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地獄の門は開かれた ◆dKv6nbYMB.





「...マスタングさん」
「......」

放送が終わり、告げられた死者の名を噛みしめる。


自分が守れなかった者たち。そして

「セリュー...」

未央や卯月を逃がし、マスタングに全てを託して戦場に残った彼女。
あの爆発だ。
生きて帰れる確率はゼロに等しい。
それは覚悟していた。だが、改めて確定されると、やはり堪えるものがある。
だが、いや、だからこそ彼はやり遂げなければならない。
卯月を説得すること。そして、それでも彼女が傲慢を振りかざし続ける時には―――

託された二つの首輪を握りしめて誓う。

(力を貸してくれ、セリュー。どうか、彼女がこれ以上過ちを犯さぬよう...)

セリューの。そして、ほむらや承太郎の死を無駄にしないためにも。
彼らは傷だらけの身体に鞭をうち、駅への一歩を踏みしめていく。

「...?」

駅が目前にまで迫った時だった。
二人の鼻腔が、妙な臭いを捉えた。

「な、なに...これ...」
「...まさか」

未央はその親しみの無い臭いに嫌悪感を抱き、マスタングは慣れ親しんだその臭いに顔をしかめる。

(...首を落とせば、それだけでも血の匂いは充満する。ならば、あそこには...)

まどかとほむらの遺体が安置してある可能性が高い。
そして、可能性は低いが、もしこの匂いに彼女がつられていれば...



「...未央。少しの間だけここに入っていてくれ」
「え...でも」
「卯月は既に放送で君の生存を知っている。だから念のためだ」

もし、卯月がセリューの死を知り、彼女を生き返らせようとゲームに乗ったとして。
真っ先に狙うとすれば、戦闘力を持たない未央だろう。
彼女を人質にでも取られてしまえば、もう打つ手はなくなってしまう。
もっとも、卯月がそこまで冷静に、正確に動けるかどうかは甚だ疑問ではあるが。
...とにかく、彼女の武器は糸であり、腕さえ押さえてしまえばどうとでもなる。
故に、未央の力を借りるのは、彼女を拘束し、糸を取り上げてからの方がいい。

ひとつ懸念があがるとすれば、自分も見た『疑似・真理の扉』に似たデイバックの構造だが...この点に関してはほとんど問題はない。
あのとき見た『マヨナカテレビ』とその要素の一つである『シャドウ』とやらは、極限状態に追い込まれている者にしか現れないと言っていた。
ならば、まだ極限状態にはない者、意識がある者が入った場合どうなるか―――道中、未央が入って確かめた。
結果、『マヨナカテレビ』や『シャドウ』は現れず、ただ漆黒の空間に浮かんでいるような状態だったという。未央曰く、「宇宙にいるのに似た感覚かも」らしい。
その宇宙についてはマスタングも未央も行ったことはないのでなんともいえないが。
それでいて、手を伸ばせばデイバックのファスナーに触れ、出入りは自由にできるというのだから、本当に変わった代物だ。

(『マヨナカテレビ』とやらの時は出られないが、そうではない時は出入りは自由...奇妙にも程があるぞ)

だが、この際使えるものはなんだって使わせてもらう。


マスタングを心配そうに見つめながら、デイパックへと入る未央。
彼女が入りきるのを確認すると、それを担ぎ、マスタングは駅員室の扉に手をかける。

(できれば、ここにいてほしいが...)

彼女がここにいれば、それに越したことはない。
だが、いなくとも、ほむらたちの遺体だけは埋葬、せめて火葬はしてやりたいと思う。

音を立てぬよう、ゆっくりと戸をひき

「ッ...!?」

あまりの臭気に、部屋の中を見る前に思わずその手を止める。

(なんだこの臭いは...)

首を斬れば、確かに血は流れる。
しかし、それだけではこうまで強烈ではないはずだ。
ここまで臭いが充満するには、もっと...


「どうした?入ってこないのか?」

声がした。
卯月のものとは違う、透き通る氷のような声。
気付かれたか。
戸から手を離し、戦闘態勢をとる。
いつでも錬金術を発動できるように、手袋を嵌め直す。

「私はエスデスだが...お前は誰だ?」

エスデス。
セリューが語っていたイェーガーズの長だ。

「...私は、ロイ・マスタング。この殺し合いには乗っていない」
「マスタングか。卯月から聞いているぞ」
「卯月と出会ったのか!?」
「ここで寝ている。...それで、入ってこないのか?」

再びの誘いに、マスタングは考える。

エスデスは、セリューやウェイブがその実力に絶対の信頼を置く者だ。
彼女が味方についてくれれば、かなり心強い。
しかし、卯月が既に接触している以上、マスタングの悪評が流されている可能性は非常に高い。
その場合、エスデスとも戦う可能性、ひいてはこの戸を開けた瞬間に罠にかかる可能性もあるが...


(...悩んでいてどうする。動かなければ卯月を止められないだろう!)


ここで退けば、エスデスとの誤解が生じたまま戦うことになるかもしれない。
それは駄目だ。そんなことになれば、エンヴィーたちやキング・ブラッドレイとの戦いの二の舞だ。
彼女がもし敵視しているのなら、その誤解を解かなければならない。
もはやこの命、自分一人だけのものではないのだから。

そして、マスタングは再び戸に手をかける。
彼が扉を開いた先にあったのは。





ひとつの、地獄だった。




心地よい死臭が充満する部屋の中で、島村卯月はエスデスの膝で眠りについていた。

(それにしても...お前とはほとほと縁があるようだな、足立)

卯月が眠りにつく前に聞き出した情報によれば、足立はまどかを殺しただけではなく、コンサートホールの火災を起こし、更にはほむらを殺し、承太郎にまで勝利を収めたというのだ。

(まさかお前がそこまでやれる男だとは正直にいえば思っていなかったぞ...次に会った時が楽しみだ)

おそらくは様々な要因が絡み合ったが故の結果だろうが、過程はどうあれ、足立は一人でまどか、ほむら、承太郎、セリューを退けてきたのだ。
その成果は充分に強者のものといってもなんら遜色ない。
自分以外のイェーガーズの面々でも挙げられそうにないものだ。
ともすれば、DIOにも匹敵する楽しい戦いができるかもしれない。

いや、足立だけではない。

最強の眼を持つホムンクルス、キング・ブラッドレイ。
強力な電撃を操る御坂美琴
驚異的な身体能力を持つ危険種、後藤。
限界を超えて進化してみせたウェイブ。
ナイトレイドの切り札、アカメ

そして、自分と同じ『世界』を操るDIO。
また、エドワード・エルリックをはじめとした、大物ではなくとも面白そうな者たちもまだ多い。

(まったく、この会場には楽しみが多すぎる)

せっかくの機会なんだ。可能ならば、全ての楽しみを味わい尽くしたいものだ。
そのためには、一刻も早く行動を再開するべきである。
そこで寝ている暁美ほむらのように楽しみを減らしてしまってからでは遅いのだ。
そろそろ動くか、とエスデスが卯月を起こそうとした時だ。


何者かが、戸の前に立った気配がした。

しかし、その何者かは、微かに戸を揺らすと、それだけで留まり、部屋に踏み入ろうとしない。

この臭いにつられてきたのだろう。
警戒しているのか。ならば仕方ない。こちらから入りやすいように誘ってやろう。


「どうした?入って来ないのか?」

そう声をかけると、気配は警戒心を露わにする。
ふむ。どうやらただのデクの坊ではないらしい。
とはいえ、このまま硬直状態を続けていても仕方あるまい。

「私はエスデスだが...お前は誰だ?」

まずはこちらから名乗り出る。
こうすることによって、会話の主導権を握り、部屋へ入るように誘導をする。
エスデスの名を聞いただけで逃げるような相手なら、ハナから期待などしない。

「...私は、ロイ・マスタング。この殺し合いには乗っていない」

名乗りが功を制したのか、相手もまた名乗り返してきた。
ロイ・マスタング。
卯月からの情報では、最後までセリューと共に戦ってきた男らしい。
ただ、現状では敵か味方はわからない。そんな印象だった。

「マスタングか。卯月から聞いているぞ」
「卯月と出会ったのか!?」
「ここで寝ている。...それで、入ってこないのか?」

再び流れる沈黙。
どうやら、マスタングは何事か考えているようだ。
まあ、無理もないだろう。
死臭ただよう密室に、戦場を知らないはずの卯月がいるというのだ。
違和感をおぼえるのは仕方ないだろう。
だが、時間をかけ過ぎだ。
いくら怪しくとも、なにかしらのリアクションもないのはじれったい。
はやる気持ちを押さえつけ、彼が戸を開けるのを待つ。


それから少しして、ようやく彼は戸を開けた。
その時の彼の表情といったらもう!



...罠も仕掛けていないのに、なんでわざわざ開けるのを待っていたかだと?
簡単だ。そちらの方が面白そうだからだ。


結論からいえば、罠などなかった。
だが、エスデスがこちらを警戒しているだけならばどれほどよかっただろうか。

真っ先にマスタングの目に飛び込んできたのは、血にまみれた壁や床。


―――なんだこれは。


「どうした?なにを呆けている」

エスデスの言葉にも耳を傾けず、ずかずかと押し入り、現場を物色する。


―――なんだこれは。


ゴミ箱には人間の残骸らしきものが乱雑に詰められており、台所には目玉も転がっている。


―――なんだこれは。


振り返ると、そこには笑みを浮かべるエスデスと眠る卯月。そしてもう一人床に寝ている何者か。


いや、違う。

『二人』が『一人』に縫い合わされ、虚ろな目でこちらを見つめていた。
彼女たちを最後に見た時は、既に息絶えていた。
だが。
彼女たちが生前なにをしたというのだろうか。
どれほどの罪を背負えばこんな罰が下されるのか。
...いや、これは罰などというそんな高尚なものではない。
これは、純粋なる悪意の塊だ。



―――な ん だ こ れ は 。



「...エスデス。これはきみが?」
「いいや。私が来た時には既にこうだった」
「下手人は?」
「殺したのは足立だが、縫い合わせたのはこいつだな。立派なものだろう?」

エスデスが、『悪意』を掴み継ぎ目をなぞる。

『立派なもの』。
その言葉に、マスタングのこめかみがピクリと動く。

「帝具というものは、素質がある者でしか使いこなせない暴れ馬でな。ここまで使いこなせる者もそういないぞ」
「卯月を起こせ」
「本来の使い手が誰かは知らないが、大した訓練も無くここまで使えるんだ。もしかしたらソイツよりも適正があるかもしれないな」
「起こせと言っている」

間に立つエスデスなど眼中にないかのように、マスタングは卯月へと歩み寄っていく。

「...ふっ。なにをそんなに怒っている。奴らがこうなったのは、やつらn」

パチン

エスデスの言葉を聞き終える前に、マスタングがゴミを払うように腕を振り、鳴らされた指の音と共に焔が走り爆発を起こす。
爆発に吹きとばされたエスデスの身体はガラスを突き破り、駅員室の外へと放り出される。

「はっ!...え、エスデス、さん?」

熟睡していた卯月も、この轟音と熱気の中では呑気に寝ていられず、たちまち飛び起きた。
キョロキョロと辺りを見まわすが、立ち昇る土煙で視界の大半を塞がれ、自分を覆うように張られていた氷の壁が確認できるのみだ。

「答えろ。島村卯月」



突然の轟音に起こされた私がまず見つけたのは、わたしを守るようにそびえ立っていた氷の壁でした。
なぜこんなものがあるのか。どういう状況なのか。それを考えるよりも先にわたしは。

(エスデスさん?エスデスさん!?)

わたしの後にここへやってきた、セリューさんの尊敬する人―――エスデスさんを探しました。
あの人は、わたしの犯した罪を見ても、責めるどころか褒めてくれました。
謝る必要は無い。強くなる素質がある、と。
それからのことはあまり覚えていませんが、『強いことこそが正しい』という言葉だけはやけに印象に残っていました。
とにもかくにも、連れてこられたニュージェネレーションのみんなも死んでしまったせいで、いまの私の拠り所はエスデスさんだけです。
...あれ。エスデスさん『だけ』?なんで?
...いいえ。そんなことはどうでもいいのです。
とにかく、彼女がいないこの瞬間が、どうしても怖くて、心細くて。
だから、わたしはすぐに探しに行こうとしました。

「答えろ。島村卯月」

だけど、それは聞き覚えのある声に止められて。

振り返り、土煙が晴れた先にいたのは、見覚えのあるあの人で。
けれど、その顔はまるきり別人で。

「彼女たちをああしたのは―――おまえか」


彼―――マスタングさんは、まるで敵に向けるような表情で私を睨んでいました。


そのあまりの威圧感に、わたしは、つい言葉を詰まらせてしまいます。
彼のいう彼女たち―――ほむらちゃんとまどかちゃんのことでしょう。
言われなくてもわかります。

「その服はなんだ?わざわざ彼女から剥いだのか」

恐怖に震える全身を抑えきれず、つい頷き肯定してしまいます。
嘘でもなんでも、誤魔化してしまえばこの瞬間からは逃げられるかもしれないのに。
けれど、なぜかわたしは自分の行いを否定することはできませんでした。


「た、たむら怜子に不意打ちされたくなくて、それで」
「......」


マスタングさんの表情は変わりません。
わたしの言ったことが通じたのかどうか...
それすら聞くのを憚られるほどに、わたしは彼に恐怖を抱きました。

「なぜ、こんなことをした。彼女たちがきみになにかをしたのか?」

ふるふる、と首を横に振ってしまいます。
当然です。彼女たち―――特にほむらちゃんは、私にも最期にお礼を言ってくれました。
感謝の意はあれど、恨む気持ちなんて微塵もありません。

「ならば、なぜだ。なぜ、彼女達をあんな目に遭わせている」

わたしだって、なんであんなことをしたのかわかりません。
クローステールの練習だって、もっといい方法があったはずです。
ほむらちゃんはセリューさんの友達で、まどかちゃんもほむらちゃんの大切な人。
なのに、どうしてわたしはあんなことをしてしまったのでしょう。
あんな、あんな残酷なこと―――

―――何を謝る必要がある?

ふと、エスデスさんの言葉が頭をよぎります。

―――こいつらは弱かった。だから死んで、こうしてその生を愚弄されている。ただそれだけのことだ。弱者が蹂躙されるのは当然だ

そんなはずはない。彼女達が悪いなんてありえない―――そう言ってしまえばいいのに。
なぜかわたしにはその言葉を否定できません。

―――こいつらは私の知り合いだ……が、こうして敗北した以上は、単なる肉塊にすぎん。肉塊を貴様がどう扱おうと、誰も文句を言うことはない

知り合いなら、セリューさんみたいにもっと悲しんであげればいいのに。
そんな思いも浮かんできましたが、すぐに別の言葉に塗りつぶされてしまいます。

弱者が蹂躙されるのは当たり前。違う。私がやったのは許されないこと。違う。弱いことが罪。違う?死者は丁寧に弔わなければならない。違う?

頭の中がぐちゃぐちゃでこんがらがって。
なにが正しくてなにが間違っているのか。私は私がわからなくなりそうです。

でも、そんな中でも。


―――この世で最も価値があるのは強さだ。決して、忘れるな


エスデスさんのその言葉だけは決して揺らがなくて。

マスタングさんの射殺すような視線には耐えられなくて。

わたしは、わタしは。


「ほむらちゃんたちが、弱かったから」

震える声でそう口にした瞬間、まるで空間が凍りついたかのように、マスタングさんの表情が驚きで固まりました。




「わたしは生きていて、ほむらちゃんたちは死んでいる」


違う。そんなことを言いたいんじゃない。
頭の中ではいくらでも否定の言葉が浮かんできます。


「なら、わたしは悪くない。悪いのは、しんじゃったほむらちゃんたちです」


なのに、わたしの口は止まってくれません。
否定の言葉を口にすることができません。


「弱いから、なにをされても文句はいえないんです。強いから、なにをしても文句はいわれないんです」

頭の中で、ことりちゃんを殺してわたしを護ってくれたセリューさんの姿が浮かび上がってきます。
【セリューさんが強かったからわたしを守ることができた】

いくら周りに悪と見なされていても、そんなことはお構いなしに正義の味方の筈のセリューさんを圧倒したキング・ブラッドレイの姿が浮かび上がってきます。
【セリューさんよりもあの男の方が強かったから、彼は未だに生きている】


「だって、『正義』とは『強さ』だから」

どうしても、言葉は止まってくれません。

ああ。ああ。
こんなにも残酷なことを言っているのに。
涙の一つも流れない私は―――


突如、放たれた氷の散弾がマスタングに襲い掛かり、身体を傷付ける。
ぎょっとする卯月を余所に、痛みに動きを止めたマスタングの腹部に蹴りを入れ、彼の身体を窓から叩き出す。


「いいぞ。よく言った。それでこそ、セリューが遺した価値があるというものだ」

氷の主は、もちろんエスデス。
彼女はマスタングの焔が着弾する寸前、氷の壁を張り、ついでに激しく後退することにより、ダメージを回避した。
爆発も、マスタングの焔とエスデスの氷がぶつかったことにより生じたものである。
その結果、彼女は傷一つついておらず、こうして五体満足で立っている。

(まだ完全には振り切ってはいないようだが、死の寸前でもあれだけできれば上出来だ)

人間というものは死に直面してこそ本性を表しやすい。故にマスタングが卯月を追い詰めるまでわざわざ待っていたのだ。
卯月はエスデスが仕込んだ自然の摂理を口にできた。
これなら卯月も調教する余地はあるというものだ。
ボルスやウェイブのような実力や覚悟もないのなら、それくらいはやってもらわねば困る。


「卯月は私の部下なのでな。そういう訳で手出しをさせてもらったぞ」

そして、マスタングを吹き飛ばす際に奪い取ったデイバックの中を探り、入っていたものを取り出す。

「うわっ!」
「やはりな。放送で呼ばれていない以上、マスタングと行動していると思っていたぞ」


取り出され、乱暴に投げ捨てられたそれは、きょろきょろと周りを見渡し状況を確認しようとする。
それの存在になにより驚いたのは―――


「え...みお、ちゃん?」
「そうだ。お前がやり残していた仕事、そして私の与える最初の試験だ」



「し、しまむー...」

卯月を目の当りにし、未央は恐怖に震えあがる。
いくら知り合いだとはいえ、いや、知り合いだからこそ、こうして一度は殺されかけた相手に向き合うのは怖い。
説得しようとここまで来たというのに、本能的に、尻もちをついたまま両手で後ずさってしまう。


ぐにっ


なにかを手で踏んづけた。
慌ててそちらをふりむくと、そこには見覚えのある顔が。

「ほむらちゃ...」


彼女のもう半分を見たその瞬間。
未央は絶句した。

ほむらの遺体には顔の半分がなかった。いや、正確にはあるのだが、別の少女の顔なのだ。
ホラー映画や漫画に出てくるようなつぎはぎの顔、なんてまだ可愛いものだ。
これに込められている恐怖に、残虐さに。
未央の喉からなにかが込み上げてくる。

「ぅっ、うぷっ」

もはや出しつくした筈の吐しゃ物が床に吐き出される。
その様をしばらく笑みを浮かべて眺めていたエスデスは、やがて未央に歩み寄ると、死体を持ち上げて告げた。

「これをやったのはな、そこにいる卯月だ」
「えっ」
「私の命令じゃないぞ。卯月が、自らの意思でだ。...なんなら味わってみるか?あいつが生み出した『死』の味を」

エスデスは未央の髪を掴み、ほむらとまどかの残骸が詰められたゴミ箱へと顔を沈めさせる。
充満する臭気が、鉄と血の味が、死者の味が未央の顔中にへばりつく。

「――――――!!」

未央が必死に足をばたつかせ抵抗し、悲鳴をあげようとする。
だが、喉に深刻なダメージを負い、且つ残骸に埋もれているこの状況ではくぐもった悲鳴をゴミ箱の中であげるのが精いっぱいだ。

「ふむ。激痛による悲鳴は数多く聞いてきたが...たまにはこういう悲鳴も悪くはない」

そんなことを呟きつつも、未央を抑える手は力を緩めない。
やがて、それなりに満足したのか、未央の頭を引き上げ床に投げ捨てる。

「どうだ。お前のいたところでは中々味わえないものなんじゃないか?」
「うっ...ぇぐっ...」
「もし卯月に殺されてたら、お前もあそこに入っていたかもしれないな」

笑みを浮かべながら嬉々として告げるエスデスの考えが、卯月はわからなかった。
なぜ、未央を煽るようなことを言うのか。そんなことをすれば、彼女は必ず...
それがわからないエスデスではあるまい。


「なんで...なんでなの、しまむー」
「あ、あの」
「真姫ちゃんだけじゃなくて、ほむらちゃんたちまで。なんでこんなことを」

恐怖しか抱いていなかった未央の瞳に、別のものが混じりはじめる。
いまは困惑でしかないそれだが、それは厄介なものへと変化すると、卯月は確信した。
ニュージェネレーションの中でも、多くのメンバーの顔色を窺ってきたからわかる。
困惑の延長上にあるもの。そうだ、これは―――

「卯月」

エスデスの言葉に、ビクリと卯月の身体が跳ねあがる。

「私はマスタングに用があるのでな。この場はお前に任せる」

背中を向けたまま語られる言葉に、エスデスに対する畏怖が、恐怖が、恍惚が、憧憬が。
正負の混ざった様々な感情が卯月の中に湧き上がってくる。

「私が何を言いたいか、わかるな?」

その言葉に、卯月の全身が震えあがる。
エスデスは割れた窓から去り、この場には卯月と敵対意識が芽生え始めている未央が取り残される。
そんな状況で任せることなどひとつしかない。
それを認めてはいけないのに。
嫌だとハッキリと言わなければいけないのに。
頭の中とは裏腹に、卯月の右手は、クローステールを握る右手はキシリと音を鳴らしていた。

「...みお...ちゃん」
「しま、むー」

見慣れているはずの仲間なのに、なぜか歩み寄ってくるその姿は死神のようで。
未央は尻もちをついたまま動くことができなくて。
そんな彼女に、震える声で卯月は告げた。

「わたしのために―――今度こそ死んでください」


パンッ


一際甲高い音が鳴ると同時に、隆起した土の塊が卯月に襲い掛かる。
塊は卯月の胸部を殴りつけ、後方へと吹き飛ばす。

「ほう。これが錬金術か。中々興味深いな」

駅員室の外で、マスタングと対峙していたエスデスが思わず感嘆の声を漏らす。

「...卯月が倒れたぞ。気にかけなくていいのか」
「構わん。言っただろう、あいつは帝具を使いこなしているとな」
「...田村からの情報通り、糸を巻きつけているのか」
「なんだ。既にタネを聞いていたのか、つまらん。...なら、なぜ効かないかもしれない攻撃をした?お前の得意とするらしい炎なら、一撃であいつを殺せただろう」
「炎で攻撃すれば、貴様は止めただろう」
「わかっているじゃないか。ならば、私が次にすることも読めるか?」

エスデスは、背後に手をかざし、幾千もの氷柱を放つ。
氷柱は瞬く間に駅員室を破壊し、その内装を露わにしていく。

「未央!」
「安心しろ。卯月はもちろん、本田未央もたいして傷付けてはおらん。あまり傷付けすぎては練習にならんからな」

エスデスが指を鳴らすと、彼女の背後に一瞬にして巨大な氷の壁がそびえ立つ。
これで、未央たちとは完全に分断された。

「練習、だと」
「卯月は帝具こそ使いこなしつつはあるが、実戦経験は皆無でな。最初の相手としては申し分ないだろう?」

マスタングは、エスデスの言葉がわからなかった。
いや、意味こそは伝わっているが、理解したくなかった。
未央が卯月の練習相手?実戦の?

「未央っ!」
「グラオホルン!」

そびえ立つ氷の壁を破壊するため指を鳴らそうとした瞬間、エスデスは両手を振るい巨大な氷塊を召還。
氷と炎の衝突は爆発を起こし、衝撃波が辺り一帯の地を鳴らす。

「私がそれを許すと思うなよ。そのためにここにいる」
「貴様...!」
「解りやすく言ってやろう。本田未央を救いたければ、私の屍を越えていけ」

邪悪な笑みを浮かべ、大げさな手振りでエスデスは告げる。
お前の相手は私だと。


「......」

マスタングの拳が握り絞められる。


「...まどかはおまえの仲間だったのだろう。あの姿を見てなにも思わないのか」

「仲間...という程の間柄ではないが、確かに敵対はしていなかったな。だが、死ねばただの肉塊だ。どう扱おうが興味はない」

怒りに。

「お前の部下のセリューがなんのために戦ったのか、お前にはわからないのか」

「あいつを逃がすためだろう。ただ、セリューは弱かったからその果てに死んだ。それだけだ」

悲しさに。

「セリューは、ほむらの死を悲しんでいた。卯月も未央も護ろうとしていた。...部下の気持ちを汲んでやらんのか」

「生きている間なら気を遣ってやるさ。だが、死ねばそれまでだ。死者そのものに価値はない」

虚しさに。



「...まさか、この期に及んでまだ躊躇うつもりか?」

そして。

「そんなのだからお前は何も守れんのだ」

彼女の言葉と。

「本田未央だけじゃない。ほむらもセリューも承太郎も西木野真姫も。全てはお前の躊躇いが殺したのだ」

振り下ろされる巨大な氷塊を最後に。

「動けぬのなら、迷いを抱いたまま死んでしまえロイ・マスタング」

ロイ・マスタング―――いずれは大総統になる男は、ここに消えた。

最終更新:2016年03月07日 23:53