部室。


律「おーっす、梓」

澪「おお、待ってたぞ」

紬「こんにちは、梓ちゃん」

先輩達はいつも通りに見えた。でも本当はきっと演技しているんだ。

唯「あずにゃーん!」

唯先輩が飛びついてきた。
ムギ先輩達の方をちらっと見ると、三人とも若干表情が強張っているように見えた。
もうこの抱きつきが単なるスキンシップには見えないのだろう。

梓「唯先輩」

唯「ん?なあに?」

梓「もういいんじゃないですか。話しても」

唯「えっ……?」

私は唯先輩を引き離して三人の方を向いた。

梓「皆さん、今日はお知らせしたいことがあります」

唯「ちょ、ちょっとあずにゃん」

梓「唯先輩」

私は唯先輩の耳元で囁いた。きっと大丈夫です、と。

澪「な、何だ?」

紬「何かな?梓ちゃん」

律「ど、どうしたんだよ、唯。そんなに焦っちゃって」

唯「ええと……」

梓「私と唯先輩は」

みんなが私に注目し、ゴクリと唾を飲み込んだ。

梓「一週間前に恋人になりました」

吹奏楽部の演奏と運動部の掛け声以外の音が消失した。

梓「驚かれたかもしれませんね。もっとも、既に噂でお聞きになったかもしれないですけど」

誰も口を開かない。いや開けないのか。四人の顔から血の気が引いていているように見えた。

梓「女同士なんて気持ち悪いのかもしれません。これからのことだって何もわかりません。でも」

でも。

「澪先輩。律先輩。ムギ先輩」

どうか。放課後ティータイムだけは。

梓「私達と、今まで通りに接していただけませんか?」

私は頭を下げた。

唯「……お願い」

唯先輩も頭を下げていた。

唯「私達、変なのかもしれないけど、このまま友達でいてほしいんだ。お願い。
  りっちゃん。ムギちゃん。澪ちゃん」

私達は二人並んで床をじっと見つめていた。夕日に照らされて部室は赤く染まっていた。
三人の影が私たちの足元にまで伸びていた。


律「……許さねーよ」

梓「えっ……」

顔を上げられない。

律「どうしてもっと早く教えてくれなかったんだよ!」

唯「えっ」

私達は同時に顔を上げた。

紬「唯ちゃん、梓ちゃん。よく話してくれたね。ごめんなさい、知らないふりして。二人の口から聞くまでは信じられなかったの」

ムギ先輩は優しく微笑んでいた。

澪「私達は応援するよ。ただ、唯と梓がどうしたいのかを聞くまではどんな風に接していいのか迷っていたんだ」

澪先輩は私達を交互に見つめて笑った。

律「全く。部長に無断で部内恋愛とは。けしからんなぁ」

律先輩は私と唯先輩の肩に腕をからませて茶化してきた。

唯「みんな……ありがとう」

梓「ありがとうございます」

ようやく全員の顔にいつもの笑顔が戻った。

律「ようし。じゃあ、これから二人の恋愛成就を祝いにファミレス行こうぜー!」

唯「お、いいねぇりっちゃん!」

梓「ダメです!練習してからです!」

紬「その前にお茶にしない?」

澪「紅茶、冷めてる……」

よかった。
私達はこのままでいられるんだ。



1ヶ月前。11月。


帰り道。
澪先輩、律先輩、ムギ先輩と別れ、唯先輩と二人きりで歩いている時だった。

唯「あずにゃん。今夜泊まりに来ない?」

唯先輩は徐に口を開いた。

梓「家の人は?」

唯「お父さんとお母さんはいないよ。憂は和ちゃんの所に泊まりに行くよ。一緒にケーキ作るんだって」

明日は土曜日。そして唯先輩の18歳のバースデー。

梓「いいですよ。どっちみち明日は唯先輩の家でお祝いですからね」

唯「うん。じゃあまた後でね」

私達は手を振って別れた。

明日はみんなが平沢家に集まることになっている。
澪先輩、律先輩、ムギ先輩、純、さわ子先生、和先輩。私と唯先輩と憂も入れると、9人。
私と唯先輩の関係を知っている9人だ。

他の人には話していない。この1ヶ月、何度か質問されることもあったが、ただの先輩後輩です、で通してきた。
またあらぬ噂(事実だけど)を立てられたくなかったので、唯先輩は人前であまり抱きつかなくなった。
その分部室とかお互いの部屋とかでは今まで以上にくっついていた。

くっつくというのは別に変な意味ではない。

お母さんに先輩の家に泊まりに行くことを伝えて家を出た。
平沢家にはもう何度も泊まりに行っているのでお母さんも「迷惑かけないようにね」と言っただけで、特に気にせず送り出してくれた。

梓「寒くなってきたな」

和「そうね」

梓「わっ!」

和「こんにちは、梓ちゃん」

梓「ど、どうもです。和先輩。今お帰りですか」

和「ええ」

気付いたら隣に赤縁眼鏡の生徒会長がいた。

和「梓ちゃんはこれからお出かけ?」

梓「ええ。唯先輩の家に」

和「そう。今夜は憂がいないから、唯のこと、よろしくね」

梓「は、はい」

和「ふふ、そんなにかしこまらなくていいわよ」

和先輩に私達のことを話したのは唯先輩だ。その時の和先輩の反応は
「そう。おめでとう、唯」
これだけだったらしい。
元より大した交流はなかったものの、それ以来私と和先輩が顔を合わせる機会は激減した。というより私が避けていた。

和「受験生なんだから本当は誕生日祝いなんて派手にやるものじゃないとは思うけど、一日くらいは大丈夫よね」

梓「え、ええ。私が唯先輩の家を訪ねる時はいつも勉強時間はちゃんと確保してますから大丈夫だと思います」

和「あら、そうなの。やっぱり梓ちゃんに唯を任せて正解だったわね」

梓「そ、そんなことないですよ」

和「いいえ。唯は私にとっては家族みたいなものだから、まともな相手と付き合ってほしいと思っていたけど、あなたなら大丈夫だと思えるわ」

梓「……女同士でもですか」

和「ええ」

私達の周りには理解のある人が多くて幸運だったのかもしれない。

和「梓ちゃんもね」

梓「えっ?」

和「梓ちゃんも、これからは私の妹みたいなものよ」

梓「えっ?」

和「あら、嫌だった?」

梓「いえ、嬉しいです」

ちょっと恥ずかしいけど。

和「でも、家族であっても言えないことってあるわよね」

梓「はい?ええ、そうですね」

和先輩は葉がほとんど落ちてしまった街路樹を眺めながら呟いた。

和「唯だってそうよ。あんなに明るい子だけど、隠し事の一つや二つは絶対にあるわ」

それはわかる。唯先輩は私への想いを長い間誰にも言わずに溜め込んでいた。
でも和先輩は何を言おうとしているのだろう。

和「今日の昼休みのことなんだけどね」
――――――――――――――――――――――

唯「うーん」

和「唯、わかった?」

唯「わっかんないー」

和「もう、だからこれはここをこうして」

唯「お腹すいたよー」

和「さっき食べたでしょ」

唯「昼休みくらい休ませてよー」

和「唯。もう進路決めたんだからそろそろ気合入れないと。澪達と同じ大学行くんでしょ」

唯「だけどさぁ」

和「将来のこともちゃんと考えないと駄目よ」

唯「……将来、か」

和「?」

――――――――――――――――――――――

和「あの時の唯の表情、きっと梓ちゃんのこと考えてたんだと思うわ」

梓「私のこと?」

和「唯は大抵のことなら私や憂や澪達に相談するけど、あなたに関することは特別なのよ」

梓「そんなこと……」

和「唯だってもう子供じゃないもの。女性同士のカップルが世間からどんな目で見られるかっていうことへの危機感は十分持っていると思うわ」

和先輩は私の顔を覗き込んだ。

和「だからね梓ちゃん。唯のことしっかり見ていてほしいの。唯が助けを求めてきたらしっかり受け止めてちょうだい。それができるのはあなただけなのよ」

梓「できるんでしょうか。私に」

和「できないなら別れなさい」

梓「えっ?」

和「言いすぎたわね。それくらいの覚悟を持ってほしいってことよ。唯には幸せになってほしいからね」

和先輩は遠くの空を見つめて言った。

和「結局、周りがいくら助けてくれたって本人達がしっかりしてなきゃどうにもならないのよ。同性同士のカップルってそういうものだと思うわ」

梓「わかっています」

和「梓ちゃんにばかり辛い思いをさせるのは悪いとは思うわ」

梓「いえ、これが私と唯先輩が選んだ道ですから」

和「そう」

和先輩は立ち止まった。

和「じゃあ私こっちだから」

梓「あ、失礼します」

和「最後に一つだけ」

梓「はい?」

和「あなたが唯を支えてくれるように、唯もあなたを支えてくれる。私はそう信じているわ。辛い時は分け合うといいわ」



平沢家。


唯「あずにゃんいらっしゃーい。入って入って」

梓「お邪魔します」

唯先輩はエプロンを着けていた。

梓「唯先輩が料理、ですか?」

唯「何その目?私だって料理くらいできるよ」

何度か泊まりに来てはいるがその時はいつも憂が作っていた。

梓「この匂いはカレーですね」

唯「うん、今日は中辛に挑戦だよ」

梓「手伝いましょうか?」

唯「いいのいいの。あずにゃんはお客様なんだから休んでて」

いや、ちょっと不安なんですけど。でもせっかく唯先輩がやる気を出してくれてるんだし。

梓「わかりました。じゃあ唯先輩の部屋に行っててもいいですか」

唯「うん。どうぞー」


唯先輩の部屋。
唯先輩の香りを肺いっぱいに吸い込む。……何だか変態みたい。

ひとまず乱れたベッドや散らかっている服、漫画を綺麗に整えることにした。
全くだらしない人だ。受験生は漫画を読む暇なんてないでしょうに。
ふと数枚の写真が貼られているボードに目がいった。ボードの中心に張られている写真は唯先輩と私のツーショット。
ちょっとうれしいな。


ひと通り片付いたところで私は唯先輩のベッドに腰掛ける。
シーツをなでながら、私はこの1ヶ月を振り返る。
二人だけの秘密は一週間ももたなかった。でもすぐにみんなが祝福してくれた。
相変わらず他の人達が私達に向ける目は冷たくて疑いに満ちたものであったが、これまでやってこれたのはみんなのおかげ。
だから後は私達の決意次第なんだ。

でも、どうすればいいんだろう。
何かが欲しかった。唯先輩と共に歩んでいくことを決定づけてくれる何かが。
シーツをなでる手を止め、シーツにじっと目を凝らした。
私達が異性だったら……。

ぶんぶんと首を横に振る。
唯先輩はそんなことをしたいなんて思ってはいないはずだ。これまで何度か同じ布団の中で寝たことはあるが、せいぜい抱き合う程度だった。
それで満足だった。……満足だよ。

シーツから目を逸らすと、ギー太と目が合った。
私は腰を上げ、ギー太を手に取った。
前はギー太に嫉妬したりなんて恥ずかしいこともしたけど、思えば唯先輩がギー太に出会わなければ唯先輩と私の出会いもなかったかもしれないんだ。
ありがとね、ギー太。

唯「あずにゃん浮気ぃ?」

梓「なっ!?」

唯先輩がすぐ後ろに立っていた。物音がしなかったから気付かなかった。

唯「ご飯できたよ、行こっか」

梓「もう、驚かさないでくださいよ」

唯「うぅ、やっぱり中辛はつらいよ」

梓「そうですか?とってもおいしかったです。ごちそうさまでした」

唯「えへへ、褒められちゃった。私の料理を毎日食べたいって思ってくれたかな?」

梓「毎日はカンベンですね」

唯「えぇ~!?」

梓「私だって料理くらいできますよ」

唯「あ、なるほど~。じゃあ奇数の日は私、偶数の日はあずにゃんってことでいいかな?」

梓「それじゃあ唯先輩ばっかり疲れちゃいますよ」

唯「じゃあ朝食とお弁当はあずにゃん、夕食は私で」

梓「毎日それだと辛いですから、たまには交代しましょうね」

唯「う~ん、朝はつらいしなぁ」

梓「私が起こしますから」

唯「頼むよ~」

二人で食器を洗った後、私達は自然とこんな話をしていた。
まるで、同棲か結婚を控えたカップルのようだ。


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最終更新:2010年11月14日 03:49