梓「先輩達と同じとこ勉強しても何の役にも…」
憂「何言ってるの梓ちゃん!
おねいちゃんと同じところを勉強することが勉強になるんだよ♪」
梓「は…えっと…」
梓には憂が何を言っているのか理解できない。
こうして紬講師のもと、補習は進む…とおもったのだが…
唯達の授業に紬はまず、『日本書紀』(もちろん漢文)を使った。
(高校生用に諸記号は割り振られている)
どの部分を使ったかというと第十六巻『表題 小泊瀬稚鷦鷯天皇』
である。
小泊瀬稚鷦鷯天皇(おはっせのわかさざきのすめらみこと)とは武列天皇、
第二十五代目の天皇である。
日本史唯一といってもいい、悪逆の天皇(として記述された)天皇だ。
どのようなことを行った天皇かと具体例を挙げれば、
自身の興味で妊婦の腹を割き、ある女性のために有力家臣と争ってその家臣の一族を滅ぼしたとされる。
(この記述自体が史実である証拠はまったく無い。)
これを教材として選んだ紬の意図自体は簡単。
男性へ幻滅するような内容が日本史に付き物であることを、『生徒』四人に示そうとしたのである。
律「ムギ、いくらなんでも…えぐいぞ…ちょっと…」
紬「勉強なんだから♪しっかりと読み進めなさい♪」
紬の後手には、女性間の愛情を表現した
古代ギリシアは女性詩人サッフォーの詩の英語訳が握られている。
この後に、一挙に百合へと持っていくつもりなのだ。
唯「ねえ、ムギちゃん。」
紬「なあに?」
唯「今のてんのうーへいかってこの、"ぶれつ天皇"の子孫なの?」
紬「武烈天皇に子孫はいないわ。
武烈天皇のお姉さんか妹と結婚した親戚の方が天皇になられて皇位を継いだの。
今の天皇陛下、今上陛下はこの天皇の子孫にあたられるわ。」
唯「昔のてんのーへいかって、こんな悪い人ばっかなの?」
紬「えっと…大小あるけれど、暴君、悪い王様のことね、
なのはこの人ともう二、三人よ。
その天皇のいずれも、今の陛下と直接的な血のつながりは無いわ。」
唯「いやぁ、酷いねえ…ひどい…」
唯が思案顔で首を振りつつそう言う。
紬は内心、ニヤリ、とする。
紬「昔は常に男性上位、今もだけれど、だったから。
日本には上は武烈天皇から、下はもっと女性に非道いことした人までたくさんいるのよ。」
紬「とにかく、いつの時代でも、男の人は…」
梓「あれ、でも、この教材には『古事記』と『日本書紀』では記述も違うし、
その悪逆な内容も中国の歴史を真似て、
あとに即位した天皇を正当化するための脚色に近いもの。
って書いてありますよ。」
資料の後半部にあるページを紬に示す梓。
紬「!?」
紬「しまったわ…消すの忘れてた…」
律「おいおい、ムギよぉ…」
律が畳み掛ける。
律「まさかとはおもうけど、これでさぁ…」
紬「お、おとこが悪いのよっ!おとこがっ!
この資料の編集した人達もほら…」
資料の後半部を手で強く示す紬。
そこに書かれた名前は全員、男性のそれ。
紬「今の社会は男がつくって男達の都合の良いようにできてるの!!」
紬「だからそんな下劣なオスどもを見捨てて、女性だけですばらしい恋愛をして、
恋愛をして、恋愛をして…社会を作っていかなければならないのよっ!」
紬「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!!」
一気にまくし立て、息の切れる紬。
梓「あのうそれは全く紬先輩個人の希… 憂「紬さん!!」
憂「素晴らしいお考えですよ!!」
憂「女性同士が恋愛できる社会!!」
憂「まさに究極の理想、ぜひに実現させねばならないものです!」
紬「憂いちゃん…」
紬「そぉね…道のりはまだまだ険しいけれど…」
憂「紬さん…!」
梓「…」
唯「あのさー、ちょっといぃ?」
紬に向け発問する唯。
唯「このぶれつてんのー陛下は、わざと悪く書かれているってことだよね?」
唯「悪く書かれたってことは、
もともとは悪く書かれるほど悪くなかったってことでしょ?」
唯「じゃあさ、なんで、わざと悪く書かれたの?
このぶれつてんのーはみんなに嫌われてたの??」
紬「えっとね、それは昔から男どもが…」
梓「先輩ストップです!!」
梓が割り込む。
梓「多分ですけど、武烈天皇とその後の天皇は血が繋がってはいないんですよね?
なら、後の天皇が天皇になった理由付けのために…」
梓「武烈天皇は悪人にされたってことじゃないんですか?」
唯「なんでそんなことするの?
陰口言われるのと同じことだよね?」
唯「私だって…いろいろ変なことやって皆に迷惑かけてるのに…」
唯「ずっとずっと昔の王様が今でも陰口言われてるのは…
すごく悲しいことだよ…」
唯は悲しそうな顔をし、紬の部屋の、ベランダに面した窓を見る。
紬の部屋は母屋の二階にあり、ガラス越しの先にあるベランダは六畳ほどの広さがある。
そのベランダの先の彼方にある暗闇で、一瞬、何かが光った。
唯「あれ??」
律「どーしたぁ?唯??」
律が唯の表情、怪訝なそれ、に気付く。
唯「なんか、あっちの方で、なんかが光った…」
唯はベランダはガラス越しに近づき、そのを方向を指差す。
紬「あっちは…第三小広場ね。」
律「ツリーを置いたとこだな。…不審者か何かじゃないの??」
紬「それは無いわ。お家の塀を越えて侵入した瞬間に黒コゲになるはずだもの。
夜警の人間が持っている何かが光を反射したんだと思うわ。」
梓「黒コゲ…」
金持ちは本当に何を考えているかわからない、と梓は思った。
紬「とにかく、気にするほどの事ではないわ。」
そう言い終えると、壁にかけられた、
いかにも値の張りそうな掛け時計を見る。
紬「もう良い時間ね。明日は学校もあることだし、
お休みしましょう♪」
そういうと紬は立ち上がり、私室の一角にある扉を開く。
もうひとつ続いて部屋があり、寝室となっていた。
律「いつ見てもあのベッドは羨ましいぜ…」
律の視線の先には、王侯貴族が用いるような天蓋付きのベッド。
紬「今日は地べたにお布団を敷かせたから、みんなで固まって寝まし
ょう♪」
寝室の中央あたりのスペースには、
いくつかの布団と掛け布団がこぎれいにセッティングされており、
そこに天上や側面から軟らかく輝く照明が降り注いでいる。
律は、聡秘蔵のエロビデオでこんなシチュ見たことあるな、と思ったが、口には出さなかった。
-消灯から数時間後-
唯は眼を覚ました。
音も無く、橙の薄明かりがわずかに室内を照らす。
すぐに眼が冴えるのを覚える。
まどろみへ沈もうとするが、意識すればするほど、意識は尖鋭になる。
薄明かりの下に、まわりを見回す唯。
左隣の律は、静かに寝息。
右隣の憂は微動だにしない。おそらく寝ている、と思われる。
憂のさらに右となりには、紬、そして梓と続く。
唯「あれ?」
よく見れば、梓の下腹部あたりが布団越しに少し膨らみ、
微動しているのがわかる。
梓もゆっくりと寝息をついているが、
その横の紬の瞼が、ほんの少し、細かく痙攣している。
側面を向く紬の顔、そして紬の瞼の先には梓。
鋭い人間なら紬が薄目を開けているのがわかるだろう。
唯はついぞ気がつかなかったが。
唯は律が寝ているその先、寝室の窓側に目を向ける。
そして、窓越しの彼方、何かが視線の先で輝いている。
就寝する前、ふと目にしたあの輝きと同じ色、そして同じ方向。
その輝きの色は薄い蒼とも翠とも判別がつかない。
形は円形だろうか?
唯(やっぱり…あの光り…)
唯は起き上がり、寝室のドアへと歩む。
紬が唯の背後へ薄目を向けたが、
先ほどと同じく、唯は気がつかなかった。
深夜の琴吹家母屋。その玄関前ロビー。
当然、真っ暗闇のそこには誰もいない。
ロビーを進み、玄関の扉、唯の二倍程もある、をゆっくりと開く。
冷気が唯の全身に向いかかってくる。
唯「さむっ!」
京都は盆地にある。
ために、冬場はひどく冷え込む。
唯は、玄関前の正面広場を斜めに横切り、
あの光があるであろう所、第三小広場を目指す。
そしてあの樹、唯達のクリスマスツリーとなるべくされた、
あの樹が見えてくる。
その樹の上空数メートルに、唯が見たあの光が止まっている。
いや、少々だが、ぶれる様にして小刻みに動いている。
『生命の樹』の前にたどり着く唯。
そして、唯が停止するのと同じくして…
あの光が唯の目前に急降下した-
『やっと来たようね。』
光、いや光球から声がする。
光球の輝きは、やや白みを帯びた赤色へ変わっていた。
直径は10cmほど。光球が発する"フレア"を含めれば、直径30cmほど。
唯は驚きのため、何事も発しえない。
見開いた眼(まなこ)で、顔前近くに佇む紅い光球を見る。
『あなた、名前は?』
光球から声が続く。
唯は声を発しえない。
『ふぅ…』
『あなた!』
『あなたの名前を聞いているの!』
光球の声は強さを帯びる。
「ゆ、い…ひらさわ、ゆい…」
『ゆい…そう、良い名前ね。』
光は落ち着いた声音に戻る。
唯「あ…」
唯「え、えっと…」
『私のことね?』
光球がそう答える。
『私は、まあ、精霊の一種なのだわ。とはいっても、
昔は実体を持っていたのだけれど…』
『そうね、しん…い、いえ、ホーリエとでも呼んで頂戴。』
「…」
唯は黙ったまま。
『この樹はね…』
聞かれてもいないのに、精霊は続ける。
『LIGUNUM VITAE(リグヌム・ヴィタエ)。』
『封印に書かれていたでしょう?
サンジェルマン伯爵"とも呼ばれた"、さる稀代の錬金術師が作り上げた樹よ。
私は、それに宿るもの。』
唯は答えない。
『なぜあなたの前に私があらわれたのか、ね?』
またまた、聞かれてもいないのに精霊は続ける。
『あなたは古代の暴王に強い憐憫を覚えたわ。
それに私が興味を覚えた、とでも言っておこうかしら。』
『人間の歴史が始まってから、暴君と呼ばれた王達は数知れず。
だけれど、彼らに同情を向けた者など…ほとんどいないもの。』
『それに私の直感も加味して…だから。』
『…あなたになら、≪天上のノモス≫の秘密を教えてもいいとおもったのよ。』
唯「天上の、ノモス??」
唯がやっと口を開く。
『天上のノモスは…』
『人間が意識を持ち始めて以降、
それがためにずっと苦しんできた、ある、巨怪な"謎"をとく鍵。』
「ノモスって、なん、な…の?」
『ノモスはまあ、そうね…良いこと、のために人間を縛るもの、
そして縛られてできた良い状態。
天上のノモスは、大地のノモスと対になるもの。』
『狭い意味で、大地のノモスは人間に関わる全ての法律や規範を指すわ。
ある高名な人間は、特に国際法を比喩的にそうよんでいたけれど。』
唯「…」
唯は言葉を発しない。
『ゆい、あなたの瞳は、穢れていないままの瞳。
男、金、名誉…そういったものから、生まれてきたときからずっと、離れたまま。』
『だけれど、』
『人間が最後の息を吐き出すそのときまで、
穢れない瞳を保つことは…ほとんどないの。』
『戦い、戦い、戦い。取り分を争う相手との、憎む者との、愛する者との、
…そして、血を分けた者たちとの。』
そう言う精霊の声音に、悲しみの色が、少し、混じる。
『あなたに、まず教えましょう。』
声音をもどし、精霊がそう言う。
『目的のために、手段を用いて、人間は目的に到ろうとする。』
『だけれど、目的こそ、人を誤らす最も大きな原因でもある。』
『その過ちは、個人の目的が、集団の目的に束ねられるときに起こるわ。』
『それは、本来には、より良いことのために、束ねられたはずなのに。』
『巌(いわお)が長い年月をかけて、その形をかえるように…』
『人間の行いに付属する小さな悪は、束ねられて、時を経て、
取り返しのつかないものになるの。』
『今はここまで。』
『あとさきに、あなたは≪天空のノモス≫を知り…』
『≪生命の実≫へと手を届かせるぐらいまでなるでしょう。』
『今はお部屋に帰りなさい。』
『再び床にお入り。』
そういうと、精霊はゆっくりと上昇し、『生命の樹』の中へと消えていった。
最終更新:2010年01月25日 15:32