クリフもその現場を見ていた。
恐怖で蹲るソフィアと「まさか」と呆然とするレザードを。
後悔だけが湧き上がる。なぜ俺はあそこで油断していたのか、
躍起になった相手が俺らを狙ってくるという考えに至らなかったのか。
そんな自分の不甲斐なさに打ち震えているクリフを尻目に、
呆然としていたレザードが息を切らし、レナスの亡骸に近づいていった。
「おお、そんな……我が愛しきヴァルキュリアが……」
さすがの冷静沈着なレザードもレナスの死に酷く動揺していた。
レザードはまだ暖かさが残るレナスの身体を抱き上げる。
すると、レザードの地面から紋章が浮かび上がる。それはレザードの移送方陣であった。
移送方陣の紋章がレザードとレナスに覆い被ると、その場から影形をすら残さず消え去った。
クリフはチッ舌を鳴らし、顔を顰めた。レザードが俺たちを置いて逃げ去ったのだ。
この絶望的な状況下、レザードの逃亡は最善の行動だと言える。が、無性に気に食わなかった。
でも、更に不愉快にさせるモノがあった。耳に付く、不快な笑い声。金龍はけらけらと顔を歪め続けていた。
クリフは戦闘態勢に構える。金龍との激突は避けられない、金龍は確実に俺達を殺しにかかる。
ならば、今自分ができること。目の前に崩れ落ちているソフィアを逃がすことだ。現時点で彼女は足手纏いに過ぎない。
「何時まで、メソメソしてやがるんだ!! ソフィア!!
今俺たちがすることはこんなことじゃないだろうが!!」
声を腹の底から張り上げ、地面にひれ伏すソフィアに喝をいれる。
ソフィアはビクッと今にもはちきれそうな絹のように震え、涙を止めた。
蹲ったままだが、状態は一歩前進したようだ。
「レナスが死んだ今、俺らは前に進まねえといかねえだろうが。
だから、お前だけは逃げるんだ。ここは俺が……」
死んだように静止するソフィア。一瞬、沈黙が支配するが、徐々に気力を取り戻す。
真っ赤に顔を腫らしたソフィアはクリフの顔を覗き込む。
可愛い顔が台無しだなと、場違いな感想がよぎる。
「……もう無理なんですよ」
発した瞬間、壊れそうな声でソフィアは囁く。
「スフレちゃんもネルさんも、アドレーさんも死んじゃった。レナスさんもルーファスさんも。
…誰も助からない。私は無理なんです、もう嫌なんです。こんな戦い、もう限界です」
「だからと言って、ここで死にたいのかッ!!」
「死にたくないよう…でも…私…もう前に動けない。
だって、私のせいでレナスさんが……死んだんですよ。
私が足手纏いだったばかりで…殺しちゃったんだ。……私、ずっと守られてばかりだった。
フェイトにレナスさんにルーファスさん…そして今度は…クリフさんに。
私がいれば…皆に迷惑をかけちゃうもん。だから、私は何もかもが嫌になりました…諦めました。
もう…私のことは……ほっといてください」
ソフィアは心の奥底から必死に声を搾り出すと、再びその場に涙を啜り始め蹲った。
クリフが思った以上に彼女の心の傷は深かった。
その傷は諦めという形で現れる。ソフィアは全てに対して諦めていたのだ。
もう生きることも死ぬことも考えたくない。もう全て、どうなってもいいと自暴自棄に陥っていた。
クリフは戸惑った。
先の戦いでこんなにも落ち込む彼女は見たことがなかった。
あの時は、仲間たちがいたから、支え合い、苦難に立ち向かえた。だが、この戦いは全く違う。
親しい仲間たちと離れ離れにさせられ、常に付き纏う死の緊張感に気を滅入らせた。
そして、負い目。
自分が弱いばっかりに、仲間を死なせたことが彼女に絶望を与え、ごり押しに金龍という殺戮者の存在。
一般人には辛すぎる環境が彼女の精神を崩落させる結果に繋がったのだろう。
本来なら、ここで喝を入れたいところだが、時間があまりにも少ない。
今は金龍をどうにかしなければない。レナスもレザードもいない、俺一人で奴を討伐しなければならないのだ。
「でも、俺は諦めねえぜ。ルシファーをぶっ飛ばすことも、ソフィアを守ることも……」
無駄な足掻きだろうが、クリフは立ち向かう。
それが、死んでいった仲間たちの弔いになるのだから。
クリフは遂に対峙する。先ほどから気に食わない笑い声を叫び続ける金龍クェーサーに。
+++
「気分がいい!! 最高に気分がいいよ! あははははは」
「黙れ…」
クリフはゆらりと眼を尖らせ睨みつける。
俺に課された任務は二つ。気に障る金龍を倒し、ソフィアを守る。
その二つを同時にこなさないといけないところが難しい。
だが、クリフは諦めない。
「何が神様だ。何が世界を救うだ。テメエ、みたいのが神だって…冗談にもほどがあるぜ」
クリフの脳内に映るのは、自分たちを殺し合いの舞台に放り込んだ張本人であり、主催者であるルシファー。
「テメエが世界を救済しようがしまいが俺には関係ねえ」
金龍とルシファーの二人に共通する点、その創造主であるが故の傲慢さ。
「前にも同じようなこと言ったっけ?」
だから、クリフは気に食わない。トントンと地面を跳ね、肩を慣らす。
「俺らに神なんて必要ねえ。
―――俺たちは俺たち自身で未来を作るってな」
クリフがそう言い切ると、金龍は目を見開いた。その目に殺気が漲る。
対峙する強大な敵を前に全身が震える。クリフは肩を鳴らし、拳を握り締める。
拳が疼くとはまさにこのことだ。
「矮小な人間如きが我が宿命を否定するだと……その罪、万死に値するぞ」
「へっ、それはこっちの台詞だ。テメエはその人間如きの俺にやられるんだ」
クリフは拳を構えると刹那、踏み込んだ。
「ならば、返り討ちにしてくれよう。そして後悔するがいい、地獄が目前にあることをっ!」
金龍は気合と共に咆哮する。大地が揺らぐ。
クリフは目の前の存在に圧倒されそうになるが突き進む。
幾重にも立ちはだかる鉄壁に。クリフは踏み込む、金龍の下へ。
クリフは踏み込むと同時に拳を腰に置き、そのまま疾風のような突きをお見舞いする。
打点は完全に金龍を捉えている。
だが、狙い打った瞬間、金龍の姿がまやかしのように消え去る。
目と鼻の先に金龍の瞳が現れる。
「人間にしてはいい動きだ、だが、私に立ち向かうにはおこがましいわ!!」
さらり、クリフの鉄拳を避け、金龍は反撃。クリフの胸元に拳を突き入れお返しする。
胸に重い重圧、魔力の込められた攻撃にクリフの巨躯は威力に耐え切れず、吹き飛ばされる。
クリフは空中で受身を取るが、凶悪な激痛に着地のバランスを崩す。
距離の離れたところで金龍は魔力を両手に込め出し、放出させる。『アクセルレーザー』がクリフ目掛けて、命を狙う。
クリフは痛みを堪え、気合の雄叫びと共に真上に飛び上がる。口からは血が溢れるがお構い無しに叫ぶ。
「うおおおおおお、マイトハンマーぁぁぁぁぁぁあああ」
クリフは己の闘気をぶつけ、極光を掻き消す。
全身全霊のパワーで金龍の攻撃を無効化させることに成功した。だが、金龍は休ませない。
「私の攻撃を無効化させるとは、人間にしてはなかなかやるな…」
クリフが攻撃を掻き消したと同時に、金龍は蝶のように舞い、クリフの傍らに近づいていた。
「でも、ここまで近づいても気付かないとは鈍感―――」
空中でくるりと身体の撓りを利用し旋回。すかさず、無防備となった胸元に。
「―――だな♪」
クラシックバレエのダンサーの舞を想わせる鮮やかな前蹴りを喰らわせる。
クリフは二度目の吐血ともに、膝をつく。それでも、金龍は休ませない。
「さっきの威勢はどうした? 私をぶっ潰すんじゃなかったのか?」
金龍はすかさずクリフに膝蹴りを一撃与える。地に崩れ落ちるクリフは金龍の膝ごと地面に押さえつけられる。
胸元に置かれた右膝でに圧力を加わる。少女のものとは想像だにしない力がクリフの身体を執拗に貪る。
クリフの口元から重圧ともに苦痛の声と血痕が漏れ出す。ミシミシとアバラが折れていくのが分かる。
「虫けら如きが神に勝てるわけなかろう」
少女は目の前にいる存在に哀れを感じる。あまりにも、惰弱なのだから。
更に痛めつけようとニヒッと顔を歪める。すると、クリフの身体は宙を飛び交う。
金龍はクリフの鍛えられた脚を掴むと、龍が持つ暴力的な膂力をもって、
右と左と何度も地面に全身を叩き付ける。バン、バンと軽快は音が響き渡る。
「うはははは、楽しいな♪ こんなにも脆弱で、惰弱で、滑稽で、哀れすぎて涙が出てくるよ」
まさにその行動は神が勝手気ままに人間に対して行う、傍若無人な振る舞いそのものを端的に表していた。
地面に激突するたびクリフの意識は風前の灯のように消えかけていた。だが、クリフは諦めていなかった。
タイミングを見計らっていたのだ。
そして、行動に移す。底力を発動させる。
「うがああ!! 人間を嘗めんじゃねえぞ!!」
クリフは少女の腕に咄嗟にしがみつく。
金龍がそれを知覚する前に、身体を大きく返し、
腕を回転させ、間接を決め、すかさず骨を粉砕する。
「く、無駄なことをッ!!」
だが、その目論見は阻止される。
規格外の反射神経によって、クリフが骨を折る前に、無造作に投げ飛ばしたのだ。
肩を外すことに成功したが、すぐに金龍は脱臼した肩を治す。
地面を転がるクリフはふらふらになりながらも必死に身体を起こす。
すると、目の前には肩を鳴らし、勝利を確信した金龍の姿。
不吉な笑みが脳髄に溶け込んでいく。
「人間にしてはよくやったほうだよ。
貴様には賞賛の意味を込めてこの技を味あわせてやろう」
金龍は構える。あの技を。
今のクリフにとって、絶望しかない与えない。あの技を。
手に魔力を集約し黄金の斧を具現させ、斧に力と魔力を込め出す。金龍のオーラは凄まじい。
目視できるほど壮絶な力。斧が金色に光り出す。そして、勢いをつけて回りだす。
ワイルドピッチが発動する。金龍の攻撃は止められない。
クリフはよろよろになる身体を奮い立たせる。『ワイルドピッチ』に耐えてみせる。
身体のあちこちは疲労とケガでもう使い物にならない。
だが、まだ、戦える……まだ、俺は…。
クリフは最後の力を振り絞り、半身に構え、全身の闘気を左手に集約する。
クリフの最強技の構え。『マックスエクステンション』
今ここで、二人のパワーが激突する。
クリフの『マックスエクステンション』が金龍の凌ぐのか。
それともクェーサーの『ワイルドピッチ』がクリフを蹂躙するのか。
答えはもうすでに決まっていた。
「無駄かもしれねぇが……諦めは悪いほうでね」
クリフは自嘲する。
何故、無駄だと分かっていながらも、身体を酷使してがんばり続けるのか。
我ながら情けないなと笑みを零す。だが、そんな性格だったからこそ、俺は俺でいられたのだから。
そんな最後の覚悟を振り絞るクリフを尻目に金龍の準備が整う。
そして、放たれる必殺の一撃。
「喰らうがいいッッ!! ワイルドピッチ!!」
金龍から凶悪な代物が放たれる。
クリフは土壇場で見誤ったなと小さく微笑む。
「だけどな、ここで止めるわけにはいかねえんだ」
金龍の攻撃は考えていたモノより強大だったのだ。
黄金に輝くそれは、まるで黄金でできた美酒。
だが、その中身は全てを破壊する毒が注がれている。
自分には似合いそうにない洒落が込められている。
クリフは奇跡など不確定な物は信じていないが、このときに限って、それを信じたくなった。
叶うことない…願いだけどな、と心に中で呟く。
しかし、その願いは聞き遂げられることになる。
クリフが『ワイルドピッチ』目掛け、拳を放とうとした瞬間。
両者の距離の中央に人影が現れる。
クリフの目の前に男の後姿が目に残る。
そこには、剣を構え、金龍の強大な力を目の前に聳え立つ―――ガウェインの姿があったのだ。
己の闘気を何度も放ち、金龍のパワーを押さえ込もうとしている。
「……あの野郎…死ぬ気か!」
クリフにとって、ガウェインの介入は予想外であった。
それでも止められない。拳を突き出す。己の力を最大限に高めた一撃を放つ。
「マックスエクステンション!!」
+++
ガウェイン・ロートシルト。
西方獅子の称号を持つロートシルト家の当主でありながら、妖精側に味方する裏切り者。
失踪するまではラジアータ王国最強といわれた「赤色獅子騎士団(ルージュ・リオン)」の厳格な団長だった。
彼がどのような経緯で妖精側に味方に付いたかは分からない。
しかし、己の中の宿命に基づいて行動している―――それだけが彼を動かす何かであるということは自明であった。
ガウェインは事の成り行きを見守っていた。
クェーサーとレナスの戦いを。クェーサーとクリフの戦いを。
この目にしっかりと焼き付けるように見ていた。
そんな金龍の横柄とも言える闘争を見る最中、ガウェインに心中に微弱な変化があった。
それもそのはず彼の使命は達成したのだから。
だが、ガウェインは達成感に喜ぶこともなく、淡々と使命の根源となった金龍を見据える。
金龍を見るたびに内に篭る空虚感が荒ぶ。
本当にこれで良かったというのかだろうか、自問自答する。
「リドリーよ、本当にこれでよかったのか?」
歓喜の声に震え続けるリドリー、いや…今や金龍となった少女の姿を心の奥底を覗き見るように眺めた。
宿命の風が揺らいだような気がした。私の宿命はこんなところで終わるのか?
煌々と光り輝く金龍の羽の灯りがガウェインの黒瞳に焼き付けられる。
そのフラッシュバックを背景にガウェインは思い出す。
孤独に身を焼かれる少女がいた。
人々に裏切り者と罵られた少女がいた。
金龍の器という宿命に翻弄される少女がいた。
彼の宿命。
妖精側に味方することで双龍の交代を手助けし、金龍復活を促すことであった。
だが、それは表面上の理由に過ぎない。
ガウェインの行動は結果として、妖精に味方する裏切り行為に繋がっているが、本当の目的は、そう、ではなかった。
本当の目的。それはリドリー・ティンバーレイク。
彼女を一目見たときから始まっていたのだ。
リドリーは双龍交代の儀式の要として、宿命を果たさなければならなかった。
それ故彼女は苦しんでいた。
時を刻むたびに来る、別の意識の奔流。自己の意識が疎らになっていく恐怖。自分が自分でなくなっていく感覚。
背負わされた宿命の重さ。トゥトアスの秩序の崩壊、歪みの象徴アルガンダースの蔓延、人間の傲慢、妖精の怠惰。
それら全てが彼女に重く圧し掛かった。
だが、それ以上に彼女を苦しめたのは孤独だった。
一人だった。彼女は孤独だったのだ。
金龍の器の宿命を背負わされた故に、人間を裏切らざるをえなかった。
人間たちは裏切り者と罵り、妖精たちは憎悪対象の人間であるため敬遠する。
そのため、誰一人、彼女に味方はいなかった。
だから、私はそんな孤独な瞳を揺らがせる少女のためにたった一人の味方となったのだ。
それが、自分の課せられた宿命だと。
だが、それで、本当に良かったのだろうか?
ガウェインはここで来て、そう、思い始めていた。
金龍に対し必死に抗う彼らを見て、揺らぎ始めてきたのだ。
『だからこそ私は信じられる―――人の可能性を』
何時からだろう。自分自身を信じられなくなったのは。
ジャックの父、ケアン・ラッセルを見殺した時からか?
『―――俺たちは俺たち自身で未来を作るってな』
何時からだろう。前に進むことを諦めていたのは。
愛する者を奪ってしまった私には全てを失うことでしか償えないと思った時からか?
ガウェインの胸の奥底から炎が滾るのが分かる。
凍っていた想いが溶け出してくる。
それもそのはず、ガウェインは感動していたのだ。
大切な人のために戦うレナスの姿が。
未来を切り開くため必死に抗うクリフの姿が。
とても美しかったのだから
ガウェインは金龍の攻撃を止めるために飛び出す。
自分の一度は死んだ身、この身はすでに惜しくないのだ。
クリフのような未来を切り開く者を守りたかった。
リドリーに彼らのように必死に運命に抗う姿を教えてやりたかった。
ガウェインは死を覚悟し、孤独な少女のために抗った。
大切な者を守るために戦うことが如何に美しいか、
諦めない心が如何に美しいかを証明するために。
リドリーの目に焼き付けたかった。
ガウェインに黄金の韻律が迫る。
すべてを貪欲に飲み込む黄金の奔流に身を捧げる。
「奥義―――獅子王粉砕破!!!!!」
ガウェインは最大まで高めた闘気を発散させる。そのオーラはまさに獅子の威厳。
そして気を何度も放ち、強大な魔力にぶつけ、最後に剣を構える。
剣に闘気を漲らせる。自分の誇る抗いの力を見せ付ける。
「ガンツよ……私は最後まで駄目な父親だったな…」
最後に思うのは自分の息子ではなく孤独に打ち震える少女の姿。
彼女の寂しい顔を思いながら、剣に収束された闘気を向かい来る黄金の斧に振るい落とす。
超回転する斧と剣がぶつかる。
その瞬間。
剣が/身体が/砕け散る。
ガウェイン・ロートシルト。
ここで散る。
【ガウェイン・ロートシルト 死亡】
+++
ソフィアはすべてを見ていた。
ガウェインの身体が弾け飛ぶ姿を。
ガウェインの裏切りによって怒号を上げる金龍を。
そして、クリフの極限まで高められた闘気が金龍の攻撃を飲み込み、金龍の傲慢を押し返す。
土壇場になって金龍の『ワイルドピッチ』は威力を落とし、
クリフの『マックスエクステンション』に押し負けたのだ。
そこにはガウェインの功績が大きく絡むことになる。彼の死を賭した行動の功績は大きかった。
暴力的な魔力の塊を必死に抑えたおかげ、クリフは金龍に打ち勝ったのだ。
クリフのオーラが金龍を襲う。
「私が人間に負けるだと!!! 認めぬぞ…私は認めぬぞぉおお!!!!!」
金龍は歯を剥き出しに張り叫んだ。怒涛の奔流に飲み込まれ、雄叫びを上げる。
オーラは金龍を巻き込み、周囲の物を無造作に薙ぎ倒して行く。
辺りは深い閑静に包まれた。それは終わりを意味する静寂。
クリフは勝ったのだ。金龍に。
ソフィアは無駄夢中にクリフに駆け寄った。全身傷だらけの彼に。
クリフはふらふらとしながら、親指を立て、ガッツポーズをソフィアに送った。
「クリフ……さん…クリフさん…」
「どうだ、俺の勇姿は決まってただろ。
でも、もう駄目だ…もう一歩も動きゃあしねえ。肩を貸してくれないか?」
ソフィアはウンと頷くと、小さな肩にクリフの腕が乗せられる。
どこか休める場所はないかと目を配らせ、薙ぎ倒れた巨木まで運ぶ。
少女の小さな身体にクリフの巨躯が重く圧し掛かる。この重さは彼の強さだった。
私を守るため、レナスさんの仇を打つため、がんばってくれたのだから。
だが、勝利の余韻に浸ることはまだできなかった。ソフィアたちに不吉な影が再び過ぎる。
なぜなら、
「今のはかなり痛かったぞ…」
金龍は、
「人間風情が…」
生きていたのだから。
「私に一撃をくれるとは褒めてやるよ」
異質な恐怖感が二人の脳髄に駆け巡る。すぐにソフィアとクリフは踵を返すと声の主を見やる。
そこには、腹を押さえ、憤怒のオーラを巻き上げる金龍の姿があった。二人は一様にして、驚愕した。
倒したはずの金龍がそこにいたからだ。
クリフの攻撃は完全に金龍を捕らえていた。だが、金龍の傷も見た目より浅いのだ。
「クソがッ…なぜ生きてやがる?」
クリフは疑問の言葉を口にする。
それもそのはず、クリフの最強技を喰らってピンピンしているはずはないのだ。
金龍の生きている理由は不可思議なことだらけである。
理由はリドリーの存在。リドリーが殺しに乗ったおかげで、支給品が豊富に揃っていたのだ。
褐色肌の少女から奪った、アクセサリーが活きたのだ。皮肉にもリドリーのおかげによって、金龍は救われたのだ。
守りネコ。そのアイテムの効果が発動し、ダメージを軽減した。
それに加え、金龍の最大の特性、自己再生能力と耐久力の高さもあって功をそうした。
この土壇場になって勝利の女神はクリフたちではなく金龍クェーサーに微笑んだ。
クリフたちには微笑んだのは無慈悲な鎌を振り落とす死神だった。
つまり、クリフたちは幸運から突き放されたのだ。
クリフはソフィアの肩から離れると、再び拳を固め、敵対する。金龍目掛け踏み出す。
だが、それも一瞬の出来事だった。クリフは金龍に届く前にその場に倒れる。
疲労に限界が来ていたのだ。クリフは血を流しすぎた。もう立つのですら、困難な状態なのだ。
クリフの意識が薄れる。
「クソッ…この俺が……こんなとこ…ろで……」
クリフの体躯は口惜しそうに崩れ落ち、気を失った。
クリフが意識を失うと同時に金龍は大いに嘲笑った。勝利は目前であった。
リドリーは死んだ、レナスもガウェインも死んだ。小賢しいクリフは戦闘不能に。
残るのは惰弱なソフィアだけ。唾棄すべく人間だけ。雑魚だけ。
クェーサーは力を解放する。閉じていた黄金の翼が再び現れる。
「あははははははは、気にいらねえ奴は皆死んだ、私が殺した」
金龍のオーラが発散する、濃い魔力に包まれた力は神の力。
人間に対する憎悪のオーラに触れたソフィアはがたがた震える。
身体動かない。今すぐにでも逃げ出したいのに、蛇に睨まれた蛙のように足が進まない。
改まって、ソフィアは知った。
クリフとレナスはこの凄まじい魔力の前に怯えることもなく、勇敢に立ち向かったんだと。
でも、私は……。
「あ、ぁあぅ…あ」
言葉が出ない。相手をこき下ろすことも、立ち向かう勇気も一切出てこない。
私は無力だった。皆は必死に覚悟を決め、抵抗したのに、私は何もできないのだ。
むしろ、死にたくないと文字が頭の中に駆け巡るだけ。
そんな怯えるソフィアを見て、金龍はよりいっそう嘲笑った。
人間の苦しむ姿が見たい。苦痛に歪み姿が見たい。絶望に苛まれる姿が見たい。
その渇望が目の前にいる少女にすべて出揃っていた。
「そうだ、私はそれを渇望していたのだ!!」
金龍は呆然と立ち竦むソフィアにゆっくりと恐怖を与えるように近づいていく。
「やぁだ…」
怯えるソフィアの目の前にすると、金龍はソフィアの首を掴み上げ、
死と生の狭間のぎりぎりという感覚で締め上げる。すぐには殺さない。
理由は簡単だ。彼女は玩具として、全ての悦びを兼ね備えているのだから。
「苦し……んっくぁ、あ」
「苦しめ、苦しめ……泣き喚け…私をもっと悦ばせろ、私に絶望を見せろ。
それがお前ら人間の役目だ。簡単には殺しはしないぞ。
……貴様が死にたいと望みたくなるほど苦痛を与えてやるぞ」
ソフィアは苦しさから抵抗すること諦める。
無意識に涙が滲み出てくる。
こんなところで死にたくないと、未練の言葉が頭に駆け巡る。
まだ、やりたいことがたくさんあるのに。
フェイトとのデートやフェイトに料理を作ってあげることや―――。
ほとんど、フェイトのことや両親のことばっかりだ。
でも、目の前の現実に押しつぶされる。不甲斐無い自分に自己嫌悪に陥る。
ソフィアは悔しさと苦しさから涙がぼろぼろと溢れ出す。
そんな瞳をそっと閉じ、先逝く不幸を謝った。
ごめんなさい。フェイト、パパ、ママ。
勇気のない私でごめんなさい。
ごめんなさい。レナスさん、クリフさん。
命を粗末にしてごめんなさい。
そして、最後にごめんなさい。
―――ルーファスさん。
私みたいな駄目な子を助けてくれて、ごめんなさい。
どうせ、こんなことになるなら、本当はあの時死んどけば良かったのかな?
私がいなければ、レナスさん、クリフさん、ルーファスさんも私のせいで死ぬこともなかったのに。
私さえいなければ――――良かったのに。
でも、最後にこれだけ言っておきたかったな。
役立たずな私を助けてくれて。
―――ありがとう。
あの世にいったら、最初にルーファスさんのところに行って言うよ。
―――ありがとう。
助けてくれた時、本当に白馬の王子様のようにカッコよかったよ。
本当にありがとう。白馬に乗った私の王子様。
ソフィアは痛みに狂ってしまう前に遺言を残した。
自分の意識が金龍の恐怖に感化されない前に言い残した。
遺言は残される。暗黒が包み込む夜に。
だが――――その遺言はヒュンと空を切る音に掻き消される。
「うぐっ!? 何い!?」
ソフィアの首を掴んでいた手が放れ、金龍が手を押さえ、苦痛に歪んだ。
ゲホゲホと息を吹き返すソフィア。朧げな意識の中、突如の異変に金龍の手を見る。
そこには、矢が深々と刺さっていた。
「一体何もッ……ごふぅッッ!!」
金龍の意識が新たな敵に向けられる前に第二打が放たれる。
腹に深い衝撃に受けた金龍は物凄い勢いと供に地面を滑るように転がった。
敵に翻弄される金龍を見て、ソフィアは何が起こっているのか分からなかった。
一体、誰が、私を助けに来てくれたのか。
誰? だれなの?
「泣いてばっかだな……せっかくの可愛い顔が台無しだぜ。
……これで、三度目だな。お前を助けるのは…ソフィア」
皮肉めいた言葉だけど、温かさが込められた声が耳朶を揺らす。
すると、ソフィアの頭にポンと手が乗せられる。優しくて暖かい手。
その、温もりに触れソフィアは振り向く、そこには彼がいた。
もう会えないと思っていた。死んだら最初に『ありがとう』と言おうと思っていた彼が。
彼が優しく微笑んでいた。
私の白馬の王子様が―――――微笑んでいた。
―彼は始動する。
――長い暗闇から。
―――己の誇りにかけ。
――――大切な者を守るため。
―――――――その手に光を得るために―――――――
+++
最終更新:2008年11月01日 20:52