましたが……すぐになんでもないようなそぶりに戻りました。
 それから「ずっと手を握っててあげる」と言って頭をなでてくれました。

 お姉ちゃんさえいれば、もう怖いものはないはずです。
 私はお姉ちゃんの睡眠薬を飲んで、一緒のベッドで眠りました。


7
最終更新:2010年10月23日 00:37