網迫の電子テキスト乞校正@Wiki内検索 / 「佐藤春夫訳「徒然草」九十三」で検索した結果

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  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十三
    「牛を売る者があった。買う人が、明日、その代価を支払って牛を引取ろうと約束した。夜の間に牛が死んだ。買おうという人が得をした。売ろうという人は損をした」と話した人があった。  この話を聞いていたそばの人が「牛の持主は、なるほど損をしたわけだが、また大きな得もある。というのは生きている者が死の近いのに気づかぬ例は、牛が、現にそれである。人とてもまた同様である。思いがけなくも牛は死に、思いがけなく、持主は生きている。一日の命は万金よりも重い。牛の価は鵝毛《がもう》よりも軽い。万金を得て一銭を失った人を、損をしたとは申されまい」と言ったら人々はみな嘲って「その理窟は牛の主だけに限ったものではあるまい」と言った。  そこでそばの人が重ねて「人が死を悪《にく》むというならば須《すべか》らく生を愛したがよかろう。命を長らえた喜びを毎日楽しまないはずはない。しかるに人は愚かにもこの楽しみを無視して、...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十
     大納言法印の石使っていた乙鶴丸《おとつるまる》という童がやすら殿という者と知り合いになって常によく訪ねていたが、ある時やすら殿の家から乙鶴丸が出て帰るところを法印が見つけて「どこへ行って来たか」とたずねると「やすら殿のところへ行っていました」という。法印に「そのやすら殿というは、男か法師か」と重ねて問われて、乙鶴丸は袖かき合せて、てれながら「さあ法師ですか知ら、頭は見ませんでした」と返事をした。どうして頭だけ見えなかったものやら。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十八
     高僧たちが言い残したのを書きっけて、一言芳談《いちごんほうだん》とか名づけた本を見たことがあったが、会心のものと感じておぼえているのは  一、しようかせずにおこうかと思うことは、大がいしないほうがいいのである。  一、仏道を心がけている者は味噌桶一つも持たないのがよろしい。持経でも御本尊様にしても好いものを持つのは、つまらぬことである。  一、遁世者は何も無くとも不自由しないような生活の様式を考えて暮すのが、理想的なのである。  一、上流の人は下等社会の者のつもりになり、智者は愚人に、富人は貧民に、才能の士は無能な者のようにありたいものである。  一、仏道を願うというのはほかではない。暇のある体になって世間のことを心にかけないというのが第一の道である。  このほかにもいろいろあったが、忘れてしまった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十二
     ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を手にして的に対した。すると師匠のいうには「初心の入は矢を二本持ってはならぬ。後の矢を頼みにして最初の矢をぞんざいに取りあつかう気味になる。いつも区別なくこの一本で的中して見せると心得ていろ」と言った。わずかに二本の矢、それも師の面前でその一本をぞんざいに思おうはずもあるまいに。懈怠《けたい》の心を自分では気づかずにいるが師匠の方ではちゃんと潜《み》て取っている。この訓戒は万事に適用できよう。  道を学ぶ人、夜分は明朝のあることを思い、朝になると夜|勉《つと》めようと思い、この次にはもう一度心をこめてやり直そうと期待する。まして一瞬間のうちにさえ懈怠の心のあるのを自覚しようか。何故に、今この一瞬間にすぐさま決行することが至難なのであろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十六
     めなもみという草がある。蝮《まむし》に刺された人が、その草を揉んでつけると即座に癒えるとのことである。おぼえておくとよかろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十四
     常磐井《ときわい》の太政大臣(西園寺実氏公)が出仕された際に、勅書を捧持している北面の武士が、実氏公に出会って馬からおりたのを、実氏公は後になって「北面の某は勅書を捧持しながら自分に下馬した者である。こんな者がどうして、主上のお役に立つものか」と申されたので北面を免職になった。勅書の捧持者は、勅書を馬上のままで捧げて示ぜばよい。馬からおりてはいけないそうであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十七
     その物に附着して、その物を毒するものが無数にある。例えば、人体に虱、家に鼠、国に盗、小人に財、君子に仁義、僧に法など。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十一
     赤舌日《しやくぜつにち》ということは、陰陽道にも定説のないものである。昔の人はこの日を忌まなかった。近ごろ、何者が言い出して、忌みはじめたのであろうか。この日にすることは成就せずと説いて、この日に言ったこと、したことは目的を達せず、得たものも失い、企てたことも成功しないというのは愚劣なことである。吉日を選んでしたことで成就しないのを数えてみたってまた同様の統計を得られよう。その理由は、常住ならぬ転変の現世では、目前に在りと思うものも実は存在せず、始めあることも終りがないのが一般である。志はとげぬ勝ちである。欲望は不断に起る。人間の心そのものが不定であり、物もみな、幻のように変化して何一つしばらくでも止っているものがあろうか。この道理がわからないのである。吉日にも悪事をしたらかならず凶運である。悪日に善事を行うのはかならず吉であるとかいわれている。吉凶は人によって定まるもので日に関係するも...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十五
     箱の刳《えぐ》ってあるところに紐を着けるのにはどちら側につけるものかとある故実家に質問したところが、その入は.軸(巻物の左)につけるのも表紙(右)につけることも、両方の説があるところから、どちらでも差しつかえはありますまい。文の箱の場合は多く右につけ凋手箱には軸につけているのが普通のようです」と言った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九十九
     堀川の太政大臣|久我基具《こがもととも》公は容貌の美しい快活な気風の入がらで、何かにつけてちょっと奢りを好まれた。御子の基俊卿を検非違使《けびいし》別当にして庁の事務をとらせたが、役所に備えつけの唐櫃が見苦しいというので立派に改造しようと命ぜられたが、この唐櫃は大昔から伝わっているもので、いつからあるものとも知れない。数百年を経たのである。代々の公用の御器物というものは古くすたれたこのような古物をモデルにしている。むざむざとは改造できませんと古実に通じた官人らが申したのでそのことはそのままに沙汰止みになった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」九
     女は髪の毛のよいのが、格別に、男の目につくものである。人がらや心がけなどは、ものを言っている様子などで物をへだてていてもわかる。ただそこにいるというだけのことで男の心を惑わすこともできるものである。一般に女が心を許す間がらになってからも、満足に眠ることもせず、身の苦労をも厭《いと》わず、堪えられそうにもないことによく我慢しているのはただ容色愛情を気づかうためである。実に愛着の道は根ざし深く植えられ、その源の遠く錯綜したものである。色《しき》、声《しよう》、香、味、触、法の六塵の楽慾も多い。これらーはみな容易に心からたち切ることもできないではないが、ただそのなかの一つ恋愛の執着の、抑え難いのは老人も青年も智者も愚者もみな一ようのように見受けられる。それ故、女の髪筋でつくった綱には大象もつながれ、女のはいた下駄でこしらえた笛を吹くと秋山の鹿もきっと寄って来ると言い伝えられている。みずから戒め...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十三
     暗愚な人が他人を推量して、その人の智恵を知ったつもりでいるのはいっこう当にならないものである。碁を打つことだけが巧者な人がえらい人でも碁の拙いのを見て自分の智恵にはおよばないと判断するようなもので.すべていずれの業でもその道の職入などが、自分の職業の事を心得ないのを見て、自分のほうがえらいものと考えたら大きな間違いであろう。経文に明るい学僧と坐禅をして真理を悟ろうとする実行僧とがたがいに相手を量って自分のほうがえらいと思うなどもともに当らないことである。自分の専門外のことを争ったり、批評したりするものではない。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八
     人間の心を惑《まど》わすものは色情に越すものがない。人間の心というものはばかばかしいものだなあ。匂いなどは、仮《か》りのものでちょっとのあいだ着物にたき込めてあるものとは承知の上でも、えも言われぬにおいなどにはかならず心を鳴りひびかせるものである。  久米《くめ》の仙人が、洗濯していた女の脛《はぎ》の白いのを見て通力《つうりき》を失ったというのは、まことに手足の膚《はだ》の美しく肥え太っていたので、外の色気ではないのだけに、ありそうなことではある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二
     むかしの聖代の政治を念とせず、民の困苦も国の疲労をもかえりみず、すべてに豪華をつくして得意げに、あたりを狭しと振舞っているのを見ると、腹立たしく無思慮なと感ぜられるものである。 「衣冠から馬、車にいたるまでみな、有り合せのものを用いたがいい、華美を求めてはならない」とは藤原師輔《もろすけ》公の遺誠にもある。順徳院が宮中のことをお書き遊ばされた禁秘抄《きんぴしよう》にも「臣下から献上される品は粗末なのをよいとしなくてはならぬ」とある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」六
     わが身の富貴《ふうき》と、貧賎とにはかかわらず、子というものは無くてありたい。  前《さき》の中書王兼明《ちゆうしよおうかねあきら》親王も、九条《くじよう》の伊通《これみち》太政大臣、花園の有仁《ありひと》左大臣などみな血統の無いのを希望された。染殿《そめどの》の良房太政大臣に「子孫のなかったのはよい。末裔の振わぬのは困ることである」と大鑑《おおかがみ》の作者も言っている。聖徳太子が御在世中にお墓をおつくらせなされた時も「ここを切り取ってしまえ、あそこも除いたほうがいい。子孫を無くしようと思うからである」と仰せられたとやら。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」一
     何はさて、この世に生れ出たからには、望ましいこともたくさんあるものである。  帝の御位はこの上なく畏《おそれ》多い。皇室の一族の方々は末のほうのお方でさえ、人間の種族ではいらせられないのだから尊い。第一の官位を得ている人のおんありさまは申すにおよばない。普通の人でも、舎人《とねり》を従者に賜わるほどの身分になると大したものである。その子や孫ぐらいまでは落ちぶれてしまっ、ていても活気のあるものである。それ以下の身分になると、分相応に、時運にめぐまれて得意げなのも当人だけはえらいつもりでいもしようが、つまらぬものである。  法師ほどうらやましく無いものはあるまい。「他人には木の片《はし》か何かのように思われる」と清少納言の書いているのも、まことにもっともなことである。世間の評判が高ければ高いほど、えらいもののようには思えなくなる。高僧増賀《ぞうが》が言ったように名誉のわずらわしさに仏の御教え...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」七
     あだし野の露が消ゆることもなく、鳥部山に立つ煙が消えもせずに、人の命が常住不断のものであったならば、物のあわれというものもありそうもない。人の世は無常なのが結構なのである。  生命のあるものを見るのに入間ほど長いのはない。かげろうの夕を待つばかりなのや、夏の蝉の春や秋を知らないのさえもあるのである。よくよく一年を暮してみただけでも、この上もなく、悠久である!  飽かず惜しいと思ったら千年を過したところで一夜の夢の心地であろう。いつまでも住み果せられぬ世の中に見にくい姿になるのを待ち得てもなんの足しになろうか。永生きすれば恥が多いだけのものである。せいぜい四十に足らぬほどで死ぬのがころ合いでもあろうか。  その時期を過ぎてしまったら、容貌を愧《は》じる心もなく、ただ社会の表面に出しゃばることばかり考え、夕日の・落ちて行くのを見ては子孫のかわいさに(一)、益々栄えて行く日に逢おうと生命の欲望...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」三
     万事に傑出していても、恋愛の趣を解しない男は物足りない。玉でつくられた杯《さかずき》に底がないような心持のするものである。露や霜に濡れながら、当所《あてど》もなくうろつき歩いて、親の意見も世間の非難をも憚っているだけの余裕がないほど、あちらにもこちらにも心定まらず苦しみながら、それでいてひとり寝の時が多く、寝ても熟睡の得られるという時もないというようなのがおもしろいのである。そうかと言ってまるで恋に溺れ切っているというのではなく、女にも軽蔑されているというのでないのが理想的なところである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十
     住居の身分に相応なのはうぎ世の仮りの宿りではあるがと思いながらも楽しいものである。  身分のある人がゆったりと住んでいるところへは、照らし入る月光までが一そう落ちついて見えるものである。現代的に華美ではないが植込みの木々が古色を帯びて天然に生い茂った庭の草も趣をそえて縁側や透垣《すいがい》の配置もおもしろく、座敷の内のおき道具類も古風なところがあって親み多いが奥ゆかしく思われる。多くの細工人が工夫を凝《こ》らして立派に仕上げた唐土《もろこし》やわが国の珍奇なものを並べ立てておき、庭の植込みにまでも自然のままではなく人工的につくり上げたのは、見た目にも窮屈に、苦痛を感じさせる。これほどにしたとこちでどれほど永いあいだ住んでいられるというものだろうか。また瞬くひまに火になってしまわないともかぎらない。と一見してそんなことも考えさせられる。たいていのことは住居から推して想像してみることもできる...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」五
     不運にも憂いに沈んでいる人が髪などを剃《そ》って、世をつまらぬものと思い切ったというのよりは、住んでいるのかいないのかと見えるように門を閉じて、世に求めることがあるでもなく日を送っている。  というほうに自分は賛成する。  顕基中納言《あぎもとのちゆうなごん》が「罪無くて配所《はいしよ》の月が見たい」と言った言葉の味もなるほどと思いあたるであろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十三
     ひとり燈下に書物をひろげて見も知らぬ時代の人を友とするのがこの上もない楽しいことではある。書ならば文選《もんぜん》などの心に訴えるところの多い巻々、白氏文集、老子の言説、荘子の南|華《か》真経だとか、わが国の学者たちの著書も、古い時代のものには心にふれることどもが多い。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」序
     欝屈のあまり一日じゅう硯にむかって心のなかを浮かび過ぎるとりとめもない考えを.あれこれと書きつけてみたが、へんに気違いじみたものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」四
     死後のことをいつも心に忘れずに、仏教の素養などがあるのが奥ゆかしい。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百
     久我相国(太政大臣源雅実公)は殿上で水を召上る時、主殿司《とのもつかさ》が土器《かわらけ》を差上げると、わげものを持って参れと仰せられて、わげもので召し上った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十
     妻というものこそ男の持ちたくない者ではある。いつも独身でなどと噂を聞くのはゆかしい。誰某の婿になったとか.またはこういう女を家に入れて同棲しているなどと聞くのはとんとつまらぬものである。格別でもない女を好い女と思って添うているのであろうと軽蔑されもするだろうし、美人であったら男はさだめし可愛がって本尊仏のように勿体ながっているであろう。たとえばこんなふうになどと滑稽な想像もされて来る。まして家政向きな女などは真平《まつびら》である。子などができてそれを守り育て愛しているなどはつまらない。男が亡くなって後尼になって年を老っている有様などは死んだ後までもあさましい。どんな女であろうと、朝夕いっしょにいたら、疎ましく憎らしくもなろう。女にとっても夫の愛は足らず自由はなく中ぶらりんな頼みすくないものであろう。別居して時々通うて住むというのがいつまでも永つづきのする問がらともなろう。ちょっとのつも...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六
     高野の証空上人が京へのぼろうとしていると、細い道で馬に乗っている女に行きあったが、馬の口引きの男が馬の引き方を誤って上人の馬を堀のなかへ落してしまった。上人はひどく立腹して「これは狼藉《ろうぜき》千万な。四部の弟子と申すものは、比丘《びく》よりは比丘尼が劣り、比丘尼よりは優婆塞《うばそく》が劣り、優婆塞より優婆夷《うばい》が劣ったものだ。このような優婆夷|風情《ふぜい》の身をもって、比丘を堀の中へ蹴入れさせるとは未曽有の悪行である」と言われたので、相手の馬方は,「何を仰せられるのやらわかんねえよ」と言ったので、上人はますます息巻いて「なんと吐《ぬか》すか非修非学《ひしゆひがく》の野郎」と荒々しく言って、極端な悪口をしたと気がついた様子で、上人はわが馬を引返して逃げ出された。尊重すべき、天真爛漫、真情流露の喧嘩と言うものであろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八十
     誰も彼も、自分に縁の遠いことばかりを好くようである。坊主が軍事に心がけ、田舎武士が弓術を心得ないで仏法を知った様子をしたり、連歌をしたり、音楽を好んだりしている。それでも、至らぬ自分の道でよりも、別の道楽のおかげで人から馬鹿にされるものである。坊主ばかりではない。身分の高い公卿や、殿上人など.上流の人たちまでも、大方は武を好む人が多い。  百戦して百勝したからと言ってまだ武勇の名誉は許されない。というのは、運に乗じて敵を粉砕する場合は、何人とて勇者のようで無い人もあるまい。兵士は尽き、矢種が絶えて後でも敵には降らず安らかに死について、そこではじめて名誉をあらわすことのできるのが武道である。生きているほどの人は、まだ武を誇ってはなるまい。武道はそもそも人倫に遠く禽獣に近い行為なのだから、その家柄でもない者が好むのは無益のことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二十三
     衰えた末の世ではあるが、それでも雲の上の神々しい御様子は世俗を離れて尊貴を感じるのである。  露台、朝飼《あさがれい》、何殿、何門などは立派にも聞えるであろう。下々《しもじも》にもある小蔀《こじとみ》、小板敷、高遣戸《たかやりど》などでさえ高雅に思われるではないか。「陣に夜のもうけせよ」というのはどっしりしている。夜御殿《よんのおとど》をば「かいともし、とうよ」などというのもまた、有難い。上卿《しようけい》の陣で事務を執《と》っておられる様は申すにおよばぬこと、下役の者どもが、得意振った容子《ようす》で事務に熟達しているのも興味がある。すこぶる寒い頃の徹夜にあちらこちらで居睡をしている者を見かけるのがおかしい。「内侍所の御鈴の音はめでたく優雅なものです」などと、徳大寺殿の基実太政大臣が申しておられる。  (一) 節会の折の諸卿の席ハ陣)に燈火の用意を命令する言葉である。  (二) 主上...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八十三
     竹林院入道左大臣殿(西園寺公衡公)は太政大臣にのぼられるのはなんの差しつかえも無かったけれど、「太政大臣も別に珍らしくもない。左大臣の位でやめよう」と言って出家せられた。洞院《とういんの》左大臣殿もこのことをわが意を得たことに思って太政大臣の望みは抱かなかった。亢龍《こうりよう》に悔《くい》があるとやら言うこともある。月も満つれば欠け、物も盛りになると衰える。何事につけても、この上なしというのは破滅に近い道理である。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三
     後宇多院の御所の大覚寺殿でおそばつかえの人々がなぞなぞをこしらえて解いているところへ、医師の忠守が参ったので、侍従大納言|公明《きんあきら》卿が「わが朝のものとも見えぬ忠守や」となぞなぞにせられたのを「唐瓶子《からへいし》」と解いて笑い合ったので、忠守が気を悪くして出て行ってしまった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十一
     十月の頃、栗栖野《くるすの》という所を過ぎてある山里へたずね入ったことがあったが、奥深い苔の細道を踏みわけて行ってみると心細い有様に住んでいる小家があった。木の葉に埋れた筧《かけひ》の滴《したたり》ぐらいよりほかは訪れる人とてもなかろう。閼伽《あか》棚に菊紅葉などを折り散らしているのは、これでも住んでる人があるからであろう。こんなふうにしてでも生活できるものであると、感心していると、向うの庭のほうに大きな蜜柑の木の、枝もたわむばかりに実のなっているのがあって、それに厳重に柵をめぐらしてあるのであった。すこし興がさめて、こんな木がなければよかったのになあと思った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五
     家屋の北側の日かげに消え残った雪が固く氷りついたのに、差し寄せた車の轅《ながえ》にも雪が凝ってきらきらしている。明け方の月は冴え切っているが、隈無く晴れ渡ったというほどの空でもない。と見るあたりに人目に遠い御堂の廊下に、身分ありげに見える男が女と長押《なげし》に腰をかけて話をしている有様は、何を語り合っているのやら、話はいつ果てるとも思えない。髪、かたちなどすこぶる美しいらしい。言うに言われぬ衣の香が、さっと匂って来るのも情趣が深い。身動きのけはいなどが、時たまに闢えてくるのもゆかしい。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九
     木のぼりの名人と定評のあった男が人の指図をして高い木にのぼらせて、梢を切らせたのに、非常に危険そうに思われたあいだは何も言わないでいて、おりる時、軒端ぐらいの高さになってから「怪我をするな、気をつけておりよ」と言葉をかけたので「これぐらいなら、飛びおりてもおりられましょうに。どうして注意しますか」と言ったところが「そこがですよ。目のまうような、枝の危いほどのところでは、自分が怖ろしがって用心していますから申しません。過失は、なんでもないところで、きっとしでかすものですよ」と言った。いやしい下層の者であったが、聖人の訓戒にも合致している。鞠《まり》もむつかしいところを蹴ってしまって後、容易だと思うときっとし損じると申すことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」六十三
    宮中で正月に行われる後七日《こしちにち》の御修法に、阿閣梨《あざり》が武者を集めることは、いつぞや盗人に襲われたことがあったので、宿直人という名義でこのように物々しく警固させることになったものである。一年中吉凶はこの御修法中の有様に現われるものなのに、武人など用いるのは不穏当なことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」七十三
     世に言い伝えていることは、真実では興昧のないものなのか多くはみな虚言である。人間というものは、実際以上に拵《こしら》え事を言いたがるのに、いわんや、年月を過ぎて、世界も代っているから、言いたい放題を虚構し、筆でさえ書き残しているからそのまま事実と認定された。  それぞれの道の達人のえらかったことなど、わけのわからぬ人でその方面に知識のない輩《やから》は、無闇に神様のように崇めて言うけれど、その方面に明るい入は、いっこうに崇拝する気にもならない。  評判に聞くのと、見るのとは何事でも相違のあるものである。そばからばれるのも気がつかず、口まかせに喋り散らすのはすぐに根も無いことと知れる。また、 自分でも本当らしくないと知りながら、人の言ったままを鼻をうごめかしながら話すのは、別段その人の虚言ではない。尤もらしく所々は不確かそうによくは知らないと言いながら、それでいて、つじつまを合せて話す...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」三十三
     今の内裏《だいり》が落成して、有職《ゆうそく》の人々に見せられたところが、どこにも欠点がないというので、もうお引移りの日も迫っていたのに、玄輝門院が御覧遊ばされて、閑院殿の櫛形の窓は、円っこく縁《ふち》もありはしなかったと仰せられた。まことにえらいものであった。これは壁にきざみを入れて木で縁をしていたもので違っていたから、改められた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十七
     山寺に引き籠っていて仏に仕えているのこそ、退屈もせず、心の濁りも洗い清められる気のするものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」五十
     応長の頃、伊勢の国から女が鬼になったのを引き連れて都へ来たということがあって、当時二十日ばかりというものは毎日、京白川辺の人が、鬼見物だというのであちらこちらとあてもなく出歩いていた。昨日は西園寺に参ったそうであるし今日は院の御門へ参るであろう。今しがたはどこそこにいたなどと話し合っていた。確実に見たという人もいなかったが、根も葉もない嘘だという人もない。貴賤みな鬼のことばかり噂して暮した。その時分、自分が東山から安居院《あぐいん》のほうへ行ったところ、四条から上のほうの入はみな北をさして走って行く。一条室町に鬼がいると騒ぎ立てていた。今出川附近から見渡すと、院のおん棧敷の附近はとうてい通れそうもない群集であった。まったく根拠のないことでも無いようだと思って、人を見させにやったが、誰も逢って来たという者もない様子であった。夜になるまで、こんなふうに騒ぎ、果ては喧嘩がおっぱじまって、怪我人...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」四十三
     晩春のころ、のどかに美しい空に品位のある住宅の奥深く、植込みの木々も年を経た庭に散り萎れている花の素通りしてしまうのが惜しいようなのを、入って行ってのぞいて見ると、南向きのほうの格子は皆閉め切ってさびしそうであるが、東の方に向っては妻戸をいいかげんに開けているのを、御簾《みす》の破れ目から見ると、風采のさっぱりした男が、年のころ二十ばかりで、改まったではないが、奥ゆかしく、のんびりした様子で机の上に本をひろげて見ているのであった。いったいどんな素姓《すじよう》の人やら知りたいような気がした。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」五十三
     もう一つ仁和寺の法師の話。寺にいた童子が、法師になる記念にと、知人が集って酒盛を催したことがあった。酔っぱらって興に乗じてそばの鼎《かなえ》を取って頭にかぶり、つっかかって、うまく入らないのを、むりやりに、鼻をおしつぶして、とうとう顔をさし入れて舞ったので、一座の人々が非常に面白がった。しばらく舞ってから、鼎を抜こうとしたが、どうも抜けない。酒宴の興もさめて、どうしたものかと当惑していた。そのうちに頸のあたりに傷ができて血が流れ出し、だんだん腫《は》れ上ってしまって、息も詰まって来たから、割ってしまおうとしたけれど容易には破れない。響いて我慢ができない。手に負《お》えず仕方がなかったので、三つ足の上へ帷子《かたびら》をかぶせて手を引き杖をつかせて京の医者のところへ連れて行ったが途中では不思議がって人だかりがする。医者のところへ行って対座した時の様子は定めし異様なものであったろう。物を言っ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」四十
     因幡《いなば》の国に何の入道《にゆうどう》とかいう者の娘が美貌だというので、多くの人が結婚を申しこんだが、この娘はただ栗ばかり食べて、米の類はいっこう食べなかったので、こんな変人は人の嫁にはやれないといって、親が許可しなかった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八
     寸陰を惜しむ人は無い。これは悟り切っての上でのことか。馬鹿で気がつかないのであろうか。馬鹿で懈怠《けたい》の人のために言いたいが、一銭は軽いがこれを積み上げれば貧民を富豪にさせる。それ故金を志す商人が一銭を惜しむ心は切実である。一刹那は自覚せぬほどの小時間ではあるが、これが運行しつづけて休む時がないから命を終る時期が迅速に来る。それ故道を志す道人は漠然と概念的に月日を惜しむべきではない。ただ現実に即して、現在の一念、一瞬時がむなしく過ぎ去ることを惜しむべきである。万一誰かが来て我らの命が明日はかならず失われるであろうと予告したとすれば、今日の暮れてしまうまで、何事を力とし、何事に身を委ねるか。我らの生きている今日の一日は、死を予告された日と相違はあるまい。一日のうちに飲食、便通、睡眠、談話、歩行、などの止むを得ないことのために多くの時間を消失している。その余の時間とては、いくらもないのに...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十二
     同じ心を持った人としんみり話をして、おもしろいことや、世のなかの無常なことなどを隔てなく語り慰め合ってこそうれしいわけであるが同じ心の人などがあるはずもないから、すこしも意見の相違がないように対話をしていたならば、ひとりでいるような退屈な心持があるであろう。無いから、すこしも相手と違わないようにと対座しているとしたら、ひとりぽっちでいるような退屈な気持がするであろう。  双方言いたいだけをなるほどと思って聞いてこそ甲斐もあるものであるから、すこしばかりは違ったところのある人であってこそ、自分はそう思われないと反対をしたり、こういうわけだからこうだなどと述べ合ったりしたなら、退屈も紛《まぎ》れそうに思うのに、事実としてはすこしく意見の相違した人とはつまらぬ雑談でもしているあいだはともかく、本気に心の友としてみると大へん考え方がくいちがっているところが出て来るのは、なさけないことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二百
     呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。禁中の御溝《みかわ》のそばに植えられているのが河竹で、仁寿殿《じじゆうでん》のほうへ近くお植えになったのが呉竹である。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十
     双六《すごろく》の上手と言われた人に.その方法を訪うたことがあったが、「勝とうとおもってかかってはいけない。負けまいとして打つのがいい。どの手が一番早く負けるかということを考えて、その手を避けて、一目だけでも遅く負けるはずの手を用いよ」と言った。この道に通じたものの教えである。身を治め国を安泰ならしめる道とてもまたこの通りである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四
     荒れた家の人目に立たないあたりへ、女が世間を憚る節《ふし》があって、退屈そうに引き籠っている頃、ある方が御訪問なさろうというので、夕月夜のほのぐらい時刻に忍んでおいでになったところが、犬が大げさに吠えついたので、下女が出て、どちら様からと聞いたのに案内をさせておはいりなされた。心ぼそげな様子はどんなふうに生活していることかと気の毒であった。へんな板敷の上にしばらく立っていると、しとやかな若々しい声で「こちらへ」と言う入があったので、明け立ても窮屈に不財由な戸を明けておはいりになった。室内の様子はそんなにひどくもない。奥ゆかしくも燈は遠くうすぐらいほどではあるが物の色合などもよく見え、にわか仕込みでないにおいが大へんにものなつかしく住んでいた。門をよく気をつけさせて、雨も降りそうですよ、御車は門の下へ入れてお供はどこそこへ案内なさいと腰元が下女に言うと、「今夜こそ心丈夫に落ちついて寝られる...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二
    尹大納言光忠入道が憂の上卿(幹事に相当)をつとめられたので、洞院右大臣殿に式の次第を教えて下さいと申し入れたところ、「あの又五郎という者を師にするよりほかに良策もあるまい」とおっしゃった。この又五郎というのは老人の衛士《えじ》でよく朝廷の儀式に馴れた者であった。近衛殿が着席せられた時|膝着《ひざつき》(敷物)を忘れて外記(太政官記録係)を召されたのを、火を焚いていた又五郎が「式はじめにまず膝着のお召しだ」と小声で呟いていたのはまことに面白かった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十四
     和歌となると一だんと興味の深いものである、下賎な樵夫《きこり》の仕事も、歌に詠《よ》んでみると趣味があるし、恐ろしい猪なども、臥猪《ふすい》の床などと言うと優美に感じられる。近ごろの歌は気のきいたところがあると思われるのはあるが、古い時代の歌のように、なにとなく言外に、心に訴え心に魅惑を感じさせるのはない。貫之《つらゆき》が「糸による物ならなくに」と詠んだ歌は、古今集の中でも歌屑だとか言い伝えられているが、現代の人によめる作風とは思えない。その時の歌には風情《ふぜい》も旬法もこんな種類のものが多い。この歌にかぎって、こう貶《おと》しめられているのも合点がゆかぬ。源氏物語には「ものとはなしに」と書いてはいる。新古今では、「残る松さへ峯にさびしき」という歌をさして歌屑にしているのは、なるほど幾分雑なところがあるかも知れない。けれどもこの歌だって合評の時にはよろしいという評決があって、後で後鳥...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」七十
    元応(後醍醐天皇御即位の時)の清暑堂の御遊に、名器の玄上《げんじよう》が失われていた時分、菊亭右大臣が牧馬《ぼくば》を弾じたが、座についてまず柱《じゆう》を触ってみると、一つ落ちた。けれども大臣は懐中に続飯《そくい》を持って来ていたのでつけたから、神饌の来る頃にはよく乾いて、なんの不都合もなしによく弾くことができた。  どういう訳であったか、見物人のなかの衣被《ぎぬかつぎ》の者が近づいてその柱をもぎ放して、もとのように見せかけておいてあったのだという。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十九
     季節のうつりかわりこそ、何かにつけて興の深いものではある。  感情を動かすのは秋が第一であるとは誰しもいうけれども、それはそれでいいとして、もう一そう心に活気の出るものは、春のけしきでもあろう。鳥の声などは、とくに早く春の感情をあらわし、のどかな日ざしに、垣根の草が萠えはじめる時分から、いくぶんと春の趣ふかく霞も立ちなびいて花も追々と目につきやすくなる頃になるというのに、折から西風がつづいて心落ちつく間もなく花は散ってしまう。青葉の頃になるまでなにかにつけて心をなやますことが多い。花たちばなは今さらでもなく知られているが、梅の匂いには一しお過ぎ去ったことどもが思いかえされて恋しい思いがする。山吹の清楚なのや藤の心細い有様をしたのなどすべて春には注意せずにいられないような事象が多い。  仏生会《ぶつしようえ》のころ、加茂《かも》のお祭のころ、若葉の梢《こずえ》がすずしげに繁って行く時分こ...
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