「――じゃあな」

「へーい、気を付けて帰るんですよー」


 これは私が友人を想い詠った、一つの抒情詩である。



  律「みるめーく」



 私は友人と路地で別れの挨拶を交わし、家に向かいひとり歩いていた。

 受験を控えた私たちではあったが、
 毎日暗くなるまで部室に入り浸るのは変わらなかった。
 「一人になる後輩を思い」……なんて聞こえの良い建前を引っさげてはいたが、
 その根幹には「皆が集まるあの場所に、出来るだけ長く一緒に居たい」
 という思いがそれぞれにあったのであろう。

「うう……、さぶっ」

 風に身を震わせ、私はポケットに突っ込んだいた手を強く握った。
 マフラーに埋めた顔をふと上げると、街路灯に明かりが灯ろうとしていた。



 ――ジッ、ジジッ

 小さく音を立てて街灯の灯した白い明かり。……
 私は立ち止まり、薄く開けた目でその様を見届けた。

 "啓示"とは幾許か違うものではある。
 しかし不思議と私の中に一つの閃きがあったのだ。


「いししっ……、そーだっ! こうしちゃいられませんわぁ!」

 閃きを無下にしないために、折角の思いが褪せる前に、
 そう考えると私は駆け出していた。
 一刻も早く取り掛かりたかったのだ。


 それは「澪に手紙を書こう」という思いつきだった。



「たっだいまー!」

「お帰りー、母ちゃんが風呂洗えって――」

「そーか、うんうん。そりゃー大変だなっ!」

 玄関を開けると洗濯物を抱えた弟がいた。
 忙しく何かを伝えようとしていたが、私に追い使いを構ってる時間は無かった。


「あぇ、っておい! 聞いてんのかよー?」

「お姉さまは忙しくってよ? おほほほほほ……」

 私は物言いたげな弟の肩を二度叩き、「少年よ大志を抱け」と付け加え自室に向かった。



「ふでペーンふっふー、ふるえーるふっふー」

 そう口ずさみながら机の前に座って帳面をひろげた。
 ペンを手にとり、この手紙の意向を再確認する。
 そして、――以前澪から送られた一枚の詩を私は思い浮かべていた。

 「中学校のクラスメイトからのラブレターが来た。」……
 それまでは他人から私が恋愛の対象であり、そうなりえる事を深く考えたことがなかった。
 私は突然の事態に平静さを失った。
 友人達が想いを告げられ、頬を赤く染める。それを見て笑う側の人間だった。
 いざそれが自身に振りかざされると全くの身動きが取れなくなってしまったのだ。

 私を思い悩ませたラブレターの正体は澪の考えた曲の歌詞だった。
 一人踊った自分を思い出すと耳の辺りが熱くなるのがわかる。

「秋山さん、お久しぶりです。
 突然のお手紙を差し上げる無礼をお許し下さい。……っと」


 私は昔から少しも変わらない、悪戯好きの子供である。
 だから今日はそのラブレターの"仕返し"をするのだ。

「ご迷惑とは重々承知です。
 稚拙な文章ではありますが、僕のあなたへの想いを書き連ねてみました。……」


「ひひっ、今もお変わりなく縞柄パンツをご愛用でしょうか? ……っと」


 互いを友人として、確たる意識を持ち始めたのは十歳の頃であった。
 以前の関係が無かったわけではない、所詮それまでの澪は興味の対象でしかなかった。


「そーなんだよなっ、澪ったら恥ずかしがり屋でさぁー」

 ――物静かで大人しい少女はいつも一人、本を読んでいた。
 少女の箸を持つ手が私と違った。
 少女の黒く長い髪は私のそれとは違った。
 私とは違う、"未知なるもの"故に私は少女に惹かれたのかもしれない。

 私は執拗に少女をからかった。

 「みおちゃん何のほんよんでるのー?」「みおちゃん絵上手だねー!」
 「みおちゃん凄いねー! 百点だー!」……

 その度に少女は私の期待を裏切ることなく、大げさに驚いてみせてくれた。


「小さい頃から恥ずかしがり屋で、
 友人の田井中さんにからかわれる秋山さんを見てる内に想いは次第に――」



 小学四年の夏、澪の書いた作文が県から表彰された。
 表彰された生徒は全校生徒の前でその作文を発表するのが学校の慣習としてあった。
 いつもの私には価値を見出すことの出来ない慣習ではあったが、
 かの少女が照れながら発表する姿を思い浮かべると値打ちのあるものに思えた。

「みおちゃんすごいねー! いいなー、あたしならみんなに自慢するな――」

「だったらりっちゃんが賞もらえばよかったのに! みんなの前で読むのイヤだよぉ!」

 少女の上げた悲鳴だった。――それまでの私を萎縮させるには充分だった。
 すぐさま、「ごめんなさい」と付け加えた少女を唖然と見ている。

 気付いたのだ。……
 今までの私は少女を傷つけていたのではないか?
 悲鳴を上げるのを楽しんで弄くっていたのではないか?

 私は自身の尻を蹴り飛ばしてやりたくなった。


 先に"確たる意識を持つようになった"と書いたのはこの為である。

 その日私は澪を自宅に遊びにくるよう誘った。
 澪と私、二人きりの時間を過してみたいという下心からでもあったが、
 何より「澪の為に何か力になりたい」という気持ちが強かった。


「お、……おじゃまします」

 玄関で立ち止まってしまう少女を引張りあげ、私の部屋へ通した。
 私は何か気を利かせようと台所に向い、棚や冷蔵庫を漁る。
 しかしこういう日に限り買い置きが無いのだ。

 手にとったグラスを見て、「ちぇ、気が効かないなあー」と悪態をついてみる。
 それが母に対してか、格好つけたいが上手くいかない自身に対してかは定かでない。

 私は空いたグラスに牛乳を注ぎ、渋々部屋に戻った。


「みおちゃんゴメンねー! あははっ、牛乳しかなかったー」

「あ、あの……りっちゃんゴメン、私牛乳飲めない」

 その答を受け、私には思い当たる節があった。
 澪は給食で決まって牛乳を残していたのだ。――


「ったくなー! 澪のヤツ牛乳飲めないでやんの、参っちゃうよなー」

 当時の慌てた私を思うとおかしかった。
 私は小さく笑うとペンを放り、両腕を頭の後ろで組み天井を見上げる。

「そうそう、この部屋で。澪と……くくっ」

 今思い返してもわからなかった。
 何がそこまで私をつき動かしたのか?

 格好つけようとして失敗し、それを何とかしようと気付けば部屋を飛び出ていた。


「じゃじゃーん! これでだいじょうぶだよー!」

「…………?」

 必死に棚を漁り、部屋に持ち帰ったのは"ミルメーク"という牛乳用調味料だった。
 以前買出しで母が、「懐かしい」と買っていたのを思い出したのだ。

「これをこうやってー、えいっ!」

「――で、これをまーぜまぜー」

 私は得意に作業を進める。
 その様をまじまじと見つめる澪の手前、そうせざるを得なかったのであろう。

「でっきあがりー! はい、みーおちゃんっ!」

 一口飲み、「おいしい」と呟いた澪に私は胸をなでおろしたのを覚えている。
 手品を披露したマジシャンのような気分で、私は照れながら鼻の下を指で擦っていた。


「そしたらさー? 澪のヤツ急に牛乳噴出しやがって」……


「あははっ! りっちゃん、顔――顔に粉ついておひげみたいになってるよぅ」

「ふぇ? え……、あは、あははははー」

 澪の見せた笑顔が嬉しかった。
 勝手かもしれないが、それまでの私の行いが許された気がした。


 そして新たな予感――「目覚め」
 少し恥ずかしそうに微笑う澪を見て、今までの私たちの関係に線が引かれたのだ。


 堪らず書き留めた手紙を丸めている自分がいた。
 それまでやっきになり取り組んでいた手紙、書いている自分にも冷めてしまった。

 あの日誓った想い。……それを私は実現できているのか!



 私は机に伏していた。
 またあの日を色濃く、鮮明に思い浮かべていた。


「――それでは、四年一組出席番号一番、秋山澪さん! どうぞっ!」

「うぅ、でも……できないよ……」

 発表会の真似事を私たちは行っていた。
 みかん箱に上がりもじもじする少女を見かねてか、
 私は髪を頭の天辺で縛り、"パイナップル"の真似をしておどけて見せた。

「お父さんがね? 緊張した時は観客をジャガイモだと思え! って言ってたの」

「…………」

「でもジャガイモの真似は出来ないから、パイナップル!」

「ふふ……あははっ、でもそれじゃヒゲパイナップルだよー!」

「ふぇ? まだミルメークついてたの?」

「とってあげるねー?」

 上唇を優しく撫でる澪の手、褒美を頂戴する騎士になった気分だった。
 澪のあどけない笑顔に見えた私のあり方、"主題"を見出した瞬間でもあった。


「へへっ、ありがと! では気を取り直して……パイナップル!」――

 小さい頃の私の幻影が、背中越しにそんな声をかけてきた気がした。


「おかしーし……」

 ……不意に上唇をなぞる。
 澪のしてくれた様に優しく、一回、二回と。


「あたしには、なりたいものがあったんだよな」

 体を起こし、新しく一枚のルーズリーフノートを取り出す。
 ペンを再び持つと一字一字を彫りつけるように書いていった。


 ――いつまでも澪だけは変わらないで側にいて欲しい

 勝手だとは思う。知らない何かになって欲しくないのだ。
 和と楽しそうに話す澪の姿を見て嫉妬を覚えたのもこれがあったからであろう。


 ――いつだって私だけは澪を離したりはしないから

 私が澪を守ってみせるから。私は澪を守るナイトでありたい。
 「澪が左利きなのは私の利き手と手を繋ぐ為」そんな幻想を抱いていた時期もあった。
 澪の足りないであろうパースは私であり、私の足りないパースは澪であって欲しい。


 ――いつだって澪を笑わせてあげる、私がピエロになるから

 大好きな澪にはいつも笑っていて欲しい。
 時にはやりすぎてしまう時もあるかもしれない、でも泣いてる澪を見るよりずっといい。


「そんなことしかできないけどな! ――それがあたしの、澪のためにできること」

 それがあの時、私の気付いた予感。……見出した主題。


    *   *   *


 昨日別れた路地で、いつもの時間に澪と朝の挨拶を交わす。

「――うーっす」

「なんだ、眠そうだな……?」

 私は「まあな」と短く聞こえないであろう声量で返し、澪から視線を逸らす。
 私はポケットに突っ込んである手紙を強く握り締めた。

 これを受けた澪はどんな反応をするのか?
 ピエロの演技を見て笑ってくれるだろうか?
 たまにはこんな素直な私を、――澪は受け入れてくれるだろうか?

 決まらぬ腹で、振るえる指先でその手紙を取り出していた。



「きょっ、今日は部長であるこのあたしが直々に詩を書いてきましたっ!」

「ふーん」

「なーんだよ、興味ねぇってか?」

「……いやいや、まあ聞かせて御覧なさい?」


 得意げな顔、「鼻を明かしてやる」と私は意味ありげに笑ってみせた。
 再び告げてておこう。――私は昔から少しも変わらない、悪戯好きの子供である。
 当初の予定からずれてしまった"悪戯"だが、根底が押し揺るがされたわけではない。

 その悪戯――澪には付き合ってもらうよ


「あーオホン。では心して聞くよーにっ!」

 私は一つ、スカートの端を持ちお辞儀をしてみせた。
 手に持った手紙を手に持ったとき、澪の顔をぬすみ見る。


 ――吐息が白く曇り、消えていった。

「その、あっ……あたしの大好きな澪しゃんへっ!」



「――ハァ!?」

 澪、顔……真っ赤だぞ? 
 私もだろうけどな。


 おわり



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最終更新:2010年11月14日 03:44