家の中に入ると蝉の声が遠ざかったように感じる
「あ、律さん!いらっしゃい!」
制服にエプロンという出で立ちで憂が出迎えてくれた
「お姉ちゃん部屋にいますよ」
「りょうかーい」
まるで我が家であるかのように上がりこんでしまうのは、我ながら悪い癖だ
階段を昇る私に向けて憂の声
「晩ご飯できたら呼びますねー」
「よろしくぅ!」
心から期待しつつ憂の姉の部屋をノックする
「唯ー、きたぞー」
「どーぞー」
ドアを開けると冷たい空気が流れ出てくる
「寒っ!冷房かけすぎだろ!」
「えへへー」
「ちゃんと勉強してたか?」
「えへへー」
意味もなく笑う
試験期間中の土曜日に私の相手をしてくれるのは唯ぐらいのもの
優等生3人は今ごろ机に向かっているんだろう
「お笑いのDVD持ってきたぞー」
「やったー!今日は朝まで笑いに包まれて眠るのです!」
そんなオカシナ宣言はいらない
「新しい曲練習したんだよ!ちょっと聴いて!」
「オッケー」
ギー太を抱きしめるようにしながらピッキングを始める
「どうかな?」
「もう少しアクセント付けて弾むような感じにしたほうが良くないか?」
「そっかー」
こういうときドラマーは居心地が悪かったりする
集中している唯に何を言っても無駄だから、適当なマンガを読んで時間を潰す
一時間ほど経ったころ、階下から憂の声がした
「晩ご飯だよー」
「よし!行こう律っちゃん!」
「切り替えはやっ!」
ダッシュで階段を駆け下りていく音がする
苦笑しながら唯に続くと、テーブルの上には良くできた妹の良くできた手料理が並んでいた
「暑いから冷しゃぶにしてみました」
「ういー、私の妹になって」
「ダメだよ律っちゃん!憂がいなくなったら誰が私を起こすのさ?」
「私に関係なく自分で起きようね、お姉ちゃん…」
いつも通りの会話を聞きながら舌鼓を打つ
さらにデザートのアイス付き!
これだから平沢家は止められない!
「律っちゃん、悪い顔になってるよ?」
リビングに3人の笑い声か響く
「律っちゃん、先にお風呂入っていいよー」
「いや、悪いよ」
「部長だから大丈夫!」
「律さんお先にどうぞ」
2人に促され、一番風呂に入る
自分の家では有り得ない待遇だ
気分よく汗を洗い落とし、リビングに戻る
交代で唯が浴室に向かう
憂としばし談笑
ホントに妹にしたくなってくる
顔を上気させた唯が戻ってくる
「ういー、おまたせー」
「じゃあ私も入ってきますね」
「ごゆっくり」
「律っちゃん、また前髪伸びた?」
「ん?あぁ、少しね」
「律っちゃん髪綺麗だから羨ましいよ」
「唯は癖っ毛だもんなー」
「ねぇねぇ、触ってもいい?触ってもいい?」
そんな笑顔で言われたら断れないじゃないか
「あんまりクシャクシャにするなよ?」
「大丈夫だよ」
私の隣に座り髪を撫でる
ちょっとドキドキしてしまう
悟られないためにテレビに目を移すと、草野仁と目が合った
どうやら全員ボッシュートだったらしい
憂が出てくるまでの間、唯は飽きもせずに私の髪を触り続けていた
「私は部屋に戻って少し勉強しますね」
私にはまるで縁の無いセリフだ
「律さんおやすみなさい」
「ん。おやすみー」
「お姉ちゃんおやすみ」
「おやすみういー」
憂がいなくなると唯が沈黙
なんだこの空気は
「えっと…DVD観よっか」
なぜか焦る私
しかしなおも沈黙
「唯?どした?」
「えっと…」
こんな控えめな唯は珍しい
からかってやろうと思ったら、それより先に唯が口を開いた
「律っちゃんに聞きたいことがあるんだぁ…」
「へ?相談事か?」
「そんな大層なものじゃないよ」
「そっか。よし、聞かせてもらおうじゃないか」
「えっと…憂に聞かれたくないから…私の部屋にいこ?」
(ん?さては好きな相手でもできたか?)
女の直感
「オッケー!じゃ、いこっか」
リモコンでテレビを消して立ち上がる
「飲み物持ってくから先に上がってて」
「はいよ」
恋愛相談を受けるのなんて久々だから、ワクワクしながら唯の部屋に向かう
唯の部屋に入り定位置に座る
唯はコーラのペットボトルとグラスを持って上がってきた
2つのグラスがコーラで満たされる
「で?」
コーラを飲み終えた私から切り出した
「聞きたいことって何?」
「あ、うん…うんとねぇ…」
相変わらず言いよどむ
「大丈夫だって!女は度胸!」
恋愛相談だと思いこんでいる私は、右手の拳でドン!と胸を叩いてみせる
「そうだよね!」
唯がグラスのコーラを一気に飲み干す
ふぅ、と息を吐き出し、自分に勢いを付ける
「あのさ!律っちゃんはさ!」
「はい!」
勢いに押され、思わず丁寧な返事を返してしまった
「律っちゃんはさ…その…えっと…一人で…」
「一人で?どした?」
「うん…一人でしたりするのかな?って…」
「何を?」
聞き返した私は間違ってないはずだ
「だからさ…その…」
ちょっとイライラしてくる
「唯!ハッキリしなさい!」
「あ、ごめん!だから…一人でエッチなことするのかなっ!?」
早口でまくしたてた唯
そのあとで当然のように訪れる沈黙
「ん?えっと…」
唯の言葉を頭の中で反芻する
やっと意味がわかった
「え!?ええ!?」
この反応も間違ってないはず
唯は顔を真っ赤にしながら私を凝視している
(えっと…えっと…えっと…)
さっき唯に言った言葉をすべて忘れてしまったみたいに、私を何も言えずにいた
なぜか私の方が涙目になってくる
「し、し、したことないです!」
吐き出した声が裏返る
そしてなぜか敬語
「なんで!?」
唯が怒ったように言った
「そんなこと言われても…」
「律っちゃんお姉さんぽいから詳しいと思ったのに!」
「え、いや、ごめん…」
なんで謝ってるんだ私は
それに気付いたのか、唯が深呼吸して気持ちを落ち着かせる
「律っちゃんはあんまりそういうのに興味が無いの?」
「そういうわけじゃないけど…」
一応高校3年生だ
そのテの話は嫌でも耳に入ってくる
「したいなぁとか思う?」
「一人で?」
「一人ででも…男の人とでも…」
いわゆる猥談というやつだ
だけど私はそれが苦手だった
なんつーか照れくさい
それにしても、一番興味なさそうな唯から話を振られるとは…
「唯は…どうなの?一人でするの?」
「まだしたことないよ…」
まだ、ということはその内してみたいってことか
でなきゃこんなこと聞かないだろうし
「気持ちいいのかなぁ?」
ヤバい
唯にスイッチが入ってしまったようだ
「ど、どうなんだろうね?」
何とか逃げ道を探さなくては
「律っちゃん」
「は、はい」
「また髪触ってもいい?」
「またって…いつ?」
「いま」
ヤバい
この空気は絶対にヤバい
「さ、さっきあんなに触ったじゃん」
「律っちゃんの髪の毛柔らかくて気持ちいい」
「あ、ありがと」
「隣に座ってもいい?」
「うん…」
唯が隣に腰を下ろす
大きな瞳が潤んでいる
私が男だったら
(いただきます)
と唱えるべきなんだろうけど、どう考えても女だ
唯が私の髪の毛を撫でる
自分の顔が赤くなるのがわかる
唯の顔が見れない
「律っちゃん可愛い」
「あ、ありがと」
「ギュッてしもいーい?」
「え…うん…」
唯に抱きしめられる
鼻先が右耳に当たる
首筋に鳥肌
「律っちゃん」
耳元で唯の声
「こっち向いて」
「は、は、恥ずかしいからやだ!」
「やっぱり可愛いー」
そう言うと私の首筋に顔をうずめた
唇が鎖骨の辺りに触れる
その部分から発した熱が全身に広がっていく
(どうしよ、どうしよ、どうしよ)
頭の中でその4文字を繰り返してみても、解決策は見つからない
第一、脚に力が入らない
唯が顔を上げる
柔らかい唇が私の右頬に触れる
そしてまた元の体勢に戻る
それを何度か繰り返したころ
「律っちゃん」
「…何?」
「チューしよ?」
「さっきからしてる!つーかされてる!」
「違うよー」
唇を耳元に近付ける
「ホントのチューだよー」
「え、え、え…」
「したことある?」
「あ、あるわけないだろ」
「えへへー、私も」
握りしめていた右手を唯の右手が包み込む
「律っちゃん」
「な、何だよ…」
「お顔見せて?」
「は、恥ずかしいって言っただろ…」
「お願い」
「…見るだけだぞ」
「えー」
「じゃあやだ!」
「むー。わかった、見るだけ」
「ホントに見るだけだからな」
「うん」
ゆっくりと顔を唯に向ける
目が合う
だけどすぐに伏せてしまった
もちろん私が
「………!」
その一瞬だった
唇に柔らかなものが触れたのがわかった
「えへへー、約束破っちゃった」
「バ、バカぁ!見るだけって言っただろ!
涙目で抗議する
だけど…
「…………!」
もう一度奪われた
今度は長い時間
振りほどこうとしたけど…
なぜか力が入らなかった
唯が唇を離す
「律っちゃんは唇も柔らかいや」
嬉しそうに言う
「………」
「怒ったぁ?」
「…ちょっと」
「ごめんね」
「…うん」
「もう一回してもいーい?」
「………………うん」
展開があまりにも目まぐるしくて、思考能力が失われている
と、自分に言い聞かせた
だって…
嫌ではなくなっていたから
二度目よりもさらに長く唯に唇を預けている間、そんなことを考えていた
「今度は律っちゃんからして?」
「え…それはやっぱり恥ずかしい…」
「律っちゃん照れ屋さんだねぇ」
そういう問題ではないと思う
唯に抱きしめられながら無言でツッコミを入れた
「律っちゃん大好きだぁ」
「…ありがと」
唯の身体からソープの甘い香り
気持ちまで甘くなってしまう
「私も…大好き…」
「ありがと!えへへー」
キス
今度は一瞬
そしてまた抱きしめられる
最終更新:2010年10月30日 02:18