そして、こうなった時の澪は口調も軽く、次から次へと話し掛けて来る。
話題は、明日のムギとのデートの事だ。

独りで話しては、独りで盛上がる澪のパターン。
私は、帰り道、それと気付かれない作り笑いを浮かべ、相づちを打つだけだった。


日曜日。
この日がやってきた。

主役でもない私は、朝の7時に目を覚ました。
やけに目覚めはハッキリとしているが、身体は重い。

たった3日間で、私は1学期分は歳を取ったかもしれない。

気付けに頬を何度か叩いて、声を出す。
少しは身体に力がみなぎる気がした。


閑話休題。


初めは澪の後を付けて行こうかなんて考えたけれど、それは野暮ってもんだ。
いくら長い付き合いでも、侵してはならない領域がある。

それに気付いた私は、今日一日、家で大人しくしている事にした。

8時、9時、時計の針が進むごとに、何故か私が緊張する。
予定の10時を迎える時には、意味も無く携帯を強く握り締めていた。


そして10時を過ぎて20分程した時に、澪からのメールが届いた。
私は慌てて内容を確認した。


『ムギと合流、移動中~。やっぱ私服のムギ可愛過ぎ!!』


ご丁寧に絵文字で装飾されたメールを見て、私は胸を撫で下ろした。
とにもかくにも、デートは始まったのだ。

それでも、能天気な澪に、釘を刺すように私は

『デート中にメールばっかするんじゃないぞ』

と送り返した。


私の返信の後、澪はプランの切り替わりの時にだけ、報告のメールを送って来た。


まずは昼食だ。


『律の選んだそば屋、正解だった。ムギ喜んでる~。
 そば湯を飲むのが夢だったって~~。』


さすがに私は笑った。
実にムギらしい。

と同時に、まずまず雰囲気が良さそうなのも確認出来た。
このまま上手く事が運んでくれれば………。


ひとまず携帯をベッドに置いて、私も昼食を取る事にした。



昼食を終えて部屋に戻ると、私はメールが届いていないかと携帯を見る。
着信は無かった。

昼食の後の次の予定は『桜ヶ丘水族館』だ。

まあ、ここはそこそこ時間が掛かるし、しばらくは何もないかとベッドに腰掛けると、私は携帯を枕元に置いた。


律「ねむい」


順調な現状に安堵したせいだろう、途端に眠気が襲って来た。
考える間もなく枕に頭を預けると、寝まいとする心より睡魔が勝って私は目を閉じる。

そしてそのまま、私は眠りに就いた。
僅かばかりの自責の念に駆られながら……。

がばっと大きく身を起こして私が起きた時、時間はもう5時だった。

この分だと『水族館』はもとより、次の『デパート巡り』も終えて
『ゲーセン』の時間だ。

『駄菓子屋』は無いが、『ゲーセン』なら良いだろうと思って組み込んだ。
やってなかったゲームもあったし。

はてさて、考えるのも良いが、私は手早く携帯を確認した。

着信メールは3件だった。
記念写真という事で撮ったのだろう、最初のメールは画像付きだった。


『マンボウの前で、ムギマンボウ。カワイイ(笑)』

『りつ~、ムギが屋上の子供用のおもちゃに乗りたがるんだよ……
 さすがに恥ずかしいぞ……』

『りつ~、何か、ありがとな~。ウマくいくかも……』


律「楽しそうにしやがって、こいつ~」


順調過ぎる成り行きに、思わず苦笑いの私は、
『浮かれて最後にコケるんじゃないぞ!!』とだけメールを返した。


『ゲーセン』の時間も、私は2人を想像の中でしか描けないが
恐らくは何の滞りも無く進んでいる事だろう。

さて、今日の締めくくり、桜ヶ丘会館で行われるライブは午後7時からだ。
そこそこ名の通ったメジャーバンドのワンマンライブで、
当日券が手に入ったのは本当に偶然だった。

いや、2人の仲を取り持つ『必然』だったのかもしれない。


そんな事を考えてセンチメンタルでも感じたのか、
私は、そっと窓に目を向けると、雨の降り始めに気付いた。


律「そういや台風近付いてるんだっけ。」


私は、窓の鍵の締まっているのを確認すると、カーテンを閉めた。
今はただ静かに、雨と風が、窓を揺り動かし始めていた……。


午後7時。
予定通りならライブの開演だ。

澪達はちゃんと入場出来ただろうか。
急ごしらえで取ったチケットに、要らぬ心配をしてしまう程、私は落ち着かなかった。

いや、落ち着かない理由はそれだけじゃない。


律「この曲、リズムせわしなさ過ぎっ」


気持ちを落ち着けるのと、少しでも澪達と関わりを持とうと思い掛けていた、
今日出演するバンドのCDが、逆効果だったようだ。

私はものの10分でCDを止めて、それをCDケースに戻すと、
こういう時は、逆に受験勉強でもして、気を紛らわせるのが一番なんて、
普段の私からは、想像も付かない衝動に駆られていた。

『どうかしてるな。』と口元を緩めると、私は机の椅子に腰掛けた。


机に向かってから1時間、つまり開演してから1時間。
雨音と風音は、次第に強くなっていた。

それが無性に耳について、今まで珍しくはかどっていた受験勉強への意欲を遮る。

シャーペンのノートを滑る音が、無意識に耳に入る位、
部屋が静か過ぎるのもあったのだろう。

私は、その張り詰めた空気に耐えきれなくなって、シャーペンを放り出すと、
椅子の背もたれに背中を預けた。

律「まだ半分くらいかなぁ」

そのままの状態で、大きく伸びをすると、
ふいに床に転がっていたドラムスティックを手に取り、参考書をドラムに見立てて
ダブルストロークの練習を始める。

こういう時は、切り替えの早い私らしく、既に受験勉強なんて
どこ吹く風といった塩梅で、スティックに集中していた。

律「まだちょっと甘いなぁ。梓に怒られるぞ、こりゃ」

その勢いで、新曲のリズムに納得いかなかった事を思い出した私は、
とうとう机を離れて、本格的にドラムパッドを敷いて練習を始めたのだった。


午後9時。
アンコールの最中ぐらいだろうか。

まだドラムスティックを握り締めていた私は、
ここで始めてスティックから手を離すと、枕元の携帯を手に取った。

メールが届いてないかと、問い合わせをするが、もちろん着信は無い。

律「みお~、まだかぁ?」

意味も無く携帯を揺すると、ふいにお腹の虫が鳴る。
そう言えば、晩ご飯も食べてなかったっけ………。

なるほど、切り替えが早い私は、携帯を持って立ち上がると、
早速キッチンに向かうべく、部屋を出た。

家人の話では、ここ数日の私の様子がおかしい事には、とっくに気付いていて、
ならば、そっとしておこうと、夕食時になっても呼ばなかった、との事だった。

確かに、ありがたいんだけど、そこまで放っとかれると、少し淋しい気もした。

まだ台所で洗い物をしていた母と、二言三言会話を交わすと、
私は晩ご飯だったカレーを温め直して頬張る。

まるで私の居た部屋とは別世界のように、母の食器を洗う音、父の見るテレビの音、
漫画に没頭している聡の、時折聞こえる笑い声………。


私だけが、非現実と現実の境に、切り取られたような存在に感じられた。


家を揺する雨風の音は確実に増している。
暴風域が近い事を感じさせる。

もっとも、父の点けたテレビから聞こえて来た情報によると、
私の住む地域はかすめるだけ、との事だったから
明日の朝には通り過ぎているだろう。

晩ご飯を食べ終えると、私はすぐに部屋に戻った。
この場でくつろぐ事を体が拒否しているようだった。

そう、澪は今戦っているんだ。
私だけが悠長に構えていい訳が無い。

そんな自分ルールのような縛り付けで、己を納得させると
9時半も過ぎた頃、押し黙っていた携帯に、一通のメールが届いた。

律「澪!?」

私はすぐさまのメールを確認する。
間違いなく澪からのメール。

一瞬にして、私の胸が高鳴った。
………それでも内容を見ると、大山鳴動して鼠一匹とでもいうか、

『ライブ終わった~!!!サイコ~~~~~!!!!!』

と、今日一番の、これでもかと言わんばかりに絵文字で装飾されたメールだった。
肩の荷が下りた気持ちの中に、何ともやるせない気持ちが入り混じった
私だったが、返信のメールを打つ手は早かった。

律「『良かったな。ってか、こっから本番だぞ。気合入れろよ!!』っと」

私は送信ボタンを押すと、額に手の甲を当ててベッドに横たわった。

後は、もう告白だけだ。
こればかりは、神のみぞ知る所………。

私には何も出来ない。
だから私は精一杯澪を応援する。

澪、頑張れよ!!
澪、頑張れよ!!

律「みお~~~~!!頑張れよ!!」

聞こえるはずも無いのに、私は大声を出したのだった………。

それから私は、携帯を壊れるんじゃないかと思う位強く握り締めて、
澪の返事を待った。

告白するのは澪なのに、私が一番緊張しているようだった。

窓の外は雨風が強い。
公園での告白は厳しいだろう、だったらどこだろう?
ライブ会場?帰りの駅校舎?まさか学校までは行かないだろうけど………。

錯綜する想いに胸を高鳴らせて、ただ澪の返事を待つ。

10分、20分といたずらに時間が過ぎて、私の携帯が着信音を鳴らしたのは、
午後の10時を、少し過ぎた頃だった………。

違和感を感じたのは、メールじゃなくて電話だった事にだろう。
『電話での返事』というだけで、私は不安で一杯になった。

数コールの躊躇いを経て、私は意を決して通話ボタンを押す。
悲しい事に、私の想像は現実のものとなってしまったようだった。
通話状態になっても、澪は何も話し掛けて来なかった。

律「みお………?」

返事は返って来ない。
これだけで快い返事を得られなかったのは分かるが、
この時私は、告白の結果云々より、澪の事が心配だった。

律「澪!!澪、大丈夫か!?」

澪「り………つぅ………」

雨に消されそうな、か細い声で、澪の声が聞こえて来る。
さっきまでのメールは何だったんだろう。

今の澪は、電話越しにも消え入りそうなのが、手に取るように分かる。
同時に私は、ムギに静かな憤りを覚えていた。

律「澪!!しっかりしろ!!今どこなんだよ!?」

澪「………うちのちかく」

私はすぐさま駆け出した。
着の身着のままで、携帯だけ握り締めて家を飛び出ると、
傘を差す事も忘れて走り出す。

家の近くなら、すぐそこに澪が居る!!
私は走った。
バカみたいに雨に濡れながら………。

いや、バカでも良いか………。
電話越しに聞こえて来る、雨音と、澪の耐え忍ぶ泣き声を聞くと、
そう思う事こそが、むしろ自然だったのだ。

走り出してからの数分で、現在地を聞く事もなく、澪の姿はすぐに見つかった。

律「みお………」

街灯の下で風雨に晒されながらうなだれる澪を見て、
事態の深刻さに気付いた私は、力無く問い掛ける。

雨音に消されたか、私はもう一歩踏み出して、澪の傍に寄った。

律「みお」

同じ街灯の下まで来て、再度私は、声を掛けた。
聞こえない訳はない。

それでも、返事は返って来なかった。
だから、私はもう一度呼びかける。

その時だった。

律「み………ぉ!?」

ふいに、雨に濡れてひとかたまりになった澪の黒い髪が、私の目の前を舞った。
そう、澪が私に寄りすがってきたのだ。

澪「りつぅ………りつぅぅぅぅ………」

私より背の大きい澪が、嗚咽を漏らしながら私の胸に顔を埋める。
体中に、澪の泣き声が響くようだった………。

こんな事態に私は冷静を装うと、澪を自分の家まで連れて帰った。
なぜ澪の家にしなかったのかは分からない。
『本能』だったのだろうか?

とかく、このままでは2人揃って風邪を引く。
入れ替わりでシャワーを浴びると、私は澪がシャワー浴びている間、替えの下着と、
間違って買った、サイズが大き過ぎて使えないカットソーを用意した。

律「澪………この服着て良いからな」

浴室越しに「うん。」と、か細い返事が返って来て、
私は僅かばかりながらも、心が落ち着いた。

それに合わせて母親が、「澪ちゃん大丈夫?」と声を掛けて来たが、
恐らく今の澪は、私以外の誰とも接したくないだろう。
自惚れでも何でもなく………。

私は「大丈夫だよ。」と母に返した。
同じ女だから私の気持ちが分かるのか、母も納得すると、リビングに戻って行った。
「澪ちゃんの家には、お母さんが連絡しておくね。」と付け加えて………。

私の大きめの服は澪にはちょうど良く、
この非常事態に、部屋で待っていた私は思わず感嘆の声を上げた。

律「………落ち着いたか?」

澪「うん、ちょっと………」

シャワーを浴びて、真っ赤だった目だけは晴れていた澪は、私のベッドに腰掛けた。
向かい合って私は床に座る。

しかし、こういう時こそ言うのだろうな。

『何て声を掛けていいか分からない。』

向かい合ってもお互い視線を逸らして、
さっき湧いた自惚れた自信は、もう吹っ飛びそうだった。

私は、話し掛ける言葉とその先を、何通りにもシミュレーションする。
もちろん、正解と思えるアイデアは浮かばない。

ところが、そんな空気を破ったのは意外にも澪だった。

澪「律………私な、フラれちゃった」

自暴自棄気味に澪が笑う。
こうも簡単に結末を教えられると、私も、余計に何を言って良いか分からなくなる。

しかし、澪は続けた。

澪「『ごめんなさい。』って」

澪「変だよな………。何で、あんなに楽しそうだったのに、
  『ごめんなさい。』なんだろうな?」

澪「私、分かんないや………」

律「澪!!」

今にも泣きだしそうになった澪に、私は素早く近寄る。
が、遅かった。

澪「りつぅ、私、何がダメだったんだ!?なあ、何がダメだったんだ!?」

この言葉を最後に、澪は顔を手で押さえて、また泣き崩れた。
近付いただけで、私にこれを抑える言葉が見付かるはずもなかった………。

だから私は、澪を抱き締めた。
さっきの雨の中と同じだ。

澪の顔を、私の腕の中に優しく包み込んで、私は澪を抱き締める。
突然の事に、澪は一瞬泣き止んだが、これ以上無い安心感を得たのだろう、
すぐさま、私の胸の中で、流し足りない涙を延々と流し続けた。


律「澪………頑張ったな。」

澪「りづぅぅ………」

澪が声を絞り出す。
私の全神経に直接響く、澪の声。

私はこれ以上声を掛けなかった。
泣き止むまで、ずっと澪を抱き締めた。

私の心は、不思議と落ち着いていた。
泣き続ける澪を抱き締めて、幸せさえ感じ始めていた………。


日付が月曜日に変わる頃には、澪はもう泣き疲れて眠っていた。

まるで自分の家のように振る舞う澪に、
「しょうがねえなぁ。」なんて言葉を出して、掛け布団を掛けてあげると、
私は、ベッドに背もたれて、天井を眺めていた。

思い浮かぶのは澪とムギと………。

律「テンペスト………か」

ふいにムギの弾いていた曲を思い出す。
思い出すだけで、何故か、この場を慰める旋律に聴こえなくもない。

律「澪にも私にも、『嵐』のような一日だったな」

視線を天井から落とすと、私は澪の顔を見た。

律「人の気も知らずに、ぐっすり寝やがってよ」

私は眠っているのを良い事に、澪に悪態をつく。
が、それもそこまで。

私の中でせき止めていたものが、急に崩壊したのだ。

律「バカ澪がぁ………」

恐らく気付かぬ間、ずっと耐えていたのだろう。
積み重ねて来た想いの決壊で、私の目からは、止め処なく涙が溢れ始めていた。

もう嵐は、過ぎ去ったようだった………。


ベッドに背もたれて眠ってしまった私は、深い夜の中、目を覚ました。

夢でも見れれば気が紛れたかもしれないのに、つい今しがたの事のように
昨日の事を思い出す。

大きくため息を吐いて、私は部屋の蛍光灯の灯りを点けっ放しなのに気付いて
扉の側にあるスイッチを消しに行った。

すると、澪が寝言で「バカ律。」なんて言うもんだから
私は灯りを消すや否や、澪の頭を小突いた。

「うう………」と苦悶の表情を浮かべる澪に、私はしてやったりの表情。

そして、もう一度同じベッドの傍に腰掛けると、私は目を閉じた。


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最終更新:2010年11月07日 00:38