人と人の間をくぐり抜け、少しずつ前へ、前へ……

そしてほぼ一番前までくると、私の目に、入ってきたのは――

――停まっている車

――その先には……警察官が交差点付近に……何人もいて……

その中心には……銀色の大きな四角い物体……

何だろう?どこかで、見たことがあるような、銀色の横に長い物体――あ、これは……

その銀色の物体の周りを見ると、その銀色の物体が普段見かけているものだとわかりました
いつもとは見る場所も、見ることができる部分も違うから、わからなかっただけで――

――それは、トラックのコンテナでした
横転しているようで、私のほうからは運転席の屋根が見えています


でも――その後に

私は、もっと、見慣れているものを、毎日見ているものを……見つけました

トラックよりも――私にとっては、大きなもの、大切な、もの……

いつも見ている――

あの、黄色い、カチューシャ、が、落ちて、いて――


律は……即死だったそうです


そのずっと、ずっと後にその現場を見ていた人から聞いたのですが

事故は雨が降りだす少し前に起きたそうです
青信号で横断歩道を渡っていた律の所に、信号無視をした大型トラックが突っ込んで来て――

私があの場所に着いた頃には、律は病院に搬送されていました
でも……その時には、既に……


――私が、律に急げって言わなかったら

――律と違う場所で待ち合わせをしていたら

――トラックも、事故も、全部、全部、全部何も無かったら……

そんなことを考えても意味はないのに
でも、思い出すたびに――
後悔して、律と話した最後の電話を思い出すたびに、胸が砕けて散ってしまいそうで……

……律がいないことが……もう、律に二度と、もう二度と会えないと思うと……

……辛くて、悲しい


「――澪ちゃん?次、移動教室だよ」
「……え?あ、ああ……うん……そうだね」

ムギの声をかけられて時計を見ると、次の授業まであと数分になっていました
授業もいつの間にか終わっていたみたい

「澪ちゃんが授業中に寝ているなんて、珍しいね。昨日は徹夜で作詞してたの?」

律の事を思い出していた、なんてムギに今言うのは……躊躇われました

「そうなんだよ、中々いい歌詞ができなくて……やっぱり先に曲があったほうがいいかな、とか」
「私、澪ちゃんの歌詞好きだから、唯ちゃんと一緒に楽しみに待っているね」

――唯

何気ない会話の中で名前を聞いただけなのに、今日は、今は――
あの、泣いていた唯の顔を思い出してしまいます
そして、さっき思い出していた律のことも、また……

「……澪ちゃん、大丈夫?どこか調子悪いの?」
「え、いや何も無いけど……?」

急に心配そうな顔で私を見るムギ

「……唯ちゃんも体調悪いみたいだったから」
「わ、私は大丈夫だよ」

少しだけ……違う意味で大丈夫じゃないけど……

「大丈夫なら、いいけれど――」

「――ねえ、澪ちゃん」

ムギは足を止めて、廊下の窓の外に視線を向けます

「雨、やまないね」

雨……
私もムギの見る方向……その窓の外で今も雨を降らせている雲を見上げます
灰色に染まった雲と、時々窓を打つ雨……
今日の雨はそんなには強くないけれど、朝からずっと降り続いている長い雨……

ムギもまだ、窓の外を、ただずっと、同じように眺めています
次の授業に急がないといけないはずなのに
でも……時間が、私とムギだけ止まっているように――
止まってしまっているかのように――

「雨、いつ止むのかな……?」

私に問いかけているようにも、ムギがただ呟いただけにも聞こえたその言葉…・…

天気予報では、今日の夕方には止むと言っていたけれど――
私は――ムギのその言葉に、答えることができませんでした


天気予報は外れて、下校時刻になってもまだ弱い雨が降り続いていました
唯も早退してしまったので、今日の部活はお休みです

だけど――
ムギと和と教室で別れた後、私は一人で部室に来ていました

放課後の部室――

朝来たときより、薄暗く……
窓を叩く雨音が唯一の音となって、静かに部室を包んでいます

……薄暗いのは、あんまり好きじゃない
でも、電気は付けません

電気をつけていたら……
まだ学校に残っているかもしれないムギや和
それと梓が部室まで来てしまうかもしれないから……

薄暗い中、私は私物で埋まっている部室の棚から、目的のものを探します

きっと……あの後に戻したのなら……すぐに見つかるはず……


以前置いてあった場所とは別の所だったけれど
それはすぐ見つけることができました

小さな缶のケース――
中には、私たちが練習で録音した時に使っていたカセットテープが何本か入っています

缶を開けて、その中からひとつ――

 『りっちゃん!』

――と、唯の字で書かれているカセットテープを取り出します

……やっぱり
朝、唯が聞いていたのは……このテープみたい
聞いたあとに、巻き戻しをしていないままになっていました

私はそのカセットテープを――
ラジカセに入れて、そして、巻き戻しボタンを押します

音を立ながら、少しずつ、少しずつ、A面の最初へ戻っていくカセットテープ

あの頃の律の声を聴くために……戻すことができる、カセットテープ……


――カシャン、と小さな音をたててテープの巻き戻しは終わりました

そして私は――再生ボタンを……

……一瞬、躊躇いましたが、再生ボタンを押しました

僅かな雑音がスピーカーから漏れ出し――

『――よし、じゃよろしくな!』

――懐かしい、声
雨音に包まれていた今の教室に――

『わん、つー、わんつー、すり、ふぉ!』

――覆い被さるように、あの頃の音が教室を包みました

『――こんなもんかな?』
『うん、いいんじゃないかしら?』
『律っちゃんも歌上手いんだね!』
『サビの部分は少しドラムのほうが走り過ぎになっているけどな』
『いやー、のってくると、つい……てへ☆』

――カシャン
キュルキュルキュルキュルキュルキュル――

――カシャン
カシン

『――よし、じゃよろしくな! わん、つー、わんつー、すり、ふぉ!』


律の喋る声――

律の歌う声――

律が刻むドラムの音――

カセットテープの音だけなのに……
その時の律の顔、あの時の部室の光景
全部、全部今その場所にいるかのように頭の中で再生されます

終わっては戻して、終わっては戻して――何度も戻すけれど……
それでも……時間は過ぎていって――あの頃に戻すことはできなくて……

何もすることができないから、私はただただ、律のその声を何度も何度も聞いていました


――真っ暗な部室
側に置いてあるラジカセも、暗闇の中に溶けて無くなってしまいそうなくらい、真っ暗……

巻き戻したまま、再生ボタンを押さずに……私は少しの間眠っていたみたいです

目が痛い……
それに……寒い……

窓を見ると、外も暗闇で覆われていました
遠くの教室に灯る明かりがあるからなのか、少しだけ外のほうが明るいような気がします

雨はもう止んでいました
だけど、空はまだ雲に覆われているようです

……そろそろ、帰らないと

私は椅子から立ち上がろうとすると――

「澪ちゃん」

――急に、肩を叩かれました

「ひぃぃっ!!!」

だだだだ、だれだれだれだれ?!

肩にまだ残る、何かが……手?
手がの、乗っているか、かか感触が、ま、まだあ、あって……

振り向けない!振り向けない!!振り向けない!!!
立ち上がろうとしても、座っている状態から、ち、力が入らない!!!

「ひいぁ――」

ここ声が喉の奥で詰まって出てこなくない――た、たすけて!!

「ご、ごめん!澪ちゃん!!」

肩にあった感触がそのまま私の肩を抱くように包んで……

「私、私だから、ね?いきなり驚かないで?大丈夫だから?!」

私の視界に横から入ってきたのは――

「――ぃ、む、む、ムギ……?」
「ごめんね澪ちゃん、そ、そこまで驚くとは思っていなかったから……でも――」

真っ暗でも、真横に近づいていたその顔は誰だかすぐにわかりました

「――ちょっと……可愛かった、かな」

でも……い、いつの間に……?

「――落ち着いた?」
「う、うん……」

ムギは私のことを、そのままずっと、後ろから抱きしめていてくれていました
暖かい、感触――少しだけ、落ち着きを取り戻すことができました

「……もう大丈夫」

でも、まだちょっとだけ、心臓の鼓動が早いかもしれない

「本当に、ごめんね……」
「いいよ……大丈夫だから……ん」

ムギは手を、抱きしめてくれているその手を少し強めます

「……澪ちゃんも、唯ちゃんも」

ムギの声は、私と唯の名前を呟くその声は、抱きしめる手とは逆に、弱々しい声でした

「聞いていたんだね――律っちゃんの、テープ……」
「……ムギはいつから――」

――私がここで聞いていたのを見ていたの?と尋ねようとしたのだけれど

「私は……ずっと前から……。悲しくて、どうしようもない時があると……聞いていたの」
「ムギも……?」

「うん……あの日から……
 律っちゃんの事、忘れた日なんて一日も無かった……」

抱きしめるムギの感触が強くなれば強くなるほど――
ムギの声は、弱々しく、消えしまいそうになっていきます

「…………」
「だって……律っちゃ、んっ……急に、いなくなって……しまうんだもの……」

時折、しゃくり上げるようなムギの声……

「律っ、ちゃん……どう、して……」

あまり泣かないムギの、そんな声を聞いていると――
胸の中を、心臓を、心を、握り締められているように痛くなります

その痛みに重なるように――

『――なんで、死んじゃったの……?』

――唯の、あの声がさらに私の胸を掴み……

「…………ごめんなさい」

押し出されるように口からあふれるのは……律に、唯に、ムギに――
律と出会って、律のことを思い、律のことを大切にしていた人たちへの謝罪でした――

「なんで、澪ちゃんが……謝るの……?」
「私が……私が律のことを呼ばなかったら……
 私が、もっと早く律の所へ……律が交差点を渡る前に会っていたら……」

 『――なんで、死んじゃったの……?』

「ごめんなさ、いっ……わたしが律を呼んだから……」

 『律っ、ちゃん……どう、して……』

「ごめんなさい……わた、んっ、わたし、がっ……わたしが……ぅっく、り、律、を……急かしたから……」

――ごめんなさい

「私が……!!わたしが!!わたし、が!!!」
「澪ちゃん!!それはちが――」
「わたしがっ!!!
 律と、あの、あの日……あの日に、約束なんてしなかったらっ……!!」

――律……りつぅ……ごめんね……ごめんね……――

「律が……し、死ぬことなんて……なかったんだよ……ぉ……」

ムギに抱きしめられているから――目からあふれるものも、頬を伝うものも……
そこから下に溢れ落ちるものも、拭うことはできなかった
でも、拭うことなんてできなくても……涙は、止められなかった

「澪ちゃん――」
「ごめんね……ムギ……わたし、が……」
「――お願いだから……そんなこと……言わないで」

「澪ちゃんは悪く無いから……謝らないで……」
「でもわ、私は……わたし、はっ……、わた、しは……――」

「澪ちゃんが律っちゃんと約束した事まで謝ってしまったら……!!律っちゃんは――」

荒げた声で、嗚咽を噛み締め――

「――澪ちゃんとの、約束をっ……、楽しみにしていた律っちゃんは……悲しむと……思うから……」

それは――だけど……だけど……!!

「でも、でも、律は……!!」

私は――ずっと……律と、一緒だったんだ


私の――
今まで生きてきた人生の殆どが――

――律と、一緒だったんだ……

小さい頃から――

 『みおちゃん、なに読んでるのー?みせて!』

 『すごーい!ひだりききなんだ!みんなー!みおちゃんすごいよー!』

 『いまからうちにおいでよ!作文を読む特訓をしよう!!』

 『でもわたし、じゃがいもの真似はできないからパイナップル!!』

 『恥ずかしがり屋を直すには、自分に自信をもたなきゃ!』

 『語尾に、だぜ、を付けると自信満々に見えるよ!』

――ずっと……

今までも――

 『軽音部だよ!軽音部!』

 『あの時の約束は嘘だったのかっ?!』

 『みんなー!入部希望者が来たぞー!!』

 『それじゃー澪がボーカルってことで♪』

 『上手いんだぜ、澪は!一夜漬けを教えるのが!』

 『体質、じゃね?』

――ずっと……

 『寂しくなったら、いつでも2組に遊びに来ていいんだよ?』

 『相変わらず澪のセンスは独特だよな……』

 『おふたりさーん、仲いいですねーぇ?』

 『勉強教えてください!先生!』

 『夏で合宿と言ったら、肝試しだよね!』

 『なんかさ、レフティフェアやってるみたいだよ』

――ずっと……

これからも……ずっと……ずっと……律とは……

律と……一緒だと……思っていたから――

律が……

理由も無く、何も無く……律がここから居なくなってしまったことにしたくなかった
律の存在が……偶然の事故で――
偶然というだけの、何も理由も無く失われたことを……認めたくなかった

私にとって、律は……いつも、傍にいたから……
幼馴染、友達、親友――
私にとっての律は……言葉になんて……できるはずが……ない

律は……掛け替えの無い、唯一の存在だったのだから――

だから…・…大切な律の人生が……何の理由も無く途切れてしまったことを……
私は……許せなかった……

律の人生の終わりが……こんなにもあっさりと……偶然に――
大切な人の人生が、理由もなく終わったという形に、したくなかった……

どうしても……律がいなくなってしまった……理由が、欲しかった……


だから私は……最後に遊ぶ約束をした自分自信を……許そうとしなかったんだと思う

私自身が、律の人生を終わらせてしまったという理由にしたかった……――

「うう……!!うううく!……くぅううううう!!!」

奥歯を噛み締める
拭えない涙が頬をぼろぼろとこぼれ落ちるのを抑えたかったから

――でも、どんな理由だとしても……
どんな理由を付けたとしても……

「うう……うう!!」

律は――絶対に、もう、戻ってこないから

「くうううう……!!うう!!!」

だから、寂しいけれど、それ以上に――

だから、悲しいけれど、それ以上に――

だから、辛いけれど、それ以上に――


――私は、律を失ったことが

――悔しかったんだ

「うううぅぁ、ぁあああああああああぁ――!!!!!!」


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最終更新:2010年11月30日 01:27