澪に駆け寄ろうとした梓がそう声を荒げて叫んだ。それは、皆の体も同じだった。全身が凍り付いたように動かなかった。

博士の様子を見るに、斉藤が何かをしたのは明らかだ。

紬「斉藤!何をしたの!!…一体どうして…!?」

動けぬ体で斉藤を見つめながら、紬は悲痛な声で叫ぶ。

斉藤はただ黙って、呆然とした面持ちで博士の横に立っていた。

博士「今の斉藤と目を合わせない方が良いですよ、お嬢さん。石になりたくないでしょう?」

紬「石…?」

戸惑いの表情を浮かべる紬の後ろで、和が小さく息を飲む。

和「まさか…斉藤さんも、薬で妖怪に…」

博士は嫌みなほどニッコリ笑って斉藤の肩に手を置いた。

博士「ご名答。まぁ、普通はそう考えるでしょうな。彼が飲んだのは私が作ったなかなか出来の良かった即効性の薬――ゴルゴンの薬です。まぁ、能力を求める余り服用者の体にかなりの負担がかかるのが少々欠点ですが…」

紬「…!」

唯「ゴルゴン…?」

聞き慣れぬ単語に首をひねる唯。そんな彼女を、和が瞳を動かして見やる。

和「目があった者を石に変えてしまう怪物よ…。メデューサって言ったらわかるかしら」

唯「あ…何か聞いた事あるかも…」

紬「斉藤、どうして!一体何があったの!?返事なさい!斉藤!!」

博士「無駄ですな。今の斉藤は私の言葉しか受け付けません。…さて」

博士は、すぐ傍で固まる律に目をやった。恨めしそうな目で睨んでくる彼女を見て、面白そうに微笑む。

博士「狼人間…。しかも、なかなかの適応度。貴方は素晴らしいサンプルだ…。私の助手を全滅させたのもおおよそ貴方の仕業でしょう」

律「――うっさい…」

振りかぶったままの拳に力を込める律。だが、体がぎしぎし軋むだけで、全く動かせる気配はない。

博士「ふむ、気に入った。貴方も斉藤と同じように、私の言いなりになってもらおう」

律「何…!?」

博士はおもむろに懐に手をやると、小さい妙な機械を取り出した。

律「何だよ…それ…」

博士「首筋に取り付けると、電気信号であなたの脳を支配してくれる優れものです。最初の内は頭痛に悩まされるでしょうが、すぐに楽になれますよ。何も考えられなくなりますからね」

律「まさか…斉藤さんにも、それを…」

瞳を巡らせると、確かに斉藤のうなじあたりにそれは取り付けられていた。

博士「便利な機械でしょう?人間をロボット化するようなものです。私の言うことだけを聞く奴隷になってくれるんですよ」

紬「もしかして…お父様がおかしくなってしまったのも――」

博士「大正解ですな。素晴らしい研究施設と金。それさえあれば、彼は必要ありません。私の手足となってもらうだけです」

梓「最低ですね…」

和「典型的な悪役ね。最低かつ勝ち誇った態度。そんなこと私達に教えてしまうなんて、おしゃべりにもほどがあるわ」

博士「はんっ。知ったところで体の動かない君たちはどうしようもないだろう。そこでお友達が私の手に落ちるのを眺めていなさい」

ぬるり、と視線を律にやる。彼女は喉の奥で小さく息を飲んだ。

澪(このままじゃ律が――…!)

澪(くそっ…動け!)

動かすことのできる手で、何度も足を殴るが意味がない。

這って動こうにも、距離が遠すぎて間に合わない。

博士「ふっふっふ…とりあえず貴方の能力をよく知りたいですからなぁ。まず始めにお友達を始末してもらいましょうか」

恐怖と怒りがない交ぜになった律の顔を、博士はそっと指で撫でる。

律「さ、わんな…変態…!!」

博士「これはこれは。まぁ、貴方の感情を奪った後で、ゆっくりと楽しむことにしましょうかな」

律(い、嫌――…)

澪の目に、滅多に見せることのない、恐怖に歪む律の表情が焼き付く。

澪(律…!!!)

――…布を裂いたような音が響いた。

博士「お?」

博士は自分の身に何が起きたのか、理解するのに時間を要した。

手に持っていたはずの機械が床を転がり、自分は倒れ込んでいた。

律「み、澪…!!」

ふわり、と肩に手が置かれ、きつく閉じていた目を開いた律は、そこに彼女の姿を捉える。

――その背中には、制服を突き破って、コウモリのような羽が生えていた。

澪「あ、あは…。――律、私…空飛べちゃった…」

自分でも驚いた様子で、澪は律に固い笑みを向ける。

と、ぼんやりと立ち尽くしている斉藤の姿が目に入り、澪は動かぬ足の代わりに羽をはためかせて彼のそばへ行く。

博士「おい!やめろ!貴様!!」

澪は機械を確認すると、それを鷲掴んで強引に握りつぶす。強化された握力の下に、機械はあっけなくばらばらになった。

斉藤「私は…――!」

二、三度頭を振って、ハッとした顔つきになる斉藤。さすが、状況整理が早い。

博士「…くそ、あの小娘…」

悪態をつきながら体を起こした博士の目の前に、仁王立ちの斉藤がいた。

博士「なんだ貴様…――!!」

澪が斉藤の機械を破壊したことを思い出した博士は、乾いた悲鳴を上げて、四つん這いになって逃げようとする。

その後ろ姿を、斉藤は目を見開いて睨み付けた。

不格好なまま、博士はその場に凍り付く。

博士「ひ、ひいいいぃ…!!」

紬「斉藤!元に戻ったの!?」

斉藤「お嬢様、申し訳ありませんでした。すぐに術を解きますので…」

斉藤は目を閉じて、しばらく黙り込んだ。

すると、ずっと皆を押さえ込んでいた体の硬直がすっと消えて無くなった。
―― 一名を除いて。

博士「た、助けて…」

梓「どうします?」

不格好な姿で固まる博士に、皆が冷ややかな視線を送る。と、

さわ子「ちょっと待った。ここは、私に任せて」

拳をバキバキ鳴らしながら、さわ子がにこやかな笑みを浮かべた。

背後にどす黒いオーラをまとっているように感じ、皆が道を空ける。

博士「あ」

さわ子「どーもー?威勢の良い年増でーす♪」

博士「ひ…」

さわ子「ちなみにこの黒服集団全員をぶちのめすほど暴れるのはさすがに無理だけど、人一人ボッコボコにするぐらいの自信ならありまーす♪」

博士「ひいいいいいいいぃいいいい!!!」

静かな夜空に、凄まじい悲鳴が響き渡った。

さわ子「あーすっきりした」ニコニコ

斉藤「うぅ…申し訳ございませんでした、お嬢様。私としたことが…不意を突かれてしまいました…」

紬「斉藤が無事ならそれで安心よ。一時はどうなるかと思ったけれど、本当に良かっ――」

突如斉藤はその場に崩れ落ちた。紬は顔を真っ青にして彼に駆け寄る。

紬「どうしたの!?」

斉藤「も、申し訳ございません…。酷く目眩が…」

和「そういえば…体に凄く負担がかかるってあの博士が言ってたわ」

紬「ど、どうしよう…」

斉藤「落ち着いてください、お嬢様…。私は大丈夫です…」

さわ子「――じゃあ、こうしましょう。私は斉藤さんと一緒にここに残るわ。この男共を全員締め上げなきゃいけないしね」

梓「で、私達はムギ先輩のお父さんの方に行く、ということですか」

さわ子「そういうこと。頼んだわよ、あなた達」

律「わかった、そうしよう。みんなも良いよな」

澪「う、うん」

唯「平気だよー」

梓「早くムギ先輩のお父さんも目を覚まさせてあげないといけないですからね」

和「力になれるかわからないけど…頑張るわ」

紬「すみません、さわ子先生…お願いします。斉藤も私に振り回されて…本当にごめんなさい」

斉藤「いえ…私は紬お嬢様を支えるのが役目ですから…。力になれなくて申し訳ありません」

律「よし、じゃあ決定だな」

さて、と息をつき、律は頑丈そうな扉に歩み寄る。

律「うーん…カードキーが必要みたい」

唯「あ、じゃあ博士さんの借りれば――」

踵を返し、気絶した博士の懐を漁る唯。

唯「おぉ、あったよー」

それらしき物を見つけ、嬉しげに笑いながら唯は扉へ向き直る。

ズガッ!!

ズズズ…と音を立てて、真一文字に切り裂かれた分厚い扉はゆっくりと倒れ、いつの間にか変身を終えていた律は振るった腕をぐるぐると回して息をついた。

律「よし、行くぞー」

唯「」

梓「お疲れ様です」

カードキーを掲げたまま固まる唯の肩に手を置き、梓はそう声をかけた。

必要なくなったカードキーを放り捨てて、ふくれっ面をする唯。と、

唯「あれ?りっちゃん」

律「んあ?」

中へ進もうとしていた律は呼ばれて振り返る。ぽかんとしていた唯の瞳がキラキラと輝く。

唯「あー!りっちゃん狼の耳が生えてきてる!」

律「…は?」

頭のてっぺんに手をやる律。確かに、それはそこに存在した。

律「なんっじゃこりゃああああ!!」

紬「狼人間化が進行してるのね。そのうち尻尾とかも生えてくるかも」

唯「律わんの完成が近付いてるんだね」

律「じょーだんじゃないぞ!…とにかく急ごう!」


和「暗いわね」

紬「私もこの研究所の奥には入ったことがないから、設計がどうなってるのかわからないの…」

真っ暗な細い通路を進んでいく。

唯「澪ちゃん、いつもならガクガク震えて怖がるのに、今日は平気だね」

澪「ホントだな。むしろ居心地が良いくらいだよ」

唯「澪ちゃんも吸血鬼化が進んでるからだね!」

澪「うぅ…怖くないのは嬉しいけど、やっぱり早く元に戻りたい…」

梓「あ、また扉ですね」

律「ほいほいっと」

分厚い扉はあっという間に引き裂かれて原型をなくす。

律「お、通路が広くなった。電気もついてるぞ」

唯「わいるどだね、りっちゃん…」

壁も天井も真っ白な広い通路。右と左に別れている。

梓「どっちに行けばいいんでしょうか」

澪「ちょっと怖いけど二手に分かれる?」

和「いや、やっぱりそれは不安だわ。…一つずつ確認した方がいい気がするけど」

どちらに行けば良いのかわからず立ち往生してしまう。と、その時だった。

澪「――!ちょっと待て…右から何か来てる…」

紬「え…何も聞こえないけど――」

律「いや、私にも聞こえる。何か嫌ーな予感がするぞ」

その足音は、すぐに他の皆にも聞こえてきた。同時に伝わってくる地響き。

律「これマズイ予感しかしない。左に行くぞ!」

唯「う、うん!」

慌てて駆け出す唯達。走りながらちらりと振り返った梓が悲鳴に近い声を上げた。

梓「でたあああああああああぁ!!」

曲がり角から姿を見せたのは、巨大な体躯をした体中つぎはぎだらけの大男。まさしくフランケンシュタインだった。

律「なんっだあれえええええええええ!?」

澪「ひいいいいいいぃ!!」

雄叫びを上げ、ゆっくりとした足取りで距離を詰めてくるフランケンシュタイン。

唯「何あれ!?何なの!?」

和「知らないわよ!」

全員涙目になりながら逃げ回る。と、梓の目に小さなドアが入った。

梓「皆さん!こっちです!!」

甲高い声に皆振り返り、ドアに駆け寄る梓を見つけ、そのドアへと向かう。

一番初めに辿り着いた梓が、それを開けて隣の部屋へと移る。瞬間。

梓「――えっ!?」

梓の足下の床が音もなく開き、奈落の闇が彼女を引きずり込んだ。

梓「きゃあああああああああぁぁぁ…!!」

唯「あ、あずにゃん!!」

梓の次にドアをくぐった唯がぽっかり空いた穴をのぞき込むが、真っ暗な穴は相当深いようで、もはや悲鳴も聞こえてこなかった。

唯「あずにゃん!!あずにゃあああああああん!!」

律「唯!どうした!?」

ようやく皆が辿り着く。律は、涙を流して叫ぶ唯を見て色めき立った。

唯「あずにゃんが…!!」

?「あっはっは…そんな単純なトラップに引っかかるとは」

低い笑い声と足音が響き、全員顔を上げる。

紬「お父様…」

だだっ広い部屋の中心で、紬の父は満面の笑みを浮かべていた。

ムギ父「君たちの活躍はモニターで一部始終観察させてもらったよ」

そう言う彼の背後には、大きな装置が設置されていて、無数のモニターが様々な場所を映しだしていた。

真っ白い壁には、小さな小瓶が多数並んでいる。研究で生み出した薬であろう。

たくさんありすぎて、どれがワクチンなのかわからない。

唯「あずにゃんを…あずにゃんを返して!!」

普段の温厚さからは想像できない勢いで、唯が叫ぶ。紬の父は微笑みを浮かべたまま、そんな彼女を一瞥した。

ムギ父「返すも何も…今頃ただの肉片と化しているだろうが…。処理してくれるのかな?」

唯の顔から血の気が引いていく。蹌踉めいた彼女の体を支えながら、紬は父を見つめた。

紬「お父様!もうやめて!!博士はもう捕まったのよ!!もうこんなこと、意味がないじゃない!!」

ムギ父「博士が捕まったのならば、彼の意志を引くのは私の役目だ」

冷めた目で自分の娘を見下す紬の父。

和「博士が捕まっても機械は作動し続けるのね」

律「やっぱあれを壊さないと駄目みたいだな」

律は腰を落として、彼を睨んだ。そして、立ち尽くす唯の前に空いた穴を見る。

律(梓…)

のぞき込んでもそこにあるのは闇ばかり。見慣れた小さな姿は、もう目の前には現れない。

律「くそ…!――とにかく、私がムギのお父さんの動きを止める!澪は穴を下りて梓を救出してやってくれ!!」

足に力を込めて、律は叫ぶ。が、澪の表情は曇った。

澪「で、でも…梓は――」

変わり果てた梓の姿を見たくなかったのだろう。躊躇った彼女の様子に、律も唇を噛む。

ムギ父「何をぐだぐだやっているのか知らないが、君たちの相手は私だけではないぞ?」

そう言って、紬の父が何かのパネルのような物を操作する。すると、

轟音と共に、壁を突き破って先ほどのフランケンシュタインが現れ、皆は慌てて部屋の中央へと走った。

ムギ父「良くできたロボットだろう?いずれは本当に人造人間を作って見たいのだがね」

和「…どうすんのよ、これ…」

ぽつりと呟きを漏らす和。律は余裕の笑みを浮かべたままの紬の父とフランケンシュタインを交互に見やり、口を開く。

律「やっぱり私はムギのお父さんの相手になる。唯と和とムギは、とにかく逃げ回るんだ。澪は…あのでっかいのの相手、頼めるか?」

澪「わ、私が!?む、無理だよ!!」

律「大丈夫。アイツ、動きはとろいから頭の周りを飛びまくってたら時間稼ぎになる。すぐにムギのお父さんの機械ぶっ壊して、停止してもらうからさ」

震え上がって首を振る澪の肩に手を置き、律は優しく言い聞かせる。

澪はしばらくフランケンロボを見上げていたが、きゅっと顔を引き締めると、小さく頷いた。

澪「わかった…。やってみるよ」

フランケンが腕を振り上げる。それを合図に、皆が散った。

澪は宙を駆け、律は紬の父へと突進し、残った者達はとにかく走って逃げ回る。

律「このおおおおおおおぉ!!」

握った拳を思い切り振るう。だが、それは虚しく空を裂いた。

律「何…!?」

ムギ父「ふむ…見事に薬が適合しているね君は。良いデータになってくれそうだ」

律「いくらムギのお父さんの頼みとは言え…お断りですよ!」

がむしゃらになって腕を振るう律。それをことごとくかわしていく紬の父。

その隙に、紬がゆっくりと彼の背後に回る。律の攻撃に集中している今なら、気付かれずに首筋の機械に手を出せるはず。

律もそれに気付き、紬が背後から彼に飛びかかるタイミングを見計らって同時に正面から飛びかかる。が、

ガスッ!

律「いっ…!!」


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最終更新:2010年11月20日 23:19