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律「でも違った。私じゃ……いや、他の誰でも、憂ちゃんにとっての唯の代わりなんてできないんだよな」

憂「……」

 息を吸い込むのにも、喉が震えてやりにくかった。

律「正直、私は自分の居場所が分からない。……憂ちゃんの姉になれるなら、嬉しいって思う」

律「つまり、どこでもいいんだ。私を必要としてくれるならさ」

憂「……私のお姉ちゃんになっていいのは、お姉ちゃんだけです」

 少し迷ったように口をまごつかせたけれど、憂ちゃんははっきりそう言った。

律「そんなの分かってるけど……」

 私は憂ちゃんの身体に向かって、両腕を伸ばす。

憂「お姉ちゃんの真似をしないで下さい!」

 軽い気持ちで伸ばした手は、思い切り強く撥ねつけられてしまった。

憂「律さんは……もっと恋人らしくやってください」

 いや、恋人になった覚えはないですけど。

律「……ごめん、今のは悪かった」

 本人がいなくて寂しい人に、本人のふりをして接するなんて、

 下手したらその寂しさを埋めるどころか広げることになりかねない。

 髪をほどき、男ことばで梓に話しかけられた時、

 あやうくまた手を上げそうになったのをうっすら覚えている。

憂「……律さんにも、わかりますよね」

憂「こういう、他の誰にも代わってほしくない大切な人がいるってこと」

律「……あぁ、いたな、そんな奴」

憂「居たんじゃないです」

 憂ちゃんは、真っ暗な中でもじっと私の目を見つめている。

憂「今もいるんです。律さんにとってかけがえのない人がいます」

律「……」

律「いるなぁ」

 私は仰向けになって、目の上に腕をかぶせた。

律「今でも……いっちばん大事なやつなんだ。すごい嫌われてるけどさ、大好きなんだよ……」

憂「……」

律「かわりじゃ、だめなんだ」

 ごめんよ。

 憂ちゃん1人ではルクスが足らない。

律「澪が太陽なんだ。澪のそばがいい。澪の光に照らされたい……!」

 それはもう、かなわない願いなんだろうか。

 二度と澪のそばに戻れないようなことをしたけれど、

 どうにか元のように、みんなと仲良くできないだろうか。

律「そんなの……無理か」

 ぎゅっ、と手の握られる感じがした。

憂「そんなはずないですよ」

憂「どんなに暗い夜でも、太陽がどれだけ深くへ沈んでも」

憂「陽はまた昇りますから」

律「……憂ちゃん」

憂「……」

 私は右手を憂ちゃんの背中に回し、優しく抱き寄せた。

 その手が払われることはなく、

 それどころか憂ちゃんはにこりと笑って、私の体にぎゅっとしがみついてきた。

律「憂ちゃん……憂ちゃん。唯の住所、教えてくれないか」

憂「はいっ。もちろんいいですよ」

 なあ澪。

 依存って何だろう。

 依存ってさ、それがなきゃ生きれなくなるってことだけど、

 人間だれしもそういうものが一つくらいあるもんじゃないかなって思うんだ。

 私の場合、それがとても得にくい、人間のあたたかみってものだっただけでさ。

 だけどこれさえあれば、勇気がわいてくるんだよ。

 これがなかったら私、からっきしだめなんだよ。

 そんなへなちょこな私だけど、

 もう一回だけ澪のそばに行ってみるよ。

 だめならだめって言っていいからさ。

律「……わかった。ありがとう、憂ちゃん」

憂「どういたしまして。他でもない律さんのためですから」

 私は今一度、憂ちゃんをきつく抱きしめた。

律「今は、さ……もしかしたら、寂しさを埋めるためにこう思ってるだけかもしれないから……」

律「寂しさがなくなって、それでも憂ちゃんのことそう思っていたら……また言いにくるよ」

 名残惜しいけれど、憂ちゃんを抱いていた腕を離した。

憂「……そうですか。待ってますよ」

 くすりと笑い、憂ちゃんも私から離れる。

 つかず離れずぐらいの距離感で、私たちはそっと、呼吸を深く重たくしていった。

 意識が海の中に落ちていく。

――――

律「ん……」

 体に水が貼りついたような、不快な感触で目が覚めた。

 重い。主に左半身がびっしょり濡れている。

 なにごとかと確認しようと首を左に傾けると、

 唇がむに、とかぴちょ、とかいった。

律「……」

憂「律さん……」

 おはようございます。


 あらためて天井を見る。

 電気の通っていない、灰色の蛍光灯をつけた電灯がぶら下がっている。

 窓の外はすっきり晴れて、暑いぐらいの強い日差しを私たちの部屋に射しこめていた。

律「憂ちゃん」

 不意に、背中を寒いものが走る。

律「いま……何時?」

憂「えーっと……」

 ぼんやりと部屋の時計に目をやる憂ちゃん。

 動きがかなり緩慢で、自分で見てしまおうかとも思うが、怖くてできない。

 ……それにしても、すごくよく眠った気がする。

憂「えっと、11時です」

律「11時、何分?」

憂「よんじゅう……なな分ですね」

律「11時47分か」

憂「はい」

 こくりと頷いたあと、さすがに暑いのか憂ちゃんは私を抱きしめていた腕を離す。

律「困ったねえ。確認したいことがいくつもある」

律「まず……今日って木曜日だよな?」

憂「5月12日木曜日、だったと思います」

律「……で、今は12時ちょい前か」

 なるほど。

 私は今日の授業をすっぽかしてやったということか。

 田井中先輩マジカッケーっす。

律「……憂ちゃん」

憂「はい?」

律「私はいいとして、憂ちゃんは学校いいの?」

憂「学校……?」

 首をかしげる憂ちゃん。

律「うん、学校だよ」

憂「……忘れてました」

律「忘れてたか。そっかそっか」

 ま、1日くらいそんな日があってもよかろう。

律「よし。起きるか憂ちゃん」

憂「はい、起きましょうか律さん」

 私たちは助け合いながら、あるいは引っ張り合いながら体を起こし、

 リビングに下りて憂ちゃんの作った遅い朝食を食べる。

 私はあおさの味噌汁をすすりながら、澪のことを考えていた。

律「……そういえば、憂ちゃんは怒ってないのか?」

憂「怒る?」

律「私は……ほら。私のせいで、軽音部をめちゃめちゃにしちゃったから」

律「唯も相当怒ってたし。憂ちゃんも正直頭にきたんじゃないか?」

憂「どうでしょう……」

 憂ちゃんはご飯を口に運びつつ、曖昧に言った。

 お米を噛んで、それ以上何も言わない。

律「……いや、ごめん。こんなの訊くべきじゃないか」

律「憂ちゃんさえ頭にきて当然だ。でも……唯や澪に許してもらわなきゃいけないんだな」

憂「大丈夫ですよ。律さんがどう思ってたかわかってもらえれば」

律「そうかな。……そうだといいや」

 ごはんを食べ終わり、私は洗濯済みの昨日の服を憂ちゃんから受け取った。

 扇風機の風を浴びせていたらしく、ひと晩のうちにすっかり乾いていた。

律「ありがと、助かるよ」

憂「いえ。このくらいしかできませんから」

律「……ほんと、ありがとう」

 憂ちゃんに見送られて、家を出る。

 最寄りの駅から電車に乗り、憂ちゃんの言っていた住所を頼りに2駅先まで行く。

 意外と近くに住んでいたんだな。

 今まで会わずに済んだのは奇跡みたいなものだと思う。

 もしかしたら、唯や澪のほうは私を見かけているのかもしれない。

 電車が駅に着く。

 駅から少し離れたマンションに、唯と澪は部屋を借りているようだ。

 5分ほど歩けば、白いマンションはすぐ見つかった。

 なかなかこぎれいな建物だ。

 私のアパートに比べると家賃がお高そうだが、2人で割っているからさほど高くもないんだろうか。

律「205号室だったな……」

 エントランスで205と入力し、インターフォンを鳴らす。

 静かだ。まだ1時過ぎだけれど、澪は家にいるだろうか。

 やや待つと、ごそごそと受話器を持つ音がした。

澪『はい、平沢ですけど』

 澪の声だった。

律「ぇあ……と、その」

 とたんに何を言っていいか分からなくなる。

 私は奇妙なうめき声をあげてしまう。

澪『……律か?』

 なぜばれた。

律「ぅ、うん、私。……律だっ」

 声がひっくりかえる。

 もっと言うべきことがあるのに、喉がつっかえて一言も話せない。

澪『待ってろ、今行くから』

 ああ、かっこよくなったな澪。顔は見てないけどわかるぞ。

 私はずるりと床に崩れ落ちた。

 やがて、澪が髪を乱して駆けてきた。

澪「律っ! 大丈夫か!?」

律「へいき……ちょっと、一瞬クラッてきただけ」

澪「とにかく、うちに来い。……唯はまだ帰らないから」

律「あ、うん……」

 澪の肩を借りて立ちあがると、すっかりめまいはなくなった。

律「みお、ごめん……」

澪「ううん、いいよ」

 澪は小さく笑った。

 それだけで私は涙が出てきてしまう。

 澪と唯の部屋に背中から押し込まれる。

 女子大生が二人で暮らす部屋は、どこか甘ったるい匂いがする。

 昨日もこんなこと言ってなかったか私。

澪「律、どうして急に来たんだ?」

 澪は私を入れるなり、がちゃりと鍵を締めて奥へ行こうとした。

律「……まって、澪」

 私は澪の背中を呼びとめて、廊下に正座をした。

 冷たい床に両手をつき、体をぐっと折る。

律「……ごめんっ!!」

澪「律……?」

 土下座の姿勢は、否応なく声が絞り出された。

 ずっと前から溜めこんでいた想い。

 澪のために口にできなかった想いすらも溢れてくる。

律「私が間違ってた、バカだったんだ……」

律「私、だめな奴だから……私なんかが、澪の友達じゃいけないって思って」

澪「……なんだよそれ」

律「澪に迷惑かけてばっかで、澪のために私ができることなんて、ぜんぜんなくて……」

律「それなのに……澪からは、たくさんのものもらって……恩返しもできないのに」

 せり上がってあふれて、想いがまともな言葉に整う前にこぼれる。

律「っ……澪の邪魔になりたくないって、ずっと思ってた! もうずっと、ずっと!」

律「だから、唯が澪をもらってくれて……澪はもう、唯に夢中だった、からっ」

律「私は、澪の邪魔にならないように、離れようって……思ったんだ」

 床の木目が、ぼやけていた。

 睫毛が目に張り付いてるような感じがして、すごく痛い。

律「でも、やっぱり私、ひとりなんて嫌なんだ! 澪がいないなんて無理なんだ……」

律「ごめん、本当に……最低なことしたってわかってるけど、仲直りがしたいんだよ」

 でこをぴったり床に押し付けた。

 冷たい水がたまっていて、ぞくりとする。


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最終更新:2010年12月18日 16:24