【2010年11月27日 14:20:13/桜ヶ丘駅前】
間一髪、どうにか梓ちゃんに見つからずに路線バスに乗り込みました。
手すりにつかまって、切れた息とどきどき鳴ってる胸をどうにか落ち着けながら顔を伏せて席に着きます。
幸い、昼間の下り路線バスは乗客も数えるくらいだったので、私はそばの席に腰を下ろすことができました。
危なかった……おばあちゃんを無事律さんのところに送り届けて油断したのがいけなかったみたいです。
駅前を少し離れた信号を曲がったところで、ようやく伏せていた顔を上げて息をなで下ろすことができました。
知らないうちに座席のクッションが新調されていることにちょっと驚きながら、伯父さんとなにをどう話すか考えていました。
やっぱり……お姉ちゃんの、ことなんだろうな。
昨日の夜、お姉ちゃんと律さんと三人で極秘の作戦会議をしてたときも、その話になりました。
唯「ってかさ、どうしてあの人いきなりうちに来るんだろうね」
律「え、誕生日がてら顔見せとかそんなんじゃねーの?」
憂「うーん……やっぱりなにか大事な話があるんだと思います」
あの伯父さんはお正月とお盆と入学祝い以外で理由もなく家に来たことがないですから。
そう考えると、ますます心配になってしまいました。
律「……なぁ、やっぱせめて梓には言っといた方がいいんじゃないのか? 澪やムギはまだしも」
話が大きくなりそうだし。律さんは私たちにそう忠告しますが、お姉ちゃんの考えは変わりませんでした。
唯「そんなこと聞いたら、あずにゃんぜったい遠慮しちゃうよ……私、あずにゃんが楽しみにしてたの知ってるもん」
私も誕生日が近づくにつれて梓ちゃんがうきうきしているのに気づいていました。
最近は受験勉強でなかなか遊ぶ時間がとれなかったので、やっぱりお姉ちゃんと梓ちゃんには私も楽しんでほしいです。
バスに乗ってから15分ぐらいして家に着きました。
家の玄関の前でいつものお姉ちゃんを思い浮かべ、深呼吸します。
そうして念入りに“
平沢唯らしさ”をイメージした上で……息をつめて玄関のドアを開けました。
憂「ただいまぁ…!」
伯父「おかえり、唯ちゃん。おふくろは憂ちゃんに会えたのか?」
憂「うん、桜ヶ丘の駅で会えたよぉ。そしたらアイス買ってもらっちゃったぁ……えへへ」
伯父「こんな寒いときにアイスなんか食べたら、身体壊すだろう。受験生なんだから自覚を持つんだぞ?」
憂「日々のアイスはがんばってる私へのごほうびなのです! ふんすっ」
伯父さんはおふくろは唯ちゃんたちに甘すぎると愚痴をこぼします。
……今のところ、ばれてませんよね?
憂「あっ私のギー太みせたげるね! 部活でりっちゃんたちと毎日お茶して楽しいんだぁ」
つるつるしたフローリングでわざと転びそうになりながら、お姉ちゃんの部屋に向かいました。
私は平沢唯。ひらさわゆい。ギー太とアイスとあずにゃんがだいすき。
二人のためになんとかして「平沢唯」を通さなければいけません。
けれども小さい頃からお父さんでも見分けられないほど私たちの姿形は似てたので、今のところ問題ないみたいです。
憂「……ごめんねお姉ちゃん、ちょっとだけギー太かりるね?」
あとはこの調子でふわふわ時間でも弾いてしまえば、伯父さんは疑うこともないでしょう。
そう、私が油断しかけたそのとき……二階の伯父さんが階段ごしに声を掛けました。
伯父「さっきおふくろに電話したんだが、憂ちゃん家に向かってるらしいぞ?」
……えっ?
【2010年11月27日 14:40:16/ローソン駅前通り店】
詰んだ。終わった。
これから姉妹そろって呼び戻されるらしい。
つーかさ、伯父さん本人からの電話とかさすがにごまかしきくわけねーだろ……気付けよ誰か作戦の穴に!
……いや、他にやりようなかったけど。
律「はぁ……このまま立てこもってる訳にもいかねーよなあ…」
駅前の狭いコンビニのトイレで、切れかけの照明にいらつきながら考える。
確かに憂ちゃんの言ってたとおり、おばあちゃんは私を憂ちゃんだと錯覚してくれた。
小さい頃の話を合わせるのが大変だったが、事前に和からそれとなく聞き出したのと純ちゃんのフォローでどうにか切り抜けた。
ちくしょー……途中まではマジでうまく行ってたのになー。
……でさ、これからどうするよ私?
デート、やっぱ中止させるしかないのかな……はぁーあ。
容量不足の頭をぶんぶん降っても憂ちゃんじゃあるまいし、名案なんてでてきっこない。
一分と経たずに携帯を取り出した。
八方ふさがりの私の後始末を頼む相手なんてたかが知れてる。
澪『律? どうしたんだよ急に。なんかしたのか?』
私の携帯の発信履歴と着歴で万年一位を居座る澪は、相変わらずツーコール以内に声を聞かせてくれる。
律「なんかしたって……いやまあしたんだけどさ」
澪『ノートは見せないからな』
律「ちげーし! ……ってかでかい声出させんなよ…」
澪『お前いまどこにいるんだよ……』
ダメだ。澪の声聞くとついついいつものテンションでしゃべっちゃう。
自分の気持ちをリセットする意味でも本題に入った。
澪『……律、正気か?』
律「こっちだって思ったわーい!」
親御さん騙してるわけだし叱られるかと思ったら、澪はくすくす笑いながら私の話を聞いてくれた。
澪『でも……その状況は、さすがにきついだろ』
律「担任の山中センセーに呼ばれた、とかどうよ? どうせさわちゃんならミオちゅわんの過激ショット2、3枚で――」
澪『やらないからやらないから。それに、さわ子先生まで巻き込むのはさすがにまずいだろ』
律「えー。じゃあファンクラブ会報に澪の水着の切れ端でも仕込んで売るとかは?」
澪『切るぞ』
すいませんでした秋山さん。
澪『とりあえず、律たちは唯の家におばあちゃん送るしかない。唯が帰るまでの時間つぶしは……なんか考えるから』
はぁ……やっぱ唯を連れ戻すしかないのか……。
ごめんな、唯。梓。力になれなくて。
さすがに10分近くもトイレに居座ってるのもあれだし、純ちゃんと三人で帰ることにした。
ただでトイレ借りた申し訳なさと緊張からきた喉の乾きとで、ペットボトル入り紅茶を一本買ってコンビニを出る。
知らないアニメとタイアップしたキャンペーンやってるらしいけど、どうでもいいのでそのまま開けて飲んだ。
ムギのお茶には遠く及ばないものの、染みいるような甘さを口の中に広げながらしばらく歩いて、交差点で唯にメールした。
信号が青になった頃、返ってきたメールは「ありがとう、家の前に行くね」。
甘ったるい紅茶が、少しだけ気持ち悪く感じた。
祖母「いやあ……今日はいい天気だねえ、憂ちゃん」
おばあちゃんの手を引きながら、横断歩道をゆっくり渡る。
11月の晴れた天気は沈んだ気持ちとあまりにかけ離れてて、太陽が少しだけ皮肉のように思えた。
律「そうだねえ……小さいころ、この辺で遊んだことを思い出すよ」
祖母「あれえ? 憂ちゃんたちはいつも向こうの公園で……」
やべ、地雷踏んだ。
純「あー、私だけ小学校違ったんでこの辺でも遊んでたんですよ。ほら、ちょうど学区の境目ですし」
純ちゃん、ナイスフォロー!
祖母「そうかいそうかい……あのころは大変だったものねえ」
純「あのころって……どんなことでしたっけ?」
知らない振りしてそれとなく聞いてくれる純ちゃんのおかげで話題にどうにかついていける。
ってか、この一日でかなり純ちゃんとの距離縮まったなー。
今度澪とか誘って一緒に遊んでみるのもいいかもなー。
いや、勝手に決めちゃ迷惑か……。
祖母「ほらぁ、いったん海外に行くかも知れなかったじゃない」
あー……あの話か。
って、小学校の頃にもそんなことあったんだな。
祖母「唯お姉ちゃんがねえ、勉強もがんばるし早寝早起きもするから……言ったんだよね?」
律「う……うん。そうだったね」
唯が平沢家に着くのを待つために、バスを使わず駅前通りを歩いて帰る。
その道すがら、唯と憂ちゃんのいろんな話を聞いた。
実際、唯の両親は商社勤めで夫婦そろって海外を飛び回っているらしい。
そのため隣の家やこのおばあちゃん、あるいは和の家に姉妹そろって預けられることもあったそうだ。
聞くと、憂ちゃんが「友達と別れるのがつらい」と泣いているのを見て、唯は伯父さんや両親をどうにか説得したらしい。
純「自分のためにはろくに動かないのに人のためなら動けるところとか、二人ともそっくりですよね」
純ちゃんはくすくす笑いながら言うと、おばあちゃんもどこかうれしそうだった。
なんだ……唯も結構、お姉ちゃんしてんじゃん。
話し込んでたら平沢家の前に着いた。
対向側で唯が手を振る。おばあちゃんに気づかれないように手を振り返す。
メールで伝えておいた通り、唯は髪の毛を後ろでくくって待っていた。
あれ、ヘアゴムどうしたんだろう?
梓にでも借りたのかな?
純「じゃあ……私はここで」
律「おばあちゃん待っててね、いま玄関のドア開けるから」
そう言って少し離れ、そのスキに唯を手招きする。唯が近づく。
するとおばあちゃんはにこにこと言った。
祖母「……ありがとうね、いい運動になりました。それから……本物の憂ちゃんによろしくね」
血の気が引いた。
祖母「えっと……何さん、って呼んだらいいかしら」
唯「りっちゃん…」
さすがにこの状況で「
平沢憂」を貫き通すわけにはいかなかった。
憂ちゃんがんばってくれてるのに、ほとんど力になれなかったな……。
祖母「……律さん、ありがとうね。唯ちゃんはいいお友達を持ったわねぇ、優しく手を引いて散歩してくれて、とっても楽しかったわよ」
律「あ……ありがとう、ございます」
祖母「なにがなんだかさっぱりだけれど、これからも唯ちゃんをよろしくね」
律「は……はい! えっと、こちらこそよろしくお願いしますっ」
私は唯の新郎かい。
けど、おばあちゃんのことは心配なさそうな気がした。
律「じゃあな、頑張れよ。……憂ちゃん」
唯「まっまかせてください!、律さんっ!」
似てねー。大丈夫かよ唯!
【2010年11月27日 15:45:02/平沢家 リビング】
私の振りをしたお姉ちゃんがおばあちゃんを連れて帰ってきました。
唯「お姉ちゃん、ただいまー!」
憂「おかえり、ういぃ」
私によく似た人があたかも私みたいに過ごしているのを見て、ちょっとふきだしそうになりました。
でも小さい頃にこうやって入れ替わって遊んだのを思い出して、ちょっとほっこりします。
祖母「あら……唯ちゃん、大きくなったわねえ」
憂「えへへ……おばあちゃんも元気だったぁ?」
祖母「うんうん、腰の調子もいいのよ……憂ちゃんとお散歩したからかしらねぇ」
おばあちゃんはたぶん気づいてるはずなのに、一緒になって付き合ってくれます。
小学校の頃にもお姉ちゃんとこうやっておばあちゃんを驚かせたりしたので、昔のように楽しんでいるのかもしれません。
唯「……あれ。伯父さんは?」
憂「さっき、たばこ買いに行ったよー。ついでにアイス買ってきてって行ったら、怒られちゃった……えへへ」
そういって頭をかいてみると、お姉ちゃんは一瞬ぎょっとしたような目で私を見ました。
えっ、そんなに似てたかなあ?
唯「そうそう、お姉ちゃんギターひいてみせてよっ」
憂「え……ええっ?」
急にそんなことを言われてしまうと、ちょっと困惑してしまいます。
お姉ちゃん、ギー太持ってにやにや楽しそうだし……。
念のため昨日のうちにふわふわとふでペンは練習しましたが、お姉ちゃんみたいにかっこよく弾ける自信はありません。
でもおばあちゃんも楽しみにしているみたいです。
……ちょっとがんばってみます。
憂「ど、どうかな?」
祖母「うまいもんじゃない、唯ちゃん! いーっぱい練習したのねえ!」
唯「う、うまいね……お姉ちゃん」
おばあちゃんは腰をあげてまで拍手してくれました。
なんだかちょっと照れてしまいそうです。
ですが、見るとお姉ちゃんはまた目を丸くしています。
ステージ上のお姉ちゃんの方が、断然かっこいいのに……。
そんな風に三人で過ごしていたら、玄関のチャイムが鳴りました。
伯父『帰ったぞ。唯は戻ったのか?』
私とお姉ちゃんは顔を見合わせてしまいます。。
伯父さんが急に呼び捨てになるのは、なにか注意するときだけでしたから。
唯「……おかえりなさい、伯父さん」
伯父「ああ、ただいま。ところで唯、ちょっとこっちに来なさい」
伯父さんは迷うことなく妹の私を手招きしました。
そんな伯父さんをお姉ちゃんはただ黙って見つめています。
うん、なんとか大丈夫そうかも。
ばれなければ、お姉ちゃんは「平沢憂」として梓ちゃんの元へ迎えますから。
憂「……な、なにかな。そんな改まってさ…」
伯父「唯の母さんから聞いたぞ。唯、女の子と付き合ってるそうだな」
なにかが喉につまったような息苦しさを覚えました。
お姉ちゃんは、はっと伯父さんの方に向き直りました。
憂「……うん、あずにゃんっていう、とってもかわいい子なんだよ」
伯父「好きで付き合ってるわけじゃないだろう。ただ仲がよくて、いい雰囲気になって、ドラマの見すぎで勘違いでもしたんだろうな」
憂「そっそんなことないよ! あず――あずにゃんは、私の大事な子だもん!」
お姉ちゃんはただ、表情をなくした顔で伯父さんの方を見ていました。
突然そんなことを言われて私もどうしていいか分かりません。
ですけど、私はお姉ちゃんの気持ちをなんとか代弁します。
……この場にいる平沢唯は、私一人なのだから。
憂「私はあずにゃんが好き。あずにゃんも、私のこと好きなんだよ。付き合ってなにが悪いの?」
伯父「……別に、俺がレズに偏見を持ってるわけじゃないさ」
口ごもるように、言いよどむように伯父さんが言うのがなんだかとてもいやでした。
その間、お姉ちゃんは唇をかんでこらえていました。
伯父「佐良直美って歌手がな、70年代80年代にいたんだ」
憂「……うん」
伯父「レコード大賞取るぐらい有名な歌手だったんだが、なんとかって女のタレントと付き合ってることがバれたら、すぐ芸能界から消えてさ」
伯父さんの言ってる意味がよくわかりません。
ただ、うつむくお姉ちゃんの様子が心配でした。
伯父「確かにドラマとか小説じゃ綺麗に描かれるけどな、実際は世間なんて赤の他人に平気でそんな目を向ける」
憂「………だから、なんですか」
伯父「分かるだろう? そういうのは、相手の娘さんも傷つけるだけだ」
憂「……」
伯父「……だいいち、唯は受験生だろう。きついこと言うようだけど、おじさんは唯のためを思って言ってるんだ。そんな、恋愛ごっこに――」
唯「赤の他人はおじさんだよ」
最終更新:2010年12月13日 23:45