「おはよ~、ムギちゃん」

 ぴんと張り詰めたような冬の空気が満ちる通学路、唯ちゃんがいつもの横断歩道を渡ってこちらにやって来た。

「おはよう、唯ちゃん」

 白い息をリズミカルに呼吸をしながら駆けてくる唯ちゃんに笑顔で挨拶を返す。

「うぅ~、寒いねえ」

「ほんと。もうすっかり冬ねえ」

 二人してコートのポケットに手を入れたまま、ぶるぶると子犬のように身震いをする。

「それにしても今日は随分早いのね、唯ちゃん」

「いやあ~、あまりにも寒くてすっかり目が覚めちゃってさ~。早めに学校に行って部室で暖まろうと思って」

「そうだったの~」

「そうなのです!」

 胸を張りながらふんすと鼻息を荒くする唯ちゃん。まるで機関車のようだ。

「偉いわ、唯ちゃん。私なんてもう少しで寒さに負けて暖かい布団の中で二度寝するところだったのよ~」

「二度寝! その手があったかあ~……」

 盲点だったと呟きながら唯ちゃんが頭を抱えた。

「あっ、でも早起きは三文の得っていうし」

「三文の得かあ……。三文っていくらぐらいなんだろう?」

「う~ん……いくらなのかしら?」

 他愛の無いお喋りをしながら学校へと足を向ける。やはりまだ登校時間には少し早いらしく、歩いている生徒の数は疎らだった。

「そういえば唯ちゃん」

「ん~?」

「大分元に戻ってきたね、前髪」

「う~ん……もう少しで元の長さになるんだけどねえ」

 卒業アルバムに載る写真を撮る前日に誤って切ってしまった前髪を早く伸びろと一生懸命に引っ張る唯ちゃん。
そんな姿もどこか愛らしくて思わず笑みが零れた。

「私は今の唯ちゃんも充分可愛いと思うけど」

「そうかなあ……」

「そうよ~」

「えへへ~……ありがと、ムギちゃん」

 てれてれと頬を赤く染めながら、唯ちゃんが少し恥ずかしそうに笑う。
照れてる唯ちゃんも可愛くてこちらの頬も更に緩んだ。

「……っくしゅん!」

「大丈夫、唯ちゃん? 風邪?」

「そうかも。私、寒いの苦手だから~」

 唯ちゃんが凍えた手に息を吐きかけながら、少しでも暖を取ろうと擦り合わせる。
だけどなかなか温かくならないのか、指先がまだ少し震えていた。

「ムギちゃんは寒いの平気なの?」

「ん~、昔は少し辛かったけど、今は平気かな」

「今は平気なの?」

「うん」

「どうして?」

「それはね」

 唯ちゃんの前に躍り出て、擦り合わせていた彼女の両手をそっと私の手で包む。

「唯ちゃんが私のことを温かいって言ってくれたから」

『ムギちゃんは手も心も全部温かいよ!』

 一年ぐらい前になるのだろうか。
唯ちゃんが何気なく言ったその一言を私はまだ覚えていた。
その一言が「手が温かい人は心が冷たい」というちっぽけな私の悩みを吹き飛ばしてくれたから。

「だから私は冬の日が大好き♪」

 唯ちゃんの右手に私の左手を絡ませ、再び歩き出す。
私の体温が唯ちゃんのかじかんだ手を少しずつ少しずつ温め、解していく。
数分もしないうちに二人の体温は溶けるように合わさり、繋いだ手がぽかぽかとしてきた。

「……えへへ~」

「うふふ」

 私達は笑顔のまま手を繋ぎ、朝の通学路を歩き続ける。
まだ少し肌寒いがもう少しで学校だ。

「ムギちゃん」

「なーに、唯ちゃん」

「こうすればもっと温かいよ」

「きゃっ」

 手から温もりが零れた。
だが次の瞬間、唯ちゃんは全身でしがみつく様に私の左腕に抱きついていた。
寒風から守られるように腕が唯ちゃんの温もりで包まれる。

「歩きにくーい」

「あ~、ちょっと歩きにくいねえ」

 二人して覚束ない足取りでよたよたとあっち行ったりこっちへ行ったりする。 

「でも」

「うん」

「温か~い」

「あったかあったかだねえ」

 顔を見合わせ、笑いあう。
時折向かい風が吹き付けてくるが、もうちっとも寒くはなかった。

「ね、唯ちゃん。早く学校に行って二人だけで早めのティータイムにしようか」

「おぉ~いいねえ~」

「温かい紅茶にミルクとはちみつを入れて飲むの」

「おいしそ~……あっ!」

 唯ちゃんが空を見上げながら目を丸くする。
その視線を追って冬空へと目を遣ると、そこには今年初めての雪が舞っていた。

「雪だあ~!」

 お庭を駆け回るわんちゃんのように両手を空にかざしながら、くるくると踊る唯ちゃん。
私も唯ちゃんを真似て空から降ってくる雪に手を伸ばしてみる。

「ねえムギちゃん!」

「なぁに、唯ちゃん」

「私、もう一つ冬のいいところ見つけちゃった」

「あら、偶然。私もよ」

 こちらを向く唯ちゃんと視線を合わせ、タイミングを計るように同時に息を吸う。

「「雪がきれい」」

 ハモるように声を揃えて、全く同じ言葉を紡ぐ。
それがおかしく思えてまた二人で笑う。

「あははは……はあ~」

 笑い疲れたのか、唯ちゃんが肩を落としながら大きく深呼吸をした。

「このまま春がこなければいいのにねえ」

 雪に吸い込まれそうなほど小さなその呟きが私の耳に届く。
唯ちゃんのその憂いを帯びた言葉にちょっと胸が痛んだ。
 この冬が過ぎて、春が来れば私達は卒業だ。
みんな同じ大学に進学することが決まったとはいえ、いつまでも今のままでいられるわけじゃない。
 胸の奥に潜む寂しさを煽るように北風が吹く。だけど────

「大丈夫よ」

「ムギちゃん?」

「私達なら大丈夫。だって私達は放課後ティータイムだもの」

 この温もりを覚えている限り。
 日々の何気ない一言を覚えている限り。
 私達の音楽がある限り。
 私達は大丈夫だ。

「そっかぁ……そうだよねえ」

 寂しげだった表情がいつもの唯ちゃんの笑顔に戻る。
そこだけ春が来たように思える花が咲いたような笑顔だった。  
 冬の日。友達と歩く通学路。舞い散る雪。そんな日常をかけがえのない思い出に変えながら歩いていく。
 なんの銘柄のお茶を淹れようかと考えながら校門をくぐる。
やっぱりミルクティーにはアッサムがいいかしら。
 さあ紅茶を飲みましょう。
この胸に宿る温もりのように温かい紅茶を。
かけがえのない友達と一緒に。



fin.



3
最終更新:2010年11月25日 05:55