こんな感じだったそうです、これ以上は分かりません、教えてくれないもの。
「そう、そっか。でも、ねえ、なんであずにゃんは、和さんと先生の話ばかりしているの?」
さあ? もしかしたら、彼女たちの話が一番……
「さあ、じゃないだろ。まあ、いいさ、次は梓のことを話してよ」
聞いてくれるんですか、聞きたいんですか?
「聞きたいわ」
そう、じゃあ、私、頑張りますね……
簡単な話です。私、気づいてしまいました。
唯先輩たちの思い出は、唯先輩たちだけで共有されるんです。
そこには、私も先生も和さんもいるけれど、私たちはあくまでもパーツなんです。
なんていうか、ある風景の写真をとったとき、その写真にたまたま写った人がいたからといって、
わざわざその人に写真を渡したりしないでしょう、そんな感じです。
先輩たちにとって、高校生活はあくまであの四人が主役だったんです。
だから、私たち――私と先生のことです――は困ってしまいました。
「唯ちゃんたち、勉強頑張ってるみたいよ。梓ちゃんも応援してあげてね?」
文化祭が終わって、しばらく経ってからのことだったでしょうか、先生は頻繁にそんなことを言うようになりました。
多分、先生もなんとなく気づいたんでしょう。
唯先輩たちの思い出の中にあるのは、陽気で不真面目な先生という、彼女の属性だけであって、
彼女自身ではなかった、ということに。
「へえ、そうですか、じゃあ、先生は応援してくれますか、私のこと?」
私もそうです。先輩たちには、
中野梓は必要ないみたいです。
真面目で、口うるさい、可愛らしい後輩がいた、という思い出があれば。
「なにを応援して欲しいの?」
そのころからだと思います、私はほとんど睨みつけるように彼女を見て、ぎいっと口を釣り上げて笑うようになりました。
そして、私は言うのです。
「さぁ、なんでしょうね」
先生は、いつも寂しそうに笑うのです。
私と先生は、よくお喋りをするようになりました。
だって、音楽室には私と先生しかいないんですから、当然のことです。
先生はたまに言いました。あっけらかんと言いました。
「梓ちゃん、変わったわねえ」
「そうですか?」
「うん、不真面目になった。生意気になった」
私は、そのころ、放課後いつも音楽室に行っては、ヘッドホンをつけて、ディストーションを目一杯聞かせてギターをかき鳴らしていました。
先生と話すときもヘッドホンを外しませんでした。
だから、私はいつも、すべてを揺らして、崩してしまいそうな轟音の中で、先生の声を聞いたのです。
「別に、いいじゃないですか、それとも、先生はそれで私のことを嫌いになりますか」
ぎいっと。私はそのころ、先生と二人でいるときには、いつも癖になっていた笑い方で、笑いました。
先生も、一瞬寂しそうな顔をして、それから直ぐに笑いました。
「ならないわ、ならないわよ」
彼女の笑顔を見るたびに、私は悲しくなりました。
だって、先生は頑張っているように見えたのです。
なんとかして、先輩たちの仲間に加わろうと、頑張っているように見えたのです。
先輩たちは、先生の属性だけを転写して、ジグソーパズルに埋め込んだから、もう先生の明るさは必要ないのです。
だから、先生のその努力は、まったくの無駄であって、それで、私は悲しくなるのです。
そして、彼女を滑稽に思うのです。
「先生も、もうちょっと暗くなったらどうですかあ」
いつも、私がこう言って、この話は終わりました。
たまに、先生は目を伏せて、がんばってみるわ、と言いました。
たまには、先輩たちからメールが来ることもありました。
けれど、それは、ただ先輩後輩の関係性を、卒業するまで維持する、それだけを目的としたメールのように思えました。
私は先輩たちじゃありませんから、本当のところは分かりませんけど。
私は、だんだん、先輩たちのメールが嫌いになりました。
だって、そのメールは、まだ私から、ピースを奪い取ろうとするのです。
真面目で可愛くて気難しくて、そんな後輩像を写したピースを。
私は足元から自分が崩れていくのを感じながら、短いメールを返すのでした。
がんばってくださいね、たいへんですね、うんぬんかんぬん。
そろそろ、私はバラバラになってしまいそうでした。
ピースはそこら中に飛び散って、いくつか見つからなくなってしまっていました。
そんなときに、先生が言ったのです。
「梓ちゃん、私の家に来ない?」
私は大きく頷きました。けれど、私は机に突っ伏していたから、先生にはそうは見えなかったかもしれません。
「ぼろっちい、本当にぼろっちい安アパートですね」
私がそう言うと、先生は、予想に反して、気だるそうな、もうやめてくれと言ったような顔で、
首を横に振って言いました。
「そうね、本当に。壊れてしまいそうなアパートよね、あなたみたいにね」
正直、私はその時、心臓が破裂するかと思いました。
どういう意味ですか、と私が尋ねると、先生は泣きそうな顔で言いました。
「ねえ、私が暗くなったら、あなたは前みたいに戻ってくれるのかしら。
私が代わりに壊れたら、あなたは直ってくれる?」
先生の手が、私の頬に触れて、それで私は初めて気づいたのです。
ぎいっと。いつものように、ぎいっと笑っていたのです、私は。
「無理かもしれませんね。多分、無理でしょうね」
先生はそっと手を私の頬から離して、そっか、と呟いて笑いました。
彼女は笑ったのです。いつものように、明るく。
そのときは、私は先生のことを滑稽だなんて思いませんでした。
「もっと気難しいかと思ってた」
ある日、和さんが音楽室に来ました。
私は、できるだけ以前と同じような、真面目な中野梓のように振舞おうと思いましたが、どうやらそうもいかなかったようです。
「どうしてそう思っていたんですか?」
なるだけ、自然に、和さんが不自然に思わないように、私は慎重に言いました。
「ん、唯たちから聞いてたから、かな」
「どんなことを、聞いていたんですか」
ふつふつ、ふつふつと、沸騰する水のような、暴れ回る、飛び回る怒りを、胸のうちに感じました。
沸騰石がなければ、すぐに私の胸は割れて、なかから熱湯が飛び出したことでしょう。
私は、彼女をここに呼んだというさわ子先生のことを思い出して、なんとか平静を保ちました。
多分、和さんがここにいるのには、何かの意味があるのだろう、そう思って。
「ツインテールで、小柄で、可愛くて、練習熱心だって……」
私は、おもむろに髪を結んでいた髪をおろしました。
和さんは頬杖を突いて、言いました。
「ツインテールじゃ無くなったわねえ」
その、ただ事実だけを淡々と述べる言葉に、私はなんだかほっとしました。
彼女は、私のピースを拾ってはいなかったのです。ただ、先輩たちが持っているのを見ただけで。
「ええ、だから、そんな又聞きのイメージで私を判断しないでくださいね。
ツインテールで、小柄で、可愛くて……そんな言葉じゃなくて、ね。
だって、もう私はツインテールですらないんですから、そうでしょう?」
私は早口にまくし立てました。
和さんは、肩をすくめて言いました。
「私、髪短いのよね」
彼女は、多分、何も知らないのでしょう。
何も知らずに、勝手にピースを奪われて、そのまま、何となく暮らしているのでしょう。
そう思うと、なんだか、笑みがこぼれました。
ぎいっと、ではなく、多分、優しく。
そして、その後、私たちの音楽室によそ者を入れた先生に毒を吐きました。
けれど、私に少しの変化をもたらしてくれたから、少し優しくしようと思ったのです。
少なくとも、ちょっとくらい、飛び散ったピースをはめ込んで、なんとか外側だけでも取り繕えないかと。
先生は私たちを居酒屋に連れていきました。何度か私も一緒に行ったことのある居酒屋です。
しばらく軽口をたたき合っていると、先生はだんだんと明るくなってきて、ついにギターを車から持ち出しました。
いつも通りの澄んだ声、明るい声、きれいなギターの音色。
先輩たちが居た頃には当たり前だったものが、こんな風に、完全な姿で聞けるのです。
私は、正直に言います、嬉しかった。
けれど、演奏が終わって、私はなんとなく嫌な気持ちになったのです。
「すごく、綺麗でした」
照れながらそんなことを言う和さんを見て、すごく、嫌な気持ちに……
隠すこともありませんから、言いますけど、私、和さんのことが好きです。
「そうなんだ」
ええ、そうなんです。だから、もしかしたらあれは嫉妬かもしれませんね。
「そうなの」
ええ、私は自分でそんな自分が嫌になります。
「ねえ、梓」
なんです?
「あんた、笑ってるよ。ぎいって」
あはっ、そうですか……
実は、和さんは、途中から何かに感づいていたのかもしれません。
いや、きっとそうなんでしょう、だから、先生に、何かを知らせてくれ、と言ったのでしょう。
「show me how you do that trick...」
ヘッドホンをつけずに、アンプから轟々と漏れ出る音に埋もれながら、ぼうっと考えていました。
多分、和さんが好きなんだ。
ツインテールでも、髪を下ろしていても、真面目でも、不真面目でも、どんな私でも気にしない、和さんが。
そんなことを考えていました。
そんなわけで、そうっと音楽室に入ってきた和さんに抱きしめられたとき、私は聞いたのです。
気に止めないふりをしながら、内心、期待と不安で破裂しそうになりながら、聞いたのです。
「ねえ、和さん、私の演奏、どうでした?」
「可愛かった、かな」
先生には、綺麗だって言ったのに。
綺麗だって、先生には綺麗だって、なのに、私には可愛いって。
「先生には綺麗だって言ったくせに」
そう言葉にした時から、私の頭の中には、音が鳴り響いているのです。
音程も何も無い、ひび割れた轟音が。
誰かに、なんとかしてくれ、だれか、私を助けろ、と叫ぶような私の声が、その轟音を伴奏にして、歌い続けているのです。
「なんとか、してくださいよ」
声は、頭を割って、ついに外へ飛び出しました。
先生は、二人っきりの音楽室で、眉を潜めました。
「なにが?」
久しぶりに、あんな顔を見ました。
あの時の顔、私に、前の私に戻ってくれと言ったときの顔と同じでした。
「なんとか、してください。和さんが、欲しいんです」
私だけを見てくれる和さんが、私の容姿や、能力、そんなものじゃない、私を見てくれる和さんが。
先生は、寂しそうに頷きました。
「そう、頑張ってみるわ」
多分、明日からは、この音楽室は寒くなるんだろうな。
でも、和さんが私のものになってくれるなら、大丈夫、多分大丈夫……
そんなふうに、私は思ったのです。
それなのにそれなのにそれなのにそれなのに……
「それなのに、先生ったら、いや和さんったら、それなのに、もう、」
狂ったように呟く梓を前に、私は、いつものように、色々なピースがごちゃ混ぜになった、
なによりも具合良く、梓の隙間を埋めてくれる喋り方で言った。
「あずにゃん、落ち着けよ。体に毒じゃないかしら、そんなふうに思いつめるのは」
私がいるじゃん、と大声で言って、彼女の背中を叩きたかった。
でも、多分、そんなことをしたら、彼女はばらばらになってしまう。
「それ、はっ、ああ……ごめんなさい、落ち着きました」
上目遣いに私を見上げて、小さく微笑んで、私の指に自分の指を絡ませる彼女が、ばらばらになってしまう。
だから、私は、自分のことを梓に連想させるようなものは一切合切壊して、どこかから拾ってきたピースで、
虚像を創り上げる。
「大丈夫だよお、気にしてないから。それより、私ちょっと出かけてくるからな」
私は梓の家を出た。
扉を閉めるときに、小さな声が聞こえた。
「ごめん、ごめんね、純」
気にすんなって。背後で閉まった扉に向かって、私は呟いた。
最終更新:2010年12月06日 22:29