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 いつもの席通りに座っても、依然として沈黙が続いていました。

「……あの、みんな……」

「唯」

耐えかねて声を発した私を、りっちゃんが制しました。

「……なに?」

やたら真剣なその顔に、私は返事をするしかありません。

そしてりっちゃんが口を開いて、

「憂ちゃんのことなんだけど……」

そう、言いました。

「……え?」

私の周りは、時が止まったように、ぴくりとも動きません。

「憂ちゃんのこと」

りっちゃんはもう一度言いました。

「憂が……なに?」

そして、澪ちゃんが続けます。

「別に私たちが言うべきことじゃないと思うけどさ」

「……」

「憂ちゃん、ずっと寂しがってるみたいだから」

「……え?」

憂が寂しがってるなんて、そんな様子は私には分かりませんでした。

「憂、最近ずっと唯先輩のことで悩んでます」

あずにゃんが続ける言葉は、きっと本当のことなのでしょう。

「先輩に悪いことしちゃったんじゃないかって」

でも、私は聞きたくありません。

「……憂は、そんなことないよ」

そうだ。私の妹なんだから。

「でも、憂ずっと沈んでて……」

私が一番分かってる。

「憂なら平気だよ」

だから、余計なこと言わないで。

「唯ちゃん。でも最近の唯ちゃんは……」

聞きたくないんだよ。

「……私たちのことだから、みんなは心配しなくて平気」

「唯、じゃあやっぱり……」

「平気」

「おい唯」

「平気なのっ!!」


こんな想いをみんなに分かってほしくない。

だから私は、質の悪い自分勝手をみんなへとぶつけました。


「私、もう帰るね」

席を立った私を、みんな驚いた表情で見つめていました。

「唯!」

私を呼ぶ声も、聞こえないふりをして私は部室を出ます。

明日からどんな顔をすればいいか、そんなことはもうどうでもいいのです。


少しでも、少しだけでも妹から離れることが出来るなら。

私は、妹を傷つけたくないなんていいながら、結局自分の身を守れればそれでいいのです。

下衆で下卑た考えだけをする私に、今更以上の呆れは抱きません。

そうだ。私は情けない人間なんだ。

唯一感じたのは、開き直った自分への再びの情けなさ。

ただ、それだけでした。


──

また、隠れ蓑になった布団の中に身を潜めました。

学校を飛び出したのは、みんなにまであの話をされるのが嫌だったのです。

でも、いざ飛び出してみると妹に不安を掛けることが不安になってしまって、家に帰ってきたのです。


結局私には、妹を突き放すことすら出来ません。

あのままどこかへ、家に帰らずにいたらと考えるだけで背筋に怖気が走ってしまうのです。

きっと、あの優しさに溢れる妹は血眼になって探してしまうから。

離れたくないといいながら妹を遠ざけ、嫌といいながら妹に縋る私。

言いようのない嫌悪感が喉元まで届き、何かを吐き出しそうになってしまいます。

いっそのこと、この気持ちの悪い私の全てを出してしまいたい。

そうすれば、この色褪せた視界の何もかもが澄みきったものに変わってくれる。

願っても、湧き続けるのはただただ負の感情。

私には、もう地面が分かりません。



「……うっ、ぇ……」

いつの間にか嗚咽混じりに肩を揺らしていました。

目も熱くなっていて、胸が苦しくて苦しくて仕方がありません。

憂が、頭を離れないのです。

私の、たった一人の妹が。

「……いや…だよ…ぉ…」

閉じ込められた布団の中は、私しか生きられない不気味な感情の渦。

私が生きられるのも、ここだけしかないのです。

……憂。

私の、大切な、大切な……。

私は、もう居なくなってしまいたかった。

「……憂……」


私は、妹に、恋をしていたのです。




 ● ● ● ● ●

 平沢憂は私の、妹。

 誰にだって優しい素敵な妹。

 でも、それが私には少し妬ましい。

 その優しさが私だけに向けられればな、なんて、嫌な私。

 憂の笑顔は変わらない。

 平沢憂は、私の妹。

 ● ● ● ● ●




 どれほど経ったか、昨日と同じ木の音がまた部屋に響きました。

気がついた私はどうやら眠っていたようで、違和感の残る目元を袖口で擦ります。

「お姉ちゃん、いる?」

辺りが暗くなっていることは、カーテン越しにでも分かりました。


記憶に残るさっきより、一層増した寒さで身が震えます。

「……入るよ」

ベッドに張り付いた私は、目を開けたまま隙間から覗くその両足を見ていました。

近づくその足元に、何故か怯えを感じませんでした。

「玄関のドア開いてたから、ちょっとびっくりしちゃった」


片方だけ布団から抜けた右の足は、戻せないままでいます。

吐息が聞こえてしまわないように、ゆっくりと息をしました。

「起きてるかな。……起きてたら聞いてね」

顔を埋めた枕からは、涙の匂いがしました。


「私の気のせいだったらごめんね」

「……」

「でも、ちょっと寂しいから」

喉元まで出かかった言葉は、どうやっても出せそうにありません。

「お姉ちゃん……最近かまってくれない、から」

その言葉も、決まっていないのですから結局同じなのでしょう。

「私……何か悪いことしちゃったかな?」

でも、少しだけ震えるその声を、どうにか私の手で止めなければいけないと、そう思ったのです。

「わがまま言って、ごめん……なさい」

その綺麗な瞳に涙を見せないでと、そう思ったのです。

「だから……」

「……憂は、悪くない、よ」

困らせてしまっても、どうにか出せたその声で憂を守ってあげなければと、そう、思ったのです。

「! おねえちゃ……」

「全部、私が悪いから」

くぐもった声は、布団の中を反響して私を追い立てます。

「えっ、違うよそうじゃなくて……」

「全部、全部私のせいだから」

私はまたこんなところでも罪悪感からのせめてもの逃避を試みていました。

「お姉ちゃん!」

そんな妹の声で目が覚めた時には、より増大したそれが私を襲います。

「……そんなことないよ……」

もう、私には発する言葉がありませんでした。

「だから……そんなふうに言わないで……」

「……うん」

返事を出来たのが、唯一の救いでした。

謝れなかったのは、数ある一つの心残りでした。



──

結局、また部屋に閉じこもったままでした。

勇気なんてものは初めからは私にはないのです。


妹は、部屋までご飯を届けてくれました。

ようやく私が食べたのは、すっかり冷めてしまってから。

もう少し早く食べればよかったと後悔を暢気にして、時計を見たら日を跨いでいました。


いつの間にか明滅を繰り返していた携帯電話が目に入りました。

枕の横のそれを取り、開くとそこには一通のメール。

「……憂だ」

受信ボックスを開き、未開封のそのメールを開けました。

『元気でたら降りてきてね。アイスもあるよ』

この期に及んで私を気遣ってくれる妹。

『ご飯もよかったら食べてね』

それを実感するたびに、より固く私の心は囚われていくのです。

『あと、明日のことだけど』

だから、本当はずっと抱きしめていたいのです。

『梓ちゃんと純ちゃんと遊びに行ってくるね』

だから、離れてほしくなんかないのです。

『ご飯はキッチンに作っておきます』

明日なら謝れるなんて思ったけれど、それも私には出来なさそうです。

『おやすみなさい』

こんなにも、寂しくて動けないのですから。

「……私の、バカ」

そして、自分の愚かさをまた確認するのです。


 私の気分とは裏腹なのんびりとした音楽で目が覚めました。

「……うるさい」

手を伸ばしながらその傍らの時計を見れば、もう九時。

いつも通りのことなのですが、いつもより目覚めは悪いものでした。

「あ、和ちゃんだ…」

起き抜けの瞳には眩しい携帯のディスプレイには、幼馴染の名前が写っています。

親しいとは言っても、和ちゃんから連絡をとることはなかなかないので少し目を眇めてしまいました。

もしかしたら、昨日の部室でのことを問われてしまうのではないかと。

でも、親友からのそのメールは相変わらず淡々としたものでした。

『話があるから、起きたら連絡頂戴ね』

案の定寝坊を見透かれていた私は、そうして家を出ました。



──

「……それで、話ってなあに?」

軽音部でよく訪れる喫茶店は、まだ閑散としていました。

「ああ、ごめんね」

目の前でコーヒーを啜る和ちゃんは、土曜日だというのに制服を着ています。

「憂の、ことなんだけど」

和ちゃんが言ったその言葉に不思議と驚きは感じませんでした。

「うん」

「あら、みんなの前では大変だったらしいけど、平気なの?」

「……聞いたの?」

「まあ、唯のことよろしくって言われちゃってね」

相手が和ちゃんだからか、どこからか体の毒気が抜けたように感じられました。

「そっか」

「それで、どうしたの?」

「……別に、何も無いよ」

私はでも、自分の臆病さには勝てなくて、薄皮一枚の嘘を被ってしまいます。

「そんなわけないでしょ」

「うっ…」

それに、やっぱり私の悩みは異常なものだから。

自分の口から言えるはずもなかったのです。

「あなたたちのことなんて、それなりにわかってるつもりなのよ」

「……」

「これでもね」

そう続けてから、また和ちゃんはコーヒーを一口、口に含みました。

私のカップからは未だに湯気が立ち込めていて、まだ私には飲めないようです。

「……ごめんね、言えないや」

小さい頃から私の世話を焼いてきた和ちゃんは、きっとまた放っておいてはくれないから。

「……はぁ」

ずっとカップに落としていた視線を上げると、呆れた顔の和ちゃんがいました。

そのため息からは普段の疲れも抜け出ているように感じます。

「じゃあ、私が言ってもいいの?」

「えっ?」

おそらく頭に疑問符を浮かべている私を、和ちゃんは小さく息を吐いて笑いました。

「憂のこと、好きなんでしょ」

もはや分かりきっていることかのように和ちゃんが呟いた言葉は、

「……え」

理解する頃には、私の声を馬鹿みたいに情けないものにしてくれていました。

「やっぱりね」

「ち、ちち違うよ! なに言ってるの!」

慌てふためく私のせいで、どんどん追い詰められてしまいます。

「いいのよ。だから分かってるって言ったじゃない」

「違うったら!」

思わず立ち上がって、足が机にぶつかってしまいました。

「いたっ」

「ほら、ちょっと落ち着きなさい」

いつだって冷静な和ちゃんは、こんなにも私が焦っているのもお構いなしのようです。

「だ、だって!」

「落ち着きなさいったら」

「……あ……」

自分が喚く声が店内に響いていたことに気がついて、私はいそいそと座りなおしました。


気を取りなおして、混乱したままの頭の整理を試みます。

何がいけなかったのか、私には分からないままです。

「で、そうなんでしょ」

「……どうして、分かったの?」

和ちゃんの目は見れないで、諦めた私は小さい声で尋ねます。

「あなたがそんなに悩むことなんて憂のことしかないでしょう」

「でっでも、好きだなんて…」

普通、ありえないことだから。

「憂を避けてたんでしょ? なら唯にはそれしかないじゃない」

当たり前のように告げていく和ちゃんの声に、今までの私が溶かされていくような、そんな感覚を覚えます。

「そんな……ひどい」

半ばいじけた私の返答は、もう私に対抗出来る術がないことを実感させました。

「あ、ごめんなさいね。でもバカにした訳じゃないのよ?」

申し訳なさそうに言う和ちゃんは、やっぱり私の幼馴染でした。

「気持ち悪い、でしょ?」

「え?」

急に、目が熱くなってきました。

ずっと私が隠し通してきたことを見抜かされたことが、どうしても悔しかったのです。

「普通、ありえないから……っ」

「ちょっと、唯」

どうしても、知られたくなかったことなのです。

自分でも不気味なだけのその感情を。

「憂は、女の子だし……それにっ、私たちは……」

「唯、そんなこと言わないの」

でも、私を宥めるその声の持ち主は、不安なんて取り除いてくれそうな柔らかい表情を見せていてくれました。

「気づいてるっていったのに、気持ち悪かったらそんな話しないでしょ?」

「……でも」

「でもじゃないの」

だからそんな悲しい顔しないで。

和ちゃんはそう言って、困ったように小さく首を傾げます。

「別に好きならいいじゃない」

「でも、でも……」

私を追い込む蟠りを、和ちゃんの言葉は次第に溶かしてしまいます。

「それに、それだけ悩めるほどのことなんでしょう」

でも、私を守る盾でもあったそれが崩れていくことを、私には止められません。

「だったら、いいじゃない」

「……うっ、わああぁん……」

和ちゃんが最後に付け加えた照れ隠しのせいで、私は崩れ落ちてしまいました。


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最終更新:2010年12月17日 23:48