網迫の電子テキスト乞校正@Wiki内検索 / 「佐藤春夫訳「徒然草」百八十七」で検索した結果

検索 :
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十七
     一切の技術の道においてその専門家が、たとい上手ではなくとも上手な素人にくらべてかならず勝れているのは、油断なく慎重に道を等閑《なおざり》にしないのに、素人は我儘勝手に振舞う。これが素人と専門家との違う点である。技術の道に関することのみとかぎらず日常の行動や心がまえにも、魯鈍に慎重なのは得のもとである。巧妙に任せて法式を無視するのは失敗のもとになる。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十
    「さぎちょう」は正月に毬《まり》を打って遊んだ毬杖《ぎじよう》を真言院から神泉苑へ出して焼き上げたのがもとである。「法成就《ほうじょうじゆ》の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池をいうのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十三
     人を突く牛は角を切り、人に食いつく馬は耳を切ってこれに印をしておく。印をつけないで人に怪我をさせた時は飼主の科《とが》になる。人に喰いつく犬は養ってはならない。これらは皆罰せられるところで刑法に戒めてある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十一
    「降れ降れこ雪.たんばのこ雪」という歌の意味は、米を搗《つ》いて篩《ふる》う時のように雪が降るから粉雪というのである。溜れ粉雪というぺきを間違えて、「たんばのこ雪」といったのである。そのつぎの句は、「垣や木のまたに」と唄うのであるとさる物識りが言った。昔から言ったものであったらうか鳥羽天皇が御幼少のおん頃雪の降った時にこう仰せられたというおん事を、讃岐典侍《さぬきのすけ》が日記に書いている。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十八
     ある人がその子を僧にして仏教の学問を知り因果の哲理をも会得し説教などをして世渡りの手段ともするがよかろうと言ったところが、子は親の命の通りに説…教師になるために、まず乗馬を稽古した。それは輿や車のない身分で導師として請待された場合、先方から馬などで迎えに来た場合鞍に尻が据わらないで落馬しては困ると思ったからである。そのつぎには仏事の後に酒のふるまいなどがあった時、坊主がまるで芸がなくとも施主は曲のないことに思うだろうと早歌《そうか》というものを習った。乗馬と早歌とがだんだん上手になるとますますやってみたくなって稽古している間に説教を教わる時がなくて年を取ってしまった。この坊主ばかりではない。世間の人はみなこの坊主同様なところがある。青年時代には何事かで身を立てて大きな道をも成しとげ、才能をも発揮し、学問をもしたいと遠い将来の念願を心に抱きながら、この世を長く呑気なものに考えて怠慢しつつ、...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十四
     相模守北条時頼の母は松下禅尼といった。ある時時頼を請待《しようだい》されることがあったが、その準備に、煤けた紙障子の破れたところばかりを、禅尼は手ずから小刀で切張りをしておられた。禅尼の兄の秋田|城介《じようのすけ》義景が、その日の接待役になって来ていたが、その仕事はこちらへ任せていただいて何の某にさせましょう。そういうことの上手な者ですからと言ったところが禅尼はその男の細工だってわたしよりは上手なはずはありますまいよと答えて、やはり一問ずつ張っておられたので、義景がみな一度に張りかえたほうがずっと面倒くさくないでしょう。斑《まだら》に見えるのも不体裁でしょうしと重ねて言ったので、尼は、わたしも後にはさっぱりと張り代えようとは思っていますが、今日だけはわざとこうしておきたいのです。物は破れたところだけ修繕して使用するものであると若い人に見習わせ、心得させるためですと言われた。誠に結構なこ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十六
     吉田という乗馬家の言ったのに「馬というものはどれもこれも強いものである。人の力で争うことのできないものと知っておくがいい。乗馬の際には馬をよく見て、その強い所や弱い所を呑みこんでおくがよい。つぎに轡鞍《くつわくら》などの馬具に危険はないかとよく見て、気がかりなことがあったならその馬をはしらせてはならない。この用心を忘れないのが一人前の乗馬家というものである。これが奥儀である」とのことであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十五
     秋田城介兼陸奥守泰盛は無双の乗馬の名人であった。従者に馬を出させる時、その馬が一足飛びに門の閾《しきい》をゆらりと越えたのを見るとこれは過敏な馬だといってほかの馬に鞍をおきかえさせた。そのつぎの馬は足をあげず伸ばしたままで閾に当てたので、これは愚鈍な馬だから過失があるだろうと言って乗らなかった。その道の心得のない人物であったならばなんでこんなに怖れることをしようか。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十二
     四条大納言隆親卿が乾鮭《からざけ》というものを天皇の御食膳に供せられたのをこんな下品なものは差上げることはあるまいとある人が言ったのを聞いて、大納言は鮭という魚は差上げないというならばさもあろうが、鮭の乾したものがなんでいけないことがあろうか、現に鮎の乾したのは差上げるではないか、と申したということであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八十九
     今日はあることをしようと思っているのに、別の急ぎの用が出て来てそれに紛れて暮し、待つ人は故障があって来ぬ。待たぬ人が来る。頼みにしていたことは不調で、思いがけぬことだけが成立した。心配していたことは、わけなく成り、なんでもないと思っていたのが、大そう骨が折れる。一日一日の過ぎて行くのも予想どおりにはならない。 一年もそのとおり、一生涯もまたそうである。予定の大部分は、みな違ってしまうかと思うとかならずしも違わないものも出てくる。だからいよいよ物事はきめてかかれないのである。「不定」と考えておきさえしたら、これが間違いのない真実である。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百八
     寸陰を惜しむ人は無い。これは悟り切っての上でのことか。馬鹿で気がつかないのであろうか。馬鹿で懈怠《けたい》の人のために言いたいが、一銭は軽いがこれを積み上げれば貧民を富豪にさせる。それ故金を志す商人が一銭を惜しむ心は切実である。一刹那は自覚せぬほどの小時間ではあるが、これが運行しつづけて休む時がないから命を終る時期が迅速に来る。それ故道を志す道人は漠然と概念的に月日を惜しむべきではない。ただ現実に即して、現在の一念、一瞬時がむなしく過ぎ去ることを惜しむべきである。万一誰かが来て我らの命が明日はかならず失われるであろうと予告したとすれば、今日の暮れてしまうまで、何事を力とし、何事に身を委ねるか。我らの生きている今日の一日は、死を予告された日と相違はあるまい。一日のうちに飲食、便通、睡眠、談話、歩行、などの止むを得ないことのために多くの時間を消失している。その余の時間とては、いくらもないのに...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百
     久我相国(太政大臣源雅実公)は殿上で水を召上る時、主殿司《とのもつかさ》が土器《かわらけ》を差上げると、わげものを持って参れと仰せられて、わげもので召し上った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六
     高野の証空上人が京へのぼろうとしていると、細い道で馬に乗っている女に行きあったが、馬の口引きの男が馬の引き方を誤って上人の馬を堀のなかへ落してしまった。上人はひどく立腹して「これは狼藉《ろうぜき》千万な。四部の弟子と申すものは、比丘《びく》よりは比丘尼が劣り、比丘尼よりは優婆塞《うばそく》が劣り、優婆塞より優婆夷《うばい》が劣ったものだ。このような優婆夷|風情《ふぜい》の身をもって、比丘を堀の中へ蹴入れさせるとは未曽有の悪行である」と言われたので、相手の馬方は,「何を仰せられるのやらわかんねえよ」と言ったので、上人はますます息巻いて「なんと吐《ぬか》すか非修非学《ひしゆひがく》の野郎」と荒々しく言って、極端な悪口をしたと気がついた様子で、上人はわが馬を引返して逃げ出された。尊重すべき、天真爛漫、真情流露の喧嘩と言うものであろう。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十七
     友達にするのによくないものが七つある。一には高貴な身分の人、二には年少の入、三には無病頑健の人、四には酒の好きな人、五には武勇の人、六には虚言家、七には慾の深い人。善い友は三つある。一にはものをくれる友、二には医者、三には智恵のある人。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三
     後宇多院の御所の大覚寺殿でおそばつかえの人々がなぞなぞをこしらえて解いているところへ、医師の忠守が参ったので、侍従大納言|公明《きんあきら》卿が「わが朝のものとも見えぬ忠守や」となぞなぞにせられたのを「唐瓶子《からへいし》」と解いて笑い合ったので、忠守が気を悪くして出て行ってしまった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五
     家屋の北側の日かげに消え残った雪が固く氷りついたのに、差し寄せた車の轅《ながえ》にも雪が凝ってきらきらしている。明け方の月は冴え切っているが、隈無く晴れ渡ったというほどの空でもない。と見るあたりに人目に遠い御堂の廊下に、身分ありげに見える男が女と長押《なげし》に腰をかけて話をしている有様は、何を語り合っているのやら、話はいつ果てるとも思えない。髪、かたちなどすこぶる美しいらしい。言うに言われぬ衣の香が、さっと匂って来るのも情趣が深い。身動きのけはいなどが、時たまに闢えてくるのもゆかしい。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九
     木のぼりの名人と定評のあった男が人の指図をして高い木にのぼらせて、梢を切らせたのに、非常に危険そうに思われたあいだは何も言わないでいて、おりる時、軒端ぐらいの高さになってから「怪我をするな、気をつけておりよ」と言葉をかけたので「これぐらいなら、飛びおりてもおりられましょうに。どうして注意しますか」と言ったところが「そこがですよ。目のまうような、枝の危いほどのところでは、自分が怖ろしがって用心していますから申しません。過失は、なんでもないところで、きっとしでかすものですよ」と言った。いやしい下層の者であったが、聖人の訓戒にも合致している。鞠《まり》もむつかしいところを蹴ってしまって後、容易だと思うときっとし損じると申すことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八十七
     下僕に酒を飲ませることは注意すべきである。宇治に住んでいた男が京都にいた具覚《ぐがく》坊といって風流な脱落した僧が小舅《こじゆうと》であったので常に仲のよい相手であった。ある時迎え馬をよこしたので、遠方の所を来たのだからまあ一杯やらせようというので、馬の口を曳いている男に酒を出したところが、杯をうけて垂涎しながら何杯も飲んだ。この下僕は太刀を佩いて威勢がいいので、頼もしく思いながら引き従えて行くうちに、木幡《こはた》の辺へ来た頃、奈良法師が兵士をたくさん引きつれたのに出逢ったので、この男が立向って日の暮れた山中に怪しいそ止まれといって太刀を引き抜いたので向うの人々もみな太刀を抜き弓に矢をつがえなどしたのを具覚坊が見て、揉み手をしながら本性もなく酔っております者です、まげてお宥《ゆる》し願いたいと言ったので人々は嘲りながら通りすぎた。この男は今度は具覚坊に向って来て貴公は残念なことをしてく...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十
     双六《すごろく》の上手と言われた人に.その方法を訪うたことがあったが、「勝とうとおもってかかってはいけない。負けまいとして打つのがいい。どの手が一番早く負けるかということを考えて、その手を避けて、一目だけでも遅く負けるはずの手を用いよ」と言った。この道に通じたものの教えである。身を治め国を安泰ならしめる道とてもまたこの通りである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四
     荒れた家の人目に立たないあたりへ、女が世間を憚る節《ふし》があって、退屈そうに引き籠っている頃、ある方が御訪問なさろうというので、夕月夜のほのぐらい時刻に忍んでおいでになったところが、犬が大げさに吠えついたので、下女が出て、どちら様からと聞いたのに案内をさせておはいりなされた。心ぼそげな様子はどんなふうに生活していることかと気の毒であった。へんな板敷の上にしばらく立っていると、しとやかな若々しい声で「こちらへ」と言う入があったので、明け立ても窮屈に不財由な戸を明けておはいりになった。室内の様子はそんなにひどくもない。奥ゆかしくも燈は遠くうすぐらいほどではあるが物の色合などもよく見え、にわか仕込みでないにおいが大へんにものなつかしく住んでいた。門をよく気をつけさせて、雨も降りそうですよ、御車は門の下へ入れてお供はどこそこへ案内なさいと腰元が下女に言うと、「今夜こそ心丈夫に落ちついて寝られる...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二
    尹大納言光忠入道が憂の上卿(幹事に相当)をつとめられたので、洞院右大臣殿に式の次第を教えて下さいと申し入れたところ、「あの又五郎という者を師にするよりほかに良策もあるまい」とおっしゃった。この又五郎というのは老人の衛士《えじ》でよく朝廷の儀式に馴れた者であった。近衛殿が着席せられた時|膝着《ひざつき》(敷物)を忘れて外記(太政官記録係)を召されたのを、火を焚いていた又五郎が「式はじめにまず膝着のお召しだ」と小声で呟いていたのはまことに面白かった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百一
     ある人が大臣任命式の内弁(式場内準備委員ともいうべき役柄)を勤められたが、内記(詔勅宣命類の起草官)の持っていた辞令を持たずに、式場に入ってしまった。この上なしの失態であるが出直して持って来るというわけにも行かぬ。当惑し切っていると、持っていた六位内記中原康綱が衣かつぎの女官と相談をしてこっそりと内弁に渡させた実に立派な仕打ちであった。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七
     女の話しかけた言葉にすぐさまいい工合な返事というものは滅多にないものである。というので亀山院のおん時に、洒落な女房どもが若い男が来るたびに、「ほととぎすをお聞きなされましたか」と問い試してみたところ、某の大納言とかは「わたくし風情《ふぜい》は聞くこともかないません」と返事をされた。堀川内大臣は「岩倉(額)で聞いたことがあるようです」と言われたのを、「これは無難である。わたくし風情はと来ては困ったものだ」などと批評していた。いったい、男というものは、女に笑われないように育て上げるべきものであるということである。「浄土院前関白殿は御幼少から安喜院様がよくお教えなされたのでお言葉づかいなどもいい」とある人が申された。山階《やましなの》左大臣殿は「下賤な女に見られても大変に羞《はずか》しくて気がおける」とおっしゃった。女のない世界であったら衣紋《えもん》も冠も、どうなっていようが引きつくろう人も...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七十七
     鎌倉の中書王《ちゆうしよおう》(鎌倉将軍中務卿宗尊親王)の御邸で蹴鞠のもよおしがあったのに、雨降り上りで庭まで乾かなかったので、どうしたものであろうかと相談があった時、佐佐木入道真願が鋸屑を車に積んでたくさん奉ったので、庭中に敷きつめて、泥の気遣《きつかい》もなかった。これなどたくさん蓄えておいた用意のほどが珍らしい心がけであると人々が感心し合った。このことをある人が話したところ、藤原藤房卿が聞かれて、「さては乾いた砂の準備がなかったのだね」とおっしゃったのは、恥かしい思いがした。結構なと思った鋸屑とは下品で変なものであった。庭を司る者は乾いた砂を用意しておくのが慣例的な作法だそうである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三十七
     花は満開を月は明澄なのをばかり賞すべきものではあるまい。雨に対して月にあこがれたり、家に引き籠っていて気のつかぬうちに春が過ぎてしまっていたなども情趣に富んだものである。もう咲くばかりになっていた梢だの、散り凋《しお》れた庭などこそ見どころが多いのである。歌の詞書きにも「花見に行ったらもう散り果てていたので」とか「差つかえがあって見にゆけないで」などと記してあるのは、花を見てというのに決して劣ろうや。花が散り、月が入るのを名残り惜しく思うのは尤もなことであるが、無風流な人に限って、あの枝もこの枝も散ってしまった。もう見る値打ちもないなどと言いたがるものである。すべてなんにつけ初めと終りとが趣の多いものである。男女の情にしてもただ逢うばかりが恋愛の趣味ではあるまい。逢えないで苦しんだことを思ってみたり、心変りをしたのを歎いたり、永い夜をひとりで恋い明かしたり、遠い空に愛慕の思いを馳《は》せ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十
     妻というものこそ男の持ちたくない者ではある。いつも独身でなどと噂を聞くのはゆかしい。誰某の婿になったとか.またはこういう女を家に入れて同棲しているなどと聞くのはとんとつまらぬものである。格別でもない女を好い女と思って添うているのであろうと軽蔑されもするだろうし、美人であったら男はさだめし可愛がって本尊仏のように勿体ながっているであろう。たとえばこんなふうになどと滑稽な想像もされて来る。まして家政向きな女などは真平《まつびら》である。子などができてそれを守り育て愛しているなどはつまらない。男が亡くなって後尼になって年を老っている有様などは死んだ後までもあさましい。どんな女であろうと、朝夕いっしょにいたら、疎ましく憎らしくもなろう。女にとっても夫の愛は足らず自由はなく中ぶらりんな頼みすくないものであろう。別居して時々通うて住むというのがいつまでも永つづきのする問がらともなろう。ちょっとのつも...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十五
     宿《しゆく》河原という場所で虚無僧《ぽろぽろ》が多数集合して九品《くほん》の念仏をとなえていたところへ、外から虚無僧が入って来て「もしや、このなかにいうおし坊と申す梵論僧《ぼろぼろ》はおられますまいか」とたずね,たので、群集のなかから「いろおしはわたくしです。そう言われるのはどなたですか」と答えた。すると虚無僧は「自分はしら梵字というものです。わたしの師匠の某という人が、東国でいろおしという人に殺されたと聞いておりますから、そのいろおしという人に会って仇をとりたいとたずねております」という。すると、いろおしは「よくもたずねて来た。たしかにそんなことがありました。ここでお相手をいたしては、道場をけがす虞《おそ》れがありますから前の川原でたち合いましょう。どうぞ、みなの衆、どちらへもお加勢は御無用に願いたい。多人数の死傷があっては仏事の妨害になりましょうから」と言い切って、二人で川原へ出かけ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四十
     死後に財宝をのこすようなことは智者のせぬところである。よくないものを蓄えておくのも品格を下げるし、立派なものは執蒼のほどを思わせるので趣味性ならぬ、人生観を浅薄に思わせる。ましてさまざまなものがごたごたとあるのはいよいよいけない。自分が手にいれたいという人々が現われて、争いになるのは不体裁である。後に誰に譲りたいと思うものがあるなら、生存中に譲るべきである、毎日欠くべからざるものは無くてはなるまい。それ以外のものはなに一つ持たないでいたいものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十二
     明日は遠国へ旅行すると聞いている人に対って、落ちついてしなければならない用事を、頼む者があろうか。切迫した大事に着手しているとか、切実な悲歟に暮れている人などは、他人のことなど耳に入れず、他人の喜びや悔みごとにも行かない。行かないからといってうらみとがめる人もあるまい。それ故、年もだんだんとって来たり、病身になっていたり、ましてや出家している人などももちろん、同じことであろう。人間の礼儀、何が無視できないものがあろうか。世間がうるさいからといって何事も、義理で仕方がない、これを果そうと言っていたら、願望は増すし、身体は苦しむ、心は忽忙になる、 一生涯は世俗の些雑な小さな義理に妨害されてむなしく終るであろう。日が暮れたが前途がまだ遠い、わが生ももはやよろめく力なさである。一切の世俗関係をうっちゃらかしてしまうべき時機である。約束も守るまい。礼儀をも気にかけまい。この心持を感じない人は、われ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十六
     寺院の称号や、その他何ものにでも名をつけるに、昔の人はすこしも凝《こ》らないで、ただありのままに、簡単につけたものであった。この頃では考えこんで学識を衒《てら》って見せたふうのあるのはすこぶる気障《きざ》なものである。人の名でも、見なれない文字をつけようとするのはつまらぬことである。万事に奇を求め、異説を好むのは才の足りない人物がよくやることだそうな。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百九十七
     定額《じようがく》というのは何も諸寺の僧とばかりはかぎったものではない。定額の女嬬《によじゆ》という言葉が現に延喜式に見える。本来はすべて数の定まった公儀の人には一般に通じた呼び方なのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十四
     今出川の太政大臣菊亭兼季公が嵯峨へお出かけになられた時、有栖《ありす》川の附近の水の流れているところで、さい王丸が牛を追ったために足掻《あがき》の水が走って前板のところを濡らしたのを、お車の後に乗っていた為則|朝臣《あそん》が見て「怪《け》しからぬ童だな。こんな場所で牛を追うなんてことがあるか」と言った。すると大臣は顔色をかえて「お前は車の御《ぎよ》し方をさい王丸以上に心得てもいまい。怪しからぬ男だ」と言って為則の頭を突いて車の内側でこつんとやらせた。この牛飼の名人のさい王丸というのは太秦殿《うずまさどの》、信清内大臣の召使で、天子の御乗料の牛飼であった。この太秦殿につかえている女房にはそれぞれに膝幸《ひざさち》、特槌《ことづち》、胞腹《ほうばら》、乙牛《おとうし》などの牛に縁のある名がつけられていた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十八
     鯉の羮《あつもの》を食べた日は鬢《びん》の毛が乱れないということである。膠《にかわ》にさえ製造するほどの物だからねばりけのあるものにちがいない。鯉ばかりは主上の御前でも料理されるものであるから、貴い魚である。鳥では雉《ききじ》が、無類の結構なものである。雉や松茸などはお料理座敷の上にかけてあっても差つかえはないが、その他のものは入れるわけには行かぬ。中宮の東二条院のお料理座敷の黒棚に雁のおかれてあったのを、中宮のおん父の北山入道殿が御覧になって、御帰邸の後すぐお手紙で、このような品がそのままの形でお棚におりますことは異様に感じられました。無作法のことと思われます、識見のある侍女がおそばにおつかえしておられないためかと思われます。と書き送った。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十七
     改めても益のないことは改めないのがよいのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五十七
     筆をとればその気になって物が書かれ、楽器をとれば音を出したいと思い、盃をとれば酒を欲しいと思い、賽《さい》を手にすると賭博を欲する。心というものはかならずそのことに触れてもよおして来る。いやしくも善からぬ戯れをしてはならない。ふとした気持で聖教の一句が目につくと、なんとなく前後の文も気にとめてみる。突如として多年の非行を改めることもある。もし教典を目にしなかったとしたら、このことを悟ることができなかうたろう。これはつまり事に触れてたまたま起つた利益である。その心が別に起らないでも、仏前にいて数珠や教典などを手にしていると怠慢しながらもおのずと善行が修せられ、散乱心のままでも、座禅の席につくとわれ知らずに禅の静思ができるであろう。外界と内面の作用とにおいて、事理はもと一体のものである。形式を尊重しているうちに内容も充実して来る。うわべだけの人を見ても無闇と不信心呼ばわりをしないがいい、むし...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十九
     鎌倉の海で、鰹《かつお》という魚は、あの辺では無上のものとして近来は賞美されている。これ も鎌倉の老人が話したのだが、「この魚は自分らの若年の時代までは相当な人の前へは出なかったものである。頭は下男でさえ食べず切って捨てていたものである」ということであった。このようなものでも世が末になると上流へも入りこむものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六十
     門に額《がく》を掛けることを額を打つというのはよくないらしい。世尊寺行忠卿は額をかけると仰せられた。見物の棧敷をうつというのもよくないらしい。平張の幕ならばうつというのが通常いうところであるが、棧敷は構えるというべきである。護摩《ごま》をたくというのもよろしくない。護摩を修するとか護摩をするとかいうべきである。「行法《ぎようぽう》も法の字を清音に発音するのではない。濁音でぼうというのである」と清閑寺の道我僧正が仰せられた。臼用語にさえこんな間違いばかり多いのである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百二十
     唐の物は薬のほかは無くとも不自由はあるまい。書物にしたって、わが国に多くひろまっているから筆写することもできよう。唐船の困難な航海に、無用なものばかり積荷してどっさり持ちこんで来るのは、馬鹿馬鹿しいことである。「遠方の物を宝としない」とも、また、「手に入れにくい宝は尊重しない」とも書物に書いているということである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百七十
     さしたる用事もなくて人のところを訪問するのはよくないことである。用事があって訪問してもそのことがすんだら、早く帰るのがいい。長くいるのはこまる。人と応対すると、言葉も多く、体もくたびれ、心も旛ちつかず、万事にさしつかえが多くて時間をつぶす。双方にとって無益なことである。客を嫌うようなことを言うのもよくない。気|急《ぜわ》しいことでもある場合などはかえってこのわけを言ったほうがよかろう。会心の人で、対談を希望する人が、退屈して「もう少し」、「今日はゆっくりと」など言うような場合はこのかぎりではなかろう。常に白眼の阮籍《げんせき》が気に入った客を迎えた時にした青眼の場合も誰しもあるものである。なんのためということもなく、人が来て、のんびりと話して帰るのは、よいものである。また、手紙も「あまり御無沙汰していますから」とだけ、言ってよこしたのなど大へんに嬉しいものである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百五十
     芸能を身につけようとする人は、それに達しない間はなまなかに人には知らせないで、内々によく習い覚えてから人中へ出るのが奥ゆかしくてよいとは人のよくいうところではあるが、こんな考えの人は一芸も習い得るものではない。まだぎごちなく未熟な中から上手な人の問に雑って嘲笑をも恥じずに構わずやり通して行く人が、生れつきにその器用がなくても途中で停滞することもなく、放慢に流れることもなしに年期を入れたら、器用でも不勉強なのよりはかえって上手になり、徳もおのずと備わり、人にも許されて、無比の名声を博することがあるものである。天下に知れ渡った上手でも、はじめは下手という評判もあり、ひどい欠点もあるものである。しかしその人がその道の道筋を正しく守って身勝手をつつしみ、努力して行ったなら世の物識りともなり、万人の師として仰がれるようになるのは、諸道みなその軌を一つにしている。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百六十七
     一つの道に関与している人が、専門以外の道の席上にのぞんで「これがもし、自分の専門のことでありさえしたら、こう指をくわえて見てはいないものを」と言ったり、感じたりするのはよくあること人情の普通ではあるが、好くないことのように思われる。知らぬ道が羨しかったら「羨しいなあ、どうして習っておかなかったろう」と言っておればよろしい。自分の得意を持ち出して人と競争しようというのは、角のある獣が角を振りかざし、牙のある獣が牙をむき出すようなやり方である。人間たるものは自分の長所を鼻にかけず、他と競争しないのが美徳である。他にまさるところのあるのは大きな損失である。品格の高さにしろ、学術技芸の才能にしろ、祖先の名誉にしろ、他人より傑出している人は、たとい口に出して言わずとも、内心の誇りにも多少の罪があるわけである。つつしんでこれを忘れなければいけまい。馬鹿にも見え、他人のも悪く言われ、災難を招くのはもっ...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百三十
     物事を人と争わず、自分の意志を屈して人の意向に従い、自分の身のことは後にして、人のことを先にするのが何よりである。  いろいろの遊戯でも、勝負を好む入は勝って愉快を得んがためである。自分の技のまさっていることに満悦するのである。それだから、負けるとつまらぬ思いがするのは、もちろんである。自分が負けて人を喜ばせようと考えたら一向《いつこう》に遊戯の興味はあるまい。人につまらぬ思いをさせて、自分が愉快を感ずるなどは徳義にかなわない。  親しい間がらでふざける場合にも、人をたぶらかして自分の智のすぐれているのを面白がることがある。これも非礼である。それだから、はじめは座興に起ったのに長い恨みを結ぶようなことがよくあるものである。これらはみな、勝負を好むところから起る失策である。人に勝《まさ》ろうと思うならば、学問をしてその智で人に勝ろうと考えたらよかろう。道を学んだならば、善に誇らなくなり...
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十一
    「囲碁、双六を好んで、これに耽って夜を明し日を暮す人は四重五逆の重罪にもまさる悪事であると思う」とある高僧が申されたのが、今に忘れず、結構な言葉と感じられた。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八十
     誰も彼も、自分に縁の遠いことばかりを好くようである。坊主が軍事に心がけ、田舎武士が弓術を心得ないで仏法を知った様子をしたり、連歌をしたり、音楽を好んだりしている。それでも、至らぬ自分の道でよりも、別の道楽のおかげで人から馬鹿にされるものである。坊主ばかりではない。身分の高い公卿や、殿上人など.上流の人たちまでも、大方は武を好む人が多い。  百戦して百勝したからと言ってまだ武勇の名誉は許されない。というのは、運に乗じて敵を粉砕する場合は、何人とて勇者のようで無い人もあるまい。兵士は尽き、矢種が絶えて後でも敵には降らず安らかに死について、そこではじめて名誉をあらわすことのできるのが武道である。生きているほどの人は、まだ武を誇ってはなるまい。武道はそもそも人倫に遠く禽獣に近い行為なのだから、その家柄でもない者が好むのは無益のことである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百四十七
     灸《ぎゆう》点があまりたくさんになると汚れた者として神事には憚りがあるということを近ごろ言い出した向きがあるが、格式書の類には書かれてもいないということである。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」百十三
     四十の坂を越した人が好色の心をひそかに抱いているのは致し方もなかろう。言葉に出して男女の情事を他人の身の上にもせよ言い戯れているのは、歳にも似合わず見ぐるしいものである。だいたい見ぐるしく聞きぐるしいものは、老人の青年らにうち雑って、面白がらせるつもりで話をすること。つまらぬ身分でありながら、世にときめいた人を懇意らしく言いふらしていること。貧家のくせによく酒宴をもよおしお客を呼んで派手にやっていること。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」八
     人間の心を惑《まど》わすものは色情に越すものがない。人間の心というものはばかばかしいものだなあ。匂いなどは、仮《か》りのものでちょっとのあいだ着物にたき込めてあるものとは承知の上でも、えも言われぬにおいなどにはかならず心を鳴りひびかせるものである。  久米《くめ》の仙人が、洗濯していた女の脛《はぎ》の白いのを見て通力《つうりき》を失ったというのは、まことに手足の膚《はだ》の美しく肥え太っていたので、外の色気ではないのだけに、ありそうなことではある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」二
     むかしの聖代の政治を念とせず、民の困苦も国の疲労をもかえりみず、すべてに豪華をつくして得意げに、あたりを狭しと振舞っているのを見ると、腹立たしく無思慮なと感ぜられるものである。 「衣冠から馬、車にいたるまでみな、有り合せのものを用いたがいい、華美を求めてはならない」とは藤原師輔《もろすけ》公の遺誠にもある。順徳院が宮中のことをお書き遊ばされた禁秘抄《きんぴしよう》にも「臣下から献上される品は粗末なのをよいとしなくてはならぬ」とある。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」六
     わが身の富貴《ふうき》と、貧賎とにはかかわらず、子というものは無くてありたい。  前《さき》の中書王兼明《ちゆうしよおうかねあきら》親王も、九条《くじよう》の伊通《これみち》太政大臣、花園の有仁《ありひと》左大臣などみな血統の無いのを希望された。染殿《そめどの》の良房太政大臣に「子孫のなかったのはよい。末裔の振わぬのは困ることである」と大鑑《おおかがみ》の作者も言っている。聖徳太子が御在世中にお墓をおつくらせなされた時も「ここを切り取ってしまえ、あそこも除いたほうがいい。子孫を無くしようと思うからである」と仰せられたとやら。
  • 佐藤春夫訳「徒然草」一
     何はさて、この世に生れ出たからには、望ましいこともたくさんあるものである。  帝の御位はこの上なく畏《おそれ》多い。皇室の一族の方々は末のほうのお方でさえ、人間の種族ではいらせられないのだから尊い。第一の官位を得ている人のおんありさまは申すにおよばない。普通の人でも、舎人《とねり》を従者に賜わるほどの身分になると大したものである。その子や孫ぐらいまでは落ちぶれてしまっ、ていても活気のあるものである。それ以下の身分になると、分相応に、時運にめぐまれて得意げなのも当人だけはえらいつもりでいもしようが、つまらぬものである。  法師ほどうらやましく無いものはあるまい。「他人には木の片《はし》か何かのように思われる」と清少納言の書いているのも、まことにもっともなことである。世間の評判が高ければ高いほど、えらいもののようには思えなくなる。高僧増賀《ぞうが》が言ったように名誉のわずらわしさに仏の御教え...
  • @wiki全体から「佐藤春夫訳「徒然草」百八十七」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

記事メニュー
目安箱バナー