――――どうして
「はあっ、はああ……!唯ぃ、もう限界かあ……?」
「りっちゃん、こそ……顔、真っ赤だよ……?」
どうして、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
両の瞳に映るのは、想像を絶する苦しみに身を焼かれながら闘い続ける唯先輩と律先輩の姿。
尊敬する先輩として、同じ放課後ティータイムのメンバーとして……ずっと、仲良しのままでいられると思っていた。
「唯先輩、律先輩……」
不意に視界が歪む。
歓声と怒号が飛び交う中、私は知らず知らずのうちに涙を流していた……
……
始まりは、本当に些細なことだった。
律「ごはんはおかずってのも、よく考えると変な歌詞だよな~」
唯「え~?そんなことないよー、りっちゃんは分かってないなあ」
律「何だと~?このこの~っ」
唯「きゃ~♪」
いつものティータイムの時間。
律先輩のちょっとした発言から始まった、普段通りのじゃれ合い。
澪「まったく、あいつらは……」
紬「うふふ、りっちゃんと唯ちゃんは仲良しね♪」
梓「練習……」
澪先輩もムギ先輩も、当然私も……いつも通りのことだと切り捨て、気にも留めなかった。
実際、最初は二人ともふざけ合っていただけだった。
……それが、間違い。
唯「だいたいりっちゃんはさ、いつもいつも……」
律「何?それを言うなら唯だって……」
澪「ムギ、新しい曲の歌詞を書こうと思ってるんだけど……どうかな?」
紬「新曲……いいわね!どういう曲にしようかしら……」
梓「私はバラード調の曲がいいと思います」
澪「バラードか、いいな」
少しずつ、何かが狂い始めていた。
私たちは愚かにも唯先輩と律先輩の言葉に棘が混ざり始めていたことに気付くことが出来ず……
律「炭水化物と炭水化物を一緒に食べるなんてありえねーよ!」
唯「はいっ!?まさかりっちゃんが、そんなに頭が固いなんて思わなかったよっ!」
……この時、誰かが……私が気付いていれば。
二人に声をかけていれば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
しかし、この期に及んでもまだ私たちは唯先輩たちの異変に気付けなかった。
新しい曲の話に、そんなつまらないものに夢中になってしまって……
律「あーあー分かった!唯、お前は普段の食生活がおかしいんだよ!」
唯「おかしくないもんっ」
律「いーやおかしい。だからごはんはおかず(笑)とか言い出すんだよ」
唯「ふふん……私の家では憂がご飯を作ってるんだよ?りっちゃん、憂の料理の上手さ……知ってるよねえ?」
律「あっ!?」
唯「あれあれ~?やっぱりおかしいのはりっちゃんなんじゃな~い?普段何食べてるのさ」
律「ぐう……っ」
紬「ゆ、唯ちゃん……ど、どうしたの?」
澪「な、何怒ってるんだよ律ぅ……」
そして、ようやく異変に気づいて止めに入った。
しかし、
唯「ムギちゃんたちは引っ込んでてよ!」
律「私は唯と話しているんだ!」
しかし、時すでに遅し。
怒りの感情は時として人を支配し、我を忘れさせてしまう。
それが例えいつも周りを気遣い、明るくさせようと考えている律先輩であっても……
おおよそ怒りという感情とは無縁であると思われていた、純真無垢な唯先輩であっても。
紬「唯ちゃんが……そんな……」
澪「り、律!落ち着けってば!」
律「うるさい、引っ込んでろって言ってるだろ!」
澪「な……。さっきから、何だよその言い草は」
唯「待って。私は澪ちゃんにも言いたいことがあるんだよ」
澪「何だよ唯」
唯「ごはんはおかずのさ、2番の歌詞……澪ちゃんの意見を入れたからあんなのになっちゃったんだよね?」
澪「はあっ!?」
唯「キムチだの納豆だの……普通にごはんに合うよ、当たり前だよ。ごはんはおかずっていう主張が思いっきりぶれてるじゃん」
澪「いや、それはだな」
唯「やっぱりごはんは主食だねって何。開き直り?私は純粋に炭水化物と炭水化物のコラボレーションは素晴らしいって伝えたかっただけなのに……」
澪「う……」
律「何だ何だ、唯の考えは明らかに間違ってるけど澪にも原因あんのか。まあ澪はいつもあんな腐った食品ばっか食ってるからなあ」
澪「はあっ!?今のは聞き捨てならないぞ律っ!」
律「何だよ、何か文句あるのかっ!?」
唯「りっちゃんも澪ちゃんもダメダメだね、食の何たるかが全然分かってないよ!」
そして、怒りは周囲に伝播する。
宥める側であったはずの澪先輩までが言い争いに加わってしまい、もはや手のつけようがなくなって来ていた。
紬「み、みんな落ち着いて~……」オロオロ
梓「先輩……」
ムギ先輩も私も、ヒートアップする三人を止めることができない。
あれだけ仲が良かった先輩たちがこれほどお互いを罵り合うなんて……実際に目の当たりにしてなお、私には信じられない。
これは夢じゃないのかとさえ感じる。
しかし、これは現実だ。
唯「じゃあもう今日はウチにおいでよ!ごはんはおかずの意味、教えてあげるからさ!」
律「ほ~、いい度胸だ。教えてもらおうじゃないか」
澪「まあ唯ごときに教わることなんか何一つないけどな」
唯「ふん、今のうちに言っておくんだね。すぐに何も言えなくなるよ」
私とムギ先輩がオロオロしている間に何やら話はついたようだ。
ただし、仲直りした……ということではない。
紬「だ、大丈夫かしら……心配だわ」
梓「…………。ムギ先輩、私たちも行きましょう!早く仲直りしてもらわないとっ」
紬「ええ、そうね」
……
その後の三人の行動は……仲直りに至るには程遠いものだった。
まずは唯先輩の家。
出てきたのは、憂が作った誰もが認める美味しい料理の数々。
しかし。
律先輩と澪先輩は料理を食べ始めるやいなや……暴走した。
唯「ち、ちょっと二人とも!何やってるの!?」
律「……」ガツガツムシャムシャ
澪「……」パクパクモグモグ
憂「え、えっと……」
無言。ひたすら無言。
そして食べ進めるスピードだけは驚異的に早い。
二人は競い合うように料理を食べ進めるて行き、あっという間に食事を終えた。
私たちは、その様子を茫然と眺めることしか出来なかった。
律「……」
澪「……」
憂「ど、どうでしたか?」
恐る恐る、といった感じで感想を求める憂。
しかし先輩たちは無表情のまま、ただ声を合わせて『ごはんはおかずじゃない』とだけ答えた。
ああ。
唯先輩の怒りが振り切れそうになっている。
食後も重苦しい沈黙と、たまにネチネチとした口撃が行われるくらいで、仲直りさせるには程遠かった。
翌日。
澪先輩の行きつけの喫茶店にて。
澪「オレンジペコといちごパフェを下さい」
律「澪と同じの」
唯「澪ちゃんと同じの」
澪「……!」
澪「すいません、追加お願いします。シュークリームと水出しコーヒー、あとスパゲッティ・マヨネーズしょうゆ」
律「澪と同じの」
唯「澪ちゃんと同じの」
澪「……」ピキピキ
まるで、何かにつけて勝負を挑んでいるかのような態度。
当初の『食の何たるかを教える』とかいう大義名分は、すでに捨て去られ始めていた。
梓(……うん、おいしい)
私とムギ先輩はいちごパフェしか頼まなかったので、先に食べ始めた。
悪くない、さすがは澪先輩行きつけの店。
いちごは新鮮な感じがするし、チョコレートソースと生クリームの口どけも滑らかだ。
紬「あ、美味しい」
正面に座っているムギ先輩もご満悦のよう。
このパフェは唯先輩辺りが好きそうだなあ……これで機嫌治してくれればいいのに。
そんなことを思いつつ紅茶のカップに手を伸ばした時、何かの機械が決まったペースで動き続けているようなその音に気付いた。
唯先輩と律先輩が、まさに機械のようにパフェを食べていた。
唯「……」モグモグ
律「……」モグモグ
まるで昨夜の焼き増しを見ているような……いや、それ以上にひどい。
二人は山盛りのパフェをざくざくと切り崩し、呆れるほどのペースで食べて食べて食べ続けている。
「うまい」でも「まずい」でもなく全くの無表情でスプーンの先が容器に当たる「かち」「かち」「かち」という音は気味が悪いくらいに規則的だった。
梓「……」
紬「……」
澪「……っ!!」
私たちは、その様子を唖然として見守ることしかできない。
遅れて澪先輩も猛然と食べ進める。
他のメニューが届いても同じ。
無表情で、ただひたすらに相手より早く食べることだけを望んでいるようだった。
唯「……」
澪「……」
律「……」ピキピキ
そして勝者は、敗者を無表情で見据える。
ドヤ顔さえしない。
そのことがさらに、怒りのボルテージを高めているようだった。
紬「もうやめて……」
ムギ先輩から力ない呟きが漏れる。
その言葉には何の意味もなさない。
今さら後には引けず、絶対に怯んではならず、一歩たりとも譲ってはならず――――そんな感情が、三人を支配しているようだった。
……
律「ここだ」
澪「ふーん、汚い店だな」
唯「下品な店……まありっちゃんにはお似合いかもね」
律「言ってろ。いいか、引き返すなら今のうちだぜ?」
唯「……」
澪「……」
律「……ふん」
翌日。
律先輩に連れられて私たちがやってきたのは、油じみた中華料理店だった。
人の出入りが途絶えないところを見ると、そこそこ繁盛してはいるようだが……
紬「こ、ここに入るの?」
隣のムギ先輩は不安げに辺りを見渡す。
そこには『喧嘩上等』などと書かれた白い軽トラが止まっていたり、見るからに族上がりと思しき従業員が何かを運んでいたり……
一言で言えば、ガラが悪い。
梓「大衆向けの食堂、と言えばいいんでしょうか……?」
『鉄人屋』
そう書かれた看板が下げられたその店は、とても私たちのような女子高生が入る場所とは思えない。
しかし唯先輩たちは構わず中に入って行ったので、私たちも慌ててついて行った。
「っしゃい――――――――!」
紬「ひっ!?」
梓「うわ……」
中に入ると同時に、従業員たちが一斉にけんか腰のような声を張り上げる。
半分ほど埋まっている客席の奥へと進み、丸いテーブルを陣取った。
三人がにらみ合う間もなく、一人の従業員が注文を取りにきた。
「っしゃいませご注文はあ」
律「鉄人定食3つ」
従業員の表情が、凍りついた。
律先輩たちをまじまじと見つめ、いきなり素の口調になって、
「いや、あのねお客さん。一応説明しとくとさ、うちの鉄定は」
澪「鉄人定食3つ」
「だからね、」
唯「てつじんてーしょく3つ!」
従業員は、3人の間に漂うただならぬ気配にようやく気付いた。
ぎろぎろとした喉仏をごくりと鳴らす。
何だ。
先輩達はいったい何を注文したというのだ。
従業員は「どうなっても知らねえぞ」という最後の一瞥を残し、ヤケクソのように声を張り上げた。
「鉄定三丁ぉ入りました――――――っ!」
……
鉄定三丁。
その注文が届くと、厨房はまたか……といった空気に包まれた。
鉄人屋の店長――如月十郎さえもその一人。
(また、か……。今度は女子高生だあ?)
少し前までは、鉄人屋の鉄人定食といえば聞く者が聞けば震い上がるほどのメニューだった。
数多の大食い自慢たちを打ち砕き、屈強な自衛官やアメリカ兵ですらあまりのボリュームに声を失う。
完食出来るのは、ほんの限られた――――そう、鉄の胃袋と鋼の意思を持った野獣のような猛者のみ。
鉄人屋の入口から入って正面の壁、そこには黒々と油煙にまみれた大きな張り紙が出ている。
曰く、
――無銭飲食列伝――
鉄人定食……\4,000(鉄人ラーメン+鉄人餃子+鉄人中華丼)
完食されたらお代は頂きません。制限時間は60分。
途中で席を立った場合、周囲を見苦しく汚した場合は失格となります。
以下、鉄人定食を完食した鉄の胃袋の持ち主たちの氏名年齢職業が写真つきで張り出されているわけだが……先日完食に成功した二人が問題だった。
女子中学生二人。もちろん最年少記録だ。
その二人は如月十郎を持ってしても舌を巻かせるほどの、驚くべき胃袋と根性を持ち合わせていたのだが……
それを見て、勘違いする客が増えてしまったのだ。
「この子たちが完食出来るのなら、私(俺)にも出来るのではないか?」と。
馬鹿げている、と如月十郎は思う。
勘違いしてはいけないが、如月十郎は覚悟を持って臨み、その上で完食出来なかったのならば構わないと考えている。
もちろん完食出来るのならそれが一番いいことには違いないが。
しかし最近では、覚悟が全く足りない挑戦者が多すぎる。
今日の客も同じようなものだろう。
「鉄定も舐められたもんだ……」
「親方、どうします?女子高生って……ラーメンだけ作って、安井医院に連絡しときましょうか?」
「んバカやろうぅ!!そんな手抜きが出来るか!注文された以上、全力で作れぇ!」
『は、はいっ!』
これは、料理人として譲れないことだ。
たとえ半分すら食べず、大量に残されて返ってくるとしても。
……
待つこと十分。
にらみ合う先輩たちの前に、最初のメニューである鉄人ラーメンが運ばれてきた。
縮れ麵に具はナルトとメンマと炒めたモヤシ、チャーシューは薄く数が多い。
至極オーソドックスな醤油ラーメンに見える。
……そう。
量という一点を除けば、であるが。
紬「……!」
隣で見ていたムギ先輩が息を呑んだ。
私自身も信じられないものを見たからか、鉄人ラーメンから目が離せない。
梓「あんなの、人間が食べられるんですか……?」
思わず疑問が口から漏れた。
まず巨大なドンブリからして暑苦しい。
バカバカしい容積いっぱいに麵とスープが満ち満ちており、ほぼ同じ量の具がその上に山と盛られていて、横から見ると半球状のはずのドンブリが丸く見える。
……何だこれ。
紬「ゆ、唯ちゃんたち大丈夫なのかしら……?」
梓「あれを食べきれるとも思えませんが……何だか落ち着いてますね、三人とも」
唯「……」
律「……」
澪「……」
あの化け物ラーメンが現れても、三人とも無表情を崩さない。
一体何を考えて……
「……では、鉄人定食のご注文を承りました新見と申します。当卓の仕切りを勤めさせて頂きます」
新見と名乗った従業員は小さく一礼し、首にストップウォッチをかけた。
「60分以内に完食出来なかった場合、途中で席を立った場合、卓を見苦しく汚した場合にはそこで終了とし金四千円を申し受けます。ようござんすね?」
唯先輩も律先輩も澪先輩も動かない。
客の一人が鋭く口笛を吹いて囃し立て、カウンター席のおしさんが「いいかあ、半分くらいは食べるんだぞお」とヤジを飛ばす。
紬「……」
何かに引っ張られるような感じを受けたので横を向くと、ムギ先輩が私の服の端をギュッと掴んでいた。
「それでは始めたいと思います。卓から手を離して――――どうぞ!」
最終更新:2010年11月26日 00:47