「は、離せっての……ここ学校だぞ? ちょっとは場所を……考えろっての」

「そんなこと言ったって、我慢できないものは我慢できないんだよぉ……」

 なんと、澪が泣き出した。そこまでして私の体が欲しいのかと呆れるというより、笑いがこみ上げてきた。

「おまえ、本当に馬鹿じゃねーの!」

「ああ、私は馬鹿だよ! 馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿で、だからこんなことしかできない!」

 とうとう個室に入ってしまった。後ろ手で鍵までかけられ、もはや逃げ場なしの大ピンチ。といっても、別に殺されるわけではなくて、むしろ、良いことされるわけないんだけど。
 潤んだ瞳で、なあいいだろ? と懇願してくる澪を見ながら私は折れるか最後まで抵抗するべきかをぼんやりと考えた。
 流される事に対してやぶさかではないものの、だからといって仮にも学び舎の中で肌を重ねるのはどうなんだろう。モラル的に、いやそれ以前にJKとして。


「お願いだよぉ……もう我慢できないんだ。お前が可愛すぎるから、悪いんだぞ」

「……」

「なあ、りつぅ~……一緒に気持ちよくなろうよぉ」

 澪の目が次第にトロンとしてきた。自分の言葉に陶酔しはじめたのか。相当の変態女だ。だが、私はその目の前の女が嫌いになれない。

「はあ……好きにすれば」

 見境無しのイカレ女に、私は観念して身をゆだねた。

「や、優しくするからな! な!」

「……遅ぇんだよ、馬鹿澪。うー、肩いてー」

「ごめんな、律」

 優しくするとか言っておきながら、いきなりパンツの中に手を突っ込まれた。ああ、イタイイタイ。


 ……。
 ……。
 ……。

「うふふ」

「気持ちわりい」

 便座の上でだらしなく筋肉を弛緩させている澪に張り手をかまし、衣服を整えた私は部室へ戻る事にした。一緒に戻っては流石に怪しまれる。
 部室を目指して歩いていると、急に腰が痛くなった。
 ついでに、ベーシストの手はやっぱり大きいらしく、私の真ん中に付いている女の子も悲鳴を上げていた。デリケートゾーンってやつだ。
 ふいに先ほどの情事が妙に艶かしく思い出され、私は自分の頬が熱くなってるのを感じた。

「優しくするって言ったのに……痛ぇんだよ馬鹿」

 手すりに手をかけてゆっくりと階段を上る。普段は意識していないが、軽音部の前から楽器の音が全くしないというのは何とも奇妙な光景だ。
 股のヒリヒリのを何とか堪えながら最後の一段を昇って顔を上げると、部室の扉が少し開いていた。
 と、

「……だよ、あずにゃん」

「すみません……先輩」

 なんだ?


「唯ちゃん、仕方ないわよ。最初は私もすごく驚いたわ。それこそ心臓が止まるくらいに。今でも時々」

「でも、あずにゃんはびっくりし過ぎだよ。あれじゃあ絶対不自然だよ」

「はい、すみません。気をつけてはいるのですが、やっぱり……あ、次からは気をつけます」

「お願いね」

 珍しく真剣な唯がいて、梓をしかっているようだった。ムギは不安そうな顔で二人の間に視線を彷徨わせている。
 まさか。いや、そんな馬鹿な。

「……何そんなトコで固まってるんだ?」

 澪の声にギョッとした。振り返ってみると、なぜか私よりも驚いた表情の澪が扉の向こうを見つめていた。
 澪がその視線をこちらに向けて、私を見た。なぜだか、狂う前の澪をそこに重ねてしまった。

「こらああああああああ!!!」

 澪の絶叫にも似た声が響く。堪らず私は尻餅をついてしまった。

「あ、えっと……ひ、人の、人の……人のセックスを笑うなー!」

「み、みおちゃん!? ……あっ、りっちゃんも!? いつのまに戻って――」

「デバガメか? デバガメなのかー!? ほら、律も何とか言ってやれ! こいつら、私と律のセックスを覗き見してたに違いないぞ!」

「ば、ばか、何言ってるんだ! わーわー、何も聞こえない、何も聞いてない! なっ、なっ?」

 部室はまさに地獄絵図をひっくり返したようなカオスを極めた状態に陥った。

「くっそー、何なんだよ人のトイレでの情事を覗き見するなんて、いくら軽音部でも許されないぞ!」

「うるせー、だまれ馬鹿澪! いいから黙ってろ、黙ってろーっ!」

「……はっ! ……いいわぁ、澪ちゃん、りっちゃん」

「にゃ、にゃー! ふ、不潔です先輩方! えっと……トイレでエッチなこと? をしてたんですかー!」

「不潔じゃない! 好きな人とセックスして何が悪い!」

 主犯、澪。私は、密な時間を暴露したその主犯の後頭部にハイキックを入れてみた。まだ倒れない。すかさずもう一発、さらにもう一発。

「ぐっ」

 4度目の蹴りでとうとう床に倒れる大女。
 その光景に目を剥いていた唯、ムギ、梓の3人は、2、3回ほど私と澪を交互に見比べ、

「……ごめんね、りっちゃん! わ、私たち用事があるから先に帰るわ!」

「すみません、そいうことなのでお先です!」

「ばいばい、りっちゃん」

 かばんを持って部室を全速力で後にしたのだった。
 電光石火ってこういうのを言うのかな。どうでもいいけど、穴があったら入りたい。それがダメなら誰か私を殺してくれ!

 私は机に突っ伏したまま、澪が夢の中から目覚めるのを待った。
 他の3人は恥ずかしさを誤魔化すためでなく、どうやら本当に帰ってしまったみたいだった。
 皆のいない部室はやけに静かで、別のことを考えようにも先の惨状が頭から離れない。

「あー、もう。さいあくだー」

 なんだってこんな目に遭わなくてはいけないのだろうか。そりゃあ、澪と私の仲はHTT内では周知の事実だったが、だからと言って肉体関係のことまでは話したことはなかった。
 単純に恥ずかしいし、そんなこと友達にだってわざわざ教えるものでもないだろう。ムギあたりなら喜びそうだけど、まさか唯や梓にまで知られてしまうなんて。

 ……本当に覗き見したのか?

「二人きりになれたね」

「うるせー、ばか」

 澪の意識が戻った。頭の後ろをさすりながら、ふらふらと覚束無い足取りで私の隣に腰を下ろした。

「皆は?」

「用事があるとかで帰ったよ。誰かさんのせいでな。ホントいい加減にしろよ」

「そっか」

 うふふ、と澪が気色の悪い声を出して喜んだことに私は非常に苛立った。何を呑気に冷めたお茶なんか啜ってやがるのか。

「なんか最近、皆早く帰っちまうよな。用事って一体何してるんだろうな」

「えっ」

「なーに驚いてるんだよ……気持ち悪いな」

 澪の顔から笑みが消えている。急に真顔になるから少々不気味だ。

「は、はは……そういえば、先週も皆先に帰っちゃったよな……な?」

「そうだな。あいつら、ひょっとして何か企んでるんじゃないんだろうな」

「……」

 どうにも澪の様子がおかしい。急に驚いた顔をしたかと思ったら今度は押し黙ってしまった。また狂って何か意味不明な奇行の前触れだろうか。

「どうした」

「……覚えてるのか?」

「何を」

「……皆が、放課後何かしてる事」

「は? 何言ってるんだよ澪」

「いや、なんでもない……」

 とりあえず、放課後といったら軽音部の部活だろうと答えてやった。
 すると、いきなり眼前に迫って

「そうだよな! 放課後といえば部活だよな!」

「んなこと決まってるだろ……だっていうのに、みんな最近部活もしないで、急にどっか行っちまうんだから困るよな。今日だってきっと」

「……やっぱり覚えてるのか」

 理解の出来ない問答はそれっきりとなった。澪はそれ以上何を言っても反応を返してくれず、私は呆れて口を開くのをやめた。
 それにしても、何が一体、覚えている、なのだろうか。


 ……。

 私は今しがた自分が口にした言葉を反芻して、ああっ! と声を上げた。

 そうだ。
 澪を除く3人の部員がずっと前からまともに部活動をしていないのだ。いつも私と澪を部室に残し、何かと理由をつけてはどこかへと行ってしまうのだった。
 何故そんなことにこれっぽっちも疑問を抱かず、今の今まで放置していた? いや、なぜ今のタイミングで私は気付いた。口にして初めて。

「おい、澪! どういうことなんだ一体!」

「……律、もっかいエッチしようよ」

「ざけんな! 真面目に答えろ!」

 頭の中が急激に加速していく。カーッと熱くなるような、それでいて生理にも似た苛立ちが募って何も考えたくなくなるような不思議な心持ちになっていく。
 でも、私は考えた。
 3人の不在。まずはこっちを探った方が良さそうだ。私のもやもやとした記憶の抜けを辿ったところで、堂々巡りは目に見えてるし、だったらいっそ、動けるほうに動いたほうが良い。
 今から闇雲に3人の姿を探しても無駄足になる。どうせ明日も途中でいなくなるのだろうから、その時を見計らって動けばいい。

「律、エッチしよ」

「……やだよ」

 尾行にこいつは邪魔だ。部活に出る前にトイレにでも連れて行って、腹でも殴って気絶させよう。そうしよう。
 それに、こいつのおねだりには何か裏を感じる。
 もしかして、私の意識を逸らすためにわざと、

「なあ、律、おいしい? 律のお母さんもハンバーグ作るの上手だからな。私も好きだよ」

「ああ、うまいな。でもやっぱり、私の作るやつの方がおいしい」

「あはは、自分の作った方がおいしいだなんて、相変わらずだな律は。おばさん、ハンバーグおかわりください」

 食卓を囲んで、4人で晩御飯を食べた。今日はお母さんがハンバーグを作った。珍しく平日の夜だって言うのにお父さんもいる。
 最近、澪は毎日、私の家で晩御飯を食べていく。
 恋人なんだからいいだろう、というのが澪の言い分だが私ははっきり言ってそこまで乗り気じゃない。
 澪のお母さんが少し不憫だからな。

「……おい澪、たまには自分の家で食べろよ。お前のお母さんに悪いだろう」

「いいんだよ、私は律の家でご飯食べた方が。ママだって良いって言ってるし」

 お母さんが、律ったら照れてるのよきっと、なんて呑気な事を言った。そういう問題じゃないだろ。澪の狂気にうちの母親も染まってしまわないか、少し本気で心配になってきた。


「私、迷惑じゃないですよね?」

 澪の言葉にお母さんは、まさかとんでもない、と返した。
 澪ちゃんのおかげでまた家族で楽しい食卓を囲めるのだから、と最後のほうは少し震えた声でそう言った。
 私はハッとして聡のことを思い出す。
 ある意味、おかしくなってしまった澪の登場によって、お母さんもお父さんも傷心から立ち直ったとも言えなくないのかも。
 こんなキチ女が毎日、夕飯時に現れたら。
 気が休まるとはまた反対に、いい具合に気が逸れてくれたのだろう。

「……気が逸れる? 何を考えてるんだよ私は」

 カポーンと風呂特有の反響で我に返ったような気がした。
 澪が長い髪に柑橘系のシャンプーを付け、わしゃわしゃと泡立てて洗髪していた。私も髪伸ばそうかな。

「悪いんだけど、律」

「はいはい」

 浴槽から体を乗り出し、澪の頭部を優しく掴んで髪を洗い始める。
 指の腹で毛穴の汚れを落とすように小刻みに動かしながら、後頭部、側頭部、前頭部へと手を動かす。
 痒いところはございませんかー? とからかい半分に聞いてやると

「おまたがムズムズしまーす」

「死ね」

 少し乱暴に髪を洗ってやると、ひゃあ、と可愛い声を上げながら澪が体をよじった。すかさず脇に手を回し、全力でくすぐってやった。

「あははは、ちょ、やめっ……やめってば……り、りつぅ」

「かゆいところはぁ、ございませんかー、」

「ご、ごめ、ごめんってば、あひゃあああ、はは、あははは……ぁっ」

 いつの間にか私は澪の豊かな胸を鷲づかみにして引っ張っていた。なるほど、途中から変な声が混じるのも頷ける。
 それからしばらくふざけあった後、髪をシャワーで洗い流し二人仲良く湯船に浸かった。

「それにしても、風呂まで入っていくことないだろ。ご飯まで食べておきながら」

「いいじゃないか別に。私は一秒でも長く律と一緒に居たいだけなんだから」

「うっ……急にそういうのやめろよ」

 全裸で、しかも秘所に舌を這わせた仲であっても、こういう歯が浮くような言葉を真顔で言われると、どうにも私は気恥ずかしさに耐えられなくなる。
 そりゃあ私だって澪と同じ考えではあるけれど、それをわざわざ口にするほどの勇気はないし、そういうのは苦手だ。バカップルとかおかしーし。


「照れてるのか?」

「別に」

「じゃあ、今の台詞、皆の前で言っていい?」

「やったら二度と口きかない」

 えぐっ、と間髪入れず涙を流す澪。本当に相変わらずなので、慰めるのも繕うのも面倒くさくなり、両の手で作った水鉄砲を噴射してやった。
 やめろよー。うるさいんだよ泣き虫澪ー。何をー。悔しかったらやり返してみろよ。うぅ、私がそれできないの知ってるくせに。

 うわ、まんまバカップル。途端に死にたくなった。

「やっぱりみんなの前で言ってやる! 許してやらないんだからな!」

「あっそう、勝手にすればー、別にそこまで恥ずかしくないしー」

「強がり言うなよ」

「強がりなんか言ってねーよ。第一、皆って軽音部の皆だろ? なら別にいいよ」

 そう、HTT内になら適度にからかわれて終わるだけなのだから。
 そういえば、『皆』で思い出したが、

「なあ澪……そういえばさ、皆最近」

 …。

「律、電気消すぞー」

「ああ……っておい。何のために布団敷いてやったと思ってるんだよ」

「いいじゃないか、いいじゃないか! 一緒に寝たいんだよ、ついでに言うと」

「触るな。噛み付くぞ」

 気だるい。澪に後ろから手を回されてがっちりとホールドされた。ギューってされると気持ちいいんです、と前に憂ちゃんが言っていたが、ありゃ嘘だな。
 うなじの辺りに鼻を押し付けられ、目一杯匂いを嗅がれた。変態の相手ってどうしてこうも気苦労が多いのか、誰か教えてくれ。

「律の匂い~、いい匂いだなー」

「あんま大きい声出すなよ。もう遅いんだから」

「はーい……うふふ、聡の奴、壁に耳当ててたりして」

「そりゃあ無いだろ。だって今日土曜日じゃないし」

 聡は土曜日にしか現れない。だから、平日の今日はいないのだ。
 あれ?

「なあ、一つ気になったんだけどさ。聞いていい?」

「なあに」

「澪ってさ、どうして聡が見えるわけ?」

「うーん……なんでだろうな。繋がりが強いと見えるんじゃないのか、その、死んだ後も」

「そんなもんか? でも、私ならまだしも、お前、聡とそんなに接点無いんじゃないか?」

「そう言われると……あ、ひょっとして聡、私のこと好きだったりして。だから、私にも聡が見えるのかも」

「ああー……それはあるかも」

 それにしても、こいつは心霊やら幽霊の類が大の苦手のくせに、色々と矛盾した事を平気で言う奴だな。
 私が死んで出てきても、きっと同じ事を言って怖がらないに違いない。それはそれで少し残念だ。目一杯脅かしてやるのに。

「前に聡、お前をおかずにオナニーしてたし」

「……それはあんまり嬉しくない」

「冗談だよ。いくらお姉ちゃんの私でも、流石に弟の性事情までは関知できないのだよ」

「あはは、だよな。でも、律は私を想ってしてくれてるんだろ? その、お……オナニーを」

「しねーよ」

「あはは、だよな。普通にセックスするんだし必要ないよな」

 そういう問題じゃありませんわよ澪ちゅわん、と肘で澪の腹部を殴りつつ教えてあげた。あー、疲れた。
 いい加減、眠たくなってきた。ツッコミも疲れたし、そろそろ眠い。

「おやすみ」

「もう寝ちゃうのか? もう少しお話しようよ」

「眠いんだよ。寝かせてくれ」

「えー、それは少しずるくないか? こんなにも私をその気にさせておいてさ」

 そういって澪の手がもぞもぞと動き始めた。勝手に欲情すんじゃねーよ馬鹿。
 構ってられないので、無理やりにでも私は寝る。
 寝る。
 寝てしまう。


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最終更新:2010年11月08日 00:21