――結局、約束通りに商店街の入り口に来てしまった。
 時刻は、集合時間の5分前。
 辺りに、知っている人の気配はない。

「……唯先輩、まさか遅刻なんてしてこないよね……」

「……あーずーにゃーん!」

「ひゃぁ!」

「良かったーあずにゃん来てくれたよー」

 いつの間に、背後に……。
 ぎゅーって抱きしめてくれる唯先輩は、いつもの唯先輩だった。
 唯先輩が来たら、文句の一つや二つくらいは言うつもりだったのに、全部吹っ飛んだ。
 なので、一番真っ先に思った疑問を口にした。

「唯先輩はなぜギターを持ってきているのですか?」

「あずにゃんと練習するためだよー」

「休日に練習? 熱でもあるんですか?」

「酷いよあずにゃーん! 私だって、いつまでもぐーたらしてるわけじゃないんだよ」

「……ではなんで私にギターを持ってくるように言わないのですか?」

「……てへっ」

「可愛く誤魔化さないで下さい!」

「よし、じゃあしゅっぱーつ!」

「ええっ!?」

 手を引かれ、歩き出すものの、この強引さは嫌いじゃなかった。
 手袋ごしに伝わる手の感触はしっかりとしていた。
 商店街の中を突き進む、唯先輩と私は手を繋いだまま歩いていた。
 唯先輩の後ろから横に並ぶ。顔を覗き込むとやたらニコニコしていた。
 スタジオでも借りるのかと思ったけど、そうじゃなかった。

 たどり着いた先は――

「じゃーん、カラオケボックスー」

「……そうきましたか」

 そういえば、カラオケをけいおん部のメンバーで行ったことがないのに気づく。
 そもそも、カラオケ自体あまり行かないので無理はなかった。
 私は歌うより、弾く方専門だし、歌いたい曲ってなかなか入ってないことが多い。

「まあ、これならスタジオを借りるよりかは安くすみますけど……」

「2人じゃちょっとお小遣いが厳しいよねー」

「それじゃあ、入りますよ」

 休日だというのに、人は少なく、受付もすんなりと終わる。
 2名様、301号室でございます。
 ごゆっくりどうぞ、という店員の挨拶を聞き、部屋に向かう。
 エレベーターを使い三階へ、端っこの部屋であることを確認し到着、ドアを開ける。

部屋は2人で使用するにはやや広かった。六畳くらいのスペースはあるだろうか。
 照明のスイッチを入れ、唯先輩の隣に腰を下ろす。

「あずにゃん、せっかくカラオケ来てるんだし、曲と一緒に弾いてみてよー」

「ええ、いいですけど、ギターのフレーズが印象的な方がいいですよね」

「あずにゃんの選曲したものだったら何でもばっちこいこいー」

「では……」

 デンモクを使い、曲名を検索。
 幸いにもカラオケに入っていたおかげで演奏できそうだった。
 唯先輩からギターを借りて番号データを送信する。
 曲タイトルが表示された。マイクは使えないので、演奏の音を少しだけ絞っておく。

「この曲はイントロのリフが耳に残りやすく印象的なんです、こんな感じで」

 出だしのリフを、カラオケBGMと一緒に演奏していく。
 しかも映像PV付きだった。

「おお、なんかカッコいい! ……あれ? ギー太の親戚さんみたいなギター使ってるよ、この帽子の人」

「たしか、唯先輩の使ってるのと同じでレスポール・スタンダードです」

「おぉ、あずにゃん物知りだねー」

 イントロのギターを一番聞いて欲しかったのだけど、もう終わってしまったので弾きながら歌に移行する。

「She's got a smile that it seems to me Reminds me of childhood memories
 Where everything was as fresh as the bright blue sky 」

「あずにゃん、英語もできる……実は完璧超人?」

「歌で使われる英語は簡単なことが多いですから」

「あっ、歌ってていいよー私のは独り言、独り言」

「そうですか――Oh, Oh,Oh, Oh! sweet love of mine」

 サビを終え、間奏に移る。

「これどういう意味の歌なのあずにゃん?」

「奥さんに向けて作ったラブソングだそうです。英国なんかでは子守唄としても知られています」

「じゃあ私が、あずにゃんの奥さんかぁー」

「唯先輩はどちらかというと子どもです」

 それから二番を歌い、また間奏に。その間もギターは弾き続ける。
 さすがに歌いながらだと、慣れていないので手元が狂いがちになっていた。

「お、おおっ!」

 唯先輩がなにやら映像を見て唸っていた。

「どうしたんです?」

「この腕をぶんぶん回すのカッコいいかも……」

 それはギター奏者のパフォーマンス。
 唯先輩が食いついたのは、演奏しながら腕を大回転させている映像だった。
 確かにインパクトはあるけど、あまり意味ないんじゃ……。

 ラスサビを、力強く歌う原曲とは反対に優しく歌い上げ曲も終わりを告げた。
 アウトロもしっかりと演奏する。

「――こんな感じですが、どうでしょうか」

 パチパチパチパチという拍手を貰い、唯先輩のハイテンションっぷりは健在。

「凄いよ、あずにゃんは何でも出来るよ、天才だよ!」

「そこまで、褒められるのもなんだか恥ずかしいです」

「えっとー、次も次もあずにゃんが――」

「唯先輩も、弾いてみて下さい」

「わ、私? えっとー、そうだ、ドリンク頼まないと!」

「逃げましたね……」

「あずにゃんは何飲みたいー?」

「……紅茶のストレートでお願いします」

「じゃあ、私も紅茶……あ、ホットの紅茶二つお願いしまーす」

 唯先輩が受話器を取り、注文した。

「私たちの曲もカラオケに入ってくれればいいのにー、そしたらいっぱい練習できるよー」

「まずはレコーディングをして売り出すことから始めないとダメですね」

「うぇー、めんどうだよー、ムギちゃんが何とかしてくれないかな……」

「いくらムギ先輩でもそこまでは……、ほら、唯先輩も何か曲入れて下さい」

「うむむ、じゃあ私の、思い出の一曲を入れますか」

「唯先輩にもあるんですね、そういうの」

「さりげにひどいよあずにゃん!」

 ピピピ、と機械にタッチしていき、選曲が終わる。
 表示されたのは『翼をください』だった。

「この曲はね、私がけいおん部に入るキッカケになった曲なんだよ」

 唯先輩は席を立ってイントロのフレーズ弾き始める。
 どうして、翼をくださいなんだろう。凄く興味が沸いてきた。

「いまーわt」

「失礼しまーす、紅茶ホットをお二つ、お持ちいたしました」

 歌いだしのタイミングで店員さんが入ってくる。
 唯先輩は気にもせず、歌い続ける。
 仕方がないので、私が対応に回った。

「ありがとうございます、ここに置いて頂ければ大丈夫です」

 店員さんが軽い礼とともにドアを閉める。

「……かなーうーなーらばーケーキがー欲しーいー」

「結局、お菓子に釣られただけだったんですね!」

 期待して損しました……。
 でも、唯先輩のギター、リズムを崩すことなくしっかりと弾けている。
 歌も、唯先輩の、口内、鼻腔内まで共鳴させることで生み出す、
 倍音の多いふんわりとした歌い方は聴き心地がいい。

「ねがーいーごーとがーかなーうなーらばーあずーにゃんーがほしーいー」

 …………。

「もう、まじめに歌ってくださ――」

 唯先輩が目の前にいた。文字通りに。

「あずにゃん、ごめんね」

 不意打ちでキスされていた。あまりの唐突さに目を見開いた。
 唯先輩の二度目のキスは、しょうゆラーメンの味がした。

「わけわかりません! どうして……」

「私、あずにゃん、傷つけちゃったよね? あずにゃんに嫌われたくないよ」

「……嫌いません」

「本当?」

「唯先輩のことは好きですよ……それなりに、ですけど」

「昨日のこと、許してくれる?」

「……それはダメです、許せません」

「え?」

「……ん」

 目を閉じて待つ。

「ん?」

 だけど、唯先輩は意図を解ってくれなかった。

「……全然足りません! さっきのだけじゃ許せそうにないです!」

 催促してしまう、もうヤケクソ。

「……あずにゃーん!」

 ソファーを背に押し倒される。
 と思ったら、ギターをケースにしまっていた。

「ギー太は、見ちゃダメだからね」

「…………」

 何をするつもりなんでしょうか。
 疑問はすぐに打ち消される。
 言葉もなく、私たちは口付けを交わしたから。
 瞳と瞳、唇と唇を合わせるだけ、それだけなのに、なんでドキドキするのだろう。

「キスすると、ドキドキだね、あずにゃんはどうかな?」

 唯先輩の背中に腕を回すことで返答する。

 私は、なんて現金な子なんだろう……。
 結局は、唯先輩にすがってしまう。

「えへへ、あずにゃんあったかいよー」

 あったかいのは、唯先輩のほうです……。

「もう許してあげます、でも傷ついたのは本当です」

「幸せの、おすそ分けーのつもりだったんだけど、
 澪ちゃんに『梓の気持ちをもっと考えてあげろ』って叱られちゃった……」

「だから、写メが添付されていたんですね」

「~~♪」

 口笛で誤魔化しますか……。
 翼をくださいはとっくに終了していて、
 画面にはアーティトへのインタビューなんて映像が流れていた。
 とても、カラオケを続ける気にはならなかったので、紅茶だけ飲んで退店することにした。


「あずにゃん、家に来ない?」

 カラオケ店を出て、この後はどうしようか、考えていたとき、唯先輩が提案してきた。

「……いいですけど、その前に私の家に寄って行ってもいいですか?」

 手ぶらでお邪魔するのは忍びないから。
 憂にも、お礼したいし。

「むふふ、あずにゃんの部屋でゴロゴロするチャンス」

 唐突に、手ぶらで行きたくなった。

「あんまり、部屋の中を弄らないでくださいね」

「だーいじょうぶ、先輩の私が後輩の部屋を荒らすなんてことはしないから」

 不安だったけど、唯先輩なら別にいいかな、なんて不意に思ってしまった。
 ペリペリと心の壁が剥がされていくみたいだったけど、やっぱり不快じゃない。

 徒歩で帰れる距離だったので、二人で雪道を歩いていく。

 しゃく、しゃく、雪を踏み鳴らす音にリズムをつけていきたい衝動に駆られる。

 青い空を見上げ、立ち止まる。

 ふと振り返ると、二つの足跡が連なっていた。

 私が立ち止まることで、一つになっていく足跡を見ていたら、たまらなく泣きたくなった。

「あずにゃーん、どうしたの?」

 唯先輩は、急に立ち止まった私を不思議に思ったのだろう。

「……なんでも、ありません、行きましょう」

「手、繋ごうか」

「……はい」

 今は、これだけで――


 数十分後、自宅に着き、私は唯先輩を招きいれた。

 唯先輩の挨拶もそこそこに済ませる。

 友達、というか先輩を連れてきた私たちに、お母さんがお茶を用意してくれた。

 部屋の中での唯先輩は、音楽CDを取り出したり、おせんべいをボリボリ食べたり、

 ベッドの上でもふもふしたり、ゴロゴロしたり、これ以上ないくらいまったりしていた。

 お母さんに、これから先輩の家に行くから、と言うとお茶菓子をいくつか持たされた。

 革のボストンバッグに必要な荷物を全部入れて、準備を終わらせる。

 それから、唯先輩と一緒にまったりすること二時間。

 ようやく、唯先輩の気力が補充されたのか、移動を開始した。


 唯先輩の家に着いたのは既に夕暮れ時だった。

「じゃあ、今度は私のお家にあがってあがって、あずにゃん」

「お、お邪魔します」

「梓ちゃん、いらっしゃーい」

「憂、お邪魔するね」

「うん、ゆっくりしていってね」

 唯先輩はギターを部屋に置きにいくということで、居間には私と憂の二人だけ。

「梓ちゃん、昨日はゴメンね、結局混乱させちゃったみたいだったし」

「憂が謝る必要はないよ、進むも退くも結局は私次第だったし、停滞より変化を選んだだけ」

 うじうじしてるよりかは、成果があったのも事実。

「良かった、そう言ってくれると安心する」

「そうだ、これお母さんから、ここに来る前、私の家に寄っていったの」

 鞄から、お茶請けを取り出していく。
 もうすぐ夕食の時間が近づいていたので、迷惑かもしれないけど。

「ありがとう、すぐにお茶の準備するから」

「お茶だけでいいから、お茶請け食べちゃうと、お腹いっぱいになっちゃうでしょ」

「うーん、あっ、そうだ! 梓ちゃんも一緒に夕食を食べていかない?
 そうすれば、食後に皆で食べられるから」

「……でも、憂だけじゃなくて、憂の両親にも迷惑かけちゃうし」

「大丈夫、今日、お父さんもお母さんも国内小旅行に行ってて家にいないから」

「……そ、そうなんだ」

 唯先輩と憂のご両親、そういえばまだ会ったことがない……。

「梓ちゃん、電話しなくていいの?」

「……あ、そうだった、ありがとう」

 自分の家に電話を入れておかないと……。
 連絡もなしに遅く帰ったら、叱られるし。
 携帯電話を使って、自宅へ。

『あ、お母さん、今日は夕食いらない、うん、うんそう、
 唯先輩の家で食べてくから……大丈夫、迷惑かけないから、うん、それじゃよr』

「梓ちゃん、ちょっと変わって貰ってもいいかな?」

『ちょっと待って、まだ切らないで、同級生の憂が話したいみたいだから変わるね』

「初めまして、私は梓ちゃんのクラスメイトの平沢憂です。先ほど、お邪魔していた姉である唯の妹です」

 なんという礼儀正しさだろう。

「はい、い、いえそんなことないです、こちらこそいつもお世話になっております」

 電話なのに、頭を下げる憂。
 まるで、目の前に私のお母さんがいるかのように話していく姿は、とても同じ女子高生とは思えない。

「それでですね、今日は梓ちゃん、いえ梓さんの夕食は私に任せて頂けないでしょうか、
 あ、はい、私が普段、料理をしていますので――」

 なんだか会話を聞くのが忍びなくなってきた。
 丁度戻ってきた唯先輩に、しーっ、と指を口に当てて状況を伝える。

 唯先輩は、口にチャックをする動作をした。
 動作を、繰り返して、口を閉じたり開いたり……って何やってるんですか!
 地味に凄いのが一層むかつきます!

「(遊ばないでください! 新しい遊びが出来たよーあずにゃんみたいな視線もやめてください!)」

 小声で、叫ぶ。
 だけど、唯先輩が実に楽しそうにしているので、つい笑いがこみ上げてきてしまう。

「(……っぷぷ! もう止めてくだっくくくっ! ダメです、笑っちゃって……)」

 そんなくだらないやり取りがどうしようもなく、楽しかった。

「……もし遅くなるようでしたら、泊めていくよう話をしておきますので――」

 ん? なんか今泊めていく云々という言葉が耳に入ったような……。
 意識が急に現実に引き戻された感じ。

「ちょっと、憂?」

「――はい、大丈夫です。それでは失礼いたしました。あ、梓ちゃん、変わるね」

「ありがと……お母さん? じゃあ夕食は唯先輩のお家で食べてくから……
 え? ううん、今のところ泊まる気はないけど、
 え? よろしく伝えてって? ご迷惑かけないようにって? ちょっとま――」

 電子音が耳元で鳴っている。つまり、電話が切れた。

 なぜか私が宿泊することが決まった瞬間だった。


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最終更新:2010年12月12日 01:21