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 頭に血を上らせた梓ちゃんは、まっすぐに私に向かってくる。
 私はそれを避けるでもなく、去なすでもなく、抱きしめるようにしてガッチリ固定した。
 これで彼女の動きは完全に封じた。蛇に睨まれた蛙だ。ペロペロしてやる。

梓「っ!?」

憂「ふふ。梓ちゃんたら直情的なんだから」

梓「く、なんて真っ直ぐな眼差し……、ホンモノだ、この子ッ!!」

 じたばたと抵抗を見せる梓ちゃんだが、執拗に絡ませた私の腕からは逃れられない。

梓「あ。その人形……、唯先輩にそっくり」

憂「……」

 攻防の最中、左手の自由を得るために、持っていたドールを胸元に挟み込んだのだから、
 必然的にそれは彼女の視界に入る。
 失念していた訳ではないし、
 ドールの存在をバラさないことが優先事項であることに変わりは無い。
 しかしサーモンピンクと百合色のグラデーションで構成された脳細胞は、
 最優先事項を『梓ちゃんペロペロ』で上書きしたのだ。

梓「ひにゃっ!? ちょ、やっ、待って憂ー!?」

憂「何?」

梓「ゆ、唯先輩に言いつけちゃうよ?」

憂「いいよ?」

梓「にゃぁぁっ!? 間髪いれずにほっぺた舐めるなーっ!!」

 にゃあにゃあ言いながらも、梓ちゃんは決して抵抗をやめることは無かった。
 尚も私に向けられる眼光は、まさしく獲物に狙いを定めたハンターそのもの。
 その視線に、私は言い知れぬ恍惚を覚える。

梓「……わかった」

憂「?」

梓「その、憂の気持ちはわかったから」

 梓ちゃんは薄紅色に頬を染めて、上目遣いに私を見据えた。
 抵抗の意思は折れたのか?
 ははぁん、なるほど。
 『初めてだから優しくしてね』と、そういうことか。
 ふふ、よろしい。ならば遠慮なくいただきま―――

梓「もらったぁ!」

憂「――ひゃあ!?」

 梓ちゃんはロックされた両腕を徐々に自分側に引き戻していたのだ。
 オーバーとも取れるリアクションは、それを悟られないようにするためのカモフラージュ。
 そして、手首を私の脇腹に届く範囲にまで引き戻したら、くすぐって束縛から逃れる。
 完全に意表を突かれた形となった。

 ドールが私の手から離れて、梓ちゃんがそれを掴む。
 掴み所がアレだったのか、
 二階からお姉ちゃんの『ぁん』という艶っぽい声がして激しく欲情した。
 しかしそれは私だけではなかったようで、梓ちゃんの動きも停止していた。

 立ち直りが早いのは、私だった。
 当然の結果だ。生まれてから今日までずっとお姉ちゃんの傍にいたのだから。
 その隙を突いて、ドールの上半身を右手で掴む。
 依然としてドールの下半身は梓ちゃんが掴んだまま――。

梓「っ!?」

憂「梓ちゃん、その手を離して」

梓「嫌だ。憂はこの人形で唯先輩に悪戯してるんだ!」

憂「何を言ってるの? そんな人形がある訳ないじゃない」

梓「嘘だよ。唯先輩はまるで誰かに身体を触られているような反応をしてた。
  それも、憂が食卓の席から離れてからずっと!」

憂「……」

梓「教えて憂。どうすれば唯先輩を元に戻せるの?」

憂「……」

 教える訳にはいかない。
 お姉ちゃんの喘ぐ姿を見られる。
 たったそれだけのことが、私にとっては何事にも変えがたい悦楽なのだから。
 それに、まだまだこのドールを使って試してみたいこともある。
 だから、ごめん梓ちゃん。それだけは、できないの。

梓「キスしてあげるから教えて」

憂「ドールから本物のお姉ちゃんの髪の毛を外せばもd――しまったぁぁっ!?」

梓「なるほど、これね」

 私の野望は潰えた。


 全く油断も隙もあったものじゃない。
 さっきまでの唯先輩の異常な行動は、全て憂の仕業だったわけだ。
 どうやらこの人形、一度結びつけた髪の毛を解いてしまうと、
 二度と効果は得られないらしい。
 実際試したところで、唯先輩は全く反応しなかった。
 そんな現実を目の当たりにした憂は、未だかつて見たことのないような暗澹とした表情で、
 死んだ魚みたいな目をしていた。
 適当な理由をこじつけて人形も私の物にしてもよかったのだけど、そんな顔を見せられては
 できる筈もなかった。

唯「カラス、居なくなってよかったね」

梓「そうですね」

 まだ居てくれたら、泊まる口実もできたのだが。
 居たら居たでそれは怖いものがあるし、所詮は鳥類だ。
 期待するだけ野暮ってものだろう。

梓「……それじゃ唯先輩、おやすみです」

唯「うん、また明日ね。あずにゃん」

梓「はい」

憂「……」

梓「……憂もまたね」

憂「……」

唯「あ。あずにゃん!」

梓「なんですか?」

唯「おやすみのちゅーは?」

梓「……、今夜は憂にしてあげてください」

 まるで、毎日おやすみのちゅーをしているような言い回しだが、断じてそんなことは無い。
 言ってみたかっただけの台詞である。

憂「!」

唯「?」

梓「それではまた」

唯「ばいばーい」

 少々惜しいことをした気もするが、憂にあそこまで悄然とされては夢見が悪い。
 無垢な笑顔で手を振る唯先輩に別れを告げて、私は一人帰路に就いた。

 来る時には堪能できなかった落ち葉の絨毯を、
 今度はくしゃりくしゃりと小気味良い音を鳴らして歩く。
 やがて、数枚の落ち葉がぱらぱらと、冷たい風にさらわれて南の空に消えていった。
 宙に舞うそれらを目で追うと、そこには冬の大三角と呼ばれる星々が煌いていた。


梓「(あそこが天の川……だっけ)」

 しばし見惚れる。
 一年に一度しか逢えない辛さと、いつか必ず来る別れの辛さ。
 本当に辛いのはどっちだろうか?
 例え望んでいなくても、時間は誰にでも平等に訪れる。
 私達はいつまで一緒にいられるんだろう?

梓「(らしくないこと、考えてるなぁ……)」

 白い吐息を闇夜に広げて、私は止めていた歩みを再び進める。
 寒空の下、月はまるで私を導くかのように、その行く先を明るく照らしていた。


 寒い。冬の朝は寒いものだけど、今日はいつにも増して寒い。
 羽毛布団を頭まで被り直して丸くなる。
 こんな日は、お姉ちゃんの布団に潜り込んで暖をとる振りをしつつ、ぎゅっと抱きしめて摩
 擦で火がつく程頬擦りしたい。
 ……したいのは山々なんだけど、私の体内時計がそれは無理だと告げていた。
 そろそろ起床しなくてはいけない時間だから、と。

『………………』

 布団の外から気配がする。
 私の良く知る、私の大好きな人の気配が。

『…………』

憂「お姉ちゃん!?」

 がばっと、勢い良く跳ね起きた。
 しかし、お姉ちゃんの姿はどこにも見当たらない。

憂「あ、あれ……?」

『………………』

 まただ。
 確かに気配はある。
 お姉ちゃんの為なら、喜び勇んで尻からコキュートスにダイブする私だからこそ感じること
 のできる、お姉ちゃんの気配。 私はきょろきょろと、周囲を見回す。

憂「ど、どこにいるの、お姉ちゃん?」

 くいっと、パジャマの袖を引っ張られた。

憂「え……?」

 自分の腕の先を目で追う。
 そこに居たのは、昨日傀儡としての役割を終えたドールの姿……って、
 あれ、こんなに等身低かったっけこの人形?
 ドールは私と目が合うと、腰に手を当てて、リスみたいにぷくぅと頬を膨らませた。
 まだ眠い目を擦って、二度見する。
 小さな身体を精一杯使って、「今私不機嫌なんです」とアピールするその姿は、お姉ちゃん
 の容姿も伴って犯罪級の可愛らしさなのだが。
 しかし、理解が追いつかない。

憂「え、ええ……?」

 ドールは地団太を踏んでいた。なんで怒ってるの、この子?
 いや、それ以前に……。

憂「……なんで動いてるの?」

 直球を投げかけた。

『…………』

 その問いに、ドールは必死に何かを訴えようと私の瞳を見つめる。

憂「……」

 なにせ外見はデフォルメされたお姉ちゃんなのだ。
 そんな生き物にじっと見つめられたら、私の理性が耐えれるはずも無い。

憂「可愛いぃぃぃぃぃぃっ!!」

『!?』

 とはいえ、相手は小さな人形。
 何が出来るわけでもなく、とりあえず思いっきり抱きしめた。
 無駄に高まった色欲は、後にお姉ちゃんか梓ちゃんで発散させていただくとしよう。


 私は着替えを終えてキッチンに居た。
 ドールにはそのままベッドに居てもらおうかと思ったのだけれど、
 私が何処かへ行ってしまうとわかると、ベッドから転げ落ちてまで、
 必死に追い縋ってきた。
 そんな行動をとられて放っておける程、私は冷徹な人間ではないのだ。
 相変わらず、動いていることには納得がいかないが、しかしこの子を見ていると、
 そんな些細なことはどうでもいいとさえ思えるようになっていた。

『……』

 ドールが不思議そうな顔で私を覗き込む。
 まるで、何をしてるの? とでも訊きたそうな表情だ。

憂「朝食を作ってるんだよ」

 私が答えると、ドールはこてん、と小首を傾げた。
 そう簡単に意思疎通できれば世話は無い。

憂「……お姉ちゃん、今日は食べてくれるといいなぁ」

 今度は完全な独白となる。
 私としては毎日一緒に食べたい所なのだけど、如何せんお姉ちゃんは朝に弱い。
 起きるのがギリギリになれば、当然食べる暇が無い。
 そんな理由で、折角二人分作っても食べてくれない日がままあるのだ。


『……』

 ドールは、そんな私を心配そうに見つめて、やがて、ぽん、と両手を叩いた。
 そして、腕伝いに私の肩に飛び乗ると、大きく右手を挙げる。

憂「え? ……起こしにいけってこと?」

『……』

 力強く二回頷くドール。
 確かに私はお姉ちゃんと一緒の朝食を望んではいるが、しかし幸せそうに眠るお姉ちゃんを
 起こすという行為には良心の呵責が伴う。
 早い話、ギリギリまで寝かせてあげたいという気持ちが勝ってしまうのだ。
 私が思い悩んでいると、ドールは薄い胸を張って、ふふん、と息を吐いた。
 どうやら、私に任せろ、ということらしい。
 私の意志を確認する間もなく、ドールは肩からぴょん、と飛び降りて、
 リビングの方へ走っていってしまった。

憂「……」

 ああ、なんて愛らしい……。
 よし、落ち着け私。まて、落ち着けと言っているだろう私。
 目頭を押さえて首を横に振る。
 人形に欲情するなバカやろう。理性を、あらん限りの理性を奮い起こせ。

 私はまな板に頭突きした。

憂「ふぅ……」

 ……あれ? そういえばあの子階段上れるのか?

憂「……」

 気になって追いかけてみると、ドールは案の定、階段の前で膝を抱えていた。

憂「上れなかったのね」

『……』

 泣きそうである。

憂「全く、しょうがないなぁ……」

 手を差し出すと、今度は一転して華が咲いたような笑顔を向けてくる。
 全くもって表情が豊かなことだ。
 私は手から肩へとドールを移して、お姉ちゃんの部屋へと向かった。

 扉を開けば、鼻腔を微かに擽る女の子の香り。
 お姉ちゃんの部屋。通称エデンの園。
 私はここに足を踏み入れる度、痴情に溺れた下劣な心と死闘を繰り広げるハメになるのだ
 が、その戦績はイマイチ揮わない。
 今年に入って23勝1274敗。 桁多!? とか思うなかれ。
 もうすぐ師走の半ばであることを踏まえれば、四桁は妥当である。

憂「お姉ちゃん、そろそろ起きないと遅刻だよ?」

唯「ん……うぅ……」

 私が起こすの! と目で訴えてくるドールを、お姉ちゃんの枕元にそっと降ろす。

唯「んぅ……、ダメだよぅ……あずにゃぁん」

憂「!」

 バカな。お姉ちゃんが夢の中で梓ちゃんとキャッキャうふふだと……?
 なんて羨ましい……、くそ、どうすれば……どうすれば私はその世界へ赴ける?
 割りと本気で考えていると、ドールがお姉ちゃんのほっぺたでぷにぷにと遊び始めた。

唯「あぅ、あずにゃ、うにゅうにゅうぅぅ……、んあ、……?」

『……』


『……』

唯「……どちらさま!?」

 がばっと飛び起きるお姉ちゃん。
 私とリアクションが似てる辺り、さすがは姉妹だと痛感する。
 それにしても、今日も見事な寝癖だ。

唯「ち、ちっちゃい、私!!」

 ドールを指差して、お姉ちゃんが叫んだ。
 一方のドールはその声に驚いて、尻餅をついていた。
 あぁ、二人とも可愛いなぁ……。

唯「……」

『……』

唯「ちっちゃくてかわいい……」

 そう呟いて、お姉ちゃんはドールを抱きしめた。
 考えてみれば、さっきの私の行動と大差ないのだが、しかし自分をそのまま小さくデフォル
 メしたようなドールに対して、平気で『かわいい』とかのたまう辺り、
 やっぱりお姉ちゃんは偉大だと思う。
 そんな光景を見せられたら、今宵夜這いを仕掛けるか、
 或いは、今宵夜這いを仕掛けるか位しか私には術が無い。 

憂「おはよう、お姉ちゃん」

唯「あ、憂。おはよー」

憂「ご飯できてるよ」

唯「うん。ところでこの子誰?」

憂「えーと……食べながら説明するよ」

 着替えを済ませてリビングに下りてきたお姉ちゃんと、三人で朝食をとる。
 ドールは何も食べないだろうと思っていたが、
 お姉ちゃんが玉子焼きを小さく切り分けて差し出すと、もしゃもしゃと頬張っていた。
 どこまでも人間らしい人形だ。

唯「ふーん、ムギちゃんの会社の人が作ったんだ?」

憂「う、うん……」

 まさかこれまでの経緯を偽り無く説明するわけにもいかず、
 『昨日紬さんからもらった人形が、朝起きたら勝手に動き出した』
 と、お姉ちゃんには、要所要所を端折って説明した。

唯「凄いね。良く出来てる……」

 じっと見つめるお姉ちゃんに対して、きょとんとした表情で見つめ返すドール。
 お姉ちゃんが、『良い子良い子』と優しく微笑みかけて、
 指先でそっと頭を撫でると、ドールはくすぐったそうに目を細めた。

唯「ねえ憂。私のがあるってことは、他のみんなの人形もあるのかな?」

 期待の眼差しを向けられる。
 嘘で塗り固めた心の壁を溶かすような純真な瞳。
 常人が同じ状況に置かれたら、眩しすぎて直視できないことだろう。

 しかしそこをあえてガン見するのが、お姉ちゃんフリークとしての嗜みだ。

憂「無いんじゃないかな。そこまで精巧に作るのは簡単なことじゃないだろうし……」

 ガン見はできたが、嘘を重ねることはできなかった。
 このドールは傀儡実験の為に試験的に作られたのだ。
 お姉ちゃんをモデルにしているのは、最も紬さんに近しい存在(変態的な意味で)である私
 の嗜好に合わたため。
 だから作られたのは、お姉ちゃんの人形、ただ一体となる。

唯「そっかぁ……。残念だね、お友達が増えたかもしれないのに」

 お姉ちゃんの言葉は、やっぱりこの子には通じていないのだろう。
 ドールは、ただクエスチョンマークを浮かべながら、
 テーブルの上でお姉ちゃんの制服の袖を握り締めていた。

唯「でも大丈夫、君は独りじゃないからね」

 今日から私と憂が君の家族だよ、と付け加えてお姉ちゃんは笑った。
 その意図が通じたのか、ドールも嬉しそうに笑った。
 そんな二人につられて、気付けば私も笑っていた。

唯「ねえ、憂。この子、名前はつけてないの?」

憂「うん、まだだけど……。折角だから、お姉ちゃんが決めてよ」

唯「うーん、でもこの子私だしなぁ……」

 腕を組んで唸るお姉ちゃん。そんな姿が一際可愛い。

唯「……よし、じゃあ、君の名前は『ゆい』だ!」

憂「そ、そのままだー……」

唯「ちがうよー、この子は平仮名で『ゆい』。私は漢字だもん!」

 細かいことにこだわるお姉ちゃん。そんな姿が一際可愛い。

憂「なるほど、さすがお姉ちゃん」

唯「えへへ。ゆい、これからよろしくね」

 お姉ちゃんが握手代わりに指を差し出すと、
 ゆいは嬉しそうに身体全体を使ってその指に飛びついた。


唯「なんか、自分の名前を呼ぶのって変な感じ」

憂「ふふ、だったら変える?」

唯「いいの! この子はゆいなの!」

憂「はいはい、わかりましたよ」

唯「ねえ、ういー、この子、学校連れてくの?」

憂「う~ん、一人でお留守番っていうのも可哀想だよね……」

 学校であまり騒ぎになるのは好ましくないのだが。
 しかしこの子はきっとついて来るだろうし、放っては置けない。
 この辺は私の性分なんだろうか。

憂「学校では大人しくしてるんだよ、ゆい?」

『……』

 そして私の言葉に、ゆいはやっぱり小首を傾げたのだった。


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最終更新:2010年01月07日 20:51