唯「えっと、アーティスト名とか教えて貰えたら…」
中野さんは少し嬉しそうな表情になる。
梓「オリジナルです」
中野さんは誇らしげで、気持ち胸を張ったように見えた。
唯「凄い!」
梓「いや、作詞作曲は私がした訳じゃなくて、その…」
唯「あっちの子?」
梓「違います!あの、あの時は純が、あ、純て言うのはウッドベースやってた子なんですけど、
純が弾き語りでストリートミュージシャンみたいな事してみたいって言うから付き合ってただけで…。
だから、ええ、そんな感じだったから、あの時は私もイライラしてて…。
えっと、だからお互い様なんです、はい」
クールな感じの中野さんが、
ちょっと必死な様子を見せるのが少しおかしくて、私はクスリと笑ってしまう。
唯「あ、ごめんなさい」
中野さんは少し憮然とした様子を見せたけど、特に気分を害したと言う感じでも無かった。
梓「いつもは私は別のバンドをやってるんです。
と言うか、そっちがメインなんですけどね。
それで、あの曲はそっちのメンバーが作った曲なんです」
唯「へー」
私は、少しだけ中野さんのことが分かった気がして嬉しくなった。
梓「あ、私、もう行きますね。
それから、その猫のことは気を付けないと駄目ですよ?えっと…」
中野さんは私の呼び方を探っている感じだった。
こんなに話し込んだのに、憂のお姉さんと言う言い方は、
他人行儀過ぎると感じているのだろう。
唯「唯で良いよ」
梓「あ、はい、唯先輩」
中野さんは私に頭を下げて立ち去ろうとする。
唯「じゃあね」
二、三歩行った所で中野さんが踵を返してまた戻ってくる。
梓「唯…、先輩?」
唯「ん?」
梓「あの、来週の土曜日私達ライブハウスでワンマンするんです。
もし良かったら、その、体調の事もあると思うんですけど、来ませんか?
チケットは手売りなんで、少し安くするぐらいしか出来ないんですけど」
私は即答していた。
唯「うん、行く!行きたい」
梓「そ、そうですか。
じゃあ、憂の分も含めてチケット用意しておきますから、
入り口でその旨伝えて貰えれば…、あ、場所とかは憂にメールしておきますね」
そう言うと、中野さんは今度こそと去っていく。
私は、久し振りに気分が高揚する感覚を覚える。
こんな気分になったのは、何時以来だろう。
きっと、高校の入学式以来だ。
―――
憂「え、ライブ?」
唯「あ、あの、憂の友達の中野さんっていたよね?
あの子がね、今日あずにゃんを助けてくれて、それで少し話したらね…」
憂「大丈夫?」
唯「どうしても行きたいの」
憂「それじゃあ、私も同行するよ」
唯「うん、中野さんも、憂が一緒の方が良いんじゃないかって言ってた」
憂は体調面での心配からか、積極的な賛意を示してはくれなかったが、
このライブに行くと言うのは私に取ってとても重要な事のように思えた。
実際、私の体調は回復して来ており、健康面は理由にならなかった。
何しろ、医者があと半年もしたら、
就職活動を始めても良いぐらいですと言ってくれてさえいたのだ。
―――
私と憂はこう言う場所に来るのが初めてだったので、
開店時間より随分前に着いてしまう。
唯「あ、あの、今日の放課後ティータイムのライブの…」
憂「チケットは今手元にないんですけど、梓ちゃんが」
唯「そ、そう、その…、中野さんが入口に伝えておいてくれるからって」
?T「ああ、貴女達ね。聞いてるわ」
カウンターの女の人が、にこやかに応対してくれる。
ふわふわの金髪と青い瞳がちょっと日本人離れした雰囲気を漂わせていて、
憂も気押されているようだった
憂「えっと、それで、いくらでしょうか」
?T「あら、良いわよ。梓ちゃんの友達ですもの」
唯「そ、そう言う訳にはいきません。だって、手売りなんですよね?」
女の人は少し面食らったような顔をして、それから柔らかく微笑む。
?T「そうね、あまりそう言う事を私達自身が言うのも良くないわよね」
唯「あ、あの偉そうな事言ってすいません」
?T「良いのよ。でも、少しだけ安くするぐらいの事はさせて?」
唯「は、はい」
―――
私は、少し重い扉を押し開く。
憂「わぁ、結構おっきいね」
私は予想より大きかったフロアと、中野さん達がインディーズとは言え、
本格的な活動をしている事に驚くとともに、
あの時の怒りも当然だったのだろうと今更ながらに思った。
唯「中野さんたち、凄いね」
憂「うん」
フロアはオールスタンディングだったので、
私達はバーカウンターの前に申し訳程度に据え付けられたソファに腰を下ろす。
そうやって落ち着くと、さっきの自分の態度が気になって来て、
まだ緊張してるようにフロアを見回している憂に謝罪する。
唯「あ、憂ごめんね。私の稼いでいるお金でも無いのに…」
憂「ううん、良いよ。お姉ちゃんが言ってる事が正しかったし、それに…」
唯「それに?」
憂「そう言う風に考えられるぐらいになったんだなって」
そうだ、以前の私なら、そんな事まで考えが回らないような状態だったに違いない。
ステージ上では、スピーカーなどの設置が慌ただしく行われていて、
その光景もまた、何か私に元気を与えてくれているような気がした。
唯「楽しみだね…」
憂「うん」
―――
アナウンスされている開始時間が近づくに連れて、人が増えて来る。
フロアは7割、8割の入りのようだった。
客の多くは顔見知りらしく、挨拶をしたり、雑談をしたりしていたけど、
この場所が初めてである私は憂に貼り付くようにソファで静かにしているしか無かった。
何時の間にか、開始時間は過ぎていたが、
ステージ上の作業は完了した様子は無く、
ドラムのセッティングには特に手間取っているようだった。
?M「律、ほら、開始時間になっちゃっただろ」
?R「んな事言ったってさ、ここのステージって常設じゃないしさぁ」
ドラムをやっているらしい女の子のあまりの手際の悪さに、
黒髪の女の子が強い口調で急がせる。
それに対して、栗色の髪のドラムの子は、
遅れているのは自分のせいじゃないとでも言わんばかりの態度を取りだす。
二人は軽く争うような雰囲気になっていて、
私は大丈夫なのかな、と他人事ながら若干心配になる。
そこに、中野さんとさっきカウンターにいた女の子がケーブルを担ぎながらやって来る。
?T「まあまあ、澪ちゃんも落ち着いて、いつもの事じゃない」
?R「そうそう、澪が気にし過ぎなんだよー」
?M「ムギは律を甘やかし過ぎだよ」
梓「そうですよ、律先輩はちょっとだらけ過ぎです」
?R「そんな事ないだろー」
?M「調子に乗るなっ!」
黒髪の子が栗色の子を殴る。
?C「痛っ!」
私は驚いて、もしかしたら、ステージ上で喧嘩が始まるのでは無いかと思ってしまう。
だけど、そんな事は全然無くて、要するにじゃれあっているだけみたいだった。
私達以外の客に取っては、このステージ上のやり取りはいつもの事らしく、
大多数の客は笑いながら見ていた。
?N「ほらぁ、律ー!客待たせて無いで早く始めろー!!」
一人の客が、栗色の少女に声を掛けると、
他の客達も囃し立てるように、ステージに向かって声援みたいなものを送る。
?E「りっちゃん、早くしてぇ!」
?H「そうだぞー!そんなトロトロしてると、澪にまたぶたれちゃうぞー!」
栗色の子はあたふたしながら必死で言い返す。
?R「ま、まて、これはここのステージの問題で私の責任では…」
中野さんはそんな風に集中砲火にあっている栗色の子の様子に噴き出す
梓「ぷっ」
?R「中野ぉ!」
栗色の子は、一瞬年下らしい中野さんに笑われて怒り出す様な仕草を見せたけど、
それも本当に怒っている訳では無くて、
明らかにじゃれあいの一環のように見えた。
私と憂は初めての場所なのに、
その家庭的な雰囲気が楽しくて、思わず笑ってしまう。
憂「何か良い雰囲気だね、お姉ちゃん」
唯「うん、凄く楽しいね」
―――
そんな風にドタバタしていたので、
一曲目が開始された時には、告知された開始時間を大きく回っていた。
だけど、そんな事は全然関係無しに、
一曲目から私はとても良い気分で、
バンドの作りだすバイブレーションに乗れていた。
他の客は皆グラス片手にスタンディングで騒いでいたけど、
私は憂の手前もあってソファでソフトドリンクを片手に、
言い訳程度に身体を揺らすぐらいに留めておいた。
でも、憂もきっと私がそうしているのに、
自分だけ大きく身体を動かせないだけで、
とても良い感じになっているようだった。
―――
何曲かが連続して演奏された所で、
メンバーの休憩と言うかMCタイムが挟まれた。
でも、MCタイムと言っても、
どうやらメンバー紹介の必要も無いぐらい客とバンドの距離は近いようだったし、
内容もそんなにちゃんとした事を話している訳でも無かった。
心地良い疲労感に包まれながらグラスに残っていた氷を噛み砕いていると、
声を掛けられる。
コートを片手に抱え、髪をきっちりロールさせたその子は、
他の客とは違って、随分ときっちりとライブ向きじゃないようなおしゃれをしていて、
明らかにこの休憩時間に入って来た様子だった。
?I「私もソファ使わせて貰って良い?」
唯「は、はい!あ、少し寄りますね」
?I「ありがとう」
そのソファに三人掛けすると、距離がかなり近くなるので、
無言でいる事が少し辛くなる。
?I「たばこ吸っても良い?」
唯「は、はい、どうぞ」
私は、無言でいる事に耐えられなくなって、
恐る恐るそのロールの子に話しかける。
唯「凄い、皆ノってますね。バンド人気あるんですね」
ロールの子は私に話しかけられた事に、一瞬びっくりしたような顔をしてから、
でもすぐに元のクールな表情に戻る。
?I「騒ぎに来てるだけの人も多いと思うよ」
唯「そうですか…」
会話が続かなので、私はまた手持無沙汰になってしまって、
グラスの中に少しだけ残った水を飲み干す。
?N「おー、なんだ、いちごも来たんだぁ!」
髪をシニヨンにまとめた少しがっちりした感じの女の子が、
人ごみを分けて、ロールの子に話しかけながらやって来る。
?I「悪い?」
?N「悪かないよ」
シニヨンの子は、ロールの子の全身をざっと上から下へ見る。
?N「そんな格好じゃあ、踊れないんじゃない?」
?I「踊らないから良い」
?N「あっそう…」
?I「律も皆も、もう少しフェミニンにした方が良いと思う」
その反応にシニヨンの子はクククと笑う。
?N「律は必要ないんじゃないか?」
?I「かもね。でも、信代は?」
?N「彼から『ノブは凄い女の子らしいよな』って良く言われてるから、
それで私は十分だけどなー」
?I「あっそ、ごちそうさま」
そのやり取りがおかしくて、私は思わず笑ってしまう。
シニヨンの子は、呆気に取られた顔になってから、笑いだす。
?N「ほら、いちごが変な事言うから、笑われた」
?I「信代のせいでしょ」
その時、ステージ上から、開始のタイミングを取る声とスティックを合わせる音が聞こえる。
?N「おっと、始まるみたいだね」
シニヨンの子はまた人ごみの方に戻って行く。
私と憂は今度はソファから立ち上がってステージの方を見る。
ロールの子もソファから立ち上がる。
?I「ねえ」
唯「ふぇ?!」
私は、唐突にロールの子から話しかけられて驚く。
?I「これ、終わったら控室に届けて」
ロールの子から高級店のケーキのものと思われる箱を手渡される。
私が思わず受け取ると、その子はさっさと出て行ってしまう。
唯「これ、どうしよう…?」
取り合えず、憂に聞いてみるしか無かった。
憂「届けるしかないんじゃないかな?」
だけど、当然の事ながら、憂もそれぐらいの事しか言えないようだった。
―――
ライブが終わり、さっきまでの熱気が嘘のように静かになったフロアで、
私達は立ち尽くしていた。
唯「どうしよっか」
憂「うーん。でも、取り合えず梓ちゃんとは知り合いだし、
そんなに無碍に扱われる事も無いんじゃないかな」
唯「うん」
店員は訝しそうな表情をしながらも、
意外な親切さを発揮して控室を教えてくれた。
最終更新:2010年11月28日 04:00