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「もう少し真面目にやれよな」

不真面目だと言われてきた。
先生たる私が、生徒にまでこんなことを言われる有様。
とは言え、生来の気質なのだからどうにもこうにも。
どうせ不真面目なら、もっとおちゃらけたほうが潔いというもの。

「真面目な顧問シリーズ第一弾、野球部の顧問!」

放課後の音楽室に私の声が響き、カチューシャをした軽音楽部長はにやりと笑う。
ティーカップを持っていたブロンドのおいらかな女の子(彼女は何故か音楽室に茶器を一式持ち込んでいた)
は、期待を込めた視線でチラチラとこちらを見ている。
少し癖のついた髪の毛の、ヘアピンをした女の子(彼女はどうにも抜けたところがあり、手を焼くとあの娘がぼやいていた)
は、手を口に当て、わざとらしく咳払いをした。
残りの二人の黒髪は、ため息をついて顔を見合わせていた。

「平沢ァッ、おまっ、やる気あるんか!やる気無いなら帰れ!」

私が太い声で怒鳴りつけると、ヘアピンの女の子はくぐもった声で言った。

「ウッス、スイマセンっす!自分帰らせて頂くっス!」

カチューシャの女の子が一言、

「本当に帰るんかい!」

二人が顔を見合わせて噴出し、私とブロンドの娘はそれを眺めてクスクスと笑う。
黒髪の娘達も、苦笑いをしながらも楽しそうだ。
やはり、不真面目も貫き通すことが大事だ。
この娘たちの青春の一ページ―――小っ恥ずかしい言い方だが―――その中に、私の名前が残ればいいな。


「そんじゃあな、さわちゃん、仕事くらいは真面目にやれよな」

「余計なお世話よ」

カチューシャの女の子が減らず口を叩いて出て行くと、音楽室は空っぽになった。
私の頭も一度空っぽにして、野球部の顧問を追い出し、代わりに招き入れたのはバッハ。
いや、あの娘は、音楽にはあまり詳しくなかったかもしれない。
じゃあ、ドストエフスキーでも入れていこう。
しばらくして、頭の中でラスコーリニコフが苦悩しだした頃に、私は音楽室を出た。

あの娘の青春の本は、随分と重たいらしい。何度通っても、ページが開ける気配はない。
その上、もし開いたとしても、その紙は私のインクを弾いてしまうかもしれない。
生徒会室の扉を開けると、私とは違った短髪の、しかし、私と同じように眼鏡をかけた女の子がいた。

「どうしたんですか、先生。講堂の使用許可申請書は、珍しく提出されてますけど」

そう言って、その娘はくつくつと笑った。
色気も何も無い短髪から覗く首筋は、妙に色っぽい。

「どうって……えっと、文化祭のライブの衣装、これでいいかなって」

私がしどろもどろに言うと、その娘は眼鏡の奥で目を細めた。
苦笑。

「私じゃなくて、澪にでも聞いたほうが良いのでは?」

つれない。恥ずかしがるでもなく、興味を示すでもなく、淡々と意見を述べてくる。
どうにも面白くない。

「そうじゃなくてね、こう、公序良俗に反してないかをね……ね?」

言葉が続かなくなり、私が首を傾げると、その娘は可笑しそうに笑う。
私が手にしているヒラヒラした服を指さして言った。

「このひらひら、演奏するときに邪魔になりませんか。というか、女中さんの服なんですね」

ひらひらじゃなくてフリル。女中さんじゃなくて、メイドさん。
なんとも可笑しな言葉遣いで、口を尖らせたくなるが、私の視線は彼女の手に注がれた。
ひらひら、と言う時に、同時にひらひらと振られた手。

「えっと、どうしたんですか」

その娘は訝しげに自分の手を眺めて、言った。

「何か付いていますか?」

間髪入れずに、私は、その娘に向かって、

「いえ、可愛いなと思ってね」

口を滑らせた。
私は、当然訪れるだろう沈黙に備えて身構えた。

「ありがとうございます」

私の警戒は杞憂に終わった。
けれど、少しはにかんだ彼女の笑顔は、私の心を揺さぶった。

どんなにしっかりしていても、彼女は、年相応の女の子だった。
その笑顔は、彼女が高校生の少女であることを如実に物語っていた。
それなら、と私は思った。

「ねえ、和ちゃん」

私は彼女の名前を呼んだ。
彼女は可愛らしく首を傾けた。

「今度、遊びにいきましょう、一緒に。スプラッタ映画でも見ましょう」

彼女は苦笑いをして、けれど、大きく頷いた。

「ええ、楽しみにしておきます」

私はようやく、不真面目に一歩を踏み出した。
やはり、不真面目も貫き通すのが大事だ。

「和ちゃんは融通が利かないよね」

最近、幼馴染にこんなことを言われた。
とは言え、そうしたほうがずっと生きやすいのだから、仕方ない。
けれど、少し憧れることもある。
みんなと、大声で笑って地べたを転げまわってみたいと思う。
私はいつも、それを止める役、だった。

「スプラッタ映画でも見ましょう」

私は止めなかった。
今更、不真面目な側に回りたいと思うのは、我侭だろうか。
けれども、少し、自分の知らないところに手を伸ばしたい。
さわ子先生は、大人で、少し不真面目で、けれどみんなに慕われている、私の知らないものの塊だった。

その日、私は少し崩した、カジュアルな服を着てみた。
ドレスシャツの胸元を大きく開いて、その上にジャケットを羽織った。
下には色気も何も無いただの長いズボン。

「これは……不真面目というよりはボーイッシュ。胸元は……露出狂みたいだわ」

鏡の前で一人呟く。鏡の前で喋ると、どうにも妙な感じがする。
目の前の自分は、声を出さずに口だけ動かす。
それをずっと見ていたいが、そうするためには自分が喋らねばならず、そのためにどうにも集中できない。
数秒鏡を、それも鏡に写った自分の口を見つめて、首を振り、シャツの胸元のボタンを閉じて、家を出た。

待ち合わせの時刻は十一時。
身だしなみを整えるのに十分で、それでいて、遅いわけでもない。
少なくとも、私はそう思っている時間。
偶然だろうが、さわ子先生がその時間を指定してきて、私は少々驚いた。


時計の針が十一時を指す。
時間ぴったりに着いた私は、「五分前集合」の信条を破ったことと、
もしかしたらさわ子先生が待ちわびているかもしれないという期待から、わくわくして辺りを見渡した。

「……来てない」

つい口に出す。負けた。なんとなくそう思った。
五分間腕を組んで待っていると、急ぐ様子も見せずにさわ子先生が現れた。
ハイヒールに、体型が強調されるシャツ、腰の膨らみが映えるスカート。
なんとも女性らしい服装である。

「私の時計は五分遅れているの」

私が何も尋ねないうちにそう言うってことは、途中でもう気づいてたんですね。
いいです、それなら私も、もっと不真面目になりましょう。
先生に気づかれないよう、俯き加減ににやりと笑った。

「先生、行きましょう」

そう言って、私は強引に先生の手を引いて、早足で映画館へ向かった。
先生がハイヒールだろうとお構いなし。
相手のことは気にかけない、中々不真面目、というか悪である。

「ちょっと、和ちゃん、もう着いたから、ここだから」

先生が息も絶え絶えに私に言った。
走ったせいか、顔が真っ赤になっている。
私も肩で息をしている有様だ。

「あら、そうですね。それじゃ、チケットを買いましょうか」

事もなげに言い放つ私。中々不真面目、というかクールだ。
しかし、顔は上気し、肩は上下しているのだから、どうにも格好がつかない。

「ちょっと私は疲れたわ。和ちゃん、私の分も買ってきてくれる」

軽く頷いて、私は列に並んだ。今日見る映画は……怪奇、脳みそ丸出し男。
外れ映画臭が私の鼻腔を強烈に突いたので、私はこっそり他の映画のチケットを買った。
さわ子先生の落胆する顔を思い浮かべて、にんまりとする。

「で、何の映画にしたの?」

チケットを買うと、さわ子先生が楽しそうに訊いてきた。
思わず、えっ、と間抜けな声を出した。

「流石にあんなハズレっぽい映画のチケットは買わないでしょ……もしかして買ったの?」

さわ子先生が眉をひそめたので、私は渋々首を横に振った。
また負けた。私がおずおずと紙切れを差し出すと、先生は、まだかすかに赤い顔で、俯いた。

「恋愛映画は……あんまり私たちに似合わないと思うなあ」

さわ子先生がそう言うのを聞いて、私は思わず、勝ち誇り、言った。

「ふふん、そうでしょう。私の勝ちですね」

しばらく沈黙した後、先生は吹き出して、拗ねたように言った。

「私たちっていうのは、あなたも含まれてるのよ」

「あら、心外ですね」

驚いたように声を上げて、呆れた風に顔を振り、さわ子先生は、

「私も心外よ。今だって、こんなに素敵な男の子とデートしてるのに」

と言った。私には真似出来ない、ちょっとばかりの皮肉と、十分な―――少なくとも、私を赤面させるには―――賛辞を含んだ言葉。
私は、その言葉の核が、彼女の唇にあるかのように、そこを凝視した。

「あの、なにかしら和ちゃん?」

おずおずとさわ子先生が尋ねる。
私は目をそらして、顔を仰いで早口に言った。

「私、女です」

「分かってるわよ」

先生は眉をハの字にして、くすりと笑った。


映画館のライトが落ちた。
先生は隣で、先程からしきりにポップコーンを頬張っている。

「太りますよ」

ぼそりと私がそう言うと、それから先生はポップコーンに手を伸ばさなかった。
映画は至極安っぽい筋書きだった。
普通の女の子が、普通の男の子に恋をする。
安っぽい恋をする。この人が好きなのだのなんだのと、結局は性欲に過ぎない。
少なくとも私にはそうとしか思われない恋をする。

私の隣でさわ子先生は真面目に映画に魅入っていた。
スクリーンの明かりに照らされた横顔は綺麗だった。


「くだらない話でしたねえ」

映画が終わり、さわ子先生が奢ってくれるからと立ち寄った喫茶店で、私たちは映画について意見を交わした。
向かいあって座るさわ子先生が、コーヒーを啜って、苦笑する。

「どこをそう思ったのかしら?」

「性欲を美談に仕立て上げているところ、でしょうか」

映画館の中でずっと考えていたことだ。
苦も無く口から言葉が出てきた。

「辛辣ねえ。だけど、恋なんてそれ以外の何者でもないんじゃないの?」

さわ子先生とは違い、私は砂糖を多く入れて、しかし、先生と同じように人差し指と親指でカップを持ってコーヒーを飲む。
そして、私は真面目に言った。

「違いますよ。恋は、相手の長所―――優しさとか、思慮深さとか、そういう精神的なものです―――
 を思い慕うものです。私はそう思っています」

「さっきの映画もそんな話だったじゃない」

「違いますよ。あれは、互いの若さに恋していただけです。
 要は、互いの体が好きだっただけですよ」

「脳みそに精子がつまってるってことねえ」

さわ子先生の台詞に、私の思考が一瞬停止する。
そして、そういえば今日は先生の不真面目さを見習おうと思っていたのだと思いだした。

「えっと……」

しかし流石に、今の発言には対応できずに、私は自分の顔が赤くなるのを感じた。
さわ子先生がくつくつと笑っていた。

「ふふ、ごめんなさい。やっぱり真面目ね、和ちゃんは」

私が言い返そうとすると、さわ子先生は人差し指を口の前で立てた。
いわゆる、しーっ、というポーズ。

「私もね、恋は肉体的なものじゃないと思うわ。
 もっとずっと、眼に見えない様な何かに対して抱く感情だと思う」

突然、私はまたさわ子先生の唇に視線が吸い寄せられるのを感じた。

「そうね、仰々しい言い方をすれば、精神的卓越性とか……そんなところかしらね。
 とにかく、相手の精神に対する敬意みたいなもんだと私は思うわ」

ああ、これは、鏡の前で感じたのと同じ、おかしな感覚だ。
私以外の誰かが、私と同じことを考えている、喋っている。

さわ子先生は、ほんのりと顔を赤らめて続けた。

「そういう点から言うと、私はその……和ちゃんは私と違って真面目だから、そういう所に……」

私はその口の動きをずっと見ていたいと思う。
けれど、そういう訳にはいかないから、私は……


「……なによ」

さわ子先生の口元に手を伸ばし、人差し指を当てた。
しーっ、と小さく呟いた。
さわ子先生は、不満げにそう言うと、店の外に目をやって、それから席を立った。

「帰りましょうか、先生」

私がそう言うと、先生は肩を落として私の後に続いた。

喫茶店から駅まで、先生は終始無言だった。
ちらりと振り返ると、偶然か、それともそれ以外か、毎回目が合い、さわ子先生が逸らす、ということが続いた。
困ったことに、その間も、私は彼女の口が気になって仕方がなかった。

「先生」

駅まで数百メートルとなったところで、私は振り返った。
先生は立ち止まって、私の顔を見つめた。

「なにかしら」

「私、先生のこと尊敬しています。先生の、不真面目なところ」

「嫌味?」

先生が笑った。

「違いますよ。先生は、私と違って不真面目で、それなのにみんなに慕われる、不思議な人です」

先生は、何事かというように小さく首をかしげた。
数秒後、その顔は直ぐに赤くなった。私の口を見つめたまま。

「敬意を表します、あなたの……精神的卓越性に」

さわ子先生は赤くなった顔を地面に向けて、消えそうな声で言った。

「うん、私も」

「じゃあ、待っていてください。私がもっとずっと真面目になるまで」

そう言うと、さわ子先生は顔を上げて、無邪気に笑った。

「明日までなら待ってるわ。けれど、私もずっと不真面目になるから、もしかしたら待ち合わせに遅れるかもしれない」

それから私のほうへ近づいて、人差し指を私の口の前で立てた。

「だから、あなたも待っていて?」

真っ赤になった顔を傾けて、私の顔を覗き込む彼女はとても美しかった。
私は、その瞬間が最高のものになるように、ただその一瞬だけを切り取るために、短く答えた。

「ええ」

最後まで、真面目にいこうと思った。
無理に不真面目にならなくたって、彼女は私の傍にいてくれるのだから。


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和「以上です」

紬「わかったわ!この、二人共常識人っぽい感じが和さわなのね!
  同性愛は駄目……でも感じちゃうッてことね!?」

和「あなたの思うとおりで良いわもう」

紬「やったぜ」

和「はいじゃあ質問がある人」

姫子「はい」

和「姫子さん、どうぞ」

姫子「鏡の表現が多々出てきますが、これはつまり相手と自分の心が合致するということですね。
   つまり、唇を見つめている間、真鍋さんは、『さわ子先生のことが手に取るように分かる……でも恥ずかしい』って」

和「やめて。ちょっとまじでやめて」

紬「続けて!お願い姫子ちゃん続けて!」

姫子「やめるわ」

紬「立花アァァァァァァァッ!?」

和「そういう、人の駄洒落を解説するみたいな行為はよくないわ。駄目、絶対」

唯「はい」

和「お、平沢か。やっと真面目に授業受ける気になったか、まあ、もう三年生だからな」

唯「なんだそのノリ」

和「ほら質問してこいよ、どうしたオラびびってんのか?」

唯「面倒臭いよ。和ちゃんはさわちゃんのこと好きなの?」

和「も……もう、唯ったら大胆」

唯「面倒臭いってば。さわちゃん、和ちゃんの頭撫でて」

さわ子「はいよ」

和「んっ、あっ……さわ子せんせえ……」

さわ子「ちょっ、なにこれ凄く可愛い」

紬「エロいわ!唯ちゃんやりっちゃんにはないエロさね!」

唯「そっか、好きなんだね。そう言えばりっちゃん達は?」

紬「音楽室に行ったわよ」

唯「田井中アァァァァァァァ……」


姫子「はい次行きましょう、次」

唯「なんだよ、ノリノリだよこの人」

和「はい……先生がタイトルコールして……?」

さわ子「やばい。これは可愛い」

和「駄目、ですか?」

さわ子「よっしゃ。"唯『くやしいなあ』"」

和「じゃあ、行ってみましょう」

唯「おい、ちょっと待てよ」

紬「唯ちゃん……いい加減にしてくれる?」

唯「え、私が悪いの。なんか和さわなのに私の名前が出てきたよ。なのに私が悪いの」

姫子「我侭言わないの!」

唯「畜生、孤立無援、四面楚歌だよ」

和「あら、難しい言葉知ってるのね。えらいえらい」

唯「んっ……頭撫でられても誤魔化されないよ」

和「内容は健全な和さわだから安心して」

唯「……分かったよ」

和「じゃあ、行きます」


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最終更新:2010年11月04日 00:01