――じんわりと寒さを帯びてきた風を浴びながら、朝の道をゆっくりと歩いていると声をかけられた。
憂「ね、お姉ちゃん」
今、傍らで私を見つめるこの子の名前は
平沢憂。
私の、一つ下の妹。
唯「んー?」
声のする方、隣へと顔を向けると、私よりも少し柔らかな、くりくりとした目を向けられていた。
なぜだか、胸の辺りが脈打つ。
憂「あのね…その、」
しどろもどろに話す妹は、次第に目を伏せて恥ずかしそうに爪先で地面を突っついている。
憂「……手、繋いでもいいかな…?」
唯「へ?」
いつもならこんなふうに言わないのに。
照れながらも私を見つめるその妹は、いかにも女の子といった空気を纏っている。
憂「…だめ?」
こんな、こんな上目遣いをされてしまったら…
唯「も、もちろんいいよ」
断ることなんて、絶対に出来るわけがない。
憂「えへへ、ありがと」
そっと触れてくる妹の手は、とてもやわらかくて、あったかい。
唯「うん」
高鳴る心臓を悟られないように、目線を再び前へと向けた。
夕暮れの帰路を、とぼとぼと歩く。街中は閑散としていて川の流れが聞こえるくらい。
その日の学校は、いつも以上に身が入らなかった。
どうにも朝の妹が頭から離れず、考えるたびに顔が熱くなったから。
思えば妹は、昨日の晩から一気に、その……かわいくなった。
もちろん今までだってかわいい妹だった。
妹に敵うものなんて私の中では存在しなかったし、だから私も精一杯に妹を愛でた。
しかし、昨日の晩からはどうにも今までとは違う。
目を合わせるのがなんだか恥ずかしくて、でもずっと考えていたくなってしまう。
まるで私は恋する乙女のように、悶々とした思考に囚われてしまっていた。
なんだかこんなにまでなってしまった自分を認めたくなくて、もう一度妹に会って確かめてみることにした。
家へと歩く足は、次第に早くなる。
――早く、憂に会いたい。
扉の前に立つと、十年以上馴染んできた取っ手を取るのに少しだけ体が緊張してしまった。
この扉を開ければ、妹はいつものように迎えに来てくれるのだろう。
今までは、どんな顔を私は向けていたのだろう。
気にしてしまうとそればかりが気になって、取っ手を握っては離すを繰り返す。
唯「えいっ!」
両頬を両手で叩いて気合を入れる。
どうして、なんて聞かれても分からない。
ただ、体が強ばって顔も熱くなってきたから。
そして私は、勢いのまま思いっきり扉を引いた。
唯「たっ、ただいまー!」
少し噛んでしまったけれど、なんとか声をひねり出した。
拍子を置いて、聞こえてくるスリッパの音。
憂「おかえりー」
唯「た…ただいま」
エプロン姿の妹は、すっかり見慣れているはずなのに私は直視をできない。
挙動不審な私を、妹は首を傾げて不思議そうに眺めている。
駄目だ、目を向けられない。体が、動かなくなる。
~~~
昨日の部室。
ぐだぐだと紅茶を啜り、ケーキを貪る私に向かって、ふと漏らされた一言。
律「唯の話、憂ちゃんのことばっかりだなー」
唯「えっ?」
思わず声が出た。
私は、そんなこと考えずにただ好きなことを話していたから。
唯「そんなこと……ない、よ」
律「いーや、今だって憂ちゃんのこと話してたじゃん」
そうだ。
憂は、私の自慢の妹だから。
だから気づかないうちにいっぱい話してしまうんだ。
唯「で、でも!ちゃんと学校の話だってするし!」
何故か分からないけれど意地になって反発した。
梓「ちゃんとってなんですか」
唯「えっと…つまり!憂のことばっかりじゃないよ!」
別に指摘されたのが嫌だったわけじゃない。
でも、心が乱されて前が見えなくなってしまいそうだった。
澪「いいなー唯は。私も憂ちゃんみたいな妹がほしい」
唯「なっ、やっ…ダメだよ!」
冗談だって分かっているのに、信じられないくらい私は焦ってしまった。
紬「二人とも仲いいから羨ましいわぁ」
唯「う、うん…」
仲がいい。
そう言われて渦巻いたのは、正とも負とも言えない複雑な感情。
嬉しい、とか嫌だ、とかいろいろな感情が一緒に流れてきて、整理もつかないまま立ち上がった席に座る。
嬉しい、はもちろん分かる。
でも、嫌だ、と思ったの分からない。
唯「あっ、りっちゃんの苺もーらいっ!」
律「あーっ!」
けれども私はその話を続けているのが嫌で、無理やり苺を口に押し込んだ。
憂「お姉ちゃん?」
唯「へっ?」
気がつくと、妹が下から俯いた私を覗き込んでいた。
その距離があまりにも近くて、私は思わず後ずさる。
憂「大丈夫?」
唯「あ、うん、平気!」
そうだ、昨日のあの後からだ。
私が妹をこんなにも意識するようになったのは。
妹は至って普段どおりなのに、変に気を回してしまう私が恥ずかしくなる。
憂「そっか、じゃあ着替えてきてね」
そう言ってあっという間に階段を登っていってしまう。
その背中に、いつもは名残惜しさを感じていたのかは、思い出したくない。
憂「おねえちゃーん、お風呂湧いたよー」
ひょっこりと妹が洗面所から顔を出した。
唯「うんー」
べったりと張り付いていたソファから体を剥がし、顔をそちらに向ける。
憂「私はお姉ちゃんのあとに入るから」
するとそこには、いつも私のために家事をこなしてくれる妹。
唯「…ね、ねぇ」
昨日の夜からずっと、逸る気持ちを抑えられなくて私は妹に尋ねた。
憂「なあに?」
もっと、憂と近づきたい。
唯「お風呂…一緒に入る?」
憂「へ?」
後悔するのは遅すぎた。
ぽかんと妹が口を開けたまま、時計の針の音だけが部屋に響く。
憂「え、えっと……」
ようやく口を開いてくれたのは、暫く経ってからのこと。
私はなんとか訂正の言葉を探して頭を探った。
唯「ご、ごめんね!今のは…その…」
ぐるぐると頭が回って何を言えばいいのかわからない。
すると、
憂「……お姉ちゃん、」
唯「…え?な、なに?」
憂「お、お姉ちゃんがいいなら…」
高鳴る胸が、さらに跳ねて私の心を暴れさせる。
憂「……一緒に、入りたい」
一瞬、言葉に詰まる。
しかし、答えなんてもう決まっている。
唯「……うん、入ろ」
こんな誘惑に、敵う人間なんていやしない。
未完
最終更新:2010年11月17日 03:36