エデンⅣのとある高級マンションの一室。
シックな家具と内装で統一されたダイニングには中華料理特有の匂いが漂っていた。
テーブルには色鮮やかな料理が並べられ、これらを作った本人でもあるメイファは自分を含め、3人分の料理を小皿へ器用に取り分ける。
「はい、鶏肉のカシューナッツ炒め。今日の自信作なの、コレ」
ソリテュードは微笑むメイファから小皿を受け取り、器用に箸を使いながら料理を口へと運ぶ。
ジューシーな鶏肉と香ばしいカシューナッツが醤油とオイスターソースの味と絡みあい、絶妙な旨味が口に広がる。
「うん、美味い。いつもながらいい腕だ」
「おいしい」
ソリテュードの隣に座る
アリスも、たどたどしい手つきで箸を使いながら料理を口へ運ぶ。
アリスはいつものように無表情に見えるが、よくよく見ればその表情が普段よりもほころんでいるのが分かる。
エデンⅣを襲ったあの騒乱以来、アリスは少しずつではあるが、感情表現をするようになってきた。
もにゅもにゅと小さな口を懸命に動かしながら料理を食べる姿は可愛らしく、その光景を見ていると、何か胸に訴えかけてくるものを感じる。
――親と言うのは、こういう気持ちを抱くものなのかもしれないな・・・。
そう思って、何を馬鹿な、と普段の自分では抱きもしない感情を胸中で嘲笑しつつ、自身も箸を進める。
「んふふ、二人ともありがと。そう言ってくれると作った甲斐があるわ。たくさん食べてね」
そう言いつつ、メイファも自身の料理に箸をつけ、口元を緩ませる。どうやら彼女にとっても満足な出来だったようだ。
「ん~、上出来、上出来。やっぱり誰かのために作る料理は美味しく出来るのよね~。コレって愛の成せる技かしら」
などと歯の浮く様なセリフを真顔でいうメイファを見ていると心なしか顔面の体温が上昇した様な気がした。
――どうしてメイファは、こう言動がストレートなんだろうか・・・。
そう思いつつ、彼女のこの程度の言動に動揺する自身の耐性のなさに胸中で嘆息すると、それを悟られまいと平静を装いながら箸を進める。
そんな和やかなムードのなか、至福のひとときはゆっくりと流れていった。
メイファとアリスが更衣室に入ってから約10分経過し、遅いなと思い始めた矢先、更衣室から再び見慣れた二人が出てきた。
アリスの水着がぱっと見、あまり印象が変わってないように見え、一瞬戸惑うが、よくよく見るとデザインは明らかに違っていた。どうやら色が黒いからそう見えたらしい。
「お待たせー。どう?今度のは文句ないでしょ」
自信満々に言うメイファに促されアリスに目を移すと、いつもとは大きく異なる印象に不覚にも一瞬、我を忘れてしまった。
アリスが身に着けている水着はシンプルなワンピースタイプで、色は黒だった。
しかし先程のものより生地が良いものなのか鮮やかな光沢を放っており、胸元には小さなイルカのシルエットが白地でプリントされていて、腰の両端に可愛らしいリボンの飾りも付いていた。
更に、普段は腰まで伸びているプラチナブロンドの髪は、ふんわりとした三つ編みになっていた。
贔屓目に見ても非常に可愛らしいアリスの姿を見て、その思いが無意識に口に出る。
「ああ・・・、可愛い。よく似合ってる」
そう答えた俺を見て、自分の事のように喜ぶメイファ。
「よかったね、アリスちゃん。ソリッドもカワイイと思うって!」
「・・・・・・」
しかし当のアリスは黙ったまま俯いていた。
先程も終始無言で、いつものように無表情だったが、今は少し感じが違う。
何と言うか、こちらに目を合わせようとしないのだ。
「ん?どうしたの、アリスちゃん」
不思議に思ったメイファが、しゃがんで目線の高さを合わせ、顔を覗きこむ。
すると、メイファは途端にニヤニヤした顔になり、しゃがんだまま俺を見上げた。
「何だ、どうした。もしかして具合でも・・・」
いまいち要領の掴めない俺の言葉を遮るようにメイファは言う。
「んふ、アリスちゃん照れちゃってるみたい」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
――アリスが・・・照れてる?今までそんな反応を示す事などなかったのに。
予想もしなかったアリスの反応に、暫し呆気にとられる。
確かにアリスは俯いたまま腕を前に組み、もじもじと指を動かしていて、落ち着かない様子だ。
「ほら、アリスちゃん。恥ずかしがらないで、ソリッドに『ありがとう』って言わなきゃ」
優しく微笑むメイファに促されたアリスは恥じらうようにおずおずと顔を上げ、澄んだ大きな紅い瞳が俺を見上げる。
「あ、ありがと・・・う」
そうして消え入るような小さな声で呟くように、俺の賛辞に対する返礼を述べた。
その年相応の微笑ましく可愛らしい反応と仕草に面食らい、思わず目を逸らしそうになるが、それはアリスに対して失礼だと思い、小さな顔を正面から見据えると、白磁の様な頬がほんのりと赤く染まっているのが分かった。
「ね、いつまでもここに居るわけにいかないから、とりあえず移動しよう?休憩スペースも予約してあるから、まずはそこまで行きましょ」
メイファの言葉で我に返り、気を取り直す。
――確かにメイファの言うとおりだ。こんな所でぼーっとしてるのもヘンだしな。
先を促すメイファは肩からトートバックを提げ、手には何やらバスケットの様なものを持っていた。
「あ、荷物なら持つぞ」
「重くないし、大したもの入ってないから平気。それよりソリッドはアリスちゃんを連れて来て」
そう言われて振り向くと、何故かアリスはぽつんと立ちつくしていた。
恥ずかしい上に、どうしていいかわからず戸惑っているらしい。
俺はアリスのもとへ駆け寄ると、ゆっくりと手を差し伸べ、努めて優しい声音で言った。
「ほら、行くぞ」
「うん」
アリスは俺を見上げながらおずおずと手を取ると、しっかりと握り返してきた。
そしてアリスに歩調を合わせるようにゆっくりと歩き出し、メイファの後を追う。
別に急ぐ必要は無い。時間はたっぷりあるのだ。
視線の先に俺達を待っているメイファの姿が映る。
さっきはアリスのスク水の件で考える余裕が無かったが、こうして少し離れてよく見ると、改めてメイファの美しさが実感できた。
健康的な美しさというのだろうか。体はアスリートのように鍛えられ引き締まりつつ、女性の柔らかな曲線も両立しており、非常に均整のとれたプロポーションといえる。
そしてそれをより際立たせている鮮やかな黄色いビキニは、まるで彼女のために作られたのではと思ってしまうほど、よく似合っていた。
女性らしさを強調しつつも、いやらしさを感じさせないデザインはメイファのキャラクターにぴったりだ。
そんな事を考えつつ、待っているメイファに追いつき合流すると、メイファは空いているアリスの手を取り、三人並んで手を繋ぐ格好となる。
「ほら、休憩スペースはもうすぐそこよ。ちゃっちゃと荷物を置いて、早く準備しようよ」
明るい笑顔で俺とアリスを促すメイファ。その様子は今というこの時を心から楽しんでいるようだった。
休憩スペースは木造の小屋のような感じで、ヤシの木でも使っているのか、南国風の雰囲気が漂っていた。
こういう部分までよく考えられているあたり、大した徹底ぶりだ。
荷物を置いて、軽く柔軟体操をする。
その様子をきょとんとした表情で眺めるアリス。何をしているのか分からないらしい。
「アリスちゃん。プールで遊ぶ前には準備体操しなくちゃ危ないの。私が教えてあげるから、真似しながらアリスちゃんも体操してね」
「わかった。たいそうする」
教えながら美しい体をゆっくり伸ばしていくメイファと、ぎこちない動きで懸命に真似をするアリス。
そんな微笑ましい光景を見ながら、ふと、羽織っているパーカーをどうしようかと思い立つ。
水に入るのにパーカーを着たままというのも、いささか変だ。
すると俺の考えを察したのか、準備体操を終えたメイファが小物の入ったバックを持ちながら声をかけてきた。
「浜辺のところにパラソルとチェアもあるらしいから、ちょっとした小物は持っていけるわよ」
なんと至れり尽くせりなのだろうか。こういう気の利いたサービスが人気に繋がっているのだろう。
「さあ、行きましょ。今日はめいっぱい遊ぶんだから!」
もう待ちきれないといった表情で、今にも飛び出していきそうなメイファ。
そんな彼女を、ちょっと待ってくれ、と呼び止める。このタイミングを逃すと、伝えられそうにない。
「何、どうしたの?」
「あ、いや、その・・・」
しかし、いざとなると恥ずかしさが込み上げてくる。
そんな俺に対して気を悪くした風もなく、微笑みながら小首を傾げるメイファを見て、意を決し、彼女を正面から見据える。
「その水着、よく似合ってるぞ。凄く、綺麗だ」
我ながら飾り気のないセリフだと思いつつ、気持ちをストレートに伝える。
こんな風にしか気持ちを表現できない自分が、たまにもどかしくなる。
「メイファおねーちゃん、きれい」
アリスもにっこりと微笑みながらメイファを見上げ、自分の気持ちをはっきりと口にした。
すると今度はメイファがきょとんとした表情になり、フリーズしたコンピュータのように固まってしまう。
そして3秒後、ぼんっ、という音が聞こえるくらい顔が真っ赤になり、物凄い勢いで恥ずかしがり始めた。
「な、な・・・い、いきなり何を言い出すのよ二人とも!?やだ・・・綺麗だなんて。でも、ありがと。嬉しい」
微妙に気まずいというよりは気恥しい空気が流れる。
メイファは普段から言動がストレートであるが、いざ相手からさっきのようなことを言われたりすると、妙に恥ずかしがる所がある。
――まあ、そういう所も可愛げがあって魅力的なんだがな・・・。
もちろん、口には出さないが。
「ほ、ほら、行こう?時間がもったいないよ!」
「ああ、そうだな。行こう」
「プールいく」
そうして、ここに来た時と同じように三人で手を繋いでプールへと向かう。
目指すはアクアリゾート最大のウリである、南国のビーチを忠実に再現した波の出るプールだ。
幅は約1kmくらいだろうか。とにかく広大で、一面に南国ビーチのパノラマが広がり、奥行きもかなりのものだ。
よくもまあ、これだけの敷地面積を取れたものだ。客入りも盛況で、そこかしこで楽しげな声が上がっている。
「ここが私たちの場所みたいね」
大きなパラソルとテーブル、三人分のチェアと二台のビーチベッドが浜辺に置かれており、ゆったりとくつろげるスペースが確保されていた。
テーブル上の小型マルチコンソールには『
シャン・メイファ御一行様予約席』と表示されており、どうやら普通の客よりもワンランク上の待遇らしい。
「凄いな。VIP待遇もいいとこじゃないか」
「スポンサー直々に渡された招待券だもの。エコノミーじゃ面目丸潰れじゃない」
「まあ、確かにな」
ここら辺のエリアは、どうやらプライベートビーチ的な扱いのようで、周りには明らかに人が少なかった。
――これなら俺も必要以上に人目を気にしなくてよさそうだ。
そう思うと、より一層このバカンスを楽しめそうな気がしてきた。
「さあ、気合入れて遊ぶわよ~。んふふ、ソリッドの目に、この水着姿、焼き付けさせてやるんだから」
悪戯っぽく笑いながら、俺に面と向かって言い放つメイファ。頼むから、そういうのは心の中で言ってくれ。
胸中で嘆息しつつ、パーカーを脱いでチェアに掛ける。
浜辺へ一歩踏み出すと、足裏に適度な暑さとさらさらの砂の感触が伝わってくる。久しく体験していなかった感覚が新鮮だ。
アリスも俺に続いて浜辺へ踏み出した途端、驚いた表情とともに体をビクっと震わせた。
どうやら裸足で熱い砂浜を歩くあの独特の感覚が未知の体験だったようで、驚いてしまったらしい。
無理もない。アリスはこういった場所に来ること自体、初めてなのだから。
すぐにアリスのそばへ歩み寄り、手を繋いで誘導する。
「大丈夫か」
「・・・あつい」
俺を見上げる赤い瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
「ハハ、波打ち際まで行けば熱くないよ。もうすぐそこだ。じきに砂浜の熱さにも慣れるさ」
先に波打ち際へ移動し、足を水へ浸からせているメイファが大きく手を振る。
「早く早く~、すっごい気持ちいいよ!」
波打ち際まで来ると、しっとりと濡れた砂が足裏の熱さを優しく和らげてくれる。
プールの水は光をキラキラと反射し、水も青く澄んでいて、一目で誰もが美しいと思えるような光景が広がっていた。
アリスも足裏の熱さから解放され、ホッとすると同時に、波が打ち寄せる浜辺を興味深そうに眺めていた。
そんなアリスを見ていた俺に突然、冷たく心地いい感覚が襲う。
「うわ!」
「ほら、ぼーっとしてるのがいけないんだから!」
メイファの飛ばすプールの水しぶきが光を反射しながら俺の体に降り注ぐたび、ひんやりと気持ちのいい感触が広がって行く。
「アリスちゃん、こっちにおいで。水遊び、教えてあげるから。ソリッドも早く来なよ」
波打ち際で水面を眺めていたアリスを迎えに行くメイファ。
アリスは少し躊躇したものの、恐る恐る水に足をつけ、ゆっくりとメイファのもとへ歩いて行く。