唯「あずにゃーん!」
唯先輩の声がした。部屋の中からではなく外から。
唯先輩は息を切らして廊下を走って来た。
梓「唯先輩……どこに行っていたんですか」
唯「えっと、そこのコンビニに飲み物を買いに行ってたんだよ。ほら」
そう言って唯先輩は午後の紅茶を見せた。
梓「なんでそんなに息を切らしているんですか」
唯「あずにゃんを見つけたからだよ」
梓「もう。とにかく入りましょう」
私は扉を開いた。
私達の靴しかなかった。
私が料理している間唯先輩はテレビを見ていた。
でも面白い番組がないのか、しょっちゅうチャンネルを変えていた。え?ホークス負けたの?
梓「唯先輩、出来ましたよ」
唯「おお~おいしそうだね~。いただきm」
梓「その前にちょっと」
私は唯先輩の箸を奪い、テレビを消した。
唯「なに~?もうお腹ペコペコだよぉ」
梓「大事な話があるんです。聞いてください」
私は右手でブレスレットに触れた。
梓「唯先輩。私唯先輩のことが好きです」
「私も好きだよ~」なんて軽い返事が来るかと思ってたけど、唯先輩は真剣な顔つきをしていた。
唯「私も、好きだよ」
落ち着き払った声だった。
梓「私は唯先輩以外を好きになることはありません」
唯「私が好きなのもあずにゃんだけだよ」
暗い目をしていた。
私は唯先輩の前に箸を戻した。
唯先輩の注意が箸に向いた隙を逃さず。
私は唯先輩の唇を奪った。
唯先輩の目に驚愕の色が浮かんだのがわかった。
ここで私は目を閉じた。
唯先輩が再びあの暗い目に戻るのを見たくなかったから。やっぱり私はまだ臆病者だよ、憂。
私は無我夢中に唯先輩を求めた。
優しさの欠片もない行為ではあったが何としても唯先輩にわかって欲しかった。
私の想いを。
唯先輩は無抵抗だった。
呆れているのだろうか失望しているのだろうか。
目を開けるのはまだ怖い。
私が舌を入れようとすると唯先輩は押し返してきた。
そして唯先輩の方から唇を離した。
唯「あずにゃん」
ゆっくり目を開けた。しかし顔は伏せたまま。
唯「あずにゃん」
もう一度呼ばれて恐る恐る顔を上げた。
唯「お腹すいたよ、あずにゃん」
その言葉が聞こえたかと思うと私は床に押し倒された。
梓「唯せんぱ」
すぐに言葉は奪われた。
唯先輩は今まで見たことがない目をしていた。
まるで獣のような目。
私は涙を流した。恐怖のためではない。
私の涙に気付いた唯先輩はすぐさま唇を離した。
唯「ご、ごめん。あずにゃん」
打って変わって慌てふためく唯先輩。
梓「違い……ますよ、唯先輩。これは……嬉し…涙です」
唯「え……?」
梓「唯先輩。やっと私のこと見てくれましたね」
たとえ私の強引な行為の結果だとしても嬉しかった。
唯「あずにゃん。今まで冷たく当たってきてごめん。私不安だったんだよ。あずにゃんが私に飽きているんじゃないかって」
純の言っていたことは当たっていたのか。
唯「だから今日は試すようなことしちゃった。あずにゃんを一人にしたらどうなるか。あずにゃんの私以外の人にしか見せない顔に、ショックを受けたよ」
それは逆に唯先輩にしか見せない顔があるってことで……あれ?
梓「唯先輩……もしかして全部……」
唯「知らない人に抱きつかれて喜んだり、モブ子ちゃんを綺麗な人って言って口説いたり、純ちゃんと付き合おうとしたり、憂とキスしようとしたり」
違います。一部は合ってるけど違います。
梓「唯先輩、違うんでs」
唯「でもわかったよ。あずにゃんの本当の気持ち」
唯先輩は自らの唇を人差し指撫でた。
唯「あずにゃんはフラフラしても最後には私のところに帰って来てくれるってわかったから」
そう言うと唯先輩は笑顔を作った。
色々弁解したいことがあるものの、今は黙っておくことにした。
だってようやく私が見たかった笑顔が見れたから。
唯「さ、食べよっか、あずにゃん。お腹すいたよ~」
唯先輩はいつもの調子でそう言った。
さっきとは意味が違う。
梓「はい。冷めない内に」
これには二重の意味を込めて。
唯梓「「いただきます!」」
唯「はむはむ。ん、あずにゃん」
梓「は、はい」
唯「すごく……言葉にしづらいんだけど」
えっ!?
唯「すっごくおいしいよ!」
あぁ、いい笑顔ですね。
―――――――――
――――――
唯「あずにゃん、デートしよっ!」
梓「何言ってるんですか」
唯先輩はまた突拍子もないことを言い出した。
唯「一緒にカフェに行ったり映画見たり服買ったりしよっ!」
梓「内容を説明しろなんて言ってません」
唯「ねぇ駄目~?今度の日曜」
梓「まぁ暇ですからいいですよ。他の先輩方は?」
唯「みんなは用事があるんだって。だから心置きなくデートできるよ、あずにゃん!」
梓「女同士はデートとは言いませんよ」
唯「ねぇ~あずにゃ~ん機嫌直してよ~」
梓「別に機嫌損ねてなんかいませんよ。唯先輩、今日も大人気でしたね」
二人っきりで遊ぶはずが、行く先々で唯先輩の知り合いや学園祭ライブでファンになったという人に会って、唯先輩はその人達に構ってばかりだった。
……別に私はデートだなんて思ってはいなかったが、ほっとかれていい気がするわけがなかった。
梓「大体唯先輩は……ってあれ?唯先輩?」
唯「あーずにゃんっ!」ダキッ
梓「にゃっ!」
唯「ごめんねあずにゃん許してよ~」
唯先輩は背後からホッペを擦り寄せつつ私の左手首に手作りのブレスレットを装着した。
梓「何ですかこれ?」
唯「そこの露店で買って来たんだよ。これに誓って私は今後一切浮気はしません!」
梓「付き合ってもいないのに何が浮気ですか」
唯「いいじゃん。細かいことは。あ、あそこのプリクラ行こっ!」
梓「もうっ、引っ張らないで下さいよぉ!」
――――――
―――――――――
唯「ふぅ、いいお湯だったよ~。あれ、何見てるのあずにゃん?」
梓「プリ帳です」
唯「どれどれ~?ん?これいつ撮ったっけ?」
梓「私達の初デートの時です」
唯「でもこの時の私達高校生だよね。私達が付き合いだしたのは二人共大学生になってからだよね」
梓「はぁ、やっぱり覚えていないんですね」
私もさっき思い出したんだけどね。
梓「私達、成長しませんね」
唯「いやぁ、あずにゃんと違って私はそれなりに…」
そこの話はしていません。
私は唯先輩が変わってしまったんだと思っていた。
大人になって少しずつ冷めた目で私を見るようになったのだと。そしていつか完全に熱が失われてしまうことを私は恐れていた。
でも本当は違った。
唯先輩は思ったより責任感が強い人だ。一度決めたことは決して曲げない。たとえ記憶になくても心に誓ったことを忘れることはない。
最近何度も考えた。
「付き合う前の方がよかった」と。
何の気兼ねもなくじゃれ合っていたあの頃は幸せだったと。
でも悪いのは私だったんだ。私には覚悟が足りなかったんだ。唯先輩を本気で好きになる覚悟が。
「あずにゃん大好き」
付き合う前から何度も言われた言葉だった。
だから私はこれを軽い意味の言葉だと受け取っていた。
けれど、これが全てだったんだ。唯先輩の強さの根底にあったのは私のことが大好きだという単純な想い。
それは初めて出会った時も、初デートの時も、私の告白を受けた時も、私の髪を撫でながら眠りについている今も変わることはない。
「唯先輩」
だから私は精一杯応えよう。この人の強い想いに。そしてこの人に誓おう。
「絶対に離しませんよ」
私は唯先輩を抱きしめた。
fin
最終更新:2010年11月12日 03:53