憂「くっ、こ、これが……、こんなことが……」
紬「琴吹グループ関連会社の一流造形師に作らせた最高傑作よ。世界に二つとないわ」
憂「いいでしょう、紬さん。そちらの条件を伺います」
紬「ふふ、話が早くて助かるわ。実はね……」
憂「すごい、スカートの中まで精巧に作りこまれているッ!」
紬「訊いて憂ちゃん」
憂「ふ、うふふ。嗚呼、お姉ちゃん、可愛いなぁお姉ちゃん……」
紬「訊けよ」
桜高の制服を纏った二人の少女が校舎の屋上で密談を交わしていた。
一方の名を
琴吹紬。座右の銘は『男が来たら殺すのよ』。
もう一方の名を
平沢憂。座右の銘は『お姉ちゃん お姉ちゃん うーるわしのー』。
なんら接点の無いような二人ではあるが、今この瞬間、両者の間にはひとつの契約が結ばれ
ようとしていた。
憂「ふ、ふふふふ」
1/10スケール
平沢唯ドール。
思わぬ収穫を得た私は、小躍りしながら家路を辿っていた。
琴吹紬。ただの百合好きな沢庵では無いとは思っていたが、まさかこれ程のものを提供して
こようとは。正直侮っていた。
見ろ、この造形美。人懐っこい表情、柔らかな癖っ毛、しなやかな肢体に至るまで、まるで
お姉ちゃんをそのまま縮小したかのような完璧な再現性。
着ている衣装は全て実物と同じ素材を使うという手の込み様。思わず頬擦りしたくなる。
そして、このドールには驚くべき秘密がある、らしい。
らしいと言うのは、私がそう聞及んだだけであって、信用に足る証拠、根拠が一切無い為
だ。 早い話が、その秘密に関しては眉唾物であろうと疑っているのである。
そしてこのドールを交換条件に、紬さんが持ちかけてきた条件というのが、その秘密の検証
だった。
所謂実験台という事なのだが、成功しようが失敗しようがこのドールは私の物となる訳で、
そんなおいしい話を蹴る理由はどこにもなかった。
憂「それにしても可愛いなぁ……」
あまりの可愛らしさに胸がきゅんきゅんする。
家に着いたら、8:2の割合でいかがわしい行為を交えつつ目一杯愛でてあげよう。
昂ぶるリビドーに腰をうねらせていると、帰宅途中の小学生に奇異の眼差しを向けられた
が、ガン無視して腰をうねらせた。
…
梓「こんにちはー」
適当に挨拶を交わして、いつも通りに自分の席へと座る。
それからいつも通りに他愛も無い会話に華を咲かせて、いつも通りにムギ先輩の美味しいお
菓子を頂く。
ああ、変わらない日常って素敵だなぁ。練習はどうしたこのやろう。という無粋な突っ込み
をしてはいけない。
例えるならば、そう。今この空間は、授業という名の荒涼した砂漠を歩きぬいた果てにある
オアシス。
見てください、唯先輩の溌剌とした笑顔を。この無防備とも言える純真さ。いつまでも失わ
ないで欲しいものです。
なんて年寄りくさい感慨を抱きながら、無意識に引き出しの中に手を入れると、なぜかB5程
度の紙切れが入っていた。
梓「?」
不審に思いつつ、私がその紙切れを机の上に置く。
梓「……」
律「……」
期せずして、私と同様の行動をとる律先輩。彼女もまた、紙切れを引き出しから取り出して
いた。思わず顔を見合わせる。
紬「どうしたの、二人とも?」
梓「いや、なんか紙切れ入ってたんですけど」
律「こっちにも」
唯「なに? 宝の地図?」
澪「んなわけあるか」
梓「えっと……」
『キスしなさい』
梓「誰と!?」
叫んだ。 他にもっと突っ込みようがあるだろうとは思ったが、どうやらこのあたりが私の
限界らしい。
澪「律の方は?」
律「えーと……」
『梓ちゃん→唯ちゃん、澪ちゃん→りっちゃん、でお願いします』
律「だ、そうだ」
こともなげに言いのけると、律先輩はキラリと白い歯を見せた。澪先輩が渋い顔をしてい
た。対照的に犯人と思しき人物は菩薩のような笑みを浮かべている。
彼女を問いただす前に、私は意中の人物の顔色を窺うつもりで左斜め前方に視線を移すと、
その人物は数字の「3」のように唇を尖らせて、私の真横に迫っていた。
梓「ちょ、唯せんぱ、わー! 待て待て待て! 私からって書いてますから! 私から!
ほ、ほら! ルックルック!」
唯「あ、そっか……」
顔と顔の距離、凡そ20センチといった距離で静止した先輩を前に、私は小さく息を吐く。
そんな私を尻目に、唯先輩はそのままの姿勢で、頬を朱に染め上げて瞳を閉じた。
梓「あ、いや……」
私は狼狽するが、しかし同時に欲望の波が打ち寄せる。
目の前には、瑞々しくて柔らかそうな唇。あったかくて、良い匂いで、それで――
律「梓、顔真っ赤だぞ」
梓「あ、う……」
私はぶんぶん、と首を左右に振った。
しかしどれだけ風をあてたところで、頬の火照りは冷めてはくれない。
断じて嫌では無いし、寧ろ、願ってもない展開だとさえ思う。
落とした小銭を拾おうとして追いかけていった先に、束になった諭吉さんが鎮座しているく
らい願っても無い展開――って、なんだその比喩。
沸騰しきった私の脳は、比喩すらもまともに吐き出せないでいた。
梓「こ、こ……」
けれど、違うのだ。
澪「こ?」
これは私が求めているシチュエーションとは違う。
梓「心の準備が……って、なんで律儀にこんな紙切れに従おうとしてるんですか!?」
だから、机をバンバン叩きながらキレた。
澪「落ち着け梓。従おうとしてるのは唯と梓だけだぞ」
なん……だと?
我に返った私は、気を取り直して犯人の方へと向き直る。
梓「何考えてるんですか、ムギ先輩……」
突き刺すようなジト目を送るも、ムギ先輩は、哀切に満ちた瞳で「残念だ」と訴えるばかり
で、どう贔屓目に見ても反省の色は無かった。
唯「あずにゃん、してくれないんだ……」
目下の選択から逃げるようにムギ先輩に視線を向けていた私に、雷にでも撃たれたかのよう
な衝撃が走る。
梓「ち、違うんですよ唯先輩、私はただ、こんなシチュエーションで――」
唯「むぅ。もういいもん、わかったもん、そんなこと言うんだったら私からぎゅってしちゃう
から!」
必死のフォローも徒労に終わり、唯先輩はぶーたれた。
キスはともかく、ハグには慣れっ子だ。拒否する理由はどこにもない。
ならば、どう返す?
『やめてください、恥ずかしいです』 ……これじゃいつもと同じだし、いつもと同じでは
ダメなんだ。
どう答えたところで、この人は抱きついてきてくれるのだろうけど、キスを避けてしまった
後ろめたさが、その回答を否定する。
だったら――
脳内でシミュレートする。
――よし、完璧だ。
私は頬の赤を更に深めると、両手を広げて腰を落とした。
梓「望むところです!!」
さあ! さあ! さあ!!
どうぞ先輩!! 私の胸へ――!!
唯「えへへ、恥ずかしがるあずにゃんかわい――超受け入れ体勢っ!?」
唯先輩が飛び退いた。
唯「そ、そんなあずにゃん、あずにゃんじゃない……」
梓「え、いや……そんなショックなんですか」
いじらしく膝を抱えてその場にうずくまる唯先輩。
嗚呼……なんて可愛らし、いや、言ってる場合じゃなくて。
梓「ご、ごめんなさい唯先輩。その、ちょっとした出来心で……」
梓「えっと……」
唯「ごめんにゃさいにゃん、大好きですにゃん唯先輩」
梓「え?」
唯「って言って」
梓「……え?」
唯「言って」
梓「……」
唯「……」
梓「えーっとですね、唯先輩。私がそんな恥ずかしい台詞を言えるとでも――
ムギ先輩こっち見すぎです」
その笑みは多分人を殺せます。20人くらい。
紬「……」
そんで何も言わんのかい。
嘘でもいいから否定とかしてくださいよ。
唯「あずにゃん!」
梓「は、はひ!?」
唯「……言ってくれないの?」
両目に大粒の涙を溜めて、ハンカチを噛む唯先輩。
こんな澄んだ瞳でおねだりされて、それを無碍にできる人間が果たしてどれだけいるのだろ
う? 嗚呼、体面も外聞もかなぐり捨てて、今すぐにでもこの人を抱きしめたい。
それができないのは、僅かな意地か、つまらぬ矜持か。
梓「……」
違った。
迫られていたのは、件の台詞を言うか言わないかの二択だ。
なのに、どうして抱くか抱かないかの二択に昇華させた挙句思い悩んでいるんだ。色魔か
私は。色魔か。抱く抱かないの二択に比べたら、件の台詞に対する羞恥なんて、ちっぽけな
ものに思えてきた。元はといえばあんな益体の無い行動に打って出た己に非があるのだ。
答えはすぐに出た。
私は静かに深呼吸して、覚悟を決める。
梓「ご、……ごめんにゃさいにゃ…大好…ですにゃ…唯先輩」
唯「……ふ、ふふふ」
梓「……っ」
紬「あらあら、顔が真っ赤よ、梓ちゃん」
梓「うるさいです。わかってますもん、そんなこと……」
わかった上でやっているのだから、救いようが無かった。
唯「あぁん、あずにゃあぁぁん!!」
はちきれんばかりの笑顔で抱きついてくる唯先輩。
バカなことやるんじゃなかったと、自戒の二文字を脳裏に刻みつつも、他の先輩方に気付か
れない程度に抱き返す。
私の思わぬ反撃に、驚いたように身を震わせた唯先輩だったが、それも一瞬だけだった。
後は済崩しに、さっき実現できなかったキスへと移行する。
とか頭では考えても決して実践できないチキンハート。
澪「見てて飽きないな、あの二人は」
紬「二人ともヘタレ攻でいて、かつ誘い受けの気があるからかしらね、
鬩ぎ合いがたまらないわ」
律「お前は何を言っているんだ」
…
冬の冷たい空気とは裏腹に、私の頬は熱を帯びていた。
穴があったら入りたいって、こういう時に使うんだろうなー。
なんて、取るに足らないことを考える。
思い出し笑いならぬ、思い出し恥ずかし。いや、ねえよそんな言葉。
相も変わらず妄想に耽っていると、隣を歩く唯先輩がびくりと体を振るわせた。
梓「? どうしたんですか、唯先輩?」
唯「え!? あ、ううん、ちょっと寒気がしただけ……」
梓「風邪でも引いたんじゃないですか?」
唯「大丈夫だよー。私あんまり風邪とか引かないし」
梓「気をつけてくださいよ。先輩に風邪引かれると……、その、私が、困るんですから」
唯「あずにゃん、心配してくれてるんだ~?」
梓「ち、違います。ただ同じバンドのメンバーとして……」
唯「照れなくてもいいのに」
梓「て、照れてなんか……」
唯「えへへ、可愛いなぁ、あずにゃんは」
梓「あ、う……、そんなにくっつかないでくださいよ~」
またか。またこの流れなのか。
今更気付いたのかとか思わなくもないけど、どうやら私、
唯先輩と二人きりの時に自分のペースを握るのが苦手らしい。
いつだって唯先輩のペースで、振り回されて、かき乱される。
たまには私のペースで、唯先輩を振り回すという展開も見てみたいのだけど。
見てみたいという要望があるような気がするのだけど。
こういうことは一人で考えるより、
誰かに相談してみたほうが良い案がでるかもしれないな……。
ほら、例えば――
梓「……ダメだ」
――脳裏に浮かんだシスコンのマイフレンドと黄色い沢庵は、
簀巻きにして神社に奉納した。
唯「なにがダメなの?」
梓「やっぱり澪先輩ですね」
唯「ガーン!?」
梓「え?」
唯「あ、あずにゃんは私より澪ちゃんの方が良いんだ……う、うわぁああああん!!」
梓「あ、いや……」
抜群の快走を披露しながら、唯先輩は私の視界から遠ざかっていった。
取り残された私はただ呆然とするばかりで……、
なに、なんなんですかこの誤解フラグ。そんなバカな。
これはまずいと思う。まずいですよね? うん、満場一致でまずい。
梓「待ってください誤解ですってばーーーーっ!!」
私は全力で先輩を追い縋った。
……
憂「……スーハースーハー」
ひとしきり人形遊び及びいかがわしい行為を堪能した私は、
あるものを探してお姉ちゃんの部屋を徘徊していた。
しかし、気がつけば探し物等そっちのけで脱ぎ散らかされたお姉ちゃんの
パジャマを嗅いでいた。
フリース生地に僅かに残っているような気がするぬくもりと残り香を全身に感じながら、
両足をバタバタさせる。
憂「……しまった」
なんてこった。
この部屋には誘惑がいっぱいだ。ワォ、イッツアドゥリームラヴィリンス。
憂「髪の毛かぁ……」
探し物というのは他でもない、お姉ちゃんの髪の毛だった。
精巧に作られた平沢唯ドール。
紬さんの話によれば、紛い物の髪の毛の中に本人の髪の毛を一本含めることで、
傀儡として存在を確立できるということらしい。
所謂『操り人形』という物だ。
例えば、傀儡となったドールに私が触れる。
すると、お姉ちゃん本人にも、誰かに触れられたかのような感覚が伝わる、ということだ。
ふふ、想像しただけでぞくぞくする。
本来呪術的意味合いの強いそれは、しかし私が用いる分には呪いになど成り得ない。
紬さんがどういう目的を持ってこんなものを作らせたのか、何を企んでいるのか。
そんなことは私にとっては些事なのだ。
私はただ今以上にお姉ちゃんを愛でることができれば、それで全てをよしとするのだから。
憂「見ーつけた」
明るい栗色の髪の毛が一本。
素人目には私の髪の毛と区別がつかないかもしれないが、
私レベルのお姉ちゃんフリークであればその見分けは容易い。
枕元からそれを拾い上げて、私は自室へと向かった。
憂「これで、よしっと……」
ドールの髪にお姉ちゃんの髪の毛を一本結びつける。
紬さんの言っていることが本当なら、
この時点でこのドールはお姉ちゃんと
リンクしている筈なのだが……。
憂「お姉ちゃんが来ないと検証できないよね」
独りごちてから、ふと時計を見上げた。
18時か。お姉ちゃんもそろそろ帰ってくるだろうし、夕飯の支度をしなくては。
最終更新:2010年01月07日 20:13