唯「いってらっしゃい、あなた」
梓「唯先輩は仕事しないんですか」
唯「う~ん、何ができるのかなぁ」
梓「……ミュージシャン、とか」
唯「さわちゃんに却下されたよ」
梓「私が言っても却下されそうですね」
唯「あずにゃんならなれるよ」
梓「いえ、現実的に考えましょう」
唯「じゃあ、さわちゃんみたいに高校で音楽を教えるとか」
梓「あ、それはいいかもしれませんね。桜高に戻って来て後輩に指導するのもいいですね」
唯「軽音部が廃部になってなければね」
梓「……大丈夫です。絶対に阻止しますから」
唯「じゃああずにゃんはそれで」
梓「あれ、唯先輩の話じゃなかったんですか」
唯「私はそうだなぁ。幼稚園の先生とか?」
梓「いいですね。きっと子供たちにも大人気ですよ」
唯「そうかな?」
梓「ええ。ちょっと頼りないですけど」
唯「ひどーい」
おままごとみたいなものだが、私達は和やかに未来予想図を語り合った。
でも唯先輩はそろそろ勉強した方がいいんじゃないかな。
唯「そして20年後や30年後には」
梓「唯先輩。そろそろ」
唯「20年後、30年後……」
梓「唯先輩?」
唯「あずにゃん」
この時私は和先輩との会話を思い出した。今日の昼休み、唯先輩は恐らくこんな顔をしていたんだ。
唯「20年後、30年後、私達は一緒にいるのかな?」
梓「そんな先のことはわかりませんよ」
唯「あずにゃんは一緒にいたい?」
梓「当たり前です」
唯「でも私達、女同士なんだよ」
梓「お金さえ稼げればなんとかなります」
唯「でも、他の人から冷たくされるかもしれないよ。今だって」
梓「唯先輩、辛いですか?」
唯「……正直、ね」
唯先輩は目を伏せた。どこか疲れた表情をしていた。
唯「1ヶ月でこれなんだもん。何年ももつかなぁ」
唯先輩のこんな表情は初めて見た。
誰からも好かれる明るい性格の唯先輩には初めての経験なのかもしれない。人から奇異の眼差しを向けられるのは。
私だって辛い。
でも、私は決心したんだ。
梓「私がいます」
唯「えっ?」
梓「私は絶対に唯先輩の隣にい続けます。私が唯先輩を守ります」
今の私には恥ずかしいという感情すらなかった。だって本心なんだから。
唯「そんなこと……証明できないでしょ」
唯先輩は目に涙を溜めている。
唯「あずにゃんもきっとそのうち疲れて私のことな…んか……?」
私は唯先輩を優しく抱きしめた。左手で頭をなで、右手で背中をさすった。
梓「私のこと信じられませんか」
唯「そ、そんなわけじゃ」
梓「確かに未来の私達を保証するものは何もありません。今だって辛いのにましてや未来なんて」
唯「私は怖いよ」
梓「でも、私達は今本気で愛し合っていますよね。違いますか」
唯「違わない」
梓「この気持ちがなくなると思いますか」
唯「なくしたくないよ」
……あれを提案したら、唯先輩はどう思うだろうか。あれをすれば私たちが愛し合った証ができるはずだ。女同士でもそうなのかはわからないが。
でも、このまま何もせずに終わるなんてやだ。
私は唯先輩の傍にいたい。
梓「唯先輩、今日は一緒に寝ませんか」
唯「え、いいけど」
唯先輩はきっとただ寝るだけだと思っているんだろう。でも違いますよ。
梓「唯先輩に私の跡を残させてくれませんか?」
唯「えっ?」
唯先輩はどういう意味なのか頭を巡らせているようだ。やがてその意味に気付いて赤面した。唯先輩にもさすがにそういう知識はあるのか。
唯「で、でも女同士でどうやって?」
梓「私だってそんなに詳しくは知りませんよ。その、指を入れたりとか、くっつけ合ったりとか、じゃないですか」
唯「そ、そもそもどうして?」
梓「恋人しての証です」
唯「証?」
梓「恋人じゃなきゃそんなことしないでしょ」
唯「それは……そうだけど」
梓「唯先輩、私は本気で唯先輩が好きなんです。それを示すにはこうするしか思いつかないんです」
私は唯先輩を強く抱きしめた。
強引かもしれない。でもちょっとくらい強引じゃないとこれからやっていけないと思う。
精神的にタフだと思っていた唯先輩がこんなに弱っているんだ。
私が引っ張らないとダメなんだ。
別に行為自体にそれほどの意味があるとは思っていない。
ただ、不安を消すくらいならできるんじゃないかと思うんだ。唯先輩の不安も、私の不安も。
唯「……わかった」
梓「唯先輩?」
私は唯先輩を腕から解放した。
唯「その前にお風呂かな。準備して来るね。あずにゃん、先に入っていいよ」
唯先輩は私に顔を見せることなく部屋を出て行った。
私はベッドに腰掛けて唯先輩が風呂からあがるのを待っていた。
唯「おまたせ。ん?メール?」
梓「はい、先輩達にです」
唯「何かあったの?」
梓「いえ、明日の集合時間を9時から10時に変更しないかって提案を」
唯「どうして?」
梓「遅くまでかかるかもしれないじゃないですか、今夜」
唯先輩はまた赤面したが、顔を見られたくないのかすぐに私に背を向けた。
梓「もちろん、皆さんにそういう理由だって伝えたわけじゃないですよ。唯先輩がどうしても深夜映画を見たいって聞かないからって伝えました」
唯「あずにゃんの意地悪」
そう言うと唯先輩は振り向いてベッドの方に歩いて来た。
そしてベッドの向こう半分に身体を寝かせた。また私に背を向けていた。
私も身体を横にし、唯先輩の背中に身体をぴったりくっつけた。
梓「やっぱり、怖いですか」
唯「うん」
梓「しょうがないですよ。初めてなんですから……」
唯「そっちじゃないよ」
梓「えっ?」
唯「これからのこと。私たちが大人になってからのこと。先のことが全然見えなくてすごく怖いよ」
梓「唯先輩」
私は目の前の震えた身体に腕を回した。震えが少し弱まった気がする。
唯「でも、私まだまだ頑張れる気がするよ」
梓「どうして?」
唯「だって、あずにゃんが一緒に来てくれるんでしょ」
振り向いた唯先輩の顔はよく見えなかった。
だってすぐにくっついちゃったから。
「あずにゃん」
「はい?」
「どうしたの、ボーっとしちゃって。眠い?」
「いえ、ちょっと考え事を」
「そっか。でもそろそろ準備しなくていいの?」
時計を見ると既に6時半だった。
「じゃあこれを飲んでからです」
「そうだね」
唯先輩はホットミルク。私はブラックコーヒー。
「しばらくあずにゃんと頻繁には会えなくなるね」
「受験ですから。しょうがないです」
「だから今日はいっぱい思い出作ろ」
「ええ、そうですね」
私はコーヒーを口に含む。苦い。
まだ器には半分ほど残っているが、飲み切れるか不安だ。
隣の唯先輩を見ると半開きの目でミルクを飲んでいる。
唯先輩には甘いものが合う。子供っぽいから、ではない。
いつも私をとろけさせる甘い香り。
気負いすぎの私を優しく鎮めてくれる優しい腕。
私のすべてを受け入れてくれるあたたかい笑顔。
私が一番守りたいもの。
勝手だけど唯先輩にはずっとホットミルクを飲んでいてほしい。
私はコーヒーを口に流し込むことにした。
「あずにゃん」
唯先輩はカップから口を離していた。
「なんですか」
「カップ貸して」
「? はい」
唯先輩にカップを手渡した。
すると唯先輩は自分のミルクを私のコーヒーに入れ、スプーンでかき混ぜた。
「なにしてるんですか、唯先輩」
「えへへ、あずにゃん」
唯先輩はミルク入りコーヒーを一口飲んだ。
「一緒に飲もうよ、あずにゃん」
あぁ、やっぱり敵わないな。
私もミルク入りコーヒーを一口飲んだ。
END
最終更新:2010年11月14日 03:50