唯は墓石に花を手向けると、悲しそうに、静かに、手を合わせる

「………………」

永く、永く――
唯の背中を見ていると……いつもは元気な唯が、あの時と――1年前のあの時の唯と重なって見えた
私もその唯の隣へ、そして律の眠る場所に、線香を手向けて手を合わせる

……律

心の中で律に呟いても、返ってこない返事

「…………律っちゃん」

目を瞑ると聞こえてきた声……
唯の呟く声が、私の耳に、微かに聞こえる

「りっ……ちゃぁ……ん……」

時折混ざる、小さな嗚咽――

「……うぅ……っっくぅ……っ」

その声は、静かな霊園に佇む数々の思い出の跡に飲み込まれていくように――
あふれては消え、こぼれては消え……
静かに、静かに
唯の悲しみが消えるまで――
絶対に消えることはないけれど――僅かでも消えるまで……唯の嗚咽は治まるまることはなかった

律……律……どうして……どうして……



こんにちは、秋山澪です
今日は唯と二人で律のお墓参りに来ました

二人でどれだけ律のお墓の前にいたのか……わかりません
30分……ううん、多分一時間はいたと思います
私も唯も、何かをしていたわけでもなく
律のお墓の前で手をあわせて、佇んでいました

きっとその間は、唯も私と同じことを思っていたのではないでしょうか
心のなかで、律に話しかけて、それでも返事は返ってこなくて
それが辛くて……悲しくなって……声が溢れて……

夕時の凪が終わり、急に吹いた風で、空になった水桶が倒れる音が耳に入ってくるまで
二人でずっと手をあわせていました

その風が――その音が、私と唯を包む悲しみと沈黙を中断させてくれたような気がして……
律が『もうやめろってば、帰らないと風邪をひくだろ』と教えてくれたような気がして……

太陽が霊園を朱に染める中、私と唯は律の眠る場所から帰ることにしました


――…ぉ

私の耳元で聞こえる、懐かしい声――

「……みーおー?」

私の事を呼び捨てで呼ぶあの声――

「澪っ!」

少し急かすような、元気なあの声――

寝ていたのか、でも眠気は無く
でも目を瞑っていた私は、目をゆっくり開けると――

そこが部室だというのは何故か違和感なく分かっていて
私は部室のソファーに腰掛けているみたいで

「お目覚め?」

目の前には……見上げると――

「りっ……――」

声と喉の奥から、いろいろな物があふれそうになって――

「律ぅっ!!!」

目の前にいる、律を、懐かしい、その律を私は抱きしめようと体をソファーから起こして、律に触れ――


――た、と思った

でも、そこには天井に向けた両手――

抱きしめようとして起き上がったのに、何故か私は横になっていて
見慣れていた部室ではなく……それは、私の家の天井で

手には――

手の先には……

何も、無くて……

律は………………いなかった

抱きしめようとした
やっと会えたから、もう、律が何処にも行かないでほしかったから
消えないように、逃げないように……抱きしめようと……したのに

……夢、だった

目尻から零れた雫が耳を濡らし、そのまま髪を、枕へと落ちていくのを感じながら
私は何もつかめなかった手をゆっくりと下ろして――

目覚まし時計のアラームが鳴るまで、何も考えず、ただただ、虚ろに天井を眺めていました

――その日は朝から雨でした

あんな夢を見た後だから、気分も晴れません
それに……
今の時期の雨は、嫌い……

「澪ちゃん、おはよう」
「おはよう、澪」

教室に入ると、ムギと和が笑顔で声をかけてきました
あんまり気分が落ち込んでいるのを他の人に伝染させたくない、だから――

「おはよう」

――私は二人にいつも通り平然を装って返事をします

席に着くと、もう少しで朝のHRが始まる時間なのに
一席だけ空席がありました

「……唯、まだきていないの?」

いつも唯と一緒の和に尋ねます

「唯ならもう来ているよ、部室に行くって言ってたけど」
「唯ちゃんならギターを置くついでにトンちゃんにエサあげているんじゃないかしら?」

唯が早く来ているなんて珍しい……
私はエリザベスを置いてくるついでに、戻ってこない唯を呼んでくることにしました

HRが始まる間際の時間の廊下――
自分の教室に向けて走る生徒、まだ教室に入らずに廊下で話す生徒、他のクラスから自分のクラスへ戻る生徒……

そんな朝の光景を横目に、薄暗い階段を上がって――
音楽室の前まで来ると、朝の喧騒も遠くなり、そこだけ静まり返っていました

部室の電気は……消えているみたいです
唯が部室に来ているって二人言っていたんだけど……
ここからだと人のいる気配が全く感じません

扉に手を掛けると……鍵は空いていました
そっと扉を開けて――
な、何かあったら嫌だし、警戒しながら……ゆっくりと、ゆっくり、と……
扉が半分ほど開いたところで中の反応を伺うけれど……
扉を開けたことだけでは何もありませんでした

「ゆ……唯……?」

開いた扉から中に声を投げかけるけれど……これも反応がありません
そっとさらに扉を開き――部室の中に入ります

天気が雨なので、電気のついていない部室は暗くて、少し寒い……

こんな部室に、唯は居るのかな――と思い、辺りを見回すと……

いました
いつもお茶を飲んでいる机の前、椅子に座り、手を机の上で枕替りにして寝ているみたいです

「ゆ――」

起きないとHRはじまるぞ、と声をかけようと思ったのですが……
その唯の光景を見て、声が詰まり、呼びかけるのを躊躇いました

唯の目は閉じていて、寝ているように見える唯……
でも、僅かに肩が震えています

そして、私が近くに、背後にいるのに、気がついていない唯
寝ているのかと思いましたが……小さな音が、唯の場所から聞こえます

その音が出ている場所――
唯の耳元を見ると、イヤホンをしていました
何か聴いているみたいです

小さな小さな音……メロディに乗っているようなリズムで、僅かに人の声が入っているような……
雑音、と言ってしまえばそれだけの音、気が付かないような音だけれど……

『――ダ゙カラ……テイル……キヅイテ……デモイチオウ……』

この音……――

『カチューシャ……デア……カナッテ……ナッタリシテ……』

この声は……唯が聴いているのは――律の声

練習で録音した、律の歌が入った……カセットテープを――

――肩を震わせながら……
――泣きながら、聴いていました

「律っちゃん……」

イヤホンから漏れる音を消す音
唯の口から漏れた呟き――

「なん、で……」

私が後ろにいることに、まだ気がついていないみたいで――

「……ぃっく…なんで、なの……?」

続く唯の嗚咽……昨日と同じ、唯の嗚咽――

「なんで……――」

でも……昨日以上に、言葉の端々に悲しみを込めている唯の声――

「――なんで、死んじゃったの……?」

私は……泣きながら律の歌を聴く唯に声をかけられませんでした
きっと唯も、そんな姿を誰にも見られたくなかったのかもしれないから――

私はそのまま唯を残して、教室に戻りました
教室に戻るとすぐにHRの開始を告げるチャイムが鳴って――

唯はHRの時間に戻ってくることはありませんでした
1限目が始まる前に、さわ子先生と、ムギ、和に唯のことを尋ねられましたが
部室にはいなかった、とだけ答えました

結局、1限目にも唯は顔を出さず――
2限目が始まる前の休み時間、さわ子先生から、唯は早退した、とクラスに伝えられました
鞄は……机の横に置いてあるままでしたが、職員室でさわ子先生に告げた後、帰ったそうです


泣いている唯に……声をかけてあげたほうがよかったのかな……?
でも――

『――なんで、死んじゃったの……?』

唯の、その言葉に私は答えることがでかったから……できないから……
私が何を言っても……
それは全部言い訳にしかならないから……

私は…・…

だって……私の――

私のせいで……律は……――

一年前の、あの日――私は、律と楽器店に行く約束をしていました

「……なにやってるんだよ、律は……」

約束の時間になっても、時間から20分オーバーしているのに、律は待ち合わせの場所に来ません
電話も何度もかけているのに出ないし、メールも何通か送っているのに返事が来ない……
ああもう……早く行かないと……レフティフェアが終わってしまうじゃないか……

私は再度、律に電話をかけると、2コール半で――

「澪っ、ごめん!!!」

――出た瞬間に私の名前と謝罪の言葉

「もう30分は経つのになにしているんだよ!楽器屋閉まっちゃうじゃないか!」
「いやいやいや、閉店まではまだ数時間あるから……」
「とにかく!早く来て!」
「わ、わかってるって!今急いで準備していくから!」

……準備、って?

「律、もしかして……まだ家!?」
「さっすがみおしゃん!正解でっす!ただいま着替え中ー」
「正解ですじゃない!早く!着替えなくていいから!今すぐ!!5秒で!!!」
「無茶言うな!!」
「じゃあ20秒で!!」
「無理だっての!!遅れたのは悪いけどさー、これも澪のせいでもあるんだぜ?」
「なんで私のせいなんだよ!」
「それがさ、昨日、幼稚園の頃と小学生の頃のアルバムが出てきてさー」
「……で?」
「つい……夜中まで読み耽けっちゃってさー、小さい頃の澪ちゃんてぇ、すっごくかわいいかったんだねー♪」
「う、うるさい!!てかそれ私悪く無いだろ!律が悪いんじゃないか!」
「でもすっごく懐かしかったからさー、ついつい、あっはっはっはぁ――がってぇええ!?」
「いきなり叫ぶなよ!」
「っつうう……ベッドに、こ、こゆび……ぶつけた……」
「遅刻した天罰だ」
「酷いこと言うねみおしゃん……」
「とにかく昔話とかいいからはやく来いって!もう着替え終わったんでしょう?」
「終わってねーよ!!」
「早く終わらせて!!」
「電話してるのに無茶いうなって!……全く、酷い幼馴染だよ……」
「約束の時間から30分以上待たせる幼馴染も酷いよ!」
「わかったわかった、お互い様ってことでね!」
「いや、私悪くないと思うんだけど!」
「でもさー、幼馴染の澪と一緒にこうやって楽器屋行って、同じバンドやってるって、すごいことじゃね?」
「ん……?そ、そうかもしれないけど……」
「だろー?幼稚園の頃からの幼馴染と一緒なんて運命ってヤツ?そう思うと感慨深いなーってさ!」
「確かに……そうだけど……今は関係ないだろ……」
「そーだけどさー、まあ、何ていうか……そのさ、みおしゃん……」
「なんだよ、歯切れ悪いなぁ」
「あは☆……大好き♪」
「いいから早く来い!!!」


――と、いつも通りの、何気ないやりとりでした
だからそのまま私の方から通話を切って、今から待ち合わせの場所に来る律を待つことにして――
そのまま……私は待っていて……1時間以上も待っていて……――


――それでも律は、待ち合わせの場所に現れませんでした

再度、電話をしたら、コール音の代わりに

『お客様のおかけになった電話番号は、現在、電波の届かない所か――』

アナウンスが流れます
何度かけても、何度かけても――電源を切っているのか、アナウンスばかりでコール音が鳴りません

――律と連絡を取ってから……1時間半経ちました

私は律の家に電話をかけてみましたが、数コール後に留守番電話になってしまいます
レフティフェア……も大切だけれど……
時々待ち合わせに遅れてくる律だけれど……

こんなに、律のことを待っていたのは、初めてでした

「……何……やっているんだよ……」

いつまで経っても――

『お客様のおかけになった電話番号は、現在、電波の届かない所か――』

――繋がらない、律の携帯

「遅いよ……」

歩く人の中に律の姿を探します
けれど――いつまで経っても……その中に律の姿は現れません

「遅い……」

少し、風が冷たくなった気がしました
午後になって、雲行きが怪しくなり、朝には青空だった空も、今は雲が覆い尽くして……

「律……どうしたんだよ……」

空も……泣き出しそうです……


――次に時計を見たときには……2時間経っていました

律の携帯にも、家の電話にも。何度も、何度も……
もう数えきれないくらいかけたけれど……
――律の声を聞くことはできませんでした

「あ……」

突然、手に付着する冷たい感触
当たった手の甲を見ると、はじけた雫――雨、でした

灰色に染まった空を見上げると――ぽつり、ぽつりと
見上げた私の顔を、頬を、ひとつ、またひとつと雫が当たり、弾け、落ちてきています


傘は――持っていませんでした


でも、私は――
何故か……雨が、私に何かを告げている気がして
雨が頬を打つたびに、空を覆う雲が私の胸まで覆い尽くすかのように――
胸が、息が……少し、詰まります

だから私は――
律の家に向かって歩こうと思って足を踏み出し――

一歩踏み出すと、耐え切れず――走り出しました


雨は、すぐに強くなりました

走りだした時に頬や手にあたって弾けていた雨も――
今は、走っている私の全身に叩きつけるように降りそそいでいます
頬を濡らし、セットした髪を崩し、服を重くし、時折目にも入り込んで視界を遮ろうとしてきます

「いつ、っはぁ、はぁ……まで、……いつまで、っはぁ……――」

バッグを持ったまま、走り辛い靴、動き難い服、コンクリートの道路……
いつもなら、こんなにすぐ息が上がることなんてないのに――
体育の時間で走るのとは、状態も状況も、全然違くて……

「いつ……はぁ、はっ、ぁ……り、律はっ……待たせ、るんだ……!」

それでも、足を止めることはできませんでした
足を止めてしまったら――
打ち付ける雨に、雨と一緒に、私の体も地面に叩き伏せられてしまいそうだったから――

だから、私は走って、走って――

――走って、いると……
雨の中、異様な光景が目に入ってきました


その光景は……走っていた私の足を、強引に止めるものでした

そこは――交差点、でした
人が信号待ちをしている……にしては違和感があります

人数が多くて――そして、青信号なのに、だれも交差点を渡ろうとしない

ううん……少し、違う
私の前を遮るように大勢いる人の背中、そしてその足を動かさない人たち
交差点から伸びる、幾つもの止まった車……

その先にある交差点、道路がよく見えないから――青なのに、渡らずに止まっているように感じたのです

人、人、人……
そして――その人達が話す声から感じる……

……不穏な、ざわめき

あの、雨が降ってきた時に感じた、胸の中の違和感と同じような感覚――

傘をさしている人もいれば、雨に……私と同じように、雨にうたれて濡れている人も…・…
聞こえてくるざわめきは――

胸の中の、嫌な予感を……強めて、いきます

私は、これ以上強くなるその嫌な予感に耐えきれませんでしたが――

進む足は、律の家の方向では無く……その人集りの中心部へと、向かっていました


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最終更新:2010年11月30日 01:25