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 私はさっさと教室の出口に向かっていき、

憂「あれ、律さん。来ていただけたんですね」

 いちばん会いたくない顔に会ってしまった。

律「あ、うん……いや、でも今から帰るんだ」

憂「そうなんですか? もっとゆっくりしていっても……」

律「ごめん、忙しいんだ。行くとこあるから」

 入り口でとおせんぼをしている憂ちゃんを押しのけ、廊下を走りだした。

 人にぶつからないようすいすいと。こういう時小さな体は役に立つ。

 階段を上がっていくと、人はうんと少なくなった。

律「やれやれ……」

 音楽準備室の戸を開いて、長椅子に座りこむ。


 窓から、真夏を思わせる強い日差しがさしている。

 昨日の雲がみんな飛ばされて、白い太陽がぎらぎら光っていた。

澪『りっちゃんは太陽みたいだね』

 子供のころ言われた言葉を思い出す。

 そう言ってくれた子の言語センスはちょっと特異だったけれど、

 つまりみんなを照らしてくれる明るい子なんだそうだ。

律『そりゃだって、解決りっちゃんだからな』

 あの頃の私はにんまり笑って言った。

 そして今も、すこし笑う。

 子供って馬鹿だなと思ったから。

律「……ちがうさ。澪が私の太陽だったんだ」

 みんなは、澪は私がいなきゃだめだと言う。

 恥ずかしがりで気が弱くて、私がそれを補っていると言う。

 だけど、それは違うんだ。

 私はときどき、澪のことをよく知る人間に尋ねられることがある。

 澪のお世話は疲れないのか、と。

 私はペットを飼うような表現に少し笑ってから、こう答える。

 澪は、私が面倒見てやらなきゃだめだからな。

律「……」

 そんな、嘘ごまかしの答えを返したものだった。

 正直に言えるはずなんてない。

 だって、そんなの恥ずかしいから。

 私は澪がいないとだめだから。

 自分ひとりじゃ何もできないから。

 澪は私に依存してるって言われる。

 ちがうよ、みんな。

 私が澪に依存しているんだ。

律「……」

 白光が、私のおでこを照りつけている。

 その光は、あくまで太陽の光。

 地球の半分を照らしつける大きな火の玉だ。

 澪は、私だけの太陽だったんだ。

 空に浮かんでるあいつとは違って1人分しかない、小さな太陽。

 それでも私だけを照らしてくれていた。

 私はきっと重荷だっただろう。

 うっとうしかったことだろう。

 私はそんな綺麗な光の玉に、じゃれつくことしかできなかった。

 もう澪の邪魔になりたくない。

 だから、もう終わりだ。

 澪をもっと磨いて、ぴかぴかに光らせてくれるやつがいるんだから。


 梓とムギから何度かメールが入っていたものの、私はそれをみんな無視していた。

 寝ていたとでも言えばいい。

 ぼんやりしていると、午後2時はすぐやってきた。

 私は長椅子の肘かけを枕に、眠ったふりをする。

 ばたばたと4人が駆けこんできた。

律「……おー」

 今起きたような顔で、私は椅子から転げ落ちる。

梓「もう、何やってるんですか!」

 梓がだらけきった私の体を引きずり起こす。

梓「昨日あれだけ遊ぼう遊ぼうって言っておいて……」

唯「まあまああずにゃん、それくらいに」

紬「りっちゃん、疲れてたのよね?」

 ムギが制服についた汚れを払ってくれる。

律「ああ……でもしっかり寝たからライブは問題ないぞ」


澪「……あんまり余裕がないな。軽く音合わせだけして、急いで機材運ばないと」

律「よし。じゃあごはんだけ行くか」

 私はスティックを握り、腰をひねる。

律「気合い入れるぞ!」

 おー! と唱和。

 すぐさま楽器を用意し、私の合図で軽快なイントロが始まった。

――――

 機材を運び込むころには、開演まであと数分という頃合いになっていた。

 講堂の舞台袖は、相変わらず埃っぽい。

和「がんばってね唯。律たちも」

唯「うん! 絶対決めるよ!」

律「まかせときな」

 和に向けて、思いっきり晴れやかな笑顔を見せつけてやる。

 スポットライトを浴びてる以上、無様なりっちゃんではいられない。



 ドラムの前に置かれた椅子に腰かける。

 ステージの幕が上がっていく。

 割れんばかりの拍手が私たちを迎える。

唯「こんにちは! 放課後ティータイムです!」

 テンション上がってきた。

――――

 唯のMCは、だいたい昨日のロミジュリについての話に終始していた。

 さすがにキスをしたことは話題に出さなかったけれど、

 唯は私をぼろぼろに泣かせたことで、すっかり演技に自信を持ってしまったようで、

 舞台上でひとシーン演じたりしていた。

唯「で、あのね、すごかったんだよ。りっちゃんや憂なんてぼろぼろ泣いちゃってね」

梓「唯先輩、ちょっと時間ないです!」

 梓が唯に耳打ちする。うむ、よくやってくれた。


唯「あぁ……ええと、じゃあここでメンバー紹介ー!」

梓「今ですか!? 次最後の曲ですよ!?」

唯「へっ、えと、そしたら、お友達を紹介!」

律「えぇー!! っていいともか!」

 どどしゃーん、と。

唯「でへへ。それじゃあ最後の曲いっちゃいます!」

 唯がギターを持ち直す。

 それに合わせて梓と澪の背中が動いた。

唯「聞いてください、U&I!」

 U&I。

 初めて見せられた時は、いささか私への皮肉にもとれる歌詞だと思った。

 でも、唯はそんな性格の悪い子じゃない。

 唯はまっすぐに、自分と誰かを見据えられるから。

 この詞を見て、私もこんな風になれたらって思ったんだ。


紬「……りっちゃん?」

 幼馴染に依存する私の、

 憂ちゃんに依存する唯の、

 反省と謝罪と、これからの歌。

律「……みんな行くぞぉ!」

 みんな私に振り返って、力強く頷く。

 一気に始まりのリズムを刻んだ。

唯「きーみがーいないとなにーもーできなーいよー」

唯「きーみのーごはんが食べたーいーよー」

 澪。

 私との別れを惜しんでくれてありがとう。

 でも、もう離れなきゃいけないんだ。

 でないと、いつまでもだめなりっちゃんのままだから。

 もう私はいなかったことにして、唯と幸せになっておくれ。


――――

律「みんな寝ちゃったか……」

 私は前かがみになってみんなの顔をそれぞれ見ると、

 目を閉じ、小さく寝息を立てているのが分かった。

 右手と絡みつくように結ばれた澪の手をそっと外し、やわらかそうな腿の上に置いてやる。

律「……」

 静かに立ちあがり、窓際に寄る。

 窓の外では夕陽が沈んでいっている。

 それを見ているのは、私ただ一人だった。

 あれは私の太陽じゃない。

 だけど、私のイメージをそのまま写したような光景は、胸をくすぐった。

 あの夕陽が沈んだら、帰ろう。

 太陽のない道に慣れないと。



――――

 半年後。

 もうすっかり寒さも遠のいた春の日のこと。

 近くのスーパーで鶏肉を選別していると、

 突如にゅっと白い手が現れて、万引き犯でも捕まえるみたく私の手首を強く握りしめた。

 この手の感触には覚えがある。

 私は長細いため息をついてから、その手の主の方に顔を向けた。

憂「からあげですか?」

律「……いや、チキンカツかな」

 内心はかなり焦っているが、つとめて冷静ぶって答える。

 本当はからあげのつもりだったんだけどな。

憂「じゃあ、チキンカツにしますよ」

 憂ちゃんはニコニコ笑っている。

律「へ……ああ、あはは……」

 ようするに憂ちゃん、私を家に誘おうってわけだ。

 晩ご飯くらい食べていって下さいよと。

憂「……」

 いや、違うなこれ。

 私の手首を掴んでいる力が、明らかに逃がす気がないことを物語ってる。

律「……憂ちゃん、わたしは」

憂「律さん。ご馳走しますよ」

 憂ちゃんってこんなにしたたかな子だっただろうか。

 唯が家を出て澪と一緒に住むようになってからは、ほぼ一人暮らしをしていると聞く。

 一人でいる寂しさに打ち勝つために強くならざるを得なかったということか。

律「……」

憂「大丈夫ですよ。家には二人ですけど、変なことなんてしません。お姉ちゃんに誓います」

律「……わかったよ。行くから手を放してくれ。血が止まる」

憂「はいっ」

 ぱっと右手が解放されたかと思うと、するりと指が絡められ、また手をぎゅっと握られる。

憂「恋人つなぎですね、律さん」

律「……ですね」

 ツッコミが追いつかないことを悟り、私は憂ちゃんの左手を握り返してあげる。

憂「ふふ……」

律「……」

 あんな広い家に、一人で住んでいる憂ちゃんの寂しさを想像して、

 同情してしまったというのもあるけれど、やっぱり私も人肌恋しかったんだろう。

 今日、偶然憂ちゃんに会えたことを心の奥では喜んでいる自分がいた。

律「あのさ……ほんとはチキンカツじゃなくて、からあげがいいなって思うんだけど」

憂「え? はい、もちろんいいですよ」

 憂ちゃんは棚の奥から新鮮なムネ肉を引っ張り出して、右手に提げたカゴに入れる。


律「……ありがと」

憂「大丈夫ですよ、買い物の途中ですし」

律「それもそっか」

 私の右手にきゅっと結ばれた、柔らかくて小さな手。

 手汗はかかない体質だと思っていたけれど、どうも手のひらが湿ってくる。

憂「……えへへ」

 なにか感じ取ったのか、憂ちゃんがつないだ手を握る。

 私、年上のはずだよな。

 意地で手を握り返す。

憂「……かわいいですね、律さん」

 あぁだめだこりゃ完全にナメられてるもん。

 なんで憂ちゃんはこんな余裕でいられるんだろう。

 憂ちゃんにとって私は、過去に告白してフラれた相手だっていうのに。


 お会計1742円になりました、と。

 私が買い物袋を持ってあげて、憂ちゃんの家に向かう。

 あまり通ったことはないけれど、懐かしい道のように思える。

憂「律さん、大学はどうですか?」

律「さあ……特に何もないよ」

憂「でしょうね。そんな顔してました」

律「どんな顔さ……」

憂「とっても可愛くて守ってあげたくなるような顔ですよ」

 もうやだこの子。鳥肌立っちゃう。

律「そんな顔してないですー」

 頬を膨らませて、むくれたふりをしようと思ってやめる。

 どうせ返ってくる言葉はかわいいとかそのあたりだろうから。

憂「……ふふっ」

 10分ほど歩いて、憂ちゃんの家に到着した。

憂「すぐ準備しますけど、けっこう時間かかっちゃいますから。私の部屋で休んでいていいですよ」

 ようやく手を放してくれたかと思うと、ちゃんと手を洗ってエプロンを掛けながらそんなふうに言う。

律「……あぁ、じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」

憂「私の部屋は3階の右つきあたりですからね」

律「わかってるよ。サンキュ」

 階段を上がり、3階へ向かう。

 上りきると、かつての唯の部屋に通じていたドアが立っていた。

律「……」

 私はふいっと右を向き、憂ちゃんの部屋のドアを開けた。

 あたたかい匂いがする。

 他人の部屋に入ったのはしばらくぶりだ。

 なんだかテンションが上がってベッドに飛び込みたくなる。

律「漫画とか……ないのな」

 本当に休むしかすることがなさそうだ。

 あるいは憂ちゃんはここを寝室にしているだけで、

 他のもの、たとえば本棚とかは、唯の部屋に移してあるのかもしれない。

 でも勉強机は置かれているから、全部を移したわけでもなさそうだ。

律「……」

 目の前には勉強机備え付けの木の椅子と、

 ふかふか柔らかそうな白いベッド。

 そういえば今日も大変だった。

 朝の電車も混んでいたし、帰りの電車でも座れなかったし。

 結構疲れた顔をしてたのかもしれないな。

 だから憂ちゃんはこうして声をかけて、食事をご馳走してくれる気になったんだろう。

 それなら、疲れてる私に変なことをしたりはしないよな。

 ベッドに腰掛けて、柔らかさを確かめる。

 そっと倒れて枕に頭をのせ、足を上げてベッドの上に降ろす。

律「ふはぁー……」

 すごく心地がいい。

 私がアパートで使っているベッドとは比べようもない。

 毛布を抱きしめると、せっけんの匂いが鼻に満ちる。

律「憂ちゃんの匂い……」

 わざと口に出してみる。


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最終更新:2010年12月18日 16:22