網迫の電子テキスト乞校正@Wiki内検索 / 「佐藤春夫訳「徒然草」百二十九」で検索した結果

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  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十九
     顔回《がんかい》の心がけは他人に苦労をかけまいというのであった。いったいに人を苦しめたり、いじめたりすることはもちろん賤しい者の意志をでも蹂購してはならない。また、幼少な子供を欺いたり、脅かしたり、からかい恥かしめて喜んだりすることがあるけれど、大人にとっては、本気のことではないから、なんでもないと思っているが、子供の幼ない心には真実に怖ろしくも恥かしくもなさけなくも感ずることが痛切であろう。大入たる者の喜怒哀楽にしたって、みな虚妄であるのに、これを悟らないで、惑わしの外形のすがたに執着しているではないか。肉体を破損するよりも精神に痛苦を与えるほうが人を傷つけることが一段と甚だしい。病にかかることも多くは内面からである。外部から来る病気というものは少い。薬を飲んで発汗を企てても効験の無い場合があるのに、一度、羞恥や恐怖を感じたら、きっと汗を流すのは精神の作用であるということに気がつかねば...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十
     唐の物は薬のほかは無くとも不自由はあるまい。書物にしたって、わが国に多くひろまっているから筆写することもできよう。唐船の困難な航海に、無用なものばかり積荷してどっさり持ちこんで来るのは、馬鹿馬鹿しいことである。「遠方の物を宝としない」とも、また、「手に入れにくい宝は尊重しない」とも書物に書いているということである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十五
     人に死なれて四十九日の仏事にある高僧に来ていただいたところ、説法が結構で人々みな涙を流した。導師が帰ってからのち、聴聞の人々が「いつもよりは今日は特別に有難く感じられました」と感心し合っていると、ある人が「なにしろあれほど唐の狗《いぬ》に似ていられるのですものね」と言ったのには、感動もさめて吹き出したくなった。そんな導師のほめ方なんてあるものか。また、「人に酒をすすめるつもりで、自分がまず飲んでから人にしいようというのは剣で人を斬ろうとしているようなものである。両方に刃がついているから、ふり上げたとき、まず自分の頭を斬るから相手を斬ることはできない。自分がまず酔い倒れたら、人にはとても飲ませられはすまい」とも言った。剣で人を斬ってみたことがあるのだろうか、じつに滑稽であった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十四
     是法《ぜほう》法師は浄土宗で何人《なんぴと》にも恥じない人であるが、学者ぶらないで、ただ朝夕念仏をして気楽に世を渡っている有様は、じつにわが理想的な境涯である。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二
    尹大納言光忠入道が憂の上卿(幹事に相当)をつとめられたので、洞院右大臣殿に式の次第を教えて下さいと申し入れたところ、「あの又五郎という者を師にするよりほかに良策もあるまい」とおっしゃった。この又五郎というのは老人の衛士《えじ》でよく朝廷の儀式に馴れた者であった。近衛殿が着席せられた時|膝着《ひざつき》(敷物)を忘れて外記(太政官記録係)を召されたのを、火を焚いていた又五郎が「式はじめにまず膝着のお召しだ」と小声で呟いていたのはまことに面白かった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十一
     養い飼うものは馬や牛である。つないで苦しめるのは気の毒だけれど、必要かくべからざるものだから仕方がない。犬は家を守り防ぐつとめが人のもまさるものだから、これまた無くてはならない。けれども、どこの家にもあるものだから、とくに飼育するほどのこともあるまい。そのほかの・鳥や獣、いっさい飼うこと無用である。走る獣がおしこめられ鎖につながれては、雲を恋い野山を思い悲愁は断えまもあるまい。こんな目に自分が会ったら堪え忍べないとしたら、心ある人はこれをたのしむことをしようや。生きものを苦しめて目を喜ばすというのは桀紂《けつちゆう》のような暴虐な心である。王子|猷《ゆう》が鳥を愛したのは、林中に楽しんでいるのを見て逍遙の友としたのである。捕えて苦しめたのではない。「いっさいの珍らしい鳥や異様な獣を国に養わない」とは、書物にも書いてある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十七
     改めても益のないことは改めないのがよいのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十二
     人の教養は経《けい》書に精通して聖賢の教えをよく心得るのを第一とする。つぎには能書、専門としなくともこれは習うべきである。学問をする上に得るところが多いものである。つぎに医術を習得するのがよい。わが身を養い、他人を助け、忠孝のつとめをするにも医者の心得がなくてはならないものである。つぎには弓術、馬に乗ること、六芸にも上げられている。かならずこれを知っておきたい。文武医の道は、真に欠くことのできないものである。これを学んでいる人を無益無能な者ということはならない。つぎに食は人の天性になくてならないものであるから、食物の調理を心得ている人は大きな徳をそなえているとせねばならない。つぎに細工のできるというのも何かにつけて重宝である。これ以外のことどもは、多能な君子の恥ずるところである。詩歌に長じ、音楽に巧みなのは、幽玄の道であって、古は君臣共にこれを重んじたけれど、現代では詩歌音楽をもって国を...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十六
     賭博ですっかり負けて、有り金を全部賭けようと決心した相手に出あったら、決して打ってはならない。今まで負け通した男に、悪運が転じて、つづけさまに勝つ機運になって来たのに気がつかねばならない。こんな時機に運を見抜くのがえらい賭博者というものであるとある人が言った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十三
     無益のことをして時を浪費するを愚かな人とも間違ったことをする人ともいうべきであろう。国家のため、君主のために、是非ともしなければならないことが多い。それに時を捧げたらその余の暇は、いくらもないものと知らねばならない。人間たるものがどうしても営まなければならないものは、第一に食物、第二に着物、第三に居所である。人間の大切なものは、この三つ以上のものはない。飢えず、寒からず、風雨に冒されないで静かにすごすのが人間の楽しみである。けれども人は誰しも病気がある。病にかかると、この苦痛心配は堪え難い。医療を無視することはできない。薬をも加えて、それらの四つ、衣食住とさらに薬を得ることのできないのを貧しいとし、それらの四つに不自由しないのを富んでいるとする。この四つのほかをもとめ営むのを贅沢とする。この四つのことなら、質素を心がけたら、どんな人でも足らぬものはないはずである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十八
     大納言源雅房卿は学才もすぐれ物のわかった人で、後宇多上皇も近衛大将にでもしようかとお考えになっていた折、上皇のお側の者が「ただ今|怪《け》しからぬことを見て参りました」と申し上げたので上皇は「何ごとか」とお訊ね遊ばされると「雅房卿が鷹に餌をやるのに生きた犬の足を切りましたのを、中垣の穴から見ました」と言上したので、いやらしく、憎らしく思召されて日常の御機嫌も以前とは変り、雅房を昇進なされなかった。あれほど立派な人が鷹を飼っておられたのは、意外なことではあるが、犬の足の件は、あとかたもないことである。出鱈目《でたらめ》は雅房卿に気の毒ではあるが、上皇がこれをお聞き遊ばされて、御にくしみをもよおさせられたお心はまことに有難い。  いったい、生物を殺したり、傷つけたり、咬み合わさせたりして遊び楽しむ人は、畜生が同類相|食《は》むと同様である。すべての鳥獣はたとい小さな虫にしても注意してその生...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百
     久我相国(太政大臣源雅実公)は殿上で水を召上る時、主殿司《とのもつかさ》が土器《かわらけ》を差上げると、わげものを持って参れと仰せられて、わげもので召し上った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六
     高野の証空上人が京へのぼろうとしていると、細い道で馬に乗っている女に行きあったが、馬の口引きの男が馬の引き方を誤って上人の馬を堀のなかへ落してしまった。上人はひどく立腹して「これは狼藉《ろうぜき》千万な。四部の弟子と申すものは、比丘《びく》よりは比丘尼が劣り、比丘尼よりは優婆塞《うばそく》が劣り、優婆塞より優婆夷《うばい》が劣ったものだ。このような優婆夷|風情《ふぜい》の身をもって、比丘を堀の中へ蹴入れさせるとは未曽有の悪行である」と言われたので、相手の馬方は,「何を仰せられるのやらわかんねえよ」と言ったので、上人はますます息巻いて「なんと吐《ぬか》すか非修非学《ひしゆひがく》の野郎」と荒々しく言って、極端な悪口をしたと気がついた様子で、上人はわが馬を引返して逃げ出された。尊重すべき、天真爛漫、真情流露の喧嘩と言うものであろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三
     後宇多院の御所の大覚寺殿でおそばつかえの人々がなぞなぞをこしらえて解いているところへ、医師の忠守が参ったので、侍従大納言|公明《きんあきら》卿が「わが朝のものとも見えぬ忠守や」となぞなぞにせられたのを「唐瓶子《からへいし》」と解いて笑い合ったので、忠守が気を悪くして出て行ってしまった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五
     家屋の北側の日かげに消え残った雪が固く氷りついたのに、差し寄せた車の轅《ながえ》にも雪が凝ってきらきらしている。明け方の月は冴え切っているが、隈無く晴れ渡ったというほどの空でもない。と見るあたりに人目に遠い御堂の廊下に、身分ありげに見える男が女と長押《なげし》に腰をかけて話をしている有様は、何を語り合っているのやら、話はいつ果てるとも思えない。髪、かたちなどすこぶる美しいらしい。言うに言われぬ衣の香が、さっと匂って来るのも情趣が深い。身動きのけはいなどが、時たまに闢えてくるのもゆかしい。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九
     木のぼりの名人と定評のあった男が人の指図をして高い木にのぼらせて、梢を切らせたのに、非常に危険そうに思われたあいだは何も言わないでいて、おりる時、軒端ぐらいの高さになってから「怪我をするな、気をつけておりよ」と言葉をかけたので「これぐらいなら、飛びおりてもおりられましょうに。どうして注意しますか」と言ったところが「そこがですよ。目のまうような、枝の危いほどのところでは、自分が怖ろしがって用心していますから申しません。過失は、なんでもないところで、きっとしでかすものですよ」と言った。いやしい下層の者であったが、聖人の訓戒にも合致している。鞠《まり》もむつかしいところを蹴ってしまって後、容易だと思うときっとし損じると申すことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八
     寸陰を惜しむ人は無い。これは悟り切っての上でのことか。馬鹿で気がつかないのであろうか。馬鹿で懈怠《けたい》の人のために言いたいが、一銭は軽いがこれを積み上げれば貧民を富豪にさせる。それ故金を志す商人が一銭を惜しむ心は切実である。一刹那は自覚せぬほどの小時間ではあるが、これが運行しつづけて休む時がないから命を終る時期が迅速に来る。それ故道を志す道人は漠然と概念的に月日を惜しむべきではない。ただ現実に即して、現在の一念、一瞬時がむなしく過ぎ去ることを惜しむべきである。万一誰かが来て我らの命が明日はかならず失われるであろうと予告したとすれば、今日の暮れてしまうまで、何事を力とし、何事に身を委ねるか。我らの生きている今日の一日は、死を予告された日と相違はあるまい。一日のうちに飲食、便通、睡眠、談話、歩行、などの止むを得ないことのために多くの時間を消失している。その余の時間とては、いくらもないのに...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十九
     鎌倉の海で、鰹《かつお》という魚は、あの辺では無上のものとして近来は賞美されている。これ も鎌倉の老人が話したのだが、「この魚は自分らの若年の時代までは相当な人の前へは出なかったものである。頭は下男でさえ食べず切って捨てていたものである」ということであった。このようなものでも世が末になると上流へも入りこむものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十
     双六《すごろく》の上手と言われた人に.その方法を訪うたことがあったが、「勝とうとおもってかかってはいけない。負けまいとして打つのがいい。どの手が一番早く負けるかということを考えて、その手を避けて、一目だけでも遅く負けるはずの手を用いよ」と言った。この道に通じたものの教えである。身を治め国を安泰ならしめる道とてもまたこの通りである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四
     荒れた家の人目に立たないあたりへ、女が世間を憚る節《ふし》があって、退屈そうに引き籠っている頃、ある方が御訪問なさろうというので、夕月夜のほのぐらい時刻に忍んでおいでになったところが、犬が大げさに吠えついたので、下女が出て、どちら様からと聞いたのに案内をさせておはいりなされた。心ぼそげな様子はどんなふうに生活していることかと気の毒であった。へんな板敷の上にしばらく立っていると、しとやかな若々しい声で「こちらへ」と言う入があったので、明け立ても窮屈に不財由な戸を明けておはいりになった。室内の様子はそんなにひどくもない。奥ゆかしくも燈は遠くうすぐらいほどではあるが物の色合などもよく見え、にわか仕込みでないにおいが大へんにものなつかしく住んでいた。門をよく気をつけさせて、雨も降りそうですよ、御車は門の下へ入れてお供はどこそこへ案内なさいと腰元が下女に言うと、「今夜こそ心丈夫に落ちついて寝られる...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二十九
     静かに思うと、何かにつけて過去のことどもばかり恋しくなって来て仕方がない。人の寝静まってのち、夜長の退屈しのぎにごたごたした道具など片づけ、死後には残しておきたくないような古|反古《ほこ》などを破り棄てているうちに、亡くなった入の手習や絵など慰みにかき散らしたものを見つけ出すと、ただもうその当時の心持になってしまう。今現に生きている人のものだって、いつどんな機《おり》のものであったろうかと考えてみるのは身にしみる味である。使い古した道具なども、気にもとめず久しいあいだ用いなれているのは、感に堪えぬものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二百二十九
     よい細工人は、いくぶん鈍い刀を使用する、ということである。光仁朝の名仏工妙観の刀もあまり鋭利ではない。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百一
     ある人が大臣任命式の内弁(式場内準備委員ともいうべき役柄)を勤められたが、内記(詔勅宣命類の起草官)の持っていた辞令を持たずに、式場に入ってしまった。この上なしの失態であるが出直して持って来るというわけにも行かぬ。当惑し切っていると、持っていた六位内記中原康綱が衣かつぎの女官と相談をしてこっそりと内弁に渡させた実に立派な仕打ちであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七
     女の話しかけた言葉にすぐさまいい工合な返事というものは滅多にないものである。というので亀山院のおん時に、洒落な女房どもが若い男が来るたびに、「ほととぎすをお聞きなされましたか」と問い試してみたところ、某の大納言とかは「わたくし風情《ふぜい》は聞くこともかないません」と返事をされた。堀川内大臣は「岩倉(額)で聞いたことがあるようです」と言われたのを、「これは無難である。わたくし風情はと来ては困ったものだ」などと批評していた。いったい、男というものは、女に笑われないように育て上げるべきものであるということである。「浄土院前関白殿は御幼少から安喜院様がよくお教えなされたのでお言葉づかいなどもいい」とある人が申された。山階《やましなの》左大臣殿は「下賤な女に見られても大変に羞《はずか》しくて気がおける」とおっしゃった。女のない世界であったら衣紋《えもん》も冠も、どうなっていようが引きつくろう人も...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十
     妻というものこそ男の持ちたくない者ではある。いつも独身でなどと噂を聞くのはゆかしい。誰某の婿になったとか.またはこういう女を家に入れて同棲しているなどと聞くのはとんとつまらぬものである。格別でもない女を好い女と思って添うているのであろうと軽蔑されもするだろうし、美人であったら男はさだめし可愛がって本尊仏のように勿体ながっているであろう。たとえばこんなふうになどと滑稽な想像もされて来る。まして家政向きな女などは真平《まつびら》である。子などができてそれを守り育て愛しているなどはつまらない。男が亡くなって後尼になって年を老っている有様などは死んだ後までもあさましい。どんな女であろうと、朝夕いっしょにいたら、疎ましく憎らしくもなろう。女にとっても夫の愛は足らず自由はなく中ぶらりんな頼みすくないものであろう。別居して時々通うて住むというのがいつまでも永つづきのする問がらともなろう。ちょっとのつも...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十五
     宿《しゆく》河原という場所で虚無僧《ぽろぽろ》が多数集合して九品《くほん》の念仏をとなえていたところへ、外から虚無僧が入って来て「もしや、このなかにいうおし坊と申す梵論僧《ぼろぼろ》はおられますまいか」とたずね,たので、群集のなかから「いろおしはわたくしです。そう言われるのはどなたですか」と答えた。すると虚無僧は「自分はしら梵字というものです。わたしの師匠の某という人が、東国でいろおしという人に殺されたと聞いておりますから、そのいろおしという人に会って仇をとりたいとたずねております」という。すると、いろおしは「よくもたずねて来た。たしかにそんなことがありました。ここでお相手をいたしては、道場をけがす虞《おそ》れがありますから前の川原でたち合いましょう。どうぞ、みなの衆、どちらへもお加勢は御無用に願いたい。多人数の死傷があっては仏事の妨害になりましょうから」と言い切って、二人で川原へ出かけ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十七
     友達にするのによくないものが七つある。一には高貴な身分の人、二には年少の入、三には無病頑健の人、四には酒の好きな人、五には武勇の人、六には虚言家、七には慾の深い人。善い友は三つある。一にはものをくれる友、二には医者、三には智恵のある人。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四十
     死後に財宝をのこすようなことは智者のせぬところである。よくないものを蓄えておくのも品格を下げるし、立派なものは執蒼のほどを思わせるので趣味性ならぬ、人生観を浅薄に思わせる。ましてさまざまなものがごたごたとあるのはいよいよいけない。自分が手にいれたいという人々が現われて、争いになるのは不体裁である。後に誰に譲りたいと思うものがあるなら、生存中に譲るべきである、毎日欠くべからざるものは無くてはなるまい。それ以外のものはなに一つ持たないでいたいものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十二
     明日は遠国へ旅行すると聞いている人に対って、落ちついてしなければならない用事を、頼む者があろうか。切迫した大事に着手しているとか、切実な悲歟に暮れている人などは、他人のことなど耳に入れず、他人の喜びや悔みごとにも行かない。行かないからといってうらみとがめる人もあるまい。それ故、年もだんだんとって来たり、病身になっていたり、ましてや出家している人などももちろん、同じことであろう。人間の礼儀、何が無視できないものがあろうか。世間がうるさいからといって何事も、義理で仕方がない、これを果そうと言っていたら、願望は増すし、身体は苦しむ、心は忽忙になる、 一生涯は世俗の些雑な小さな義理に妨害されてむなしく終るであろう。日が暮れたが前途がまだ遠い、わが生ももはやよろめく力なさである。一切の世俗関係をうっちゃらかしてしまうべき時機である。約束も守るまい。礼儀をも気にかけまい。この心持を感じない人は、われ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十六
     寺院の称号や、その他何ものにでも名をつけるに、昔の人はすこしも凝《こ》らないで、ただありのままに、簡単につけたものであった。この頃では考えこんで学識を衒《てら》って見せたふうのあるのはすこぶる気障《きざ》なものである。人の名でも、見なれない文字をつけようとするのはつまらぬことである。万事に奇を求め、異説を好むのは才の足りない人物がよくやることだそうな。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二百二十
     何事も地方のは下品で不作法であるが、天王寺の舞楽だけは、都の舞楽にくらべて遜色がないと言ったら、天王寺の伶人が言うには当寺の楽はよく標準律に則《のつと》って音を合せるので、音の立派に調っていることは他所の楽よりすぐれている。というのは聖徳太子のおん時の標準律が現存しているのでそれによるのです。この標準律というのは、あの六時堂の前にある鐘です。あの鐘の声は黄鐘調のまん中の音(イ調の四なりとか)です。もっとも気候によって音の高低がありますから二月十五日の涅槃会《ねばんえ》から、同月二十二日の聖霊会までのあいだの音を標準にするのです。これは大切な秘伝です。この一音調をもとにして他の音をととのえるのです」と言った。一たい鐘の声というものは黄鐘調であるべきものである。これは無常の音調で、天竺《てんじく》の祇園精舎《ぎおんしようじや》の無常院の鐘の声がこれである。西園寺の鐘は黄鐘調に鋳ようというので...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五十九
     みなむすびという結び方は、糸を結び重ねた形が蜷《みな》という貝に似ているからそう呼ぶのであると、ある貴人のお話である。ついでに蜷を「にな」というのは誤りである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四十九
     鹿の袋角を鼻にあてて嗅《か》いではいけない。小さな虫がいて鼻から侵し入って脳を蝕《むしば》むという。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十四
     今出川の太政大臣菊亭兼季公が嵯峨へお出かけになられた時、有栖《ありす》川の附近の水の流れているところで、さい王丸が牛を追ったために足掻《あがき》の水が走って前板のところを濡らしたのを、お車の後に乗っていた為則|朝臣《あそん》が見て「怪《け》しからぬ童だな。こんな場所で牛を追うなんてことがあるか」と言った。すると大臣は顔色をかえて「お前は車の御《ぎよ》し方をさい王丸以上に心得てもいまい。怪しからぬ男だ」と言って為則の頭を突いて車の内側でこつんとやらせた。この牛飼の名人のさい王丸というのは太秦殿《うずまさどの》、信清内大臣の召使で、天子の御乗料の牛飼であった。この太秦殿につかえている女房にはそれぞれに膝幸《ひざさち》、特槌《ことづち》、胞腹《ほうばら》、乙牛《おとうし》などの牛に縁のある名がつけられていた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十八
     鯉の羮《あつもの》を食べた日は鬢《びん》の毛が乱れないということである。膠《にかわ》にさえ製造するほどの物だからねばりけのあるものにちがいない。鯉ばかりは主上の御前でも料理されるものであるから、貴い魚である。鳥では雉《ききじ》が、無類の結構なものである。雉や松茸などはお料理座敷の上にかけてあっても差つかえはないが、その他のものは入れるわけには行かぬ。中宮の東二条院のお料理座敷の黒棚に雁のおかれてあったのを、中宮のおん父の北山入道殿が御覧になって、御帰邸の後すぐお手紙で、このような品がそのままの形でお棚におりますことは異様に感じられました。無作法のことと思われます、識見のある侍女がおそばにおつかえしておられないためかと思われます。と書き送った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六十九
    「何々の式ということは後嵯峨帝の御代までは申されていなかったのを近い時代になってから言いはじめた言葉である」とある人が言っておられましたが、しかし建礼門院の右京大夫が、後鳥羽院の御即位の後、ふたたび内裏へ住んだ時のことを記して「世の式も、かわりたることはなきにも」と書いている。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六十
     門に額《がく》を掛けることを額を打つというのはよくないらしい。世尊寺行忠卿は額をかけると仰せられた。見物の棧敷をうつというのもよくないらしい。平張の幕ならばうつというのが通常いうところであるが、棧敷は構えるというべきである。護摩《ごま》をたくというのもよろしくない。護摩を修するとか護摩をするとかいうべきである。「行法《ぎようぽう》も法の字を清音に発音するのではない。濁音でぼうというのである」と清閑寺の道我僧正が仰せられた。臼用語にさえこんな間違いばかり多いのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十九
     横川《よかわ》の行宣《ぎようせん》法印の言うところによると「支那は呂《りよ》の国である、律《りつ》の音《こえ》がない。日本は律だけの国で呂の音がない」とのことであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七十
     さしたる用事もなくて人のところを訪問するのはよくないことである。用事があって訪問してもそのことがすんだら、早く帰るのがいい。長くいるのはこまる。人と応対すると、言葉も多く、体もくたびれ、心も旛ちつかず、万事にさしつかえが多くて時間をつぶす。双方にとって無益なことである。客を嫌うようなことを言うのもよくない。気|急《ぜわ》しいことでもある場合などはかえってこのわけを言ったほうがよかろう。会心の人で、対談を希望する人が、退屈して「もう少し」、「今日はゆっくりと」など言うような場合はこのかぎりではなかろう。常に白眼の阮籍《げんせき》が気に入った客を迎えた時にした青眼の場合も誰しもあるものである。なんのためということもなく、人が来て、のんびりと話して帰るのは、よいものである。また、手紙も「あまり御無沙汰していますから」とだけ、言ってよこしたのなど大へんに嬉しいものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五十
     芸能を身につけようとする人は、それに達しない間はなまなかに人には知らせないで、内々によく習い覚えてから人中へ出るのが奥ゆかしくてよいとは人のよくいうところではあるが、こんな考えの人は一芸も習い得るものではない。まだぎごちなく未熟な中から上手な人の問に雑って嘲笑をも恥じずに構わずやり通して行く人が、生れつきにその器用がなくても途中で停滞することもなく、放慢に流れることもなしに年期を入れたら、器用でも不勉強なのよりはかえって上手になり、徳もおのずと備わり、人にも許されて、無比の名声を博することがあるものである。天下に知れ渡った上手でも、はじめは下手という評判もあり、ひどい欠点もあるものである。しかしその人がその道の道筋を正しく守って身勝手をつつしみ、努力して行ったなら世の物識りともなり、万人の師として仰がれるようになるのは、諸道みなその軌を一つにしている。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」十九
     季節のうつりかわりこそ、何かにつけて興の深いものではある。  感情を動かすのは秋が第一であるとは誰しもいうけれども、それはそれでいいとして、もう一そう心に活気の出るものは、春のけしきでもあろう。鳥の声などは、とくに早く春の感情をあらわし、のどかな日ざしに、垣根の草が萠えはじめる時分から、いくぶんと春の趣ふかく霞も立ちなびいて花も追々と目につきやすくなる頃になるというのに、折から西風がつづいて心落ちつく間もなく花は散ってしまう。青葉の頃になるまでなにかにつけて心をなやますことが多い。花たちばなは今さらでもなく知られているが、梅の匂いには一しお過ぎ去ったことどもが思いかえされて恋しい思いがする。山吹の清楚なのや藤の心細い有様をしたのなどすべて春には注意せずにいられないような事象が多い。  仏生会《ぶつしようえ》のころ、加茂《かも》のお祭のころ、若葉の梢《こずえ》がすずしげに繁って行く時分こ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七十九
     宋に行ったことのある道眼上人は、一切経を向うから持って来て六波羅の辺のやけ野という所に安置し、その経中でも、ことに首楞厳《しゆりようごん》経を講じヒ憲の所を、この経(一名中印度那蘭陀大道場経という)に因んで那蘭陀寺と号した。この上人の話では「那蘭陀寺は、大門が北向きであると大江匡房《まさふさ》の説として言い伝えているが、西域《さいいき》伝にも法顕伝にも見えず、その他にもいっこう見当らない。匡房卿はどんな知識で言ったものやら、どうも不確かな話である。支那の西明寺なら北向きなのはもちろんである」と言っておられた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十九
     今日はあることをしようと思っているのに、別の急ぎの用が出て来てそれに紛れて暮し、待つ人は故障があって来ぬ。待たぬ人が来る。頼みにしていたことは不調で、思いがけぬことだけが成立した。心配していたことは、わけなく成り、なんでもないと思っていたのが、大そう骨が折れる。一日一日の過ぎて行くのも予想どおりにはならない。 一年もそのとおり、一生涯もまたそうである。予定の大部分は、みな違ってしまうかと思うとかならずしも違わないものも出てくる。だからいよいよ物事はきめてかかれないのである。「不定」と考えておきさえしたら、これが間違いのない真実である。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三十
     物事を人と争わず、自分の意志を屈して人の意向に従い、自分の身のことは後にして、人のことを先にするのが何よりである。  いろいろの遊戯でも、勝負を好む入は勝って愉快を得んがためである。自分の技のまさっていることに満悦するのである。それだから、負けるとつまらぬ思いがするのは、もちろんである。自分が負けて人を喜ばせようと考えたら一向《いつこう》に遊戯の興味はあるまい。人につまらぬ思いをさせて、自分が愉快を感ずるなどは徳義にかなわない。  親しい間がらでふざける場合にも、人をたぶらかして自分の智のすぐれているのを面白がることがある。これも非礼である。それだから、はじめは座興に起ったのに長い恨みを結ぶようなことがよくあるものである。これらはみな、勝負を好むところから起る失策である。人に勝《まさ》ろうと思うならば、学問をしてその智で人に勝ろうと考えたらよかろう。道を学んだならば、善に誇らなくなり...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十一
    「囲碁、双六を好んで、これに耽って夜を明し日を暮す人は四重五逆の重罪にもまさる悪事であると思う」とある高僧が申されたのが、今に忘れず、結構な言葉と感じられた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三十九
     家に植えておいたい木は松、桜である。松は五葉《こよう》もよいが桜は一重《ひとえ》がいい。八重桜はもとは奈良の都にだけあったのを、現今ではだんだんと世に多くなって来た。吉野山の花や左近の桜もみな一重である。八重桜はちょっと趣の変ったものではあるが、しつっこくてすっきりしない。植えたくもないものである。おそ桜もまた無趣味である。虫のよくつくのも厭わしい。梅は白梅、うす紅梅の、一重のものが早く咲くのも八重の紅梅の濃艶なのもみな趣がある。遅咲きの梅は桜と咲き合うから圧倒されて見おとりがするので枝に萎びついて生気がないようでいけない。一重なのが第一に咲いて散ったのが気早くておもしろいというので京極入道申納言は、やはり一重の梅を軒近くお植えになられた。京極の邸の南面に今も二本あるようである。柳も面白いものである。四月のころの若|楓《かえで》は、あらゆる花や紅葉にもまさって珍重なものである。橘《たちば...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十
    「さぎちょう」は正月に毬《まり》を打って遊んだ毬杖《ぎじよう》を真言院から神泉苑へ出して焼き上げたのがもとである。「法成就《ほうじょうじゆ》の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池をいうのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十三
     四十の坂を越した人が好色の心をひそかに抱いているのは致し方もなかろう。言葉に出して男女の情事を他人の身の上にもせよ言い戯れているのは、歳にも似合わず見ぐるしいものである。だいたい見ぐるしく聞きぐるしいものは、老人の青年らにうち雑って、面白がらせるつもりで話をすること。つまらぬ身分でありながら、世にときめいた人を懇意らしく言いふらしていること。貧家のくせによく酒宴をもよおしお客を呼んで派手にやっていること。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八
     人間の心を惑《まど》わすものは色情に越すものがない。人間の心というものはばかばかしいものだなあ。匂いなどは、仮《か》りのものでちょっとのあいだ着物にたき込めてあるものとは承知の上でも、えも言われぬにおいなどにはかならず心を鳴りひびかせるものである。  久米《くめ》の仙人が、洗濯していた女の脛《はぎ》の白いのを見て通力《つうりき》を失ったというのは、まことに手足の膚《はだ》の美しく肥え太っていたので、外の色気ではないのだけに、ありそうなことではある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二
     むかしの聖代の政治を念とせず、民の困苦も国の疲労をもかえりみず、すべてに豪華をつくして得意げに、あたりを狭しと振舞っているのを見ると、腹立たしく無思慮なと感ぜられるものである。 「衣冠から馬、車にいたるまでみな、有り合せのものを用いたがいい、華美を求めてはならない」とは藤原師輔《もろすけ》公の遺誠にもある。順徳院が宮中のことをお書き遊ばされた禁秘抄《きんぴしよう》にも「臣下から献上される品は粗末なのをよいとしなくてはならぬ」とある。
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