律が紅茶のカップを持ち上げた、その途端、微かなゆれを感じた。

「なんか揺れてない?」

軽音部の五人が顔を見合わせる。

「これは単なる初期微動に違いないよ!」

唯が青ざめながらそう言ったとき、大きな揺れが部室を襲った。

――――― ――

揺れがおさまり、目を開けると、部室がすごい惨状になっていた。
紬の持ってきたティーセットはもちろん、楽器ケースや本棚、ガラクタを入れていた
棚まで倒れてそこら中に破片や何かが散乱している。

「みんな、大丈夫か?」

とりあえず状況を確認すると、律は後ろを向いて訊ねた。
幸い、揺れが怒ったとき皆一斉にテーブルの下に身を隠したので怪我をしている
者はいなかった。

「澪は……」
「わ、私は大丈夫」

澪は震えながらもそう言うと、「それより」と唯を指差した。

「とりあえず、早くここから脱出した方がいいんじゃないかしら」

唯が落ち着いたのを見ると、紬が言った。
律も頷く。

「あぁ、そうだな。またいつ揺れがくるかわかんないし。……唯、いけそうか?」
「……う、うん」

唯が頷いたのを見るとすぐ、律は澪を見た。
澪も頷く。

「よし。それじゃあ行くぞ。……えーっと、一応何か頭とか守れるものが
あるといいんだけど……」

律はテーブルから這い出しながら言った。
その後に、紬、澪、唯、梓と続く。
梓がきょろきょろと周りを見回し「あれならいいんじゃないですか」と倒れた
棚のほうに走り寄って、棚からちょびっと出ていた綿入れを取り出して言った。

「いや、意味ないんじゃ……」
「まあないよりはマシだろ」

律は澪の肩をぽんっと叩くと、梓を手伝い倒れた棚から手際よく綿入れを
取り出していった。
綿入れは、人数分あった。

「すげーなこれ。またさわちゃんが作ってた奴なのか?冬に着るとすっげー
あったかそうだぞ」

律がそれを皆に手渡しながら言った。
それから部長らしく部員全員を見回した。

「何か落ちてきたときとかにこれを頭に被ること。それじゃあ早く外に出るぞ」

そして足場に気をつけて歩き出す。
ドアに向かう道すがら、ドラムスティックやその他必要そうなものを拾っていく。

律がドア付近に辿り着いたとき、唯が「あ!」と声を上げた。

「どうしたの、唯ちゃん?」
「ギー太!」
「今は必要ないじゃないですか!今は避難することが……」
「でも……」

唯は俯くと、倒れてはいるけど何の被害も受けていなさそうなギターケースを見た。

「唯、後で取りに来よう。私もエリザベスが心配だけど……」

澪が言うと、唯は「そうだよね」と弱弱しい笑みを浮かべた。
律は「そんじゃ、改めて早く避難するぞ」とドアに手を掛けた。

ドアに手を掛けたのはいいが、それっきり律は動こうとはしなかった。

「律?どうしたんだよ?」
「……開かない」

澪が訊ねると、律は前を向いたまま、呆然としたように答えた。
唯と梓が「そんな……」と同時に呟く。

「りっちゃん、ちょっとどいて」

紬が律を押し退けると前に出て確かめてみる。
確かにドアは開かなかった。

「そういえば前、避難訓練で地震があったらドアは開けとこうって聞いたことが」
「それ、トイレにいたら、の話じゃなかったですか?」
「あれ、そうだっけ?」

「いや、どっちでもいいだろ」

律と梓の会話に澪が割り込むと、紬が「どうしよう?」とドアをガチャガチャと
動かした。しかし、扉が開く気配はない。

「ここでまた地震が来たら流石にまずいよな……」
「や、やだりっちゃん、そんなこと言わないでよ!」

唯が耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
律は慌てて「悪い」と謝ると、「力尽くで開けるしかないな」と言って
腕まくりする。

「どうするんだよ?」
「体当たり?それか蹴破る」
「いや、無理だろ」

やってみなきゃわかんないだろ、と律は言うと、軽く助走をつけてドアに
身体ごと向かっていった。
微かにドアの軋む音がした。


「よっしゃ!」

律がガッツポーズするのを見て、今度は紬が「私もやらせて!」と名乗り出た。
さっきの律と同じように助走して、ドアに体当たりする。
僅かにドアが向こう側に開いた。

「やった!」
「さすがムギ!」

紬と律がハイタッチを交わすと、地面から微かな震動を感じた。
唯が小さく悲鳴を上げた。
皆それぞれその場に立っていることが精一杯で、揺れがおさまると部室の中は
さらに酷いことになっていた。

「みんな無事か!?」

律がいち早く全員に声を掛けた。
紬が「梓ちゃんの足に本が落ちてきたみたい」と返す。

「梓、大丈夫か!?」
「大丈夫です、大したことありません!」

梓は蹲っていた身体を立たせると、心配ないですと答えた。
しかし、梓の周りには大量の本が落ちていて、それが全部梓の足に当たったため、
ひどい痛みだった。それでも梓は「早く避難しましょう!」と言った。


「澪も唯もいけるか?」
「うん、なんとか」

律の近くにいた澪、そして唯が頷く。律は改めて、ドアに向き直った。
しかし今の揺れで扉はさらに歪んでおり、折角開きそうだったドアがまた
しても開かなくなっていた。

バンバンと扉を叩いてもびくともしない。

「誰か手伝ってくれ!」
「誰かじゃなくって、全員でドアに当たってみたら?」

紬の提案に、律が「そっか」と声を上げた。

「じゃあいっせーのーで!で行くぞ!いっせーのーで!」

律の声で、全員がドアに向かって体当たりした。


ドアが大きく音を立てて開いた。
皆ほっと息を吐く。

「……よし、それじゃあさっさと外に……」

律がそう言って出口を目指そうとすると、梓が「先輩!」と悲鳴に近い声を
上げた。

「どうしたの、あずにゃん?」
「階段、下りれません……」
「え?」

梓の言葉に全員が前を向くと、階段はさっきの揺れやその前の大きな地震のせいで、
崩れかけていた。
しかも、それだけじゃなかった。

「向こう側の校舎、……火が出てます」

音楽室があるのは左端。この学校の校舎は端と端がだいぶ離れてはいるけど、火が
回ってくるのなんてすぐだ。

「ど、どうしよう……」

流石の紬も顔を青ざめさせた。

「とりあえず他に逃げ道を探そうぜ!」

唯たちはそれぞれ半分諦めながらも頷いた。
本当の端にもう一つ、非常階段がある。一階に下りて外に出るには、そこを
使うしかなかった。
だけど、そこは変な噂が流されている場所で、普段は誰も近付こうとしなかった。

皆がそっちのほうへ走り出そうとすると、澪が「や、やめとこうよ」と泣き声になり
ながら言った。

「けど澪先輩、こっちしか避難できませんよ?」
「そうだよ澪、あんな噂、信じんな!」

律が励まそうと声を掛けたが、澪には逆効果だった。
「思い出させるな!」と耳を塞いでしまう。

「澪ちゃん……!」

紬が澪の手を引っ張ろうとするけど、澪は頑なに動こうとしない。

「澪、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!?」
「だ、だって……」

「澪ちゃん、大丈夫だよ!早くしないと火が来ちゃう!」

それまで黙っていた唯が、初めて自分から口を開いた。
ずっと不安そうにしていた唯の手を、いつのまにか梓が握っていた。

「唯……」
「私たち、こんなとこで死にたくないよ!澪ちゃん、早く皆と一緒に逃げようよ!」

唯は言った。
弱弱しい顔で。だけど声は力強く。

「私、地震が怖いよ、怖いけど皆と一緒だから平気だよ!だから……」

「……わかった、唯」

澪は唯の必死の声に頷くと、「ごめん」と律に謝った。
律は「いいって」と笑うと、一旦澪の元に戻ると澪の手を握ってやった。
梓が唯の手を握って安心させたように、自分も澪の不安を取り除きたいと思ったから。

「それじゃあ早く行きましょう!」

紬が言うと、再び5人は走り出した。
角を曲がるとすぐ、非常階段が見えてくる。
非常階段は部室の前の階段と違って大きく崩れてはいなかった。

5人が安心して階段を下り始めたとき、また地面が揺れだした。
今度は最初のときと同じように、大きな揺れだった。

5人は手すりや壁に掴まって階段から落ちないように必死になっていて、
上から聞こえる微かな物音に気付く暇はなかった。

気が付くと、天上が崩れ落ちてきていた。
階段が音を立てて崩壊していく。

それぞれの悲鳴が、その音にかき消されていった。

――――― ――

「……痛ぅ……」

頭に被った埃や小さな瓦礫を落とし咳き込みながら律は起き上がった。
どうやらどこにも怪我はなさそうだ。

ただ、大きな瓦礫が周りを阻んでいて動けそうに無い。
登ろうとしたら登れるくらいの隙間はあるが、ちゃんと逃げれる保障はない。

「皆、無事かー!?」

律は大きく声を張り上げた。
すぐ近くで、カラカラと音がした。

「りっちゃん?」

紬の声がした。



「ムギ!?」

紬は律と同じように頭から埃を被りながらも無事そうだった。
律は少しほっとすると、姿勢を低くしながら紬に近付いた。
いくら小柄な律の身長でも、天上が低く立って歩くことは出来ない。

「ムギ、大丈夫?」
「うん、りっちゃんも大丈夫そうね」
「まあな」
「他の皆はどこかしら……?」

紬が不安そうに辺りを見回した。
その時微かに「律、ムギ!」と声が聞こえた。

「澪か!?」

声の聞こえた方は、ここよりもさらに天上が低くなっている場所だった。
そこに澪がいた。
足が大きな瓦礫の下敷きになっており、動けないらしかった。

「澪!」
「澪ちゃん!」
「助けて、足が……」

澪が言い終わらないうちに、律はわかってると頷き身体を低くしながら澪の
傍に寄った。紬もそれに続く。

「ムギ、そっち側持って」
「えぇ」
「せーの!」

律の掛け声に合わせ、二人は澪の足を下敷きにした瓦礫を持ち上げた。
しかし低い姿勢と、低い天井のせいで力が入らず中々持ち上げることが出来ない。

何度かそれを繰り返していると、やっと僅かに動かすことが出来た。
澪の右足が見えた。

「澪、足、動かせるか?」
「うん、なんとか」

ズズッと音を立てながら、まだ瓦礫の下にあった左足も、なんとか
抜くことが出来た。

「澪ちゃん、怪我は?」
「足がちょっと」

澪はそう言うと、左の足首を擦った。

下敷きになったときに負った打撲のせいか、靴下の上からでもわかるくらい
腫れていた。
おまけに靴下を下ろして確かめてみると、足を抜いたときに擦ってしまった
ために擦り傷が出来ていた。少し血も出ている。

「うわ……」
「痛そう……」

律と紬が顔をしかめて言った。
澪が泣きそうな顔になる。

「澪ちゃん、歩けそう?」
「うん……」

不安そうに頷く澪。
律がほんとに?と訊ねると、紬が「ちょっと待って」と言ってポケットから
白いハンカチを取り出した。それを真っ二つに引き裂く。

「ムギ!?」
「りっちゃん、さっき部室出るときに色々拾ってたよね。見せてくれない?」
「え?あぁ、いいけど……」

紬に言われ、律は急いでさっき部室でポケットに詰め込んだものを出して行った。
さすがにカバンまでは持ち出せないので、ポケットや内ポケットに入れられるものしか
ない。

律のポケットから出てきたのは、
携帯、紅茶のパック、マッチ箱や、なぜか落ちていたお絞りやフォーク。
その他諸々、小さいものが多数。
内ポケットにはドラムスティックを入れていた。

「ないよりはマシね……」

紬はその中からお絞りを手に取ると、袋を開けて足首に巻くと、さっき引き裂いた
ハンカチをその上に置いて包帯のように巻いた。

「一応応急処置。痛みが少しでも引くといいけど……」

紬が手を離すと、澪が「ありがとう、ムギ」とほっとしたように足首を撫でた。
さすがにこんなことで痛みは引かないが、紬の優しさに触れ、澪は少しだけ痛みが
マシになった気がした。

「よし、じゃあ唯たちを探しながら早く外に出るぞ」

出したものをまたポケットに仕舞って律が立ち上がろうとすると、
天上に頭をぶつけた。

「ったー!」
「りっちゃん大丈夫!?」
「あー、うん、平気。っていうか今ので瓦礫とか落ちてこなきゃいいけど……」

暫く息をひそめて何かの落ちてくる音に耳を澄ませてみたが、結局何も聞こえず
「大丈夫そうじゃないか?」と澪が小さな声で言った。

「みたいだな」
「うん」

律と紬も頷くと、出口を探して進み始めた。
とりあえず、三人は天上の高い場所を目指す。
そこに出ると、やっと大きく息を吸えるようになった。

「にしてもここ、どこなんだ?もうちょい端に行ったら外出れるかな?」

律が言ったとき、紬が「しっ!」と人差し指を口許に立てた。
誰も話さなくなると、少しだけサイレンや人の声が聞こえた。

「出口が近いのかな?」
「かも!よし、行くぜ!」

紬が言うと、律は声を弾ませた。澪も「うん!」と大きく頷いた。


「……ぱいっ!ゆいせんぱ……!」

唯先輩!

声が聞こえ、唯はゆっくりと目を開けた。
どうやら瓦礫に埋もれて意識を失っていたらしい。
身体を揺すっていた梓が、唯が意識を取り戻したのを見ると「よかった」と
目尻に涙を溜めながら呟いた。

「あずにゃん……」
「唯先輩、大丈夫ですか?」

梓に手伝ってもらいながら、唯はゆっくりと起き上がった。
頭をぶつけたのが、少し後頭部が痛かった。
触ってみると、たんこぶが出来ている。

「どうしよう、あずにゃん。私たち、閉じ込められちゃったの?」

唯は頭に触れたまま、呆然と呟いた。
周りは全て瓦礫で隔てられていて、唯と梓のいる空間だけ僅かに空いていた。
天上も低く、このままずっとここから動けそうになかった。

「わかりません……」

梓は自分を落ち着けようと深呼吸した。
心なしか、瓦礫の山がゆっくりと動いているような気がする。
もしかしたらこっちのほうに落ちてくるかもしれない。
もしそんなことになったら、危険だ。

「登ってみる?」

唯が上のほうを指差して言った。
しかし、まったくと言っていいほど空は見えない。
登ったとしても外に出るのは無理だろう。

「……暫く、救助が来るのを待ってみますか?」

梓が諦めたように言うと、唯は一瞬だけ不安そうな顔をした。
それでも頷き、「でも」と続けた。

「なんですか?」
「手、握っててくれる?」

唯は恥かしそうに俯きながら、少し汚れた手を梓に差し出した。
その手に、やっぱり少し黒くなった手を重ねると、梓は笑った。

「あ、あずにゃん、笑わないでよう……」
「すいません、いつもの唯先輩らしくなくってつい……」

そう言って笑う梓を見て、唯もつられて笑い始めた。
梓はさっきとは違う意味で目尻に浮かんだ涙を開いた手で拭って言った。

「でも、唯先輩でも怖いものがあるんだなって安心しました」
「えぇ!?私にだって怖いものの一つや二つあるよ!」

「だからすいませんって」
「もう、あずにゃんー」

拗ねて指をいじいじする唯を見て、突然梓が笑うのをやめて真面目な顔になった。

「あずにゃん?」
「……良かったです」
「ん?」
「いつもの唯先輩に戻ってくれて」

梓は呟くように言うと、すぐ傍にいる唯に抱き着いた。
手は離れてしまったけど、梓はぎゅっと背中に手を回した。

「あずにゃん……」


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最終更新:2010年11月18日 15:00