胸の奥から疼きが湧いてきて、全身に奇妙な感覚を走らせる。

 いや、わかってるんだ。

 自分が興奮してしまっていることは。

 ただそれを認めたくなくて、さっきからいろいろ言い訳を試みているんだけれど、

 口だけではもうどうしようもない気がする。

 そもそも憂ちゃんのベッドに寝るという思い切った行動に出た時点で、

 私が何を望んでいるかなんてわかりきっている話だ。

 こんなところで好きな相手が自分の毛布を抱きしめて眠っていれば、

 憂ちゃんでなくとも少しくらいイタズラしちゃおうという気が起きるものだろう。

 まして、さっきからスキンシップというか歩み寄りが半端じゃない憂ちゃんのこと。

 もうどうなってしまうことやら。

律「……」

 求めているのは、ただ他人との接触だけだ。

 だのにこれじゃ、間違っているんじゃないかと思う。

 けれど、こうしたほうが憂ちゃんは私に近づいてくれるだろう。

 いつか一度断った愛の告白をもう一度促して、憂ちゃんと付き合ったら、

 私も憂ちゃんも、このところの寂しさを少しでも軽減できるんじゃないか。

 そんな風に思うのだ。



あの学祭のあと。

 私は露骨に澪を避けるようにした。

 ムギや梓は最後まで私に構ってくれたし、澪に謝るようにも言っていた。

 でも違う。そもそもあれは仲違いじゃなくて、私が決めた別離だった。

 それがいつの間にか、皆を巻きこむ喧嘩になっていて。

 かつて一緒の進路に大学を決めた私たちは、自然に別々の大学を目指し始めていた。

 それが梓に知られた日には、何度ぶたれたやら覚えていない。

 ムギとも頭のレベルが違いすぎて、同じ大学に行くことはできなかった。

 そのままおのずと、卒業式以来、私は軽音部の誰とも会わずにいた。

 大学に行っても無気力で、サークルも参加せずにだらだら通っていたら、

 人と話すことがどんどん少なくなっていった。

 そういうもんだ、と納得している。

律「……けどなぁ」

 平気なふりをしたって、私も人間なわけで。

 どうしても、人との触れ合いが欲しくなってしまう。

 恥ずかしいことだし、いまさら何だという話だけれど、

 あの学祭の日に戻って、鈴木さんに伝えたことを取り消したいとさえ考える。

 澪のこと避けてないよ。

 そう言ってしまえばよかったのにと。

 いつまでも澪に依存していればよかったのだと考えてしまう。

 だけど無論、時を戻るなんてできない。

 できないから、私は私に触れてくれそうなものにすり寄る。

 他に例は浮かばないけれど、たとえば憂ちゃんのような。

律「……」

 目を閉じる。呼吸をだんだん遅く、深くしていく。

 頭がぷかぷかして、私はまどろみの中に潜っていく。


――――

憂「……さん。律さん」

 普通に揺さぶられて目が覚めた。

律「……あ、おはよう憂ちゃん」

 憂ちゃんはベッドで寝ていた私を咎めるでもなく襲うでもなく、

 ただニコニコと笑顔で「おはようございます」と返す。

律「……えっと。あれ?」

憂「よく寝てたみたいですけど、晩ご飯冷めちゃうとおいしくなくなっちゃうんで」

憂「さ、下に降りましょう!」

 ぼんやりしていると、腕を引っぱって起こされた。

 正直この展開は予想してない。

 うんと昔、澪から唯との初デートの模様を電話で聞いたが、

 平沢姉妹は予想を裏切る遺伝子でも組み込まれているんだろうか。

 リビングに通されて、鮮やかなきつね色に揚がったからあげをおかずにご飯をいただく。

律「……おいしい!」

 私も一人暮らしだからむろん料理はするけれども、純粋なおいしさに感動する料理は初めてだ。

 意外といける、とかで嬉しくなるのはよくあるが。

憂「律さんさえよければ毎日作りますよ?」

 積極的だなあ。

律「からあげ毎日? ははっそりゃあさすがにないよ」

憂「もうっ、そうじゃないですよー」

 憂ちゃんがむくれるけれど、今の私には一生どうのこうのという話はできない。

 逃げてるんじゃなくて、そんな約束をできるほど大人じゃないから。

 憂ちゃんもこれに関しては真剣な目になって話題を引きずったりせず、笑い飛ばしていた。

律「いやでも美味いよ。1週間くらいこれでいい」

憂「ほんとですか? 嬉しいです」

 憂ちゃんは私より先に食べ終わって、お風呂を沸かしに行った。

 至れり尽くせりというか。

 健気だなぁ。ほんとにお嫁さんにもらいたいくらいだ。

律「……」

律「お風呂?」

 気のせいだろうけど、予感が私の頭を駆け抜けていった。

 最後のからあげを口に入れ、

 飽きないおいしさに頷きつつ、お茶を飲みほして食事を終らせた。

 それと同時、憂ちゃんが戻ってくる。

憂「いまお風呂沸かしてるんで、律さん入っていって下さいね」

 私は落ち着いて深呼吸をする。

 このままずるずる流されるより、はっきり尋ねておいた方がいい。

律「憂ちゃん……わたし、今晩ここに泊まることになってる?」

憂「はい」

 そうですけど、みたいに頷かれた。

 そうですが何か、みたいに。

律「そっか。そんなことを言った記憶がないんだけど、憂ちゃん知らないかな」

憂「いえ」

 ぷるぷる首を振る。

 正直者のよい子だよ。

 そういえば、変なことはしないって言ってたな。

 憂ちゃんの「よく出来てる」っぷりをすっかり忘れていた。

律「じゃあどこかに落としちゃったんだな。しょうがないか」

憂「そうですね。家のどこかにあるかもしれませんし、今日は泊まっていきましょう」

 うん、そうやって最初から手順を踏んでくれればいいのに。

 いつも一足飛びだから、身構えてしまうんだ。


律「だな。ひと晩探していくよ」

憂「きっと見つかりますよ」

 気休めを言う憂ちゃんに笑いかける。

 そういえば着替えもなにもないけれど、どうすればいいんだろう。

 全裸かな。

 1階の居間に降りて、テレビをつけてバラエティ番組を見る。

 たまにしか見ない番組だけれど、人と一緒に見るのは何倍も楽しく感じられた。

 人がそばにいるだけで、あたたかさが違う。

律「……」

 時折、憂ちゃんの方に目がいった。

憂「あ、お風呂ならもう沸いてると思いますよ。すいません言わなくて」

律「そ、そっか。ありがとう」

 そうじゃないんだけどな。


 髪をかきつつ、カチューシャを外して洗面台に置く。

 服を脱いで、脱衣籠に入れておいた。

律「……うーむ」

 着替えはどうなることやら、これも予想がつかない。

 ちょっと汚いが、せめて下着だけはキープしておいた方が良かろうか。

律「いや」

 もう知ったことか。

 全裸にでも何でもしやがれ。

 私は身につけていた全部を籠に投げ込んで、転がるように浴室に飛びこんだ。

――――

憂『律さん、着替えここ置いておきますね』

憂『下着は私のしかないんで、すみません……寝る時はブラなしで』

 まったくもって常識的な応対だった。

律「あぁ、うん構わないよ。いつもそうだし」


――――

 お風呂からあがると、丁寧に畳まれた着替えとバスタオルが置かれていた。

 空になった洗濯カゴと、ごうごう回っている洗濯機。気が利くな。

 体を拭きながら、置かれた着替えを眺める。

律「……」

 笑えそうで笑えない。

 胸に「ところてん」とプリントされたTシャツがそこに置かれていた。

 選んだワード自体はなかなか心得てると思うけど、

 問題はそれが書かれたTシャツがここにあるってことだ。

律「はあ……」

 私の馬鹿。

 憂ちゃんの気持ちも知らずにセックスセックスって、頭おかしいんじゃないのか。

 唯がよく着ていた類いのTシャツ。

 これを私に着てほしいってわけか、憂ちゃん。

 水を拭きとって、髪を絞り、Tシャツを着る。

 なんだか奇妙にすかすかした。

 パンツとスウェットを穿いて、ドライヤーで髪を乾かす。

律「1回だけ、唯と私は似てるって言われたことあるな……」

 熱風に唯より明るい色の髪が舞う。

 もしかしたら唯は今頃、もっと明るい色に染めているかもしれないが。

 昔はよく人目もはばからないでじゃれ合って、

 そいつの目には私と唯がまるで兄弟みたいに見えたという。

 一度だけ、唯に似ていると言われた記憶。

 髪をよく乾かしてから、鏡の前で唯みたく髪を分けてみる。

律「……似てね」

 私なんかが唯に似ているはずはない。

 外見も中身も、まるで違うんだ。

 憂ちゃんだって、そんなことは分かってるだろうに。

 居間に戻ると、憂ちゃんがごろごろしていた。

 なんとなく見てはいけないもののような気がする。

憂「あ、律さん。服大丈夫ですか?」

律「うん、いいよ。問題なさそう」

 憂ちゃんのそばに座りこむ。

憂「ほっ」

 転がってきて私の脚に頭を乗っけてくる。

 それ自体はまったく可愛い行動なんだけれど、

 いまは足を開いて座ってるんだから勘弁してくれないかな。

憂「……」

律「……」

 なんて言えるはずもない。

 私は憂ちゃんに甘えられたまま、その頭を軽く撫でてあげる。

 憂ちゃんは幸せそうに目を細めた。

律「眠いか?」

憂「ん……はい。少しですけど」

律「もう寝よっか。明日も早く起きないと、学校遅刻しちゃうしさ」

 そっと憂ちゃんの体を起こしてあげる。

憂「でも、お風呂入らなきゃ」

律「そうだな。じゃあ私、さきに部屋で待ってるよ」

 目を擦る憂ちゃんに手を貸して、ぽんぽん肩を叩きながらお風呂場に連れていく。

 案の定、衣服を入れた箪笥は唯の部屋にあった。

 犯罪の匂いを鼻腔に感じつつ、

 引き出しを開けて下着と寝間着になりそうな服を取って洗面所へ運んでおいた。

律「憂ちゃん、着替えここ置いとくよ」

憂『あっ、はい。ありがとうございます』


 憂ちゃんの部屋へ戻り、ベッドに潜りこむ。

 枕が横に長いのは、二人で寝るためだろうか。

 唯がときどき憂ちゃんの部屋で寝ていると言っていたことを思い出す。

律「……」

 私はベッドの右側に寄った。

 しばらくして階段を上がってくる音がし、憂ちゃんがドアを開ける。

律「憂ちゃん、おいで」

 ベッドを軽く叩いて促す。

 憂ちゃんはまた笑顔になって、部屋の電気を消すと、私の隣で横たわった。

憂「律さん……ふあ」

 大きなあくびをして、憂ちゃんはもぞもぞと私のほうに寄ってくる。

憂「もうすこし近くに来て下さい……」

律「うん……」


 私は足を動かして、体をすこし左に寄せた。

 憂ちゃんとぴったり肩がくっついている。

律「……」

憂「……」

 なんでか、無言になってしまう。

律「……憂ちゃんさ。なんで、私を泊めたわけ?」

 話題が見つからずに、訊くべきでないことを訊いてしまう。

憂「それは……寂しかったんです。ずっと、家にひとりだから」

律「知り合いなら、誰でもよかった?」

憂「律さんだからですよ。律さんでなきゃ、誘いません」

律「それっていうのは……」

 私は緊張して、軽く息を吸う。

律「私が唯に似てるから?」

憂「え? どこがですか?」

律「……いや、ごめん。何でもないです」

 やっぱ似てないよな。

 ちょっとだけ希望を持ってしまっていた。

 ばっさり切ってくれてありがとう。

憂「……そんなんじゃないですよ。律さん」

憂「私はお姉ちゃんがいなくてさびしくて……お姉ちゃんがいてくれたら嬉しいですけど」

憂「だからって、他の誰かをお姉ちゃんだと思ったりしませんよ」

 まるで私に諭すように、憂ちゃんは言う。

 左手が私のお腹を撫で、だんだんと上がってきていた。

律「じゃあ私に声をかけたのは……」

憂「かわいくて、守ってあげたい顔をしてたからです」

 えへへっ、と憂ちゃんはいたずらっぽく笑った。

律「……ふふっ」

 私も思わず笑ってしまっていた。

律「あはっ、はははは……」

憂「……どうしたんですか?」

 可笑しくもなるさ。

 憂ちゃんの手がけっこうくすぐったいし、

 ようやく私だけの光を見つけられたと思ったのに、向こうからシャッターを閉じられてしまった。

律「ほんとさ……わたし、何のために生きてるんだろ」

憂「そんないきなり何を言ってるんですか……」

 憂ちゃんの卑猥なまさぐりが止まる。

律「……私さ。昔、ある友達の女の子に、太陽みたいだって言われたことがあるんだ」

憂「太陽……」

律「そう、太陽さ。空高くにいる、みんなを照らす明るい太陽」


律「はじめはそんな風に言われて、単純に嬉しかった」

律「でも気付いたんだよな。私はそんな太陽みたいなやつじゃないって」

律「むしろその友達の女の子に照らされてる、月みたいなやつだった」

憂「……わたし、お月さま好きだよ」

律「ありがと。……でも月なんて、太陽がなきゃただの石ころなんだよ」

 憂ちゃんは私の言い方に小さく不平をもらした。

律「太陽がいるころは、誰かしらを照らせてた。けど、そのうち太陽は沈んでしまった」

律「私に光が届かないくらい、遠い遠い場所に沈んで、別の人を照らし始めたんだ」

律「それからは石ころの月が浮かぶ、真っ暗な長い夜だった」

 要領を得ない私の話を、憂ちゃんはまじめな顔で聞いてくれていた。

律「ただの石ころの月は居場所がなくて、空から地上へ墜ちてって」

律「そこで、また太陽の光に出会えたんだ」

憂「……私のことを言ってるんですか?」

 私は頷いた。

律「憂ちゃんに会って……私はまた月になれるって思った。石ころじゃなくて、誰かを照らせる月に」

律「まだ居場所があるって思ったんだよ。おもったんだ……」

 また笑いがこぼれる。


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最終更新:2010年12月18日 16:23