「やあやあ皆さん、はじめまして」
そう言って壇上に上がった男は、見るからに胡散臭い印象を放った美青年だった。
黒髪長髪に五条袈裟と仏門を思わす身なりだが、額に走る横一閃の縫い目が一気にそれらの要素を外連味に変えていた。
壇の下からそれを見上げているのは、人数にして五十人と少々の人間達。
彼らには縫い目こそないが、その代わりに一人の例外もなく鉄製の首輪を嵌められているのが奇妙だ。
「いきなり本題に入るのも無粋だろう。まずは自己紹介をしておこうか」
此処は、あまりにも異様な空間だった。
落語の高座や宗教の教祖が説法を垂れるステージを思わす壇が、夜明け前の暗闇の中に淡く映し出されている。
それを五十人以上の首輪付きが一斉に見上げているのだから、ひどく非現実的な構図だ。
見上げる者達は誰もが困惑や動揺の顔を浮かべている。
力のある者ない者様々いるが、共通しているのは誰一人としてこの先に一切の幸福は存在しないだろうと理解していることだ。
希望を胸に楽観視するには、この縫い目の男は存在そのものがあまりにも不吉すぎた。
「―――私の名前は加茂憲倫。本当の名は別にあるが、こっちの方が通りがいいんでね。当分はこれで通させてもらうよ」
その名前を聞いた瞬間、見上げる者の何名かが反応を示した。
無論、良い反応などその中には一つもない。
あるのは敵意。もしくは、更なる困惑。
縫い目の男……加茂憲倫は、それに微笑みながら一瞥だけ送る。
その視線の意味合いを理解出来るとすれば、彼らだけなのだろう。
「君達に集まってもらったのは他でもない。私の都合で申し訳ないが、君達には少しばかり私の儀式に協力してもらう」
儀式―――。
ただでさえ不穏な単語は、この状況では更にその意味を何倍も重くして響き渡る。
多すぎる人数と、鉄の首輪。そして儀式という単語。
蛇が入っていると分かっている箱に手を突っ込むような心持ちで言葉の続きを待つしかない実験動物達に、加茂はさらりと言い放った。
「殺し合いだ。この場に集めた五十五人の"泳者(プレイヤー)"、その命が最後の一つを残して尽き果てるまでの」
殺し合い。
法も道徳も決して認めることのない鬼畜の趣向。
古くから伝わる蠱毒壺の儀式で使う生き物を、虫からそのまま人間に置き換えたような幼稚な発想。
三文小説の筋書きのような陳腐さであったが、加茂の存在とこの状況がそれを単なる絵空事(フィクション)ではなくしていた。
そう、これは現実なのだ。まごうことなき、現実。頬を抓っても決して醒めることのない、悪夢のような現実が此処にある。
泳者(プレイヤー)と、加茂は五十五人の首輪付き達をそう呼んだ。
やがて鮮血で満ちていく海中を泳ぐ者。
殺し合いの儀式を体験(プレイ)する者。
彼らは誰もが主役であり、同時に端役でもある。
誰もが―――画面の外で無価値に死滅する可能性を秘めていた。
「とはいえタダ働きじゃやる気も出ないだろう? 儀式に最も貢献してくれた最終勝者……要するに優勝者だね。
無事そうなれた泳者には私から報酬を出そう。〝願いを叶える力〟だ」
パンドラの匣の底には希望が眠っていると、神話はそう語るが。
奇しくも加茂が仕掛けた此度の儀式においてもそれは同じなようだった。
苦界の海を泳ぎ抜いて生き残れば、水底には一つだけ希望が沈んでいる。
「あらゆる願望を成就させる力を持った聖遺物、『聖杯』。それを手土産に持たせてあげる。
叶える願いはなんだっていい。
巨万の富。世界を統べる権力。待ち受ける運命の打破。死者の蘇生やはたまたにっくき仇の抹殺。
聖杯は君の願いをきっと聞き届けてくれるだろう。死の危険と天秤に掛けても十分に見合う報酬だと思わないかい」
それが聖杯。
願いを叶える、願望器。
聖杯はいかなる願望をも聞き届ける。
その奇蹟の前に、一切の不可能は存在しない。
世界の定礎を崩す大逆さえ、聖杯は容易に可能とするだろう。
なぜそんな代物が、この加茂という男の手に握られているのかは不可解だったが。
見上げる者達の内、数人の目の色が変わったことに気付いた者はどれだけいるだろうか。
人生とは後悔の連続で、喪失の繰り返しだ。
失ったことのない人間など存在せず、挫折を知らない人間もまた存在しない。
誰の心にも必ずや何かを願う気持ちは根付いているのだ。
加茂はそこに語りかけている。
生きたいという気持ちに、追加の意味を与えた。
まるで呪いの印を刻み込むように。
聖痕と呼ぶには冒涜が過ぎる、癒えない傷を焼き付けるように。
「殺せ。君達に取れる選択はそれだけだ」
微笑むために細めた眼窩から、怜悧な眼光が覗いていた。
殺せ。隣人を殺せ。友人を殺せ。家族を殺し、伴侶を殺し、宿敵を殺し―――地獄を築けと悪魔は言っている。
「殺せ。この島では誰もがそれを許される」
一言目で、逃げ道の存在を否定して。
そして二言目で、加茂はすべての罪を免罪した。
神の不在証明は、誰にだって下すことは出来ない。
だが、神の不在を信じることは誰にでも出来る。
加茂は人々に道を示したのだ。
自分で罪を許し、神はいないとそう信じ、生きるために殺すように導いた。
生きたいと願うその気持ちは罪ではないのだと確約して慙愧の念を希釈した。
薄闇の中に、静寂がシンと張り詰める。
「続いてだが」と加茂が切り出したのと、彼の暴虐に否を唱える男が壇上へ飛び移ったのは同時のことだった。
「コノ世ニ悪ノ栄エタ試シ無シ―――」
男の姿を一言で形容するならば、誰もが異形とそう称したに違いない。
全身を黒のタイツで包んだ白面の怪人だった。
顔を覆う真っ白な布には目のような巨大な文様が描かれ、ますますその外連味に拍車を掛けている。
「加茂憲倫―――貴様ノ企テガ罷リ通ル事ハナイ。コノ私ガ……正義ノヒーローガヤッテ来タカラニハッ!」
…………なんだこいつ。
張り詰めた空気に投げ込まれた彼は間違いなく劇物であった。
加茂と同じ目線に立ち、彼の宣言した企てを公然と否定した姿は確かにヒロイック。
首輪のせいでいつにも況して酸素の供給が少ないのか、首を絞められた鳥のように苦しげな声で口上を言い終えた。
そんな彼に加茂はおや、と驚いた風を見せる。
だがすぐに納得したような顔をした。
「平坂黄泉か。命知らずな君らしい行動だな」
「死ヲ恐レテ正義ガ何故為セル。目ノ前ノ巨悪ヲヨソニ保身ヘ勤シム惰弱サハ、我ラヒーローニハ不要ナモノダ」
「ああはいはい。君には序盤のかき回しを期待していたんだが……まあ、そこまで惜しいわけでもないんだよね」
「―――? 何ヲ言ッテ、」
悪に立ち向かう正義の味方。
その実態がどうあれ、この場での彼は間違いなく目指したあり方を体現していたといえる。
しかしそれだけだった。今の言葉が、彼の辞世の句になったからだ。
ぼんと軽い音が一度だけ響いてマスク頭が冗談みたいに宙を舞う。
樽に囚われた海賊に剣を刺すゲームで当たりを引いた時の光景を、ある少女は連想した。
ぼとり。壇の外に落下したヒーローの生首に、もう加茂の目は向いていなかった。
「見せしめに使っても問題ない、ってこと」
どうせ一人殺してみせるつもりだったからね。
そういう意味ではちょうどよかったよ、と加茂は死者へ言葉を手向けた。
愚かな英雄志願者は最後まで気付かなかったのだろう。
加茂は先ほど『五十五人の泳者』と言ったが、この場には自分を含めて五十六人の人間が存在していたこと。
遅かれ早かれ数を合わせるための粛清が行われるだろうことを予見出来ていれば、始まる前に命を散らすようなことはなかったのかもしれない。
「君達の首に装着された首輪には……特殊な仕掛けを施してある。
端的に言うと儀式の
ルールで定められた禁忌に違反した場合、この首輪が起爆して違反者の命を奪うってわけだ。
ああ、言っておくけど身体の耐久度やら特別な力やらに賭けてワンチャンスとかは考えない方がいい。
私の名において断言するよ。首輪の爆発は絶対の理だ。逃れる手段は存在しない」
要するにこれは、文字通り首輪なのだ。
反抗を抑止する。狂犬を強権で縛る。
この首輪がある限り、誰も加茂の儀式からは逃れられない。
「そういうわけだ。あまり長ったらしいデモンストレーションも嫌われるからね、そろそろ始めてしまおうか」
―――斯くして殺し合いの宴はその幕を開ける。
生き残りの枠は一つ。報酬は、願いを叶える願望器。
今宵、罪は罪としての役を果たさず。
今宵、神は人を裁くことはなく。
今宵、あらゆる呪いは許容される。
「六時間後……朝日の登る頃にまた会おう。君達の健闘を祈っているよ、それじゃ」
儀式名、『バトル・ロワイアル』。
血で血を洗う殺し合いの儀式が今、静かに始まった。
【平坂黄泉@未来日記 死亡】
【―――残り55/55人】
【主催者:加茂憲倫@呪術廻戦】
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最終更新:2024年01月01日 00:41