「ワシの金玉はなァ、魔法の玉なんじゃよ」
幼い私に向けて、公園でたそがれていた老爺は言った。
「へぇー、どんな魔法だ?」
「男は女に、女は男になるんじゃ」
冗談をいっている風でもなく、
私は一風変わったファンタジーを読むつもりで老爺の話を聞いていた。
「不思議だな、そりゃ」
「だからこそ魔法であるともいえる」
「ふぅむ。……な、じいさん。やってみせてくれよ」
「それはイカン」
私は得意の輝いた目をして老爺を見上げたが、彼は首を横に振った。
「なんせ金玉じゃ。2つしかない」
「えっ、いっぺん使ったらなくなっちまうのか?」
彼は神妙な顔で頷く。
「そうじゃ。魔法はな、こうして右の手でギュッと握りしめて」
「こう?」
私は握った手を見せた。
「もっとグッと、潰れるまでじゃ。それで初めて効果がでる」
「むぐぐ……」
全身全霊を込めて右手をきつく握りしめるが、老爺は不満げな表情を浮かべた。
「まァ、まだ無理じゃろう……」
「そんなぁ」
老爺は力尽きてへたりこんだ私を見おろすと、無言で自らの金玉をもぎ取る。
そして私の腕をとると、そっと手のひらに零した。
「どの道、ワシにはもう要らん。嬢ちゃんに預けとくよ」
「……いいのか?」
私は左手に載せられた一双の金玉を見やり、訊く。
「かまわんよ。いずれ必要になったときのために、大事にとっておきなさい」
「ありがとう、じいさん!」
軽く手を振ると、私は両手で大切に金玉を抱えて家に戻った。
私は7歳、夏の終わりかけのころだった。
――――
律(……そして、今)
律(長き封印から解き放たれ、その金玉が押し入れの奥から出てきた)
律「……」
律(いや、まぁね)
律(封印もクソも忘れてただけなんだけどさ)
律(……なに、これ?)コロ…
律(きんたま?)
律(確かにあのじいさんの股の辺りから出てきたような気はするが……)
律「……」
律(右手で握りつぶせ、って言ってたよな)
律(とりあえず一個だけやってみっか)コト
律「ふんっ!」グチュ
律(……)
律(……うわ)
律(なんだろ、すげぇ死にたい)
律(なんも起きないし……手洗いにいこ)
トン トン
律(はー)ジャバー
律「……あれっ」
律(……手が、なんかごつい?)
律(……まて、まてよ)ドキドキ
律(鏡を見るのが怖い……)
律「……」フー
律「私は女の子っ!!」バッ
律「……」
律(……どう、かな?)
律(女の子に見えなくもない、けど)
律(……けど、やっぱ体つきが)ペタペタ
律(……ブラがきつい)ゴソゴソ
プチ
律(はあ……)
律(ブラもつけないで、完全に男の体だ……)
律(そういえばっ)バッ
律(……)
律(……ついてやがる)
律(しかし、どうすっかな)
律(どうもナヨナヨした体格してるっぽいから、なんとか隠し通せるか)
律「……」
律(あっ、そうじゃん。もう一個金玉潰せばいいんだ)
トットットッ…
律(さーて、と……あったあった)スッ
ニギッ
律(……待てよ)
律(うん。うん)
律(……そうだよ。めったにない機会だ。利用しない手はない)
――――
翌朝
澪「おはよう、律」
澪「……どうしたんだ?」
律「いや、制服汚れちゃって……」
澪「声もちょっと変だな。……川に飛び込んだ?」
律「ちがわいっ! まぁさっさと学校行こうぜ。遅れるぞ」ダッ
澪「……あ、あぁ」タタッ
タッタッタッ…
澪「ちょ、律……速いって!」
律「へ?」ピタ
律(……もしかして、男になったから足も速くなったのかな)
律(……)
澪「ハァ、ハァ……」
澪「そんなに、急がなくても……大丈夫だろ?」ゼエゼエ
律「……ん」スッ
澪「はぁ……?」
律「手、とれよ。私ぜんぜん余裕だからさ」
澪「……うん」パシ
律「いくぞー!」タタッ
律(すげぇ体が軽い! めちゃくちゃ走れるぞ!)
澪「り、りつっ!!」
律「なんだよー、澪ー?」
澪「そん、なに……急ぐなって!」
律「ちぇー」スタ
澪「風邪気味なんだろ? あんまり無茶するなって」
律(風邪気味? あぁ、声のことか)
律「ま、そうだな。おとなしくするよ」
律(さすがに男だってバレるのはまずいしな)
律(念のため金玉は持っておいてあるけど、なるべく使いたくはない)
律(目的を果たすまでは……)
澪「おい、律?」
律「んぁ?」
澪「今度はおとなしくなりすぎだ」
律「じゃあ走るか?」
澪「……わかったよ。ゆっくり行こう」
律「ん」ニカッ
澪「……はぁ」
律(澪も多少なり私の変化に気付いてるみたいだな)
律(ちょっとやりすぎたきらいもあるけど……ま、こんなところか)
律(この感じでさりげなーく)
澪「律。信号赤だぞ」グイッ
律「ああっ、わりい」トト
律(……あれ、あんまりカッコつけれてない?)
律(イケメンりっちゃ……律となって骨抜きにしてやろうと思ったのに)
律(想像以上にイケメンって難しいのかもしれん……)
澪「……」
ブロロォ…
律「……なぁ、澪」
澪「うん?」
律「澪って……どんな感じの男が好きなんだ?」
澪「……」
澪「男……?」
ブロロォ…
律「うん。どんなのがタイプ?」
澪「いや、その……ちょっと」
澪「律、ほんとに大丈夫か? 休んだ方が良いぞ?」
律「……はい?」
律「そんなに顔色とか悪いのか? 私」
澪「そうじゃなくって……律、男を……好きって?」
律「……」
澪「その、おかしいとは言わないけど……」
澪「ちょっと、ゴメン。私は……」
律「……」
律(なにこの反応)
澪「私、先行くよ」タッタッ…
律(……避けられた?)
律(えっと。どうなってるんだ?)
律(澪的には……女が男を好くのは『ちょっとゴメン』なわけ?)
律(それって、つまり……)
律(いや、違うよな。澪はウブだから……だよな)
律(落ち着け、落ち着けぇ、私)
律「……いよっし」
テクテク…
律(……同性愛、か)
律(他人事じゃなかったけど、意外と身近にもあるもんなんだな)
律「……」フッ
2年教室
律「オハチーッス」
唯「チョップリーッス」
紬「おはよう、りっちゃん」
唯「ねぇねぇねぇねぇ、なんで今日ジャージなの?」
律「ん、ちょっと制服汚れちまってな」
律「いまクリーニング中だ」
紬「そうなの? 先生に怒られないか心配ね」
唯「それよか、りっちゃん声変じゃない?」
律「澪にも言われた。風邪気味なのかもなぁ」
唯「休んだ方が良くない?」
律「いや、大丈夫だって。自覚症状ないし」
唯「……そっか。ならしょうがないね」
紬「それはそれにしても……りっちゃん、なんか今日は違うわね」
律「そ、そうか?」ギク
紬「えぇ。なんだか男らしい感じがするわ」
律「おいコラ。流石に失礼じゃありませんこと?」
紬「あら、そうだったわね。ごめんなさい」
律「ったくもー」
キーンコーン カーンコーン
唯「じゃ、また後でねー」
律「おーう」
ガタガタ… ガタ
律(うわー)
律(自分じゃ大して変化ないと思ってたけど、人から見たらやっぱ分かるのか)
律(まずいなぁ……放課後まで誤魔化し切れるか?)
律(いや。なにも放課後に引き延ばす必要はない)
律(昼休みまでバレなければ、あとは金玉を潰して元に戻ればいいんだ)
律(……戻ることになるかは分からないけど)
律(……寝るか)ドサッ
律(うわ、なんだこの感触……)
律(男の体って寝心地わるいわ……)
律「……」
律「ふしゅぅぅ……」
――――
律(……ん)パチ
律(3限も終わったか。楽な授業ばっかで助かるぜ)
律(さてと。メールを用意しとくか)
律(昼休み、一人で私のとこに来て)カチカチ
律(唯だけに見せたいものがある。と)カチカチ
律(これを授業開始の寸前に送る)
律(……今だっ)ポチッ
律(そして)
律「すいません、先生。すこし具合が悪いので保健室行ってもいいですか?」
――――
保健室
律(……流石にもう眠くないな)
律(さっきまで寝てたからか、緊張してるのか)
律(そのどっちも……か?)
律「……」フゥ
律(今まで、女同士だからってずっと諦めてた)
律(けど、この体なら……)
律(周りにバレちゃいけないのは今までと変わらない)
律(でも、せめて本人には……これで伝えられる)
律(それから、付き合うことだって)
律(それからそれから……エッチなことも)
律(それからそれからそれから、結婚だって……)
律(……付き合う前から考えすぎか)
律(唯が私を好きだって保証は、ひとつだって無いもんな)
律「……」
律(1時間が……長い)
ガチャ
唯『すいませーん』
律(ゆ、ゆいっ!?)
律(まま、待てまだ心の準備がっ)
唯『ハイ、ありがとうございます』
律「……」ドキドキドキ
シャッ
唯「りっちゃん、お見舞いにきたよ」
律「……授業中だろ」
唯「ふっふぅ」
律「まったく。で、なんだ……見に、きたのか?」
唯「まぁ見にきたと言いますか確かめにきたといいますか」
唯「……昼休みの間より、人のいない授業中の方がいいかと思ってね」
律「確かにそうだなぁ。誰かに見られたらマズいものでもある」
律「それから、聞かれちゃマズい話でもある」
唯「だよね」
唯「そう思って、校医さんには外してもらってるよ」
律「……気が利く」
唯「それで、お話って?」
律「ああ、うん……いいか?」
唯「うん、いいよ」コクン
律(……こんなシチュエーションで、いいのかな)
律「実はその……私、な」
律「前からずっと、唯のことが好きだったんだ」
律「好きって、そんな簡単な意味じゃなくて」
唯「いいよ。分かってる」
律「あ……あぁ」
唯「……そうなんだ。りっちゃんがねぇ」
唯「それで?」
律「……へっ?」
唯「見せたいものは何?」
律(返事、なしかよ)
律「あぁ……ちょっと待っててくれ」ゴソゴソ
律(……うわ、なんだこの状況)
律(布団の中でアレ丸出しにして、普通に唯と顔合わせてる)
ムクッ
律(……この感覚。微妙に布団を持ち上げてる感じ)
ムクムク
律(これが世に言うボッキって奴か?)
唯「りっちゃん?」
律「あ、と、その」
律(まずいって。まずいって!)
律(今は見せらんないよ。こんなもんバッて見せたら私変態じゃんか!)
唯「なに? お布団の中にあるの?」バサッ
律(あっ)
唯「あぁっ」
律(ああああ)
律「ちちち違うっ、唯、これはそのっ」
唯「違う? 何が」
律「えっと……」
律(正直に言ってもごまかしても同じことか……)
律「違くない、けど……唯を襲おうってつもりじゃないんだ」
律「私が男になっちまったってことを教えたかっただけで」
唯「……」
唯「……どして?」
律「どうしてって」
律「私が男なら……その、性別の枠にとらわれずに付き合えるだろ?」
律「この体になったからこそ、私は……唯に告白したんだ」
唯「……」
唯「あのさ、りっちゃん」
律「……ん?」
律(唯、怒ってる……?)
唯「ちょっと失望したかな……りっちゃんがそんな風に考えてるだなんて」
律「へ……」
唯「性別の枠にとらわれずに付き合える?」
唯「そんなこと考えてる時点でもう、がんじがらめだよね」
律「……」
律「唯、私は……」
唯「もう何にも言わないで」
唯「こんな卑屈なりっちゃん、見たくなかった……」
律「……」
唯「男の子にならなきゃ、好きな女の子に告白することもできないで」
唯「今のりっちゃんとは付き合いたくない」
唯「ちっとも頼りがいがないもん」
律「……そっか」
最終更新:2010年10月23日 21:48