「は、ぁ……っ、あ、ぁ、あ……!」
魔族。
それは単に言葉を話す魔物を示す単語であると同時に、人類という種にとって最大の敵となる忌まわしい生き物のことを指し示す。
彼らは愛を知っている。情も知っている。人の感情に属するすべて、彼らは残さず知っている。
そう、知っているのだ。その一点だけに限って言えば、彼らは間違いなく人類の隣人だったといっていい。
しかしそれだけ。彼らは決してその先には至れない。
人の痛みを慮ることはないし、喜怒哀楽を共有して共に歩める日は来ない。
魔族にとって、人の言葉とは武器なのだ。
相手を欺いて慢心を誘う、疑似餌のようなものなのだ。
だからこそ人は魔族を仇敵として殺し続け、魔族もまた人を気の向くままに殺し続けてきた。
何百年も何千年も、ひたすらに流血で大地を潤し続けた。
そんな恐るべき魔物達の中にも位というものは存在する。
魔王に見初められた直属の大魔族七体。
七崩賢と呼ばれる選りすぐりの化物達が、かの世界には確かに君臨していた。
今加茂憲倫の儀式場に招来されたこの魔族もまた、その七凶の一角である。
断頭台のアウラ。不死の軍勢を操り五百年以上に渡り悪名を轟かせてきた女傑。
加茂の用立てた泳者達の中でも格で言えば間違いなく上位に食い込むこと請け合いのモンスターだ。
しかし現在まさに灯台の光に照らされながら悪戦苦闘を繰り広げる彼女の姿を前に、そんな背景を想像出来る人間は皆無と言っていいだろう。
「なん、でよ……! なんで、こうなるのよっ……!」
恐るべき七崩賢の女は歯を打ち鳴らしながら泣いていた。
その手に握られているのは刃。
刀身はあろうことか彼女自身の首筋に添えられている。
既に皮膚が裂けて血が滴り始めているというのに、アウラが刃を離す気配はない。
小刻みに震える手と歯が、その自殺行為が彼女の意思によるものではないことを暗に告げていた。
断頭台のアウラが七崩賢の一人だったのは、今となっては昔の話だ。
アウラは敗れたのである。かつて七崩賢を半壊へ追いやった勇者パーティーの生き残り、葬送の魔法使いに彼女は完膚なきまでの敗北を喫した。
敗因は彼我の力量差を見誤ったこと。
千年を生きる魔法使いの偽装に気付けず、自分から最悪手に飛び付いてしまったことだ。
アウラの魔法は《服従させる魔法(アゼリューゼ)》。
魔力の量がそのまま身分に直結する魔族らしい、魂の保有魔力量を参照して互いの間に永久の上下関係を設定する魔法。
よって力量の誤認はその場で破滅に直結する。
アウラは自害を命ぜられ、七崩賢の古株といえどもその主命に逆らうことは出来なかった。
「なんでまだ、あいつの命令が生きてるのよ……! っ、ぐぐぐぐ……! ふざけるなぁ……!」
《服従させる魔法》の効果は半永久的に続く。
それは、術者であろうと例外ではない。
フリーレンに魔法を逆手に取られたアウラの中では今も主人となった魔法使いの命令が生き続けていた。
―――自害しろ、と。
一度命を奪わせただけでは飽き足らず、今もまだフリーレンの言葉はアウラの魂に反響を続けている。
アウラはそれに抗うことが出来ない。
加茂の施した能力制限の影響か多少の抵抗は出来ているものの、根本的解決という意味では変わらず無力なままだった。
あと数分。いやそこまでは恐らくもたない、もって数十秒。
それがアウラに与えられた余生であり、彼女がこの儀式の最初の脱落者になるまでの猶予である。
「リュグナーはいないの……! リーニエは、ドラートは……!? くそ、くそくそくそっ……! 嫌よ、二度もなんて嫌ぁ……!」
仮に配下の魔族達がいたところで事態は何一つ好転しない。
アウラもそのことは分かっている。
自分の魔法の絶対性は、何百年とそれを使い続けてきた彼女が一番知っていることだ。
それでも駄々をこねる子供のように喚かずにはいられないほど、アウラはどうしようもない状況にあった。
涙を流し、地面にへたり込んで迫りくる死に抵抗を試みている姿は路傍の三流魔族とすら見紛いそうになる。
(どうすればいい?
どうすれば、生きられる?
どうすれば助かるの、ねえ―――!)
死にたくない、二度もこんな死に方なんて嫌だ。
せっかく蘇れたのだ。
あの屈辱的な敗北を雪ぐチャンスがやってきたのだ。
なのに何も成すこと叶わずこんなところで一人死んでいくなんて無様にも程がある。
ひぃひぃとか細い空気を噛み締めた歯の隙間から漏らし、ゆっくりと死に向かっていくアウラ。
刃が皮膚を超えて肉にまで沈み込む。
ひっ、と悲鳴の音階が高くなった。
嫌だ、やだ、と譫言のように呟く姿は虐待されている少女のようにいじらしく、とてもではないが誰もが恐れる大魔族のそれとは思えない。
そうして当たり前のようにやってきた運命の時。
結末は変わらず、断頭台のアウラはその二つ名を自らの肉体でもって全うする。
「助けてあげようか」
声が響いたのは、彼女が諦めて目を瞑った時のことだった。
咄嗟に目を開けて初めて、アウラは近くに人がいたことを認識する。
長い赤髪の女は、まるで人間のような姿をしていた。
しかしアウラには、それが自分と同じで仮初めの擬態(ガワ)でしかないとすぐに分かる。
(魔族……?)
だが、感じたことのないタイプの気配だった。
自分達魔族のそれに限りなく近いが、根っこの部分でどこか異なっている。
魔性であるには違いないだろうが、恐らく別種の存在だろうとこんな時でも七崩賢の頭脳は冷静に分析していた。
女が身を屈めれば、同心円がいくつも重なった奇怪な眼差しが正面からアウラのことを見据える。
「大変だね。良くないものと契約してしまったのかな」
「っ、あ、……あぅ、ぅ、う……! ふーっ、ふぅーっ……!」
「もう一度聞いてあげる。助けてほしい?」
「ぁ、あ、ああああ、あ……!」
アウラは誇り高き魔族だ。
常であれば侮りを許すような質ではない。
だが今の彼女に、矜持を守る余裕などある筈もなかった。
喃語のような声をあげて懇願するアウラを慈しむように女が笑う。
そして―――今も死に抗い続けている哀れな魔族へと、手を差し伸べた。
「じゃあ私と契約しよう。私が、君を助けてあげる」
その手へ、アウラは無我夢中で舌を伸ばした。
手ではなく、舌だ。
彼女の両手は今フリーレンからの主命を果たすために使われているので伸ばせる部分はそこくらいしかなかった。
舌先が女の指に触れて、離れる。
つ、と糸を引く光景はどこか艶かしかった。
だがそれを恥じ入る余裕はアウラにはない。
先程までとは別な理由で、彼女の余裕は失われていた。
「え……あ……?」
身体が自由に動くという、あり得ない筈の事態を認識したからだ。
《服従させる魔法》の効果が失われる瞬間など、この五百年一度も見たことはない。
なのにそんなあり得ない事態が、他ならないアウラ自身の身体で起こっている。
あれほど忠実に自害の命令を果たそうとしていたアウラの両腕は今やぴくりとも動かない。
血に濡れた刃を拾おうとすることもない。
間違いなく、フリーレンの命令はアウラに対する効果を喪失していた。
アウラはへたり込んだ姿勢のまま女を見上げる。
なんで、どうして、そんな感情を込めた視線だ。
それに対して女はもう一度手を伸ばす。
そしてアウラの頭に触れ、穏やかに動かした。
「よく頑張ったね」
その瞬間に覚えた感情の名を、アウラは知らない。
それは間違いなく、彼女達魔族には存在しない筈の概念だった。
魔族は人の言葉を喋る。
対話の道具としてではなく、ある種の鳴き声としてさえずる。
そうした方が都合がいいから言葉を使い、意志疎通出来るフリをする。
彼女達はそういう、生態レベルで全く救済の余地が存在しない生き物なのだ。
古の勇者でさえ成し遂げられなかった奇跡が此処に成就する。
断頭台のアウラは、もう二度と元の彼女には戻れないだろう。
魔族を定義する一番の常識は、この瞬間初めて覆された。
―――それが、何に導かれた結果であるとしても。
▼▼▼
女はマキマと名乗った。
彼女もまた、加茂憲倫に集められた泳者の一人であるらしい。
魔族なのかと聞いてみたが、その回答は曖昧にぼかされた。
とはいえ人間ではないだろうと思う。
彼女が起こしてみせた奇跡は、確実に人間が可能な領分を超えている。
自分達とはまた違う、異境の魔族……そんなところだろうとアウラは自己補完した。
「マキマは……どうして私を助けたのよ」
「うん?」
「分かってるでしょう。加茂とかいう男の儀式は、最後まで生き残った泳者にしか恩恵を与えない。
他人を助けるなんて真似をしたって意味がないのよ。生き残れるのも聖杯に辿り着けるのも、結局は一人だけなんだから。
それとも―――マキマは聖杯がいらないの?」
マキマが人外であるとして、その格が低いとは思えない。
分からない筈がないのだ、自分という泳者が勝手に脱落してくれることの旨みを。
なのに彼女はわざわざ手を差し伸べて、放って置いても死にゆく自分を救ってくれた。
その不可解を問うアウラに、マキマはうーん、と言葉を整理するように呟いてから答える。
「要らないわけじゃないよ。むしろ逆かな。聖杯を手に入れない理由はないと思ってる」
「……なら、ますますどうして?」
「加茂憲倫が嘘をついてる可能性はあるけど、どうせ一人しか生き残れないのなら賞品を狙ってみるのは間違った行動じゃないでしょ?
死んでほしくない知り合いも泳者になってはいるけど、聖杯が本物ならそれを使って生き返らせちゃえばいいだけ。
アウラちゃんはどうなの? 聖杯、欲しい?」
「欲しいとか欲しくないとかじゃないわ。殺して生き残るのが理なんだから、狙う以外の選択肢はないでしょ」
「そうだね。私もそう思うよ」
命を奪って目的を遂げることはアウラ達魔族にとって呼吸のようなものだ。
躊躇するとかしないとか、そういう次元の話ですらない。
だからアウラは、マキマの行動方針そのものには然程興味がなかった。
彼女にとって気がかりなのは、あくまでもマキマが自分を助けるという行動を起こしたその理由だけ。
「内緒だよ。私、元の世界にいた時より結構弱くなってるんだ」
「……私もよ。まあ私の場合、それが幸運に働いた形だけど」
「だから一人で殺して回るっていうのは、ちょっと骨が折れるんだよね。
誰かの手を借りられるならそうしたいし、私のために戦ってくれる子はなるべく積極的に増やしたい。
アウラちゃんを助けてあげた理由はそれかな。アウラちゃんは強そうだし、仲間になってくれるなら頼もしいなと思ったんだよ」
「馬鹿じゃないの。そんなのあなたにとって都合が良すぎる。協力する奴なんているわけ―――」
「私が聖杯を手に入れたら、アウラちゃんのことも生き返らせてあげる」
確かに、それも可能の範疇ではあるだろう。
聖杯が本当に加茂の言う通りの願望器であるならば、死者の蘇生という芸当も不可能だとは思えない。
聖杯に頼ることで事実上の帰還枠増設を行う、それありきで結成する泳者達の同盟。マキマが唱えているのはそれだった。
「だからもしもアウラちゃんが生き残ったなら、その時は私のことも助けてくれると嬉しいな」
そう言って笑うマキマに、アウラは顔を顰める。
気分を害したわけではない。
彼女の微笑み、彼女の言葉……そのすべてが感じた試しのない何かを覚えさせてくるからだ。
(何よ………これ)
乗ってやる義理などある筈もないのだ。
命を救われた事実など儲け物程度に捉えて寝首をかくのが正しい魔族のあり方というものだろう。
ならばそうすればいい、馬鹿正直に対話をしてやる理由など一つもない。
頭ではそう分かっているのに、しかしアウラはさっきからずっとそれが出来ていなかった。
マキマという他者の存在に、頭を抱えたくなるような不合理を連発してしまっていた。
自分はどうしてしまったというのだろう。
たかだか命を助けられたというだけで、何を揺れているのか考えてもさっぱり分からない。
ただ一つ確かなのは、この感覚がある内はマキマのことを殺さない方がよさそうだという不思議な確信があることだった。
「身体の調子はどう?」
「ん。だいぶ、いい」
「そっか。もう行く?」
「……もうちょっと」
「分かった。じゃあ、もうちょっとゆっくりしてようか」
アウラの頭を撫でて、マキマが笑う。
魔族を懐柔して、悪魔が笑っている。
アウラは気付かない。気付ける筈もない。
狡猾であるが故にその感情に対して無知な魔族にとって、マキマの打ち込んだ未知の楔は殊更に深かった。
《服従させる魔法》。
魔力を重さに見立てて天秤にかけ、魔力量で劣る相手を半永久的に服従させる。
その隷属に果てはない。
だが―――支配権を奪い返すことは出来る。
隣家の飼い犬の首輪からリードを外して、自前のリードを結び直して引っ張っていくようなものだ。
これまでにそれが証明されたことはなかったが、この島にはそれが可能な泳者が存在した。
魔族は変わり始めた。それが、どんな形であろうとも。
彼女は確かに、支配(かえ)られたのだ。
【一日目/D-7/灯台/未明】
【マキマ@チェンソーマン】
【状態】健康
【装備】
【道具】基本支給品一式、ランダム支給品1~3
【思考・行動】
0:聖杯を入手して元の世界に帰る。
1:加茂憲倫か。やってくれたね。
2:当面は手下集め
【備考】
※『支配』の力に制限が加えられています。最低四時間の間新しく他人を支配することが出来ません。
【アウラ@葬送のフリーレン】
【状態】『支配』、首に裂傷、マキマへの好意(困惑中)
【装備】由乃の日本刀@未来日記
【道具】基本支給品一式、ランダム支給品1~2
【思考・行動】
0:皆殺し(マキマ以外を?)
1:マキマと一緒にいるとなんか変。これは何……?
【備考】
※死亡後からの参戦です
※フリーレンによる自害命令は解除されています
※服従の天秤を手に入れるまで《服従させる魔法》は使えません
前の話
次の話
前の話 |
キャラ名 |
次の話 |
- |
マキマ |
:[[]] |
- |
アウラ |
:[[]] |
最終更新:2024年01月02日 16:36