そして教室を出て行った。
出る直前に少し振り向き、ちょっと笑っていた気がした。
憂「……」
教室に沈黙が流れる。
声が出なかった。
聞こえるのは部活中の人達の声と
自分の心臓から伝わる鼓動だけだった。
唯「うい」
憂「お姉ちゃん」
ほぼ同時に言った。
唯「あ……」
憂「あ……」
唯「ういからどうぞ……」
憂「お姉ちゃんから……」
また同時だった。
唯「……ふふふ」
憂「……えへへ」
何だかおかしくて笑いが出てしまった。
少しの間教室にこだまする私達の笑い声。
緊張もほぐれたと思う。私も憂も。
唯「私から言うね」
こくりと憂は頷く。
よしいくよ。
深く深呼吸して気持ちを一新させた。
唯「うい。ごめんね!」
返事が無かった。
嫌な汗が出るのが分かった。
やっぱり嫌われたのだろうか。
少し気持ち悪くなってくる。
嫌だ。自分が嫌だった。こんなことした自分が。
憂「なんで……」
唯「え?」
憂「何であやまるの?」
唯「だって……私、今朝ういに」
憂「うん。びっくりした」
憂「お姉ちゃんの顔、ちょっとこわくて」
こわいと言う言葉が胸に刺さる。
憂が私を怖がらせたことなど一度も無いのに。
お姉ちゃんの私が怖がらせて本当に――バカだ。
唯「うん、ごめんねごめんね」
またぽろぽろと涙が零れた。
妹の前でこんなに子どもみたいに泣いて。
情けなかった。
憂「泣かないでお姉ちゃん」
憂はハンカチで頬を伝う涙を、目に溜まる涙をキレイに拭いてくれた。
――そして頬にキスをしてくれた。
唯「……え」
憂「えへへ、昔、泣いていたお姉ちゃんにお母さんがやってたことだよ」
憂「ほら、お姉ちゃん泣きやんだ」
いつの間にか私は泣き止んでいた。
そんな私を見て憂はクスクスと笑った。
憂「私ね。嫌じゃないよ。お姉ちゃんにキスされたの」
唯「ふぇ」
憂「ただ……急にだったからちょっとビックリしちゃって」
憂「顔もね、いつものお姉ちゃんじゃ……なかった……から……」
だんだんと声が暗くなっていき最後には憂の目から涙が溢れていた。
唯「うい……ないちゃダメだよ……」
泣く憂の頭を優しく撫でて、ハンカチで憂と同じ様に拭いてあげた。
――そして同じ様に頬にキスをした。
唯「泣き止んでくれた」
憂「うん……お姉ちゃんのおかげ」
憂は満面の笑みで言う。
その笑顔は薄暗くなってきた教室を照らしてくれるようだった。
唯「えと、ちょっと聞きたいことが」
憂「うん?」
唯「えと、ね。さっきの嫌じゃないってのは……?」
憂「あ……」
ドンドン紅くなる憂の顔。
目は落ち着かずキョロキョロと動いている。
手や足をもじもじさせて私を上目遣いで見詰めた。
憂「えとね……」
唯「うん、落ち着いて」
憂「ふー」
憂「その、昔から……お姉ちゃんといつかキス、出来たら……いいなぁって思ってたから」
私は耳を疑った。
私とキス?昔から??本当に???
少し足元がくらくらと揺らいだ。
顔も混乱で固まっているだろう。
けど、そう言った憂の顔は私とは違い今日一番の紅い顔をしていた。
さっきからその上目遣いが艶かしく
けど、キレイで目が離せなくて私の胸の鼓動を早くするばかりだった。
そして私は知らず知らずのうちにアノ言葉を発していた。
唯「可愛い」
憂「えっ」
唯「あっ」
はっと顔を上げた憂は目が点になっていた。
そして頭から湯気が出そうなくらいに顔を真っ赤に染めた。
憂「かっ、か、かわ……ぃぃって……」
そう言うと顔を両手で覆ってしまう。
――ダメ。私に見せて。
私は憂の顔を覆う両手を解いた。
憂「あっ……」
唯「うい……」
この顔が。この可愛い顔が私を動かした。
激しい情動に呑まれるが今度は大丈夫。
憂を泣かせない、怖がらせないと誓ったから。
唯「うい……キスしたい……ういにキスしたい」
憂「おねぇ……ちゃん」
唯「いい……?」
憂「……いいよ」
憂を強く抱きしめた。
柔らかく、良い匂いがして、とてもあったかかった。
今朝のような震えはもう無い。
今度は優しく上手にやろう。
憂「私ね。今朝のがファーストキスだったんだ」
憂「でも、あんな無理矢理は嫌」
憂「忘れさせて。今朝のこと忘れるくらいのキスを……ください……」
憂「本当のファーストキスを……」
そう言い憂は目を閉じた。
ファーストキス。憂のファーストキス。
女の子にとって、とっても大事な初めてのキスを無理矢理奪ってしまった。
けど、後悔の念より
憂の気持ちに応えるべくやる気となったこの気持ちのが勝っていた。
私は小さく息を吐いた。
そして憂の肩に手を置く。
憂の顔。
頬を紅く染め、少し顔を上に上げ、唇は薄く開いている。
緊張のためか、手は胸の前でぎゅっと握られていた。
――怖がらないで、緊張しないで。
――ほぐしてあげる。
――後はお姉ちゃんに任せて。
そして私は憂の頬に手を添え、優しく口付けをした。
少し夕日が差し込むこの教室で。
私達は唇を通じて一つになった。
今度こそ憂にとって本当のファーストキスだ。
それも私も同じだった。
私達は長い間口付けを交わす。
今はただ優しく触れるだけだ。
これでいい。今はこれでいい。
この優しく甘いキスが私達のファーストキス。
この上ない幸せが私達を包んでくれた気がした。
憂……大好きだよ。
唯「ふぁ……」
憂「んん……」
長い長い口付けを終え、顔を離す。
憂「よかった……」
唯「……よかった」
唯「ういー」
力強く抱いた。
腕に再び残る憂のぬくもり。
それはいつでも、どんな時でも心地よかった。
憂「さっ、お姉ちゃん帰ろう」
憂「今日は記念日。何か美味しいもの作るから」
唯「あっ。まだ部活が……」
憂「えへへ……部活はいいの」
憂はニコッと笑う。
部活――ああ、あずにゃんが何か言ってるかな。
そして私達は手をつないで家へと向かった。
夕日が眩しく私達を紅く染める。
それは手をつないで、少し頬が紅くなっているのを隠すように染めてくれた。
憂「お姉ちゃん、今日は何が食べたい?」
唯「んー憂の好きな物!」
憂「じゃあ、お姉ちゃんの好きな物だね」
唯「うん、そうだねー」
私達は笑いあった。
今日笑いあえたから、明日も笑いあえる。その次の日も。
私達だから笑いあえるんだ。
だって、私の妹はこんなにも可愛いから。
誰だって笑顔になるよ。
そして私は特別に笑顔になるんだ。
だって憂のことが好きだから。
憂もだよね。
唯「うーいー」
憂「なーにー」
唯「可愛いよ」
憂「お姉ちゃんも」
おしまい
唯「憂がかわいすぎてもうペロペロ」
――妹のことが好きです。
毎晩のように妹に強請るアイスクリームよりも、周りにいるどんな人よりも。
でも、そんなことを伝えられないこの立ち位置が、どうしようもなくもどかしい。
姉妹、そんな言葉がいつだって私たちには付き纏います。
小さい頃から、私たちは仲がいい姉妹とよく言われてきました。
妹はそれをただ純粋に喜び、私はただ子どもだったが故に喜んでいました。
しかし、今ではその言葉も私に現実という壁を叩きつける重く辛い宣告でしかなくなり、
言われる度に、私は耳に泥水を流しこんでも塞いでしまいたい衝動に駆られるのです。
辛い、とっても辛いのです。
この気持ちを、誰か、妹でなくて良いからぶちまけてしまいたい。
でもそれさえも私には許されないのです。
ただ同じ母親から生まれてきた、その事実が一生立ち塞がり消えることはありません。
年齢を重ね、次第に現実感を帯びる私の届かない想いは、何度枕を濡らしたか分かりません。
この気持ちはいっそのことなくなってしまえばいいのに。
そんな考えだって何度したか分かりません。
でも、妹の声を聞くたび、笑顔を見るたびにその気持ちは大きくなる一方なのです。
ただ、安心できるのは側にいる時だけ。
妹の隣は、まるでそれらのどうでもいいことからは隔絶されたような、ゆっくりとした時間が流れるのです。
せめて、この時間だけは許してほしい。
誰に向かってでもなく、私は少しの罪悪感に苛まれながら横の温かさを確かめます。
「お姉ちゃん?」
聴き馴染んだ、未だに聴くに慣れない妹の声が向けられます。
心配させてしまうなんて、全く以てダメな姉です。
「なーに?」
ソファの上で妹に寄り添いながら、気取られないように答えます。
「今、なにか考えてたでしょ」
人の心情の変化に聡い妹は、たったこれだけの事にも勘づいてしまいます。
心配は掛けたくないのに。
「……憂には隠せないね」
甘えてしまう私。
「うん。お姉ちゃんのことだもん」
飛び上がるほど嬉しいその言葉に、また抱いてはいけない甘えと恋慕の気持ちが大きくなります。
私の妹は、私のことを誰よりも分かっていてくれる。
そう思っただけで、どんどん顔が熱くなってきて、遂には見られないように伏せてしまいました。
「……教えてくれる?」
優しさから向けられるその言葉と、晒してしまいたい誘惑に、私は堪らなくなって憂へと振り向きました。
言ってはいけない。
だから少しでもこの気持ちに気づいてもらえたら、と私は一抹の期待をかけ、そんな目で憂の目を見据えます。
「……お姉ちゃん?」
すぐに妹は、その目線に含まれたものがあると感づき、少しばかり思案を始めます。
もし気づいて貰えたら、私はどうしたらいいのかな。
期待するのは僅か、でもその希望に心の大半を占められて私の体は強ばるばかり。
「……憂?」
気がつくと、憂は私を見返してまた何かを伝えるように目線を送っています。
意味が解らない私は、その目に込められた意図を読みあぐんでいました。
――その時までの私は、きっと逃げていたから。
綺麗なままの憂の丸い目に見つめられて、
――だから気づいていないふりばかりが上手くなって、ずっと憂に期待を向けていただけ。
私は恥ずかしさのあまり目線を逸らしてしまいます。
――苦しんで苦しみ抜いたというのも、自分は何もしなかったから、その言い訳をしただけ。
でも憂は私を見つめたまま、
――本当に苦しかったのは、私なんかじゃない。
私に言葉を求めるように、じっと、その場を動きません。
言わなければいけない言葉は分かっていました。
きっと、憂も同じ気持ちだと分かっていました。
だけど、自信も勇気もない私には、それだけを知って逃げることしかしませんでした。
憂はなんでも出来る自慢の妹だから。
だからいずれ憂から、なんて甘い考えを何時までも持ち続けていたのです。
いざという時は、お姉ちゃんが。
なんてそんな考えは、都合よく何処かへ追いやったまま。
でも、今はもう逃げることは出来ません。
憂が、大好きな憂が私に期待していてくれるから。
例え常識が駄目だと言ったところで、私にとって憂は全てなのです。
憂を失望させてしまいたくないから、憂にいよいよこの気持ちを伝えなくてはならないから、
私は暗澹たる心の淵から、どうにか勇気と言うものを振り絞りました。
「…う、憂」
「なあに、お姉ちゃん」
「言いたいこと、あるから。…聞いて欲しい」
「…うん」
何回も気休めにしかならない深呼吸をして、どうにか暴れまわる心臓を抑えます。
優しい憂はそんなことに何も言わずに待っていてくれて、それが私の緊張を煽ります。
いよいよ静かになるリビング。
「仲の良い姉妹」にとっては、些か不自然な雰囲気かもしれません。
そして私は、
「…私ね」
世界で一番大切な人に、
「うん」
逸る心臓に負けてしまいそうな声で、
「……憂のこと、すき」
告白、をしました。
「そっか」
分かっていたかのように呟く声は、少しばかり私を不安にさせます。
「……うん」
憂の表情を確認しようとしても、上を向いてしまって見えません。
私の中には、たった今の言葉が反芻して今にも消えてしまいたくなってしまいます。
言ってもよかったのかなんて、そんなことは未だに見当もつかないまま。
「お姉ちゃん」
同じく上を仰いで、その隙に漏れる妹の言葉。
「えっ…」
振り向く間もなく、私の頬には柔らかい感触が広がります。
「あっ……」
そのまま動けなくなってしまった私は、僅かに感じる吐息に更に体を強ばらせて。
「これが……返事?」
たった一つ、尋ねました。
「分からない?」
頭の良い私ではないから、素直に返事を返します。
「うん」
すると憂は、ちょっぴり困った顔をして、私の頬を両手で抑えました。
「えっ?」
「しーっ」
子どもを窘めるように囁く憂は、私の体から力を奪います。
「これなら……分かるよね?」
そして、触れ合ったのは唇どうし。
初めてのその感触は、私の視界から憂意外を全部取り払ってしまいます。
目の前に映るのは、想いを告げた私の妹。
意識が飛んでしまいそうな感覚を、なんとか頬の温もりだけで留めます。
離れてしまう唇がとっても名残り惜しく、
それでも、私はもうこの幸せを手放すことはありません。
おしまい。
最終更新:2010年11月17日 03:39