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梓「はぁっ、はぁっ……!」

 唯先輩を追い縋ること10分。
 私は一つの真相にたどり着いた。

 あの人、運動神経鈍そうに見えて意外と足速い。

梓「そんなこと言ってる場合じゃないぞー、私」

 冷たい空気が肺に入り込んで、走るのが辛い。
 だからと言ってここで追いかけるのを諦めるわけにはいかない。
 とにかく追いついて誤解を解かなくちゃ……。

 閑静な住宅街が続く。夕暮れ時ということもあって、周囲に喧騒は無い。
 紅く色付いていた木々も冬の到来と共に葉を落とし、地面に落ち葉の絨毯を敷いていた。
 その絨毯の踏み心地を楽しむこともなく、それらを乱雑に踏みつけて通りの角を折れる。

 ――ようやく、追いつくことができた。

梓「追いついたっていうか、まぁ……先輩の家に着いちゃっただけなんですけどね」 

 私の呟きに呼応するかのように、カラスが『ア……アァ』と鳴いた。
 バカにされているみたいで腹が立つ。なんなんだ。ちゃんと鳴けよ。
 睨みつけようと声の方向を見上げると、――物凄い数のカラスが集まっていた。

梓「な、なにこれ……」

 その異質な光景にどっと恐怖心が押し寄せてきて、私は唯先輩の家の扉を必死に叩いた。

 お姉ちゃんは帰宅すると同時に、私の胸に飛び込んできた。

唯「うい~~~~!」

 私はそれを優しく抱きしめて、過剰なまでに息を吸い込みながら、

憂「ど、どうひは、うっ、けほっ、けほっ」

 吸い込みすぎてむせた。

唯「……だ、大丈夫?」

憂「うん。それよりどうしたの、お姉ちゃん?」

唯「あずにゃんがね、私より澪ちゃんの方が良いんだって……」

憂「……」 

 あの雌猫。言うにことかいてなんてことを。
 ……ん? いや、しかし妙だな。
 私には及ばないにしても、
 梓ちゃんは相当ハイランカーのお姉ちゃんフリークだったはずだが。
 そんな彼女が、お姉ちゃんを傷つけるような台詞を吐くだろうか?

憂「ねえ、お姉ちゃん。それってもしかして――」

 ドンドン、と乱雑に玄関の扉が叩かれる音がした。

憂「……、見てくるね」

唯「あ、待って憂、私も行くよ」

 二人、手を握って階段を降りる。
 扉を叩く音は依然として続いていて、そこからはひしひしと焦燥感が伝わってくる。
 覗き穴から外を窺うと、そこに居たのは渦中の人物だった。

憂「梓ちゃんだよ、お姉ちゃん」


憂「多分、だけど……。誤解だったんじゃないかな?」

唯「でもハッキリ言ってたもん。私じゃダメだって。やっぱり澪先輩ですね、って」

憂「……話だけでも訊いてあげなよ。ここまで必死に追いかけてきたみたいだし」

唯「……」

 お姉ちゃんが頷いたのを確認してから、私は玄関を開ける。
 すると、梓ちゃんが一目散に飛び込んできた。

梓「唯せんぱ――うわぁ!?」

 残念。それは私だ。
 両手を広げた私は飛び込んできた梓ちゃんをしっかりと抱きしめて、
 その矮躯を必要以上に撫でくり回す。

梓「か、カラスが、ちょ、憂、どこ触って……唯先輩、さっきのは誤解なんです!!」

憂「落ち着いて、梓ちゃん」

 君はお姉ちゃんの前にいるのだ。


梓「家の外に、物凄い数のカラスが――!」

憂「カラス? ……ちょっと見てくるね」

 梓ちゃんをお姉ちゃんと二人きりにする意味も兼ねて、私は一旦家の外へと出た。
 玄関の扉を後ろ手に閉めて、空を見上げる。

 カラス……。
 確かに不気味なまでに家の上空に犇いている。
 心当たりがあるとすれば、……傀儡か?
 いずれにしろこのまま蝟集させて置くのは第三者からの心象を損なう恐れがあるし、
 何より我が家の景観が損なわれる。
 連中を追い払う方法は無くもない。
 この間お姉ちゃんと二人で観た映画の、最後の最後で使われた飛びっきりの方法だ。

 静かに、けれど大きく息を吸い込んでから、私はその言霊を口にする。


憂「バルス!!」


 カラスはぴくりともしなかった。

 憂が外に出て行ったのを見計らって、私は切り出した。

梓「あの、唯先輩」

唯「なに?」

梓「さっきのは、その誤解なんですよ」

唯「……あずにゃんは、私より澪ちゃんが好きなんでしょ?」

梓「ち、違います、いや、澪先輩は澪先輩で好きですけど」

唯「ほらやっぱり」

梓「だけどそれは尊敬する先輩としてであって……、
  私が本当に好きなのは唯先輩なんです!」

唯「……」

梓「あの、だから……」

唯「……」

梓「唯先輩?」

唯「ふ、ふふ」

 先程まで剥れていた唯先輩の口元が、僅かにほころんだ。あれ? 笑ってらっしゃる。

唯「今のって、告白だよね?」

梓「あ……」

 その言葉の意味を理解した瞬間、急激に顔が熱を帯びた。耳の先まで熱くなる。
 私は咄嗟に俯いて、上気した頬を押し隠す。
 しかしそんな努力も、「えへへ」と嬉しそうに笑うこの人の前には意味を成さずに、

唯「私も好きだよぉ、あずにゃ~~ん!」

 蕩けそうなぬくもりと、鼻腔をくすぐる僅かな甘い香りに意識が混沌としていく。
 私はただその抱擁に身を委ねて、背中に触れる二つの柔らかな感触を堪能――ん? 背中?
 バカな。唯先輩は私の正面にいるんだから背中には誰も……。
 いや、約一名心当たりがあるけれどさ。だけどこういう時って空気読むじゃない?
 読むよね? み、いくら憂と言えど、私と唯先輩の、み、愛の抱擁を、
 耳、邪魔するなんて、くっ、耳を。

梓「耳を舐めるなーーーっ!!」

憂「真っ赤だったから冷ましてあげようと思って」

 逆効果だよちくしょう。

唯「あずにゃ~ん、うい~、ぎゅ~~っ!」

 効果覿面だよちくしょう。

 梓ちゃんを板ばさみにしてお姉ちゃんを愛撫した後、私は二人と共に食卓を囲んでいた。
 お姉ちゃんと梓ちゃんが配膳を手伝ってくれたおかげで、少しだけ楽ができた。
 後でご褒美ちゅっちゅをしなくてはなるまい。

唯「んまーい!」

 お味噌汁に手をつけたお姉ちゃんが開口一番、叫ぶ。

憂「もう、大袈裟だよお姉ちゃんは」

梓「ううん。私も普通に美味しいと思うよ」

憂「そうかなぁ? えへへ……」

唯「なんていうか、憂も所帯染みてきたよねぇ」

梓「先輩のせいでしょうに」

唯「えー、私だって家事手伝ってるもん」

 所帯染みてきた?
 それはつまり、言い換えると夫婦っぽいということであって、
 私とお姉ちゃんの関係が夫婦っぽいことだ。
 しかもその発言をしたのがお姉ちゃんであるという事実。
 これ即ち、愛の告白と受け取っても相違あるまい。

憂「不束者ですがよろしくお願いします」

唯「え?」
梓「え?」

憂「……え?」


梓「あー、えっと。……すみません、夕飯までご馳走になっちゃって」

唯「いいんだよー、気にしないで。ご飯は皆で食べた方が楽しいからね」

梓「憂もごめんね、突然押しかけちゃって」

憂「ううん、今日はちょっと作りすぎちゃったから。むしろ助かったよ」

梓「そっか、ありがと」

 梓ちゃんは嬉しそうにはにかんだ。

梓「あ、そういえば、結局カラスはどうなったの?」

憂「どうにも。そのうちいなくなるとは思うんだけど……」

 あれだけのカラスが、傀儡を要因として群れているのだとすれば……。
 紬さんの話も幾分信憑性を帯びてきたような気がする。

 そろそろ試してみるか。
 梓ちゃんも一緒になってしまったが問題は無い。愛でる対象が二人になっただけのことだ。

憂「ごちそうさま」

唯「今日は食べるの早いね?」

憂「うん、テスト勉強しなくちゃだしね。……お姉ちゃん、ご飯粒ついてるよ」

唯「え、どこ?」

 指で口の周りをぺたぺたと探すお姉ちゃん。
 取れるはずが無い。元々ご飯粒なんかついていないのだから。
 私はお姉ちゃんの正面にそっと這い寄って、その唇をぺろりと舐めた。

唯「わっ!?」

梓「なっ!?」

憂「えへへ、嘘でした」

唯「もー、憂ったらー!」

憂「食事終わったら教えてね。片付けは私がやるから」

 呆然とする梓ちゃんと、照れ笑いを浮かべるお姉ちゃんにそう告げて、
 私は自分の部屋へと向かった。

 さて、と。

憂「……効果、あるのかな」

 私はドールを手にとって、少し思い悩む。
 二人の前でこれを弄くりまわす訳にはいかない。そんなことをすれば即座にバレる。
 ならば、まずは階段の辺りから二人の会話だけで反応を窺ってみるとしよう。

 足音を立てないように、静かに階段へと向かう。
 しばらく進むと、二人が楽しそうにお喋りする声が聞こえてきた。
 距離的にはこの辺りで十分だろう。

憂「……」

 息を呑む。
 私は意を決して、ドールの胸部にそっと手を触れた。

唯「ひゃっ!?」

梓「唯先輩?」

唯「な、なんだろう。今の感じ……」

梓「どうかしたんですか? 突然胸押さえたりして」

唯「ううん、なんでもな――きゃあ!?」

梓「……?」


憂「……」

 すげえ。
 なにこれすげえ。
 オゥ、ファンタスティコ! 効果は抜群だ!

 味を占めた私は、間髪いれずにドールの至る所に舌を這わせる。


唯「っ!?」

梓「あ、あの、先輩?」

唯「なに、これえぇ……、ぁっ……」

梓「だ、大丈夫ですか!?」

唯「わ、わかんない……けど、ムズムズする」

梓「ムズムズって、どこが……って、ふぐぅ!?」


憂「……」

 ふぐぅ? なんだその呻き声。
 梓ちゃんの身に何が?
 気になるところだが、ここからじゃ二人の様子は見えない。
 思春期の中高生男子は、声だけでその状況の120%を妄想で再現できるという。
 凡庸な一端の女子高生でしかない私には、羨望の的たるスタンドだ。
 しかし、今この状況で無いもの強請りをしていても仕方が無い。
 虎穴に入らずんば、虎子を得ず。
 この場合の虎穴とは、二人にドールの存在がバレる危険性。
 そして虎子とは二人の(特にお姉ちゃんの)悶える様子だ。

 天秤にかけたところで、私の心は決まっていた。


 唯先輩が悶え出した。
 食事中に突然喘ぎ声をあげて、涙目で私に『ムズムズする』と訴えかけてきたかと思えば、
 今度は立ち上がって私から距離を置くように内股で歩き出したのだ。

 何を言っているのかわからないと思うけど、私にも何が起きているのかわからなかった。
 私は唯先輩とそんな淫靡な関係を望んでる訳じゃないけれど、
 しかしそれでもその一連の行動は、私の理性を跳ね飛ばすのに十分な破壊力を秘めていた。

梓「ゆ、唯先輩……」

 一歩、前進する。

唯「……」

 一歩、後退された。
 いや、なんで私を警戒するんですか。

梓「一体、どうしたって言うんですか?」

 一歩、近付く。

唯「わ、私、あっ、おかしくなっちゃったの、かな……」

 一歩、遠退かれる。
 ちくしょう。なんなんだこの状況。なんで私が悪いみたいになってるんだ。
 ていうかこれ以上喘がないでください。ああ、飛んでゆく。理性が。自制心が。

 素数だ、素数を数えるんだ。
 ここは……ほら、アレだ。
 使いたくは無かったが、アレを使ってこの場を収める他無い。

梓「……」

 私は自分のスクールバッグからごそごそとアレを取り出すと、頭にセットした。

梓「……ほ、ほら、唯先輩、大丈夫ですにゃん、あ、あずにゃんですにゃん……」

唯「!!」

 唯先輩の表情がぱぁっと明るくなった。
 こんな状況においても、ネコミミの効果は絶大らしい。

唯「あ、あずにゃぁぁぁ――きゃっ、ひゃ、あははは! 
  そ、そこはダメ! や、やめ、きゃはははは!」

 私の方に飛び込んでくるかと思いきや、
 唯先輩は走りながら大きく右に反れてそのまま床に転がって悶え始めた。

梓「……」

 なんなんだ。
 何がしたいだこの人は。
 まるで誰かにくすぐられているようなリアクションだけど。
 どう見ても唯先輩一人しかいない。
 小さく息をついてから、ふと視線を感じて階段の方に目をやると、憂がガン見していた。


梓「……憂?」

憂「え?」

梓「何してるの?」

憂「見てるだけだよ」

梓「……」

 怪しい。
 いつにも増して真摯な顔立ちになっているのが尚更怪しい。
 ていうかテスト勉強するんじゃなかったのか。

梓「なんで見てるだけなの?」

憂「そこはまぁ、いいじゃない」

 ちっとも良くないけど、それはあからさまに何かを隠しているリアクションだ。
 唯先輩に何かしたとすれば、憂しか考えられない……と思う。


梓「……そんなところにいないで、こっち来たら?」

憂「え? ダメだよ。私はお姉ちゃん一筋だもん」

梓「どこをどう曲解したらそうなるのよ」

憂「梓ちゃんがそこまでいうなら、私としてもやぶさかではないけど」

梓「私がやぶさかだよ。唯先輩一筋じゃないんかい」

 なんなんだ、その斜め上のポジティブシンキング。

梓「いいから、隠れてないでこっち来て」


憂「……」

 憂は顔を引っ込めて、階段を駆け上がっていった。
 はぁはぁ言いながら床に転がる唯先輩がさっきから気になってしかたないが、
 必死の思いで理性を奮い起こして、私は憂の後を追った。


 まずい。こんなに早く気付かれるとは思わなかった。
 猫を自称するだけのことはある。梓ちゃんを少々嘗めすぎた。実際、耳舐めたけど。
 とにかく部屋に逃げ込んでドールを隠さなくては。

梓「憂!」

憂「!」

梓「どうして逃げるの? ……唯先輩に何をしたの!?」

 鋭いなぁ。というか、階段上るの速いなぁ。
 本当に猫なんじゃないだろうかこの娘。

梓「止まって憂。今背中に隠してる物を見せて」

憂「……断ると言ったら?」

梓「実力行使」

憂「ふっ」

梓「ムカっ! なにその含み笑い!?」

憂「いいよ、かかっておいで」

梓「にゃっ、言ったなー!?」



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最終更新:2010年01月07日 20:26